フランスの経営風土
<フランスという国>
人口 は6,042万人(2004年推計 日本の約半分)。面積は 54万7,000km2(日本の約1.5倍)
人種として ケルト人、ゲルマン民族(フランク系、ノルマン系)等の混血
である。宗教は カトリック教が圧倒的で国民の90%におよぶ。プロテスタント系は2%。
<フランス経済の類型化>
@ビック・ビジネス
自動車(ルノー、プジョー、シトロエン)、石油(フランス石油(CFP)、エルフ・エラップなど)、鉄鋼、化学など
A伝統産業
香水(シャネルなど。スケール、メリットを追わず)コニャック(伝統的な技術や経営方針を踏襲)ぶどう酒(現状堅持。量よりも質を重んじる)靴、かばん業(職人かたぎが生きる)高級貴金属業など。
B先端技術産業
航空宇宙産業(コンコルド、人工衛星など)原子力産業、エレクトロニクス
C未来を開く産業 サービス産業
ファッション、情報、レジャー、コンサルティング業など。
<概括的な歴史>
1789 フランス革命
1792 第一共和政
1804 第一帝政
1815 王政復古(ブルボン家)
1830 七月革命
王政復古(オレルアン家ルイ・フィリップ)
1848 二月革命
第二共和政(ルイ・ナポレオン)
1852 第二帝政(ナポレオン三世)
1871 パリ・コミューン
第三共和政
<フランス革命の意義>
@ ブルジョワ革命の徹底化 → 独立自営農民の創出、小ブルの創出に
封建的諸特権の廃止 つながる
それが保守的な対応へ。しかし時には急進的となる。
レジョナリズムの台頭につながる傾向がある。
A 営業の自由 同業組合の廃止→職業の自由
交通税の廃止、耕作の自由
穀物取引の自由
<フランスにおける産業革命の展開>
@第一帝政期(1804-1814)
産業保護対策 例えばノルマンディー型の綿織物工業
特徴 @農村の小生産者
A経営活動を通じて不断の蓄積 ―― 自己資本中心
B保守主義 ← アルザス型と対象的
A第二帝政期
・ルイ・ナポレオン(1808-73)。1852―70年の間、フランス皇帝。ナポレオン1世の弟オランダ王ルイ・ボナパルドの第3子。ナポレオン1世没落後、諸国を流浪し、ボナパルト家の正統の継承者として帝政復興をはかり、1836-40年の2回にわたり、7月王政に対する陰謀を企てるが失敗。48年2月革命後、帰国し、国民議会に選出され、同年12月の大統領選挙にて絶対多数で当選。52年国民投票によって、帝位に付き、ナポレオン3世と称す。
・ルイ・ナポレオンとサン・シモン
ナポレオン3V(1852-70)は「馬上のサン・シモン」といわれた。
サン・シモン(Saint-Simon)(1760-1825)
サン・シモン主義とは
工業化のイデオロギーで、空想的社会主義でもあった。産業主義を強調し、経済の指導者としてのテクノクラートの役割を主張。したがって、集産主義的、全体主義的な、資本家のイデオローグとなった。彼によれば、非生産者階級は非難される対象であった。農民・手工業者・商人・銀行家などの産業家階級こそが必要であるとされた。産業家はこれにより、自己の経営活動の合法性を確認することができた。これは、イギリスにおける企業家の社会的位置づけや理念と比べると対照的といえる。
・ クレディ・モビリエ
サンシモン主義の思想に基づいて1852年に設立されたのが、クレディ・モビリエ(Credit Mobilier)であった。これは零細資金をまとめて→投資銀行として活用するもので、鉄道などの大規模事業に利用された。
<サン・ディカリズム>
労働組合主義(組合による社会変革)
組合の直接行動(サボタージュ、ボイコット、ストライキ)
↓
ゼネストによる権力掌握(議会制民主主義の否定)
<フランスの教育制度>
学歴偏重のエリート教育、学閥も形成
(Grandes Ecole)
高等師範 エコール・ノルマル
卒業後10年間国家に奉仕することを条件に国から月、約15万円給付
行政学院 ENA
社会科学(シアンス・ポリティック)
高等商業学校(HEC)
一流のグラン・ゼコールへは予備門学生の1割しか入学できず
グラン・ゼコールへの入学試験は3回まで
予備門へはバカロレア合格者の9%が進学
失敗すると一般大学3年過程に編入
<フランス企業者の特質>
1.企業を家産とみなす。堅実経営、安全重視
2.地方では果敢な企業精神
3.国際的視野の企業化活動
4.技術合理性への進行
利潤拡大化よりも技術合理性(technical rationelity)
5.しかし家族企業が多く、封鎖的な集団を形成している。
例えば200家族「多収特定業種、特定企業だけを支配する」
これは財閥やコンツェルンとは異なる。
フランス型経営者
安全性、自己金融、企業を家産とみなす。技術合理性を追求。
これは所領経営(自作農)に類似している。
フランスの経営者の評価に対しては、否定的に見る、アメリカのランデス教授の見解に対して、それに対する反論も出されている。
<第2次世界大戦後のフランス経済>
・戦後経済としては“混合経済”体制。政府の計画と産業界の協調。テクノクラートの役割が大きい。その背後には特有の教育制度が作用している。
国有化の進展(産業経営に対する国家の影響の増大)。経済計画の定着。
・植民地との経済的関係を断絶し、EC経済中心に移行。これが戦後経済成長を支える。寡占体制の成立
参考文献
原 輝史編『フランス経営史』有斐閣1980年
原 輝史編著『EU経営史』税務経理協会2001年
渡辺尚・作道 潤『現代ヨーロッパ経営史』有斐閣1996年