日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話(ないしは極めて特異な話題)なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


1/1/2002(火)

あけましておめでとうございます。


日付を調べてみると、数学セミナーに「S からの年賀状」という文章を書いたのは、すでに六年以上前のことだった。 そこに登場する S からの年賀状が届いたのは、ちょうど七年前ということか。

S は亡くなり、ぼくらは生き残って、すでにそれだけの歳月を生きてきたのだなあとしみじみと思う。 猛烈に月並みなかもしれないけれど、こういうことについては月並みな反応をするのがぼくらの心にとって最良なのだろうと信じるから。

思えば、教員の web page をつくることを大学側が推奨したとき、はじめ消極的だったぼくが真面目に考え始めたのは、(物理学者としての)自分の web page をもてば、「S からの年賀状」のような小文を他人が読みうる形で残しておけると気づいたからだ。

たしかに「数学セミナー」に掲載された文章は、全国の書店に並び、全国の図書館に入って(運が良ければ)人の目に触れる。 しかし、ほんの一月もたてば、雑誌は書架の奥に入り、いずれは製本されてしまう。 そうなってしまったとき、一ページにも満たない文章をわざわざ発見して読んでくれる人はいないだろう。 短い文章は、そこで実質的に葬り去られてしまう。 他方、ぼくの web page に文章を置けば、もちろん目にする人の数は圧倒的に少ないけれど(とくに当初はほとんどアクセスもなかったはずだし)、少なくともぼくに感心をもってくれた人にかなりの確率で読んでもらるにちがいない。 そして、図書館の雑誌と違って、ぼく自身がその文章を奥にひっこめない限りは、ずっと目立つところに置いておくこともできる。

そう思って、ぼくは自分の web page を立ち上げたのだった。 だから、「S からの年賀状」は、ぼくにとっては、web page をつくったときからの主要なコンテントだったといってよい。

いったいこの素人のエッセイもどきを何人の方が読んでくださったのかは知る由もない。 けれど、あるとき、親しかった同級生を事故で失った若い方からぼくのこの文章を読んだというメールをいただいた。 おそらく言葉では表せないような喪失感とやるせなさを覚えながら、その方は、以前に読んだこの文章を思い出してくださって再読してくださったという。 その方の味わった別れの方がぼくの場合よりもずっと切実だったと思うし、ぼくの文章に苦しい状況を乗り切るための秘訣が書いてあるわけでもない。 それでも、その方にとって、ぼくの文章を読み、ぼくにメールを書くことが、自身の状況を客観化して少しでも落ち着きを取り戻すためのほんのささやかな助けになったのだとしたら、ぼくとしては、(悲しい状況のなかとはいえ)それほどうれしいことはないのだった。


悲しい話だったので、ひとつ、心からうれしかった年賀状のこと。

もう何年か前になるけれど、かつての教え子 --- ぼくにとっても忘れがたい学生さんの一人 --- から生まれたてかわいらしい赤ちゃんの写真をプリントした年賀状をいただいた。 年賀状の余白には、彼の直筆で、「子供の『○○』という名前は田崎さんのお名前から一文字もらってつけました」とあった。 教育に携わりながら生きてきて、これほどにうれしいこともなかなかないものです。


などと昔を思い出してばかりいないで、今朝届いた年賀状に返事を書かなくてはね。
1/3/2002(木)

正月の昼下がりの長い散歩。 少しずつ雲が多くなってきているが明るい陽射しが心地よい。

神田川にかかる高戸橋の欄干あたりに多くの鳩とカラス。 誰かがまいた餌をついばみに来たのだろう。 近所のおじさんが、欄干ごしに下の神田川にむかって餌を落としている。

ふと見ると、おじさんが立ち去ったあと、欄干の上にカモメが一羽、こぼれた餌を拾っている。 ぼくが数十センチまで近寄っても平気な様子。 カモメをこんなに間近で見るのははじめてかもしれない。

そこで欄干から神田川を見下ろすと、なんと、カモメの群。 十羽、二十羽、ではきかない。 テレビで聞くあの鳴き声を時折発しながら、白い鳥たちがくるくると飛びまわり、高く飛んだカモメはぼくのすぐ目の前までやってくる。

以前に妻と目撃した二羽のカモメ(12/5/2001)がみんなを誘ってやってきたのかな、などと子供のようなことを思ってみるのも愉しい。

考えてみれば、神田川もくだっていけば東京湾までつづいている。 カモメたちは、ずっと、川沿いにここまで上がってきたのか。 いったい海までどのくらいの距離があるのだろう。

そういえば、昔、TOKIO か何かがゴムボートでずっと神田川をくだって海まで行くっていう企画をやってんのをテレビで見たよな、と急に話題がミーハーになってしまったわい。


昨晩、なんとなく「タイトル付きのリスト」の書き足しをした。 ようやく去年の八月まで来た。

なんか知らないけど、この八月の「雑感」は妙にのっていますね。


1/6/2002(日)

あれま、もう六日か。

部屋の整理もせず、論文の仕上げなどいっさいしないまま授業やら試験やらに突入することになりそう。

しかし、2002 とかいう数字を見ても、うさん臭いお店の名前とかみたいで、ちっとも年号っぽく思えない。 そのうち慣れるのか?


1/10/2002(木)

Mac の OS を、ようやく 9.2.1 にアップグレードして書いております。 ひと味ちがうかな?

先日、お店で OS X の走っている 21 インチ液晶ディプレイ付きの G4 を触ってきて、少しほしくなってきているところ。 しかし、青バケツの G3 (←今つかっている)の次が単なる黒バケツの G4 というのも芸がない。 なんか、今度の iMac みたいに、人にげげっと思われるようなデザインのマックを出してくれないかなあ。


アエラムック「物理がわかる」の執筆依頼。

数×科×とかはデフォルトで断ることにしているのだけれど、こういうのは判断に苦しむ。 2000 文字程度じゃろくな知識の伝達はできないけれど、長い目で見た精神的な啓蒙活動としてあんがい意味があるかもね。 流行の路線をやっている人が、無味乾燥なナノテクハイテクノーベル賞レース的物理像を打ち出すのを少しでも解毒するという意味でも。

どう返事するかはこれから考えるとして、今さら、

ムックって何よ?
とか聞いてはいけないのかな? ポンキッキのイベントに行っておねえさん(←ぼくが見ていた範囲ではナンバーワンに可愛かったけれどごく短期間でやめてしまった幻のおねえさんなのだ)といっしょに写真を撮ったことまである私(←子供と行ったのですぞ、誤解なきよう)が何を思い浮かべるかは言うまでもないであろうが。
1/11/2002(金)

O さんという方からいただいたメールによると、ムック = mook というのは、magazine と book を合成してつくった、雑誌の特集版と本の中間の出版物を指す造語らしいです。

いやあ、まったく、なんというか、そのお、せっかく長い magazine という言葉から一文字しか借りてないとかつっこみどころもありそうな気もしますが、正直なところ、

情けなさ過ぎて、ネタとして引っ張りようがない
というのが素直な気持ちですね。

というわけで、この話は終わり。

(おっと、肝心なのは、その雑誌特集版と本の中間存在的出版物に書くかどうかでした。 専門的なところよりもかえって書く意義があるとの意見を若干一名から(って妻からですが)もらったし、ぼくもそう思うから、ま、書くか。)


ほお。 佐々さんの日記(日々の研究 1/7-10/2002)を見ると、京都の集まりで、佐々さんや那須野さんや大信田さんたちで盛り上がっていたようではないか。 いいなあ。

那須野さんとは何度か研究会などでお話を聞いていたく関心したことはあるのだが、まだじっくりと個人的に議論したことはないのだった。

でも、今年は、はるかにじっくりと議論したりできるという強い予感があるのです。 それなりの根拠にもとづいた「予感」でっせ。


1/16/2002(水)

どうも落ち着かなくて、まとまったことができない。

というので、ゆっくり書いている気にもならないので、趣旨には反するけれど(?)、ここのところ考えていることを箇条書きでメモっておこう。

  1. 熱流 SST を実現する別の設定の模索。 非平衡化学ポテンシャルと横方向の圧力の関係??
  2. 神経興奮パルスの形状の対称性を導く簡潔な議論を探すこと。
  3. 教務とか大学ホームページ関連の雑務をぎりぎりまでさぼってやばかったな、ということ。
  4. そろそろ期末試験の問題を作らないとやばいぞ、ということ。
  5. なんとなく痛むような気がしてもなんとなくやり過ごしてきた奥歯が、いよいよ痛くなってきたような気がするけどなんとなくやり過ごそうかな、やっぱ、今度はダメかな、とかいうこと。
  6. その他、個人的なこと、いろいろ。
なんか、5 を考えている時間の比率が増えてるぞ。
1/17/2002(木)

朝、なんとなくしゃきっと目覚められなくて、布団でぼけっとしていた。

すると、昨日の夜、ウィスキーを飲みながら少し論文を読み、まとまったことを考えられないまま布団のなかでぼけっとしていたとき、少しいいことを思いついた、という記憶がよみがえった。 こういう場合、たいていは再検討するとアホな話なのだが、これは、なんとなくまともに見える。

というわけで、佐々さんにメールで相談しつつ、熱流 SST の別の実現法と、化学ポテンシャルの新しい同定の方法について考える。 本当だとすると、けっこう見通しはよくなる気がする。 (いや、今佐々さんから来たメールを見ると、なんかおかしいみたい。うううむ。悩みながら家路につこう。(夜 7 時付記))


でも、ともかく期末試験の問題つくらないとやばいじゃん、ということで、部屋に鍵をかけて(←不意の学生さんの侵入を防ぐ)自分の教科書などを参照しつつ熱力学の問題を検討。

そうこうするうちに、なぜか「熱力学:現代的な視点から」のページに久々の改訂を加えてしまう。 (ようやく、まともな訂正リストを公開。 (本屋さんには訂正済みの第3刷が出回っているから、もう絶対おそいって・・)) 逃避と呼ばないでおくれ。


あ。

雑用の締切ふたつが今日だったんだ。 なんにも言ってこなかったから、大丈夫だよね。 留守電に催促も入ってないし。 どきどき。


1/18/2002(金)

昨日の話は、

なおかつ、 という実に「うまい話」てんこもりの野心的プランだったのだ。が、またねずみ講のニュースをやっていたけど、まあ、うまい話には穴があるのが普通で、今回の野望も一日の寿命であっさりと崩壊したのでした。 もちろん、崩壊のなかからも、ひとつの方向性は示されたわけで、立ち直って、そっちにむかって考えたときどうなるか、というのは今後の課題。
少し前ですけれど、夜子供が適当にテレビつけたらナウシカをやっていたので、ついつい見てしまったのだが、
「こたえたっ」
とか、ナウシカがせりふ言う前につい先走って口に出してしまう自分を発見して、おお、やっぱしおれもニュータイプぢゃ いかんいかん、これでは人迷惑なアニオタみたいじゃんかと自らを戒めるのでした。 (ちなみに、ぼくは、全然ちがいます。 覚えていないせりふも多いし。)

ところで、今日、統計力学の最後の講義で、平均場近似を説明したのですが、まず「スピンを一つ選び、そのまわりのゆらぎを無視する」という悪しき近似を行なったあと、さらに、「実は、この選んだスピンは別に特別じゃないのさっ」という開き直りをして self-consistent equation を書き下すところで、とっさに、「しょせん、血塗られた道」と言ってしまった私の姿があった。 一瞬、クシャナ風に言おうかと思って頭のなかでシュミレーションしたのだけれど、まったく通じないとやばいなと思ってつい弱気になり、そのフレーズだけを地の文と同じ調子で口にしてしまったのだ。 若い人にはわかるのかのお?


やはり虫歯であった。

もう少し放置すると、「甘いものがしみる」段階を通り越して、「体があたたまると痛む」という苦しみを味わうことになったらしい。

甘いものがしみるのは、浸透圧のせいなんです。 浸透圧って、もちろん、ご存じですよね?
はい。 ついさっき講義で説明してきたところです。 もう少し早く歯医者さんに来ていれば、講義の説明のときに虫歯ネタもしゃべれたのになあ。 やっぱり歯医者さんには早めにいくべし、ということですね。
1/19/2002(土)

昨日は、ま、元気に講義をしたり、元気なく歯医者さんに行ったりしてたわけですが、それ以外に、きわめて個人的な事柄で対外的に殺伐としたできごとがあって、けっこう精神的にくたびれて一日を終えようとしていたのでした。

そんなとき、ふとメールをチェックしてみると、「雑感」に反応された方たちからのメールが届いていたのですが、それらが、なんだか妙に、ぼくを「ぼくが本来属している世界」に連れ戻してくれるようで、不思議に安心感を覚えたりしたのでした。


というわけで、一つ目。
先生のホームページの愛読者で○○と申します。
平均場近似はしょせん、血塗られた道
というフレーズが、私の心に突き刺さり、
ただ、それだけで、メールしてしまいました。
なぜ、このフレーズがそのような力を持って
私に迫ってくるのか、考えるだに不思議でなりません。
ええと、こういう調子ではありますが、実はある旧友から。 知っている人にはすぐにわかるであろう。 (しょうです。大学院時代の自身の研究テーマを「阿鼻叫喚地獄」と呼んでいた彼です。)

なにげなく頭に浮かんだフレーズですが、こうやって、

平均場近似はしょせん、血塗られた道
と明文化してみると、それなりに深いものがあるような気になってしまう。

無限自由度系の自発的対称性の破れや臨界現象に立ち向かうのに、単に一変数の非線形方程式の分岐現象で話を済ませてしまおうというのが平均場近似。 使えるだけの物理的アイディアと数学をもって、無限自由度系と本気で勝負する世界を至高のものとみなしていた学生時代のぼくにとっては、平均場近似なんて悲しいまでにちゃちで情けないものに見えた。

今でも、平均場近似がちゃちだという意見はかわらないし、平均場近似ででてくる細かいことにこだわってごちゃごちゃ論文を書く人は馬鹿だと思っている。 とはいえ、人間のもっている数理能力ではどうしようもないような問題であっても、ともかく、なりふりかまわず平均場近似をおこなえば、なにがしかの指標は得られる。 というより、運がよければ(←これは、問題固有の性質に依存すること。真の正解と平均場近似の結果がどれほど「近い」かによって決まる。ただ、どれほど「近い」かは平均場近似の外にでなくては判定できない。)、物理の本質的な部分は、平均場近似の範囲で見えてきたりさえする。 考えてみると、ここには、どうしよもない状況であっても、ともかくなりふり構わず、自分にできることをやって何とか道を開いてやろうという、われわれ弱き人間の生き方にも共通するものがあるのかもしれない。 とすれば、平均場の説明をする私の頭にクシャナの言葉が響いたのも、また、自然なことかも知れぬ。 (関係ないけど、「今つかわずにいつ使う。」も好きです。 腐っちゃ困るけど。)

ただし、以上の考察で、このフレーズがわが旧友の心に鋭く突き刺さったその理由が解明されるわけじゃありませんので注意。


二つ目は、Princeton 時代に知り合った N さんから。
今までうちの夫はなんて奇妙なんだろうと思っていましたが(笑)
先生の「雑感」を読ませていただいて、そうか、物理学者というのは
これが普通なんだ、と妙に納得できるようになりました。
おかげで夫にももっと優しく接することが出来るようになった気がします。(笑 )
「日々の雑感的なもの」が、人様の夫婦仲の改善(?)にまで役に立ったというお話ははじめてです。 身に余る光栄です。

ところで、N さんは、別にご主人が奇声を発したり奇行に走ったりするから「奇妙」と書かれているのではありませぬ。 昨日、一昨日の「雑感」に出てきたみたいに、瞑想の果てに「うまい話」を思いついて舞い上がり、しばらくして、没になってまた悩み、ということをくり返すのが、 N さんのご主人だけではなかったのだ --- という意味でこう書かれているのです。

ぼくも、そういう風に失敗をくり返しながら、もがき続けるのが、物理学者の(あるいは、研究者一般の)普通の姿のはずだと信じています。 ただし、統計的な意味で、これが「普通」かどうかは、悲しいながら、わからない。 たとえば、「○○の方法を使って、××の問題を調べて結果を出して論文を作ろう」という「やればできる」タイプの「研究」をしている人たちにとっては、事情は大きく違うはず。 そういう人たちの最大の関心事は、何物かについて真実を知ることでもなく、人類をほんの少しだけ賢くすることでもなく、単に、競争相手に先を越されずに仕事を仕上げることだけのように(ぼくには)見えますから。

だから、N さんのご主人が「奇妙」なのは、彼がぼくが好きなタイプの物理学者だっていうことだろうと思います。


1/21/2002(月)

個人的にあわだたしいので、休日は、人並みに主に家の用事をして過ごす。

とはいえ、夕方に少し出勤して、熱力学のレポートを見て、模範解答もどきを作って部屋の前に置いておきましたから、必要な方は取りに来て下さい。

って書いても、ひょっとして、あの学年の人たちはこれを読んでないか。


「うまい話」を夢見てはうらぎられるって話題(1/18, 1/19)だけど、この前のみたいに一日で崩壊するなんていうのは、明らかに、きわめて軟弱な部類に属します。 実際には、もっと何ヶ月も、時には何年も、何かを求めつづけてがんばりつづけて、けっきょくはダメだった --- みたいなことは、真の研究者にとっては、当たり前のことだろうと思う。 ぼくは、まだそれほどの歳じゃないから、何十年も何かを追い求めたことはないけれど、それでも、研究者としての人生の中で、やろうと思ってがんばっても結局満足できることは何もできなくて、差し当たっては休戦にしているテーマは、かなりたくさんあるつもり。

昔、ある方にそういう話をしたところ、

打率は一割以下ってことですね
とまとめてくださって --- ちょっとオヤジが入っていますが --- ま、ナイスコピーかな、と。

ぼくはどうせイヤな奴なので、話のついでに言ってしまうのだけれど、実のところ、単に「打率」を上げたいと思えば、それは、できるのです。 技術的な問題としては、取り組んだ問題と生産した論文数の比という意味での打率なら、ほとんど十割に近いところまで上げることは確実にできる。 (本当にやろうという気になるかどうかは別。)

要するに、自分自身がそれなりに熟知しているテーマについて、「すそ野」を見渡して、確実性の高い方向に確実性の高い歩みを進めれば、まず、失敗することはない。 もちろん、駆け出しの研究者にはそんな「技能」はないのだけれど、 ある程度本格的な仕事をすれば、そういう「境地」に達するものなのだ。 ぼくの場合だと、ポスドク時代から学習院で独立した時期の初期までに、量子スピン系の仕事を精力的にやったあと、これでこのテーマでなら「安心して食っていける」という感触をもった。

でも、ぼくは(少なくとも表面的には)量子スピン系からは完全に手を引いてしまった。 (今でも、ぼくの中の「休戦中問題リスト」の中には、量子スピン系にかかわる難問が二、三あって、いつか機が熟したら何とかしてやりたいものだと秘かな野望は抱いている。ないしょだけど。) これは、べつに「科学への崇高な理念に導かれて苦渋の末に選んだ道」とかいうのじゃなくて、単に「自分にとって面白いことをやろう」という素朴な快感原理の命じるまま自然にそうなったことだろうと自分では思っている。 (もちろん、気楽に進めば論文を書き続けられるというモードから抜けて、仕事なんて何もできそうにない新領域に飛び込んでいくのは、ちょっと元気がいるけど。)

やればできると最初からわかっていることをやっても、ま、面白いかもしれないけれど、やっぱり、面白さも中くらい哉。 それより、模索してあがいて悩んで絶望して復活してまた迷って考えて、ようやくぎりぎりできるかできないか、というテーマを研究する方がずっとわくわくするし楽しい。 (ついでに言えば、この世界で、好きな研究を生業として生きていくことが許されている以上、自分の限界までがんばるべきだ、という「義務」を唱える人もいるだろうな。 ぼくもそういう感触を持つこともたまにあるけれど、ぼくにとっては、おそらく、もっと野性的な快感原理の方が主たる行動要因です。) ぼくは、こういう研究者の進み方っていうのは、ごく当たり前のものだと思っている、あるいは、思いたいのだ。

だけれど、残念ながら、現実はそうじゃなく見える。 とても能力があって、ぼくなんかよりずっと影響力のある立場についた人たちが、みんな、どんどん「高打率量産モード」に入っていくような気がする。 もちろん、そうやって量産モードに入れるということは、ひとつの分野について並々ならぬ知見をもったということで、それは素晴らしいことだと思う。 (だいたい、ぼくは「やる気になれば『量産』なんてできるさ」と公言しているだけで、本当にはまったくやってはいないのだから、実は量産したくてもできない奴が遠吠えをしているって解釈だって可能だよね。) でも、それだけの能力があるのだから、そんな風にこじんまりとまとまらないでもいいじゃないか。 じっくりと時間をかけて何か目新しいことを目指せばいいのに。 せっかく物理の世界に入ったのに、このままでは、ぼくらの世代は単に過去の遺産を相続・整理しただけの人々になってしまいそうだよ。 やるからには、皆ががんばって、人類に新しい景色を見せたいと思わないのかなあ?


付記1: ぼくが、この「雑感」などでしきりにつかう「悪しき職人主義」とか「悪い意味でのサラリーマン科学者」とかいう言葉は、そういう向上心のない「やればできる」的研究のことを指していると思ってください。 (以前、「職人」を批判したら、早川さんに「研究には職人も大いに必要」と指摘された。 最高の技術と根気をもって未知の問題にこつこつと挑むという意味での「職人魂」はきわめて重要です。 というより、ぼくも、そうありたい。)
付記2: こういう批判、というか、愚痴を、大学院生や駆け出しの研究者の方がそのまま受け取る必要はないでしょうね。

大学院の頃からきわめて高い基準を課して仕事をしている人もいます。 が、自分にできる最大限の研究をして最大限論文を書くことを心がけるというのも、一つの正解だと思います。 つうか、ぼくは、そうやっていました。 量産とは言えないだろうけど、けっこう論文書きました。 相当にせこいのも書きました。 読んでほしくないのもあります。 (さがさないでね。)

ぼくの愚痴は、主として、すでに大学などに定職をもって弟子を育てているようなレベルの人たちに向けられているとご理解ください。 (だからといって大学院生に愚痴がないというわけじゃない。 でも、それはまた別の話でしょう。 清水さんの「プラモデルの悩み」にも通ずる話題ですし。)


1/23/2002(水)

一昨日みたいな「グチ」を書いていると、書いている間はいいのですが、後になってから、ふと、夜中に道ばたで一人で大声で説教している酔っぱらいのおっさんになっていたみたいな気持ちになってしまって、一瞬めいりかけたりもします。

でも、うれしいことに、あの「雑感」に関して、お会いしたことのない方から賛同のメールをいただく、など、いくつかのお励ましの声を感じることができたました。 ありがとうございます。 元気が出ます。 というわけで、調子にのって、いよいよ酔っぱらいのおっさん全開で、何でもかんでも言ってやろうじゃあねえか、うぃいい、ひっく --- とも思うのですが、ちょいと「Boltzmann と SST を隔てる壁」についてアイディアらしきものが浮かんでいるのでそっちに集中します(そして、九分通り没にします)。


1/28/2002(月)

ふう。 生活におわれて忙しく生きています。

期末試験はおわって、採点中。 熱力学の一番と三番ができてない人って、単位を取る気がないのかねえ、とかここで言ってみてもしかたないか。 (できている人は多い。)


どうも 2002 年という年号に慣れない、というようなことを前に書いたけれど、未だ慣れない。

今日の教務委員会で、先週の水曜が締めきりだった各学部からの提出書類のコピーが資料として配付されたのだけれど、ぼくは、実は猛烈に遅れて出したので、

理学部のだけ日付が新しくてかっこわるいにゃあ。
と秘かに思っていたのだ。 でも配布された資料をよく見ると、
2001 年 1 月 2X 日
と TeX でかっこよく書かれていた。 理学部の書類の日付が最古であった・・・
21 日の「雑感」についての早川さんの反応(早川日記 1/23/2002)は、「反論」なのかな?

エネルギー不足なので、簡単に。

ぼくが問題にしているのは、別に個人のダンディズムとかスノビズムの話じゃない。 「一流」どころが皆こんなことをしていたら、物理は確実にダメ学問になってしまうぞ、ということ。 「時代のせいで」と全員が責任を放棄してあきらめたら、もう立ち直れない。 でも、少し離れてみれば、そう言っている連中がいっしょになってそういう「時代」を作っているのは明らかだと思う。


1/29/2002(火)

へえ。 去年の今頃は、東京に大雪が降り、ぼくは SST に闇雲に取り組みはじめ、身内がちょっと怪我をしたのだった。 去年の「雑感」を見ると、そういうことがわかるので、おもしろい。 (三つ目は書いてないけど。)

SST については、あの頃、熱測定の専門家を前に熱弁をふるうところまで(11/27/2001)行くなどよもや思っていなかったので、ちょっとうれしい。 でも、今のところは、ちょびっと小道がついただけ。 これが何処に続くのか、あるいは、何処にも続かないのか、まだまだわからないのであった。

そういえば、今年は雪かきスコップも購入して万全の体制で臨んでいるのだが、降雪はないですね。 ま、降らない方がいいのだけど。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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