1.創薬シーズの分子デザインとケミカルバイオロジー的手法を用いた作用機序解明

病気の治療、診断、予防のための医薬開発においては、新規骨格の生理活性物質の発見が重要であり、これらは主に天然有機分子や偶然の活性発見によって見い出されてきた。 これらのいわゆる天然型生理活性分子は生体内においてその標的である受容体タンパク等と相互作用して活性が発現していると考えられている。 現在、がんをはじめまだまだ特効薬のない病気があり、また新しい病気の発現の可能性もある。 そういった中で、21世紀の医薬開発における生理活性分子の創製には、これまでの研究とは異なるアプローチが必要である。 我々の研究室では、医薬素材として生体内に存在しないホウ素元素に着目し、これを導入した新しい生理活性分子の創製を目的として研究を進めている。現在、がんの分子標的治療薬の開発を目指して、
@ リン酸化シグナルカスケードに着目したチロシンキナーゼ阻害剤
A チューブリン重合阻害剤 の創薬研究
B 低酸素で誘導されるシグナルに着目した創薬研究
C ホウ素の特性を活かした創薬研究を進めている。


図1.1 低酸素誘導因子(HIF)に関わるシグナル伝達と血管新生
   
我々が標的とするタンパクに特異的に作用する生理活性分子をコンピューターシミュレーションを駆使して設計・合成するだけでなく、合成した化合物の標的タンパクへの相互作用についても分子生物学的手法を用いて調べ、構造活性相関を明らかにするとともに、さらなる分子設計を行っている。
 このように、本研究室では有機化学を基軸として分子生物学との境界領域に挑戦しており、「新薬創製」という大きな夢に向かって日夜研究に励んでいる。


最近の論文から

カルボランの立体電子的相互作用を利用したHIF-1α阻害剤             

正常組織においては、発達した血管網によって十分な酸素、栄養が供給されている一方で、固形腫瘍組織内では、酸素・栄養が不足していることから、血管網形成のために低酸素誘導因子(HIF: hypoxia inducible factor)- 1αによる血管新生因子の産生が強く亢進されている1)。このような経路を介してがん細胞の増殖や浸潤・転移を促進することから、低酸素下で誘導されるHIF-1αをがん分子標的とした阻害剤の研究開発が最近注目されている。
 HIF-1αは、通常有酸素下条件下では、プロリン水酸化酵素(PHD: prolyl hydroxylase)で水酸化され、ユビキチンリガーゼ(VHL: von Hippel-Lindau)によりユビキチン化されプロテアソーム分解経路を経て分解される。一方、低酸素条件下(Hypoxia)では、PHDによる水酸化が抑制されるため、HIF-1αは分解されず核内へと移行し、HIF-1αとヘテロ二量体を形成しDNAの低酸素応答領域(HRE: hypoxia response element)に結合することで、様々な血管新生因子が活性化される(図1)。
 我々は、HIF-1α阻害剤として、ホウ素クラスター骨格を有するGN26361を見出した(図2)。GN26361は、HIF-1αのmRNAレベルを阻害することなくHIF-1αタンパクの蓄積ならびにその下流遺伝子VEGFの発現を阻害した。そこで、GN26361の化学構造を基に、光反応により標的タンパクと共有結合を形成する光反応性官能基ベンゾフェノンを導入し、さらにアジド含有蛍光剤とのクリック反応ライゲーションのために末端アセチレンを導入したGN26361プローブ分子を合成した。プローブ分子と反応させたHeLa細胞ライセートをSDS-PAGEを行い、蛍光イメージングシステムにてプローブ分子と結合したタンパクの同定を、質量分析装置(LC/ESI-TOF-MS)を用いてペプチドマスフィンガープリンティング法により行った。その結果、GN26361の標的タンパクの1つがHsp60 (Heat shock protein 60) であることを明らかにした。(Bioorg. Med. Chem. Lett., 2010, 1453-1456; J. Am. Chem. Soc. 2010, 132, 11870-11871により論文発表済)


図1.2 カルボランの立体電子的相互作用を利用したHIF-1α阻害剤の化学構造とケミカルプローブ化による標的タンパクの同定プロセス.Hsp60がHIF-1αの安定化に関わっていることが初めて明らかとなった。

2. 中性子捕捉がん治療のための次世代ホウ素ナノキャリアーの開発

がん治療の理想的な方法とは、正常組織に重大な障害を与えることなく、がん細胞を殺すことである。がんを治すためには、がん細胞を完全に殺さなければならないが、その治療法のためにはしばしば他の正常組織も傷つけてしまう。
今日の標準的治療法である外科手術、放射線療法、免疫療法、化学療法の組み合わせで何種類かのがんを治すのに成功しても、それらの方法では治すことのできないがんがまだまだ多く存在する。
しかし、新しい強力な治療法を生み出せる可能性もあり、その一つにはホウ素中性子捕捉療法がある。低エネルギーの熱中性子はエネルギーの高い高速中性子とは異なり、人体には無害である。
しかしながら熱中性子とホウ素10との反応は、リチウムとヘリウム(α線)を生じ、これらのエネルギーは2.4MeVとおよそ1つの細胞を破壊するのに十分なエネルギーである(式1)。

10B + 1n → 7Li + 4He + 2.4 MeV  (1)

この核反応を利用するのがホウ素中性子捕捉療法である。
したがって、予めホウ素分子をがん細胞にのみ選択的に取り込ませそこへ中性子照射を行えば、細胞内でのホウ素と中性子の核反応で生成するα線のエネルギーを用いてがん細胞のみを選択的に破壊することができる。

一昔前までは、熱中性子のみを取り出すことは困難であったが、原子炉物理学の発展により、良好な中性子が得られるようになった。
また、熱中性子は加速器からも得ることができるようになったが、原子炉から得られる熱中性子よりもまだまだ出力が弱いことが問題点である。
現在、核燃料の問題から医療用原子炉の利用から加速器の利用へと転換しつつあり、加速器によるホウ素中性子捕捉療法の実現のためにも、ホウ素10を含む分子を如何にしてがん細胞にのみ選択的に高濃度で送り込むかが治療効果の決め手となる。
本研究室では、医学、原子炉物理学、薬学の各分野の研究者と共同で集学的研究を進めている。


                      図2.1 中性子捕捉療法の概念図


最近の論文から

ホウ素イオンクラスター脂質の合成とベシクル化:
ホウ素中性子捕捉療法のためのホウ素送達システムへの応用


近年、ホウ素10分子のがん組織への有効な送達法としてドラッグデリバリーシステムの利用が注目されている。一般にリポソームを利用したドラッグデリバリーシステムでは、ホウ素10分子のようながん細胞へ送達したい薬剤をリポソームの内側に閉じ込めデリバリーするため、封入できる薬剤の濃度には限界があった。我々は、リポソームの二分子膜に注目した。
脂質二分子膜は、分子間相互作用により自己集合化しているため密度が高く、この二分子膜へホウ素分子を導入できれば、非常に高濃度でホウ素をデリバリーできると考えられる。
本研究室では、このリポソームの二分子膜へホウ素分子導入を指向したホウ素イオンクラスター脂質を開発している。「次世代DDS型悪性腫瘍治療システムの研究開発事業」(新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO):平成17年度〜平成19年度)において、筑波大学・大阪大学・京都大学・日本原子力研究開発機構、および国内企業と本研究の実用化に向けて共同研究を進め、平成20年度より厚生労働省の「医療機器開発研究事業(ナノメディシン研究事業)」において筑波大学・大阪大学・京都大学・帝京大学・東京大学と臨床応用へ向けた開発研究を進めている。(Bioconjugate Chem. 2006; Bioorg. Med. Chem., 2010; Pharm. Tech. Japan, 2010)。







図2.2 ホウ素イオンクラスター脂質の構造 と そのベシクル形成(電子顕微鏡写真)

3. 有機合成のための新しい分子変換反応の開発

次世代物質変換プロセスとして望まれることは、環境調和型のエコケミストリーに対応した高度物質変換プロセスを開拓することである。本研究室では、遷移金属触媒を用いた高効率的合成反応の開発を行っている。


最近の論文から

プロパルギルアミンを合成中間体とする分子変換反応

生理活性物質や薬剤のように我々の生活において重要な低分子化合物の多くは、含窒素化合物であることから、炭素−窒素結合の活性化に基づく分子変換は、有機合成上もっとも重要な変換反応の一つである。特に、その触媒的分子変換反応の開拓は、いわゆる環境に優しい化学合成、環境に優しい分子・反応の設計のためにも技術基盤となる環境調和型の実践的有機合成プロセスの開拓に繋がる。我々は、含窒素化合物の中でも特にプロパルギルアミンを合成中間体とする分子変換反応に着目し研究を進めている。





                 図3.1 プロパルギル化合物の反応性


プロパルギル化合物を用いる分子変換反応は、炭素−炭素三重結合を導入できるだけでなく、その官能基を利用し付加反応や環化反応など高度な骨格変換が可能であることから有機合成において非常に重要な反応の1つである。一般的に、置換反応において用いられるプロパルギリル化合物(1)は、脱離基にハロゲンもしくはエステルなど脱離性の高い官能基を有しており、金属触媒が炭素−ヘテロ原子結合に酸化的挿入することで反応が進行している(path a)。一方、我々はプロパルギルアミン誘導体(2)に対しては、同様の酸化的挿入反応だけでなく、窒素原子に結合している炭素−水素結合を活性化することによりヒドリド転位が起こり(path b)、アレンへと変換されることを見出した (J. Am. Chem. Soc. 2004) 。さらに、第二級アミン存在下では金属触媒がsp炭素−sp3炭素結合に酸化的挿入反応が起こり(path c)、アミン置換反応が進行することを見出した(J. Am. Chem. Soc. 2010) 。これらのユニークな反応には窒素原子上の非共有電子対が重要な役割を果たしており、金属触媒の酸化的挿入をアシストしていると考えられる。





      図3.2 パラジウム触媒および銅触媒によるユニークな分子変換反応機構