日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


12/1/2003(月)

12月になった。 12月の旧名は師走である。 師走は“師が走る”と書くが、私も教員のはしくれである以上は走って大学まで来るべきだったのだろう。 だが、あまりに雨がひどく、かつ、ちょっと急ぎだったので、自動車で来てしまった。 お恥ずかしい。 月のはじめからまったくもって師走失格である。 別に失格でいいけど。

と、どうでもいいことを書くために、昨年の 12 月 1 日の logW を参照したのだが、これを読むと、去年の 12 月は本当にばたばたしていて時間に余裕がなかったのを思い出す。 それに比べると、

今週は、会議が一つと、講義三つ(通常のもの二つと臨時が一つ)と、名古屋に出張してのセミナーがあり、おまけにセミナーの準備と講義一つ半の準備がまだできていない
くらいのことは何でもないと思えてくる。 いや、まじで。

というわけで、余裕を感じて、logW の更新をする私があった。


おや? Hal Tasaki's logW antenna の「6 時間以内のPV(page views のことだと思う)数」が 101 になっている(夕方の 5 時)。 これは、他のアンテナと比べても、かなり多い数字だ。 開設当初だけは 200 くらいあった気がするが、その後は、数十に落ち着いていたのに、どうしたんだろ?
年末のお役立ち情報:ユーミンの「翳りゆく部屋」のキーはたしか G だ。 これは、男にはもちろん、女性にも歌いにくい妙に中途半端な音の高さである。 で、キーを変えたいのだが、ここでちまちま変えたりせず、一気に C に変えてしまおう!  和音も簡単なままだし、男女共々に歌いやすくなる。 ちなみに、ぼくらが大学院の頃に忘年会でやったときも C にしたし、その影響を受けたかどうかは知らないが、椎名林檎のカバーでもキーは C なのである。 (ちなみに、ぼくの頭の中でなる「翳りゆく部屋」は林檎バージョンのみ。 ユーミンのバージョンは((消そうにも消せない)こてこてのオルガン以外は)完全に頭から荒井じゃない洗い流されてしまいました。 林檎版「翳りゆく部屋」について:やはり、アレンジと演奏はちょっとだけ不満。 ラッパが気が抜けるし。 でも、ボーカルは素晴らしい。 最後の崩し方はちょっと(林檎として)月並みかもしれないけど、歌い出だしなんて、もう完璧。 だいたい、新聞にのった CD の宣伝で林檎が「翳りゆく部屋」をカバーしていると知った瞬間に、この曲が林檎の声で頭に流れ「おお、そうだ、この曲は林檎が歌うためにあるんだ! ユーミンありがとう」と思ったし、今でも思っているのじゃ。
12/2/2003(火)

一年生の力学の講義で、必須であるケプラー問題がおわったところで、さて何をしようかなと迷った。 定番の「みかけの力」をやったあと、せっかく座標系の話をしんたんだからと、そのまま特殊相対論のさわりをやっているのだ。

一年生にはむずかしすぎ?  いやいや、(高校で教える内容が減ったという当たり前の理由で)学力は低下したかもしれないが、本質的な知力は低下していないのであーる!  私は、学生さんたちを買いかぶって半年間で見せられるだけの景色を見てもらおうと思っているのだ。

先週は、光速度一定の仮定から出発して、同時性のくずれ、時計の遅れ、ローレンツ収縮、まで。 むかし電磁気学の講義のなかで相対論をやったときのノートをみると、けっこう苦労してローレンツ収縮を導き、そのあとで時計の遅れをやっている。 今回は、まず光時計を走らせる思考実験から時計の遅れを導き(運動に垂直な方向では物差しは縮まないことを使うのだが、それは地面やら床に座標の目盛りを書いておくとすれば、許されるだろう)、そのあとでローレンツ収縮をやった。 これは、かなり明快で、かつ話しやすい。 ローレンツ変換天下り、というのは話していても聞いていても、今ひとつ面白くないのではないか?  どうよ、Feynman 先生?

さて、明日は相対論の二回目。 ここまでやったからには、E = m c^2 を出さずに終わるのは悔しい(むかし、電磁気でやったときは、ローレンツ変換がほしかっただけなので、やらなかった)。 しかし、単に運動エネルギーの式がこうですから、というだけでは、物理的な意味がない。 となると、やはり、運動量保存則を全面に出した議論が、もっとも明快だろうなあ。 ええと、これが初等的にちゃんと書いてある本は・・・・  いやあ、やっぱりさすがですわ、Feynman 先生。


妻が料理をしながらきいているラジオから、くせのない女性ボーカルが。

ぬ。どこかで、聴いた曲だぞ。

あ、これが、つじあやのの「パレード」か。
とつぶやいたところ、妻から矢継ぎ早に質問が。 いや、別に私はあやしいものではなく、 と回答。

自慢ではないが、ぼくは日本のポップスはほぼ女性ボーカルしか聴かないので、山下達郎をまじめに聴いたことはない。 それでも、あの脂っこい声は記憶にしみついていて、これを頭から洗い流すのは並大抵のことではありません。 是非とも、つじあやのさんに洗い流してほしいものだ。 がんばれ、つじあやの!

あ、そうそう、妻へ: ちなみに、つじあやのというのはこういう人だそうです。


12/3/2003(水)

今日の大輪講(卒業研究の中間発表)での F 君の電気伝導についての発表の冒頭は、

電気伝導は、基礎理論たるべき非平衡統計力学が未完なので、むずかしい。
の宣言ではじまり、
ここでは、それぞれ特別な考えにもとづいた久保と Landauer の理論を紹介する
とつづいた。

まさに、そのとおりである。

線形応答理論を「不可逆仮定の統計力学」の完成された姿であるかのように扱うことの多いこの国で、こうやって明快に言い切れり、「特別な考え」と言ってのけたのは立派である。

いや、もちろん、立派なのは指導した(そして、このイントロの文章を教えた)川畑さんだというのは重々わかっていますが、でも、あの時の F 君も立派に見えたぞ。


講義三つと名古屋での時間無制限セミナーのある週も半ば。

力学の講義(相対論的運動量は導いたが、E = mc^2 を出す寸前でチャイム!)と今年最後の大輪講(と、そのあとの打ち上げ)がおわり、明日の全学向け講義の準備、それがいちおう終わったので、金曜日のセミナーの準備。

きわめてせっぱ詰まっているような気もするが、本人としては、それほど苦しくない。 けっこう楽しく働いています。 こういう忙しさというのは、忙しさの中でもたちがよくて、時間が経過すると、後の予定が迫ってくる代わりに、その前の仕事が自動的に(??)終わっていくからかもしれないですね。 ホグウッドのバッハを聴きながら OHP を書いていて、久しぶりに修正用の除光液のにおいをかいで少しハイになっているからかもしれないけどさ、へっへっへっ。


12/4/2003(木)

午前中は午後一番の「現代科学」の準備をしていて、午後になって、ともかく講義が無難におわって、明日の名古屋行きの切符を購入し、その後は、明日のセミナーの準備をずっとしています。 今は、いわゆる夜か。 さすがに疲れてきたが、まだまだまだまだ。 化学ポテンシャルの定義をちょびっとだけ変えると式がきれいになるぞ、とか、今頃やっている。

ところで、ぼくは妻がハンバーグとかつくるとき、挽肉をこねる手伝いをすることがあるのだけど、そういうとき、必ず、挽肉の塊に凹凸をつけて、目や鼻や口をつくり苦悶の表情をさせたりして、それを妻にみせにいって、いつも妻にひどくいやがられるのだ。 しかし、挽肉をこねていると思わず顔にしたくなる人って多いんじゃないでしょうか?  素材的にも本物にかなり近いわけだし。

すみません。 ずっと働いているせいか、無性に、この話が書きたくてどうしようもなくなってしまったのだ。 書いたのですっきりしたはずだから、また話の準備に戻ろう。 推敲も何もしてないですけど、ごめん。


12/5/2003(金)

まだ 4 日の深夜(1 時)ですが、5 日として更新。

ようやく、明日の話の準備が一応おわってビールを飲んでおります。 昼間の講義で「時は流れてもとに戻らないと感じる」と話していたのがずっとずっと昔のようだ。 ほんと、時は流れてもとに戻らない。

明日は、いや、5 日の日記なんだから今日はというべきか、一時限目に理想フェルミ気体の比熱の計算を終え、理想ボース気体に扱いの導入をやり、それから、すばやく新幹線に乗って名古屋に向かいます。

いちおう、再度、セミナーの宣伝をしておきましょう。

平成15年 12月5日 (金) 15時00分より

名古屋大学 理1号館 109号室

田崎 晴明(学習院大学理学部)

定常状態熱力学(SST = Steady State Thermodynamics)の構築にむけて


熱力学と統計力学は、マクロな系のふるまいを記述する普遍的な枠組みである。熱力学は、系の変化やエネルギー収支についての限界を定め、統計力学は、平衡測度の具体的な表式を(少なくとも、形式的には)与える。これらは特定の系において成り立つ結果ではなく、系の詳細にはよらず、あらゆるマクロな系に適用できる --- ただし、系が完全な平衡状態にあるという条件のもとで。

平衡状態にないマクロな系について、これらと同じような普遍的な枠組みはないのだろうか?

完全に一般的な非平衡系を扱う枠組みはおそらく存在しないだろうし、もしあるとしても現段階の人類には想像さえできない。まず最初のターゲットとなるべきは、平衡から外れ、何らかの「流れ」があるものの(マクロな)時間変化のない非平衡定常系であろう。一定の速さで流れる川、定常電流、定常な熱流など、例は多い。これらの系に普遍的に適用できる熱力学、統計力学の枠組みを構築することが、われわれの最終目標である。

もちろん非平衡定常統計力学の建設など夢の夢だが、その前段階たるべき非平衡定常系の熱力学(定常状態熱力学 = SST)については、ここ何年かの佐々真一氏らとの共同研究の中で、ある程度の形が見えてきた。

このセミナーでは、平衡系の熱力学や統計力学のエッセンスのレビューから出発し、われわれの研究の動機付けを説明し、SST 研究の現状を概観する予定である。

セミナーは板書でやります。 いつ終わるかはまったく不明。
またしても時は流れて、朝。 寝付きが悪かったので、ねむいよお。

まずは講義にピントを合わせ、頭にばっちり量子統計をロードしました。

あ、時間だ、いこう。


講義終了。

ナカムラさんが、セミナーに来てくださるらしい。 うれしいな。 ナカムラさんとは現実世界では初対面なのだけど、会場を「しょうもないジョーク」で検索すれば、どの人かわかるかな?

とか言ってないで、出発します。


12/8/2003(月)

先週の金曜・土曜の名古屋訪問は想像していたより、はるかに有意義であった。 お世話になったみなさまに感謝します。

金曜のセミナー最初の1時間半くらいは、ひたすら熱力学・統計力学・確率過程のレビュー。 ナカムラさんをはじめとした物理に詳しい方には申し訳なかったが、今回の趣旨は「異文化交流」なので、このあたりからじっくりやらない限りは後半の SST の動機さえ理解してもらえない。 準備してきたことをすべてやると、まだ4時間くらいかかりそうだったので、後半のわれわれの話は、動機やアイディアや主要結果だけを述べていく。 結果として、この構成で正しかったであろう。 長岡さんに対抗して5時間半やろうかと思ったが、あまりに時間が遅くなるので、4時間半くらいしゃべって、8時前にはおわった。 はっきり言って、めちゃめちゃ疲れました。

セミナーのために今までの結果を整理し、また、セミナーで色々な質問に答えるうち、どこがスムーズでどこがもどかしいか、自分なりに再認識できた気がします。

他にも、名古屋での収穫の一部を箇条書きにしておくと、

実はまだ名古屋の疲れがある上に、たまっていたことを必死でやっているので、日記いい加減です。ごめんなさい。
12/9/2003(火)

最近は spam mail はフィルターで検知して「ゴミ候補」として別のところにためておいて、後から(まともなものが混ざってないか、念のためチェックしてから)まとめて捨てることにしている。 OSX Mail 付属の学習フィルターはかなり優秀なので、これで、ほとんど spam を読むこともなくなった。

しかし、中には、このフィルタリングをかいくぐってくる強者の spam もいるのだ。

Subject: komediabaletista
と、さすがに用件からして尋常ではない。

思わず中身を読むと

Haltasaki

Have you captured your dream? Get back on track!

ぬぬ。 なんか完全に意味はわからないものの、ストレートなお知らせだった前のやつ(11/6/2003)とは一味ちがうぞ。 ていうか、なんか、こいつ俺のこといろいろ知っているのかも知れない。 あのことを言ってるのか?  だったら、別にそれは夢とかいうのとは違うよ。 やっぱりさあ、ああいう話は、その・・・

と、つい spam に真剣に答えてしまう私たち現代人。

そう。今や、spam が、かつて、占いやおみくじ、あるいは、精神分析医が果たしていた役割を担っているといっても過言ではありますまい。

spam は液状化し浸透する --- あるいは、「二十一世紀の精神異常者」のための占い女
とかいう評論がネットにころがっていそうであります。
お、また別の spam がフィルターをかいくぐって来たぞ。
Steve

Are you sick of spending valuable time removing the trash?

いや。

そもそも、おれ、スティーヴじゃねえし。


12/10/2003(水)

苦しかった先週をのりきり名古屋から戻ってきて楽になった --- かと思ったが、やはり、そういうわけにはいかないのが師走である(師走にはかぎらないのだが)。

今週も「現代科学」があるので、講義三つは相変わらず。 自転車操業も先週と同じ。

さらに、ある人の本の原稿にコメントする約束をずっとずっとずっと放置してあったので、今、ひたすらその作業をしているのである。

鋭い知見と深い理解にもとづいて書かれた本であり、私には随所に学ぶところがあって、知的興奮をおぼえながら愉しく原稿を拝見している
[S = logW in bloody char] というのは、お世辞じゃなく、まぎれもない事実。 これは事実なのではあるが、しっかあし、私が読んだ限りでは、本としての完成度が高いとは言えない気がする。 説明はちょっと難しすぎる気がするし、どうも記号とかもわかりにくい。

かくて、「悪魔のような奴だ」という声にならない非難を感じつつも、著者にむけた情け容赦のないコメントを血の色の文字のペンで原稿に書き続ける冷酷な私の姿があるのだった(著者を尊敬しているし、この本は重要だと思うからこそやるのです、念のため)

右の画像はイメージ映像で、本文と直接の関係はありません。


12/11/2003(木)

「現代科学」二回目も無事に終了。

一回目は「なぜ時間に向きがあるか?」、二回目は「フラクタル --- 『ごちゃごちゃさ』をはかる新しいものさし」という感じのテーマ。

大きな教室で主に後ろの方にびっしりと学生さんが座っていて、こちらが気を抜くとひそひそとおしゃべりが始まりそうという臨界的な空気はつらい。 物理の授業ではあり得ない、異質な文化。

でも、ぼくは、授業中にしゃべられるのを毛嫌いしているので、あくまで「ぼく流」で行く。 しょっちゅう教壇から降りて皆の顔を見回しながら話す。 同時に、強いオーラを発してこっちに学生さんの意識を無理矢理集中させる。 (しかし、この「オーラ放出」は、教室が大きいと、猛烈に消耗するんだよなあ。 まだエネルギーが不足している。 ビール飲も。)

いずれにせよ、二回ともそれなりに楽しんでもらえたと思う。 しゃべり終わって「ご静聴ありがとう」って頭を下げたとき、拍手をするポーズをしてくれた学生さんが(二回とも)いらっしゃって、うれしかった(←ちょっと自慢が露骨かな?)。 今日は、おわったあとに、文化系の学生さんが前に来てフラクタルな野菜の写真をみたり、「4次元を如何に理解するか」みたいな質問をしてくれたし、まあ満足じゃ。


12/12/2003(金)

ぼくは、子供の頃、一時的にアメリカの小学校に通っていたことがある。 日本人学校とかいったものは当時はまったくなく、ひたすら普通のアメリカの小学校に、アメリカ人に混じって通っていた。

通いはじめの頃、日本人の転校生を珍しがって寄ってきたアメリカの子供たちが、ぼくに発した定番の質問は、

Say something in Japanese. (日本語でなんか言ってよ)
だったけれど(そう言われたら、どうせ意味はわからないんだから「おまえ、アホやろ」とか言えばよさそうなものだけど、そんな度胸はなかった)、それに並んで多かったのは、
What is John in Japanese? あるいは How do you say John in Japanese?(日本語では、ジョンって何になるの?)
って感じの質問で、要するに、自分の名前が日本語ではどうなるか知りたいというわけだ。

ぼくは、これは本当にマヌケな質問だと思った。 固有名詞というのはどう考えたって翻訳不可能なものだ。 せいぜい音をまねて日本語化するしかない。 John はジョンだし、Tom はトムだ。 なまってはいるが、だから、どうってことはない。 その程度のこともわからずに、みなが質問するとは、アメリカ人の子供はほんとにアホだ --- と、ぼくは思っていた。 もちろん、口に出して、そうは言わなかったが。 (実は、ぜんぜん言えなかった。 日本で英語をまったく学ばず、生き延びるためにほぼ "May I go to the bathroom?" だけを知って、登校していたのだ。 けっこう無謀な話である。)

しかし、大人になって西洋の言語のことを知るようになると、彼らのことを一概にアホ呼ばわりしてはいけないと気づいた。

ご存じのように、西洋では、同じ源から発生した人の名前が、ちょっとずつ変形して、いろいろな言語で使われている。 だから、たとえば、フランスの人に会うと、

マイコー(アメリカ人はマイケルとは発音しません)、おまえの名前はフランス語ではミシェルになるんだよ。
という話になるし、
ジョンは、うちの国では、ヨハンだぞ。
みたいな台詞もでるのであろう。 (そうういえば、何年か前にヨーロッパのどっかにいたら、Michael Jackson の公演ポスターがはってあったのだけれど、それを見た(どこの国の人かわからない、ぼくのわからない言葉を話す)人たちが、うれしそうに、「マイコリン、マイコリン」とか言ってたなあ。 彼らも、今頃「ああ、マイコリンはなんであんなになっちまったんだ?」とか(ぼくの知らない言語で)言ってるのかも知れない。)

きっと、ぼくのクラスメートたちも、子供の頃からそういう経験をしているから、ぼくにむかって「ガスは日本語でなんだ?」とか質問したりしたんだと思う。(ちなみに、ガスは、でぶっちょの面白い奴。学校が舞台のアメリカ映画には必ず出てくるタイプだけど、ちゃんと、本物のアメリカの小学校のクラスにも一人ずついるんだねえ。記憶力のないぼくでも、あいつの名前だけ覚えてら。)


といような話を妻にしていたら、妻が
「日本も決めとけばよかったのに」
と言い出した。
「明治のはじめとかに、対応を決めとけば面白かったのに。 ほら、昔の人ってなんでも日本語化するのが好きだったじゃない。 ま、『トム』は『太郎』で決まりね。」
なるほど、
Thomas = Tom → 太郎
と決めてしまおうと。

「おれの名前のトムって、日本語ではなんて言うの?」「あ、おまえは太郎だぜ」と転入生の会話もスムーズに。

そうなると、大発明家 Thomas Edison も、日本では

エジソン太郎
いかにも町の発明おじさんという感じで、親しみが持てるではないか。

Mary や Marie は、明らかだろう。

キュリー眞理子
美しくも聡明な Marie Curie にぴったりである。

さて、Tom と並んでよくみかける John だが、これは

John → 次郎
といったところか。

そうなると、悪魔クラスの天才といわれた John von Neumann は、

フォンノイマン次郎
となり、ううむ・・、まるで居酒屋だなあ。

さらに量子力学の本質をえぐる不等式を提出した John Bell は、 [Bell jiro?]

ベル次郎
通販とかで売っている怪しげなアイディア商品っぽい・・

右の画像は(深く考えずに描いた)イメージ映像ですので、つっこまないでください。


12/13/2003(土)

ちょっとごたごたしていたことがあったのだが、それが片づいたところで、ちょうど自然も歩調をあわせてくれたかのように、今日は素晴らしい快晴。 昼間の空は本当に真っ青。

午前中、家の屋上で洗濯物を干していても、遠く富士山まできれいに見える。

今し方、コーヒーを入れようと部屋をでたついでに、ふと屋上に出てみた。 廊下の突き当たりのドアをあけるだけなんだけど、ついその余裕がなかったのか。 久しぶりだ。

すでに明かりをともした新宿のビル街を背景に、本当に真っ赤で大きな夕焼け。 手前には学習院の中の森の木々が、夕焼けを背景に、黒く繊細に浮き上がっている。

なんかものすごいかもしれないけど、でも、ここはいいところだなあ、と素直に思った。


12/15/2003(月)

先日、ある親友と(けっこうシリアスな話題について)メールをやりとしているとき、彼が

腐っても鯛(たい)
という言葉を使った。

いうまでもなく、

もともと優れていたものは、落ちぶれたように見えても、やはり優れた真価をもっている
という意味で使われることわざである。

しかし、虚心坦懐に「腐っても鯛」というフレーズを見ながら思う;
「腐っても」というが、いくら鯛だろうと腐ってしまえばただの腐った魚だ。 食べられないし、くさいし、ハエはたかる。 これは、時が経つほどひどくなる一方だ。 だから、腐ったら、鯛だろうとなんだろうと、捨ててしまうしかない。

そして「正しい用法」をとりあえず忘れると、

腐っても鯛: むかし、ケチな男が鯛を手に入れたが、もったいながって食べずにいたら腐ってしまった。 腐敗した鯛には蠅がたかりはじめ、まわりの者は捨てるように言うが、ケチな男は、「腐っても高価な鯛は貴重だ」などと言って、腐臭を放つ鯛をあくまで大切にしていたという。 転じて、過去に名声をもっていた人物や物や組織が、すでに堕落・没落してしまっているのに、それに気づかずに崇める愚行を指す。
という方が、「素直な」解釈だっていう気もしてくる。

ことわざを本来の意味から離れて使う用法ってのが話題になるけど、この「腐っても鯛」の新解釈もけっこう使い勝手があるんではなかろうか?


さて、友人がこのことわざを持ち出すきっかけとなった事には、「腐っても鯛」の本来の意味があてはまるのか、それとも、ぼく流の新解釈があてはまるのか?  ま、それは気にしないことにしようっと。
12/16/2003(火)

昼前に、予約してあった(明日発売の)椎名林檎の DVD「Electric Mole」を購入。

出勤前に、はじめの方を鑑賞。 ううう、すばらしい。かっこいい。幸せだ。感動だ。これを生で聴けたのは至福だ。トムさん本当にありがとう。

あ、「罪と罰」の最後のほうの亀田師匠のベースのフレーズって、Yes の Long distance run around(あれ? Heart of the sunrise かな? CD もってない)の Chris のベースを意識してない? DVD で見ても、彼の存在感はすごいなあ。しかし、このピアニストかっこよすぎだぞ。当日武道館で聴いたときはここまで手数が多くてすごいとわからなかった。ライブの音響ではアコスティックピアノのこういう際だった歯切れのよさは伝わってこない。いつもながら、亀田さん率いるバンドではギタリスト目立たない。前の人は別の意味で目立ってしまったが。今度はロンゲだな。(夜みたら、とちゅうからけっこう目立っているか。しかし、このロンゲはちょっと。)

途中でテレビの前を離れて、大学へ(続きは夜に見よう)。 われながら偉い。 鉄の意志である。 しかし、歩き始めても、そのあともずっと、精神は林檎一色である。 さあ、しごとするぞおおお、と馬鹿のように素直に元気である。 よいことだ。 それが理論物理学者のあるべき姿ではないか。 spam の思わせぶりな言葉などに惑わされてはいけないのである。

理学部の将来について、けっこう大事な話をしたあと、数学科の谷島さんのセミナーへ。 シュレディンガー方程式に時間について周期的な摂動をたしたとき、束縛状態が不安定するか否かという問題。 さすが、面白い。 シュレディンガー方程式関係の人の話としては、ぼくには破格によくわかったし、問題意識も明確で刺激的だった。 もしかしたら、こういうテーマの研究もできるかもしれない、と勝手に妄想。 思えば、はじめて谷島さんにお会いしたのは、大学院のころ、Princeton にポスドクで出かける直前だった。 Lieb のすすめに従って、東大にいた彼に Princeton の様子を聞きに行ったのだった。 彼の話は面白かったし、ユニークで魅力的でいい人だなあと思った。 でも、Princeton での生活に実質的に役立つ情報はまったく得られずにおわったのだ。 谷島さんが、根っからの数学者であることを示すエピソードだろう。 彼が数学科にやってきたのは、ぼくにとってもすばらしいことだと今日あらためて思った。

すっかり暗くなっていたが、○○君に軽く説教をしてから、明日の力学の講義で配るための問題を作成し、印刷。 われながら、妙に元気である。 原と共著の本を印刷しながら、これを書いている。 適当に帰って DVD の続きを見ようっと。

なお、オチは末尾ではなく中ほどに太字で記した。


12/17/2003(水)

ぎゃいん。

昨日の「雑感」では、

林檎 DVD を購入したため、私の精神が林檎一色となり、日記全体が林檎色になってしまいました、ちゃん、ちゃん
という、文章の一部にオチがあるのではなく、総体としての文章がオチを担うというポストモダンな斬新な試み(あんまり、おもしろくないか・・)を展開したわけですが、にゃんと、さっき Internet Explorer で昨日の日記をみたら、最初の一文しか赤くねえの。 Netscape では、ちゃんと見えてたのに。 これじゃ意味ないじゃん。 Explorer の責任者はだれだ!  とはいえ、きっと私の span タグの使い方が外道だったのを、長年のつきあいのよしみで Netscape は私の意図通りに表示してくれていた、ということなのであろう。 あわてて修正したので、Exploere ユーザのみなさまも、気持ちも新たに昨日の雑感の「ゲシュタルト・オチ」をばお楽しみいただければ幸いです --- って、ここまでネタバレしたら面白くも何ともないな。
12/18/2003(木)

N 君が話をすると平野さんに聞いたので、会議室へ。

実は、平野さんらの研究計画の立ち上げの集まりか何かで、その分野の蒼々たるメンバーがずらりとそろっているようだった。 そこに、ただ一人の部外者である私が図々しく聞きに行ったわけである。 しかも、途中から。 「何だ、こいつ」状態である。

しかも、どいういうわけか会議室の外側のいすがちょうどいっぱいになっていて、ぼく一人が内側のいすに座った。 目立ちすぎ。 「何だ、こいつ」状態の極値だが、みなさま、暖かく私を迎えてくださった。 ありがとうございます。

N 君の話がおわると、外国の人が、(ちょっと苦しそうに)日本語で質問をはじめた。 何を隠そう、N 君は私の「英語で物理のプレゼンテーションを練習する授業(4/16)」を二度もとった常連である。 すかさず、「英語で答えなよ」と N 君にささやいて、プレッシャーをかける私。 (でも、ぼくがいなくても、そうしていたと思う。) ちゃんと英語で答える N 君。よしよし。 議論も盛り上がっているし、内容も、まさにぼくが知りたいと思ったことだ。

場が完全に英語になってしまうと、それを避けようと座長の方が(後から考えると、あの関西弁の方が座長だったのだと思うが、あの時は気づかなかった(←アホ)・・)「日本語でやってください」と外国の方にお願いしたのだが、こともあろうに、私はそれをすばやく遮り「彼は、ぼくの英語クラスにも出てたんだから、ばんばん英語でやってくれ。その方が彼のためにもなるし」と勝手に場を仕切ろうとする。 「何だ、こいつ」状態の上限を遙かにこえる無礼な奴だが、みなさま、怒らず受け入れてくださった(ような気がする(自信がない))。 ありがとうございます。

その後は、今さら遠慮もできないので、素人のくせに、聞きたいことを質問してきました。 短時間だが、きわめて勉強になりました。

それにしても、平野さん。お言葉に甘えての勝手放題をお許しいただき、ありがとうございました。


12/20/2003(土)

研究室の忘年会。(今年は、なぜかクリスマス会という名称だったが・・)

卒業生何人かとお会いし、うれしいニュースをいくつか聞くことができた。

OB が何人か集まり、むかし我々に怒られた話などでひとしきり盛り上がったところで、お一人が

「いやあ、それにしても、どうして、こうも駄目なのばっかりが集まるんだろうなあ?」
とオチをつけたのだが、そのとき、T 君だけがとっさに遠い目をして、どっと笑っている場から自分を切り離していたのが印象的であった。 (たしかに、T 君にはその権利がある気がする。) ところで(思いっきり、私信ですけど)、あれから M 君は来たのかな? だとしたら、会えなかったのは心残りです。 またアニメの話をして(6/2/2001, 12/21/2002
でえい。 「ボボボーボボーボボ」のアニメも見てないようなやつは、もはや、教え子でも門弟でもないわっ!(もともと門弟とかいないし、おれも見てないけど)
などと盛り上がれたろうに。
12/22/2003(月)

午後から久々に駒場へ。

ともかく、楽しゅうございました。
12/24/2003(水)

我が家では、深い考察の末に、暮れの大掃除はしない(12/28/2002)ということになっていたのだが、日曜には息子といっしょに家中の木の床にワックスをかけ、昨日・今日は妻といっしょに家中の窓ガラスを掃除してしまった。 けっきょく大掃除だ。 こうして、ぼくらも日本社会を陰から操る国際的陰謀に漸進的に洗脳され取り込まれていく、というか、ま、もうちょっと平たく言えば、年とともにだんだん普通になっていくというか、そういうことなんですなあ。 中身のない文でごめんなさい。

あと、18日からの雑感を今まとめて書きました。それもごめんなさい。


午後は大学で雑用。 シラバスのオンライン入力をやっつける。 それにしても、去年のバグ(1/5) が完全にはなおっていないぞ・・
博士論文の季節である。

T さんが書類をもって、ばたばたと。

一方、なかなか書けないという○○君と立ち話して、博士論文のような長い物の書き方のこつを伝授。 せっかくだから、ここにも書いておこう。

長い物を書くとき、ある程度タイプすると、つい印刷して修正したくなる。 しかし、これを頻繁にやり出すとループに入って進行が遅くなるし、全体に質のムラが激しくなる。 ここは、じっとがまんすべし。

なるべく、自分を個々のモードの限定して作業するのがよい。 原稿下書きのときは、徹底して下書き。 それを入力するときは、ひたすら入力マシンと化して、ともかくラフでもいいから全体を入力する。 それを出力したら、ひたすら校正マンに徹して、赤ペンを手に最初から最後まで、手を入れる。 そして、再び入力マシンと化し・・、という風に作業するのがもっとも能率がよい。

学位論文執筆中のみなさんのご参考になれば幸いです。 今さら言われても遅いですか、あ、そうですか、すみません。

ぼくは N 君の博士論文を入手。読もう。


びっくり。

今ふと調べたら、Hal Tasaki's logW antenna への過去6時間のアクセス数が 129 もあって、はてなアンテナの公開アンテナ・アクセスランキングの95位に入ってますよ。 「娘。イラストアンテナ」(なんだ?)というのには負けてますが、しかし、こんな、ページ数も少なく偏ったものが上位にはいるとは。

さすがに、ぼくが一人で 129 回もアクセスしたわけじゃないので、他にも使って下さっている方がいるわけだ。 どもども。 もし、面白いから足してほしいページのご希望とかあればお知らせ下さい。 厳正なる審査の上、ぼくの趣味に応じて、追加します。 (などと書いている内に、一気にアクセス数 39 に転落していた。 ということは、夕方の五時と六時のあいだにかなり多くのアクセスがあったということか(などと推理してどうする)。)


12/25/2003(木)

屋上で洗濯物を取り入れていると、下の道からThe Beatles の Two of us を歌う声が聞こえてくる。 "Run away home" のさびのところ、なかなかの美声で、英語の発音もよく、朗々と歌っている。

どんな奴だろうと下の道を見る。

昼下がりに、道を歩いている人は一人。

鞄をもって、ふつうの黒いコートを着て、はげた頭に三本か四本の毛の束を横になでつけている、いかにもサラリーマン風のおじさんが、耳にイヤホンをさして歩いていた。 Let it be... naked を買って、聞きながら思わず歌っているんだな。 ひょっとすると、昔は、長髪でバンドをやっていたのかもしれない。

ビートルズのリミックスが久々に出るっていうのは、こういうことなんだなあ、と思った。


夜になって、とつじょとして、SST 本論文の執筆を開始。 昨日(24日)の自らの助言に耳を貸し、まずは「下書きマシン」と化す。 さて、つづくかな?

Electric Mole を再び通して鑑賞。 いやあ、言うことはありません。 泣けます。 もう少しすると親友が九州大学に移ることになっている。 そしたら、訪ねていって(仕事をして)、「正しい街」を唄うのだ --- 「正しい街」=博多で(さっきのおじさんみたいにうまくないけど)


12/26/2003(金)

ぼくは、最近、腰痛の予防などのため、毎晩お風呂の前に、腹筋二十回、背筋二十回、ついでに腕立て伏せ十数回というトレーニングメニュー(ってほどでもないけど)をこなしている。 既に一月半くらい、ほぼ毎日つづいている。

強制的に体育をやらされなくなって以来、体を鍛えるようなことは何一つせずに生きてきたので、最初のうちは大変だった。 腹筋や背筋を二十回するだけでも息があがり、途中で何度も休みながら必死でやっていると、横で息子がぼくが終わるより前に五十回やってしまう --- という感じ。

それも、さすがに一月半になると、次第に楽になってきて、少しは筋肉が鍛わった気がする。 寒い季節になったが、腰痛が再発する気配もなく、快適である。 是非ともこのまま(できれば回数を増やしつつ)続けて行こうと思っているのだった。

さて、こうして、ぼく以外にはまったく面白くない話を書いたわけだが、これを枕に普遍性のある面白い話に広がっていくかというと、そうではないのだ。まじで。 この毎晩のトレーニングが何年もつづいたとすると、その内にいつ頃からこれを始めたのか忘れてしまう日が来るはずだ。 ていうか、すでに正確な日付は忘れているし。 なので、ここにこうやって書いておけば、将来いつでも Google(ないしは、その時期に有力な検索エンジンで)「田崎晴明 腹筋 背筋」で検索すれば、この記事がひっかかり、「あー、2003 年の暮れに始めたんだ」とわかるというしかけなのだ。 そのためだけに書きました。 すみません。


「Electric Mole」(椎名林檎のライブの DVD)には言うことない、と昨日書いたけれど、もちろん、皆が言っているような文句(ライブ以外の映像の一部が邪魔、曲を切るな、など)は、ぼくも抱いています。

あと、ちょっと言いたいのは、キーボードの人、ヒーズミという人について。 前にも書いたように、猛烈に手数が多く豊富で、うまい。 文句なくかっこいい。 今回のバンドの音の要になっている。

それはそうだけど、なんか彼の場合、全力で弾いてまっせという感じがないんだよね。 さも、さりげなくやっているようなんだけど、演奏内容は実はめちゃめちゃかっこいい。 こういうのって、ちょっと憎たらしくないですか?  弾いている顔がときどき映るけど、いかにも余裕ありますという自信満々の表情をしている気がしませんか?  「おだいじに」で林檎が去ったあと、残りの三人のメンバーは汗だくでものすごい形相でやっているのに、ヒーズミだけ、余裕でかっこつけてるように見えませんか?  林檎様にささやくような声で「ヒーズミ」って紹介してもらっているところも何カ所かあるし、ちょっと、よすぎだぞ、ヒーズミ。

というわけで、ヒーズミの威力を認めつつも、つい彼を少し憎らしく感じてしまっている林檎ファンは少なくないかも知れないと思う今日この頃なわけですよ。

考えてみると、理論物理学者にも、こういう奴っているんだな。 若い頃からけっこういい論文を書いて、しかも、実はきわめて腕のいる仕事をやっているのに、講演なんかではさも余裕ありげに絵なんぞを見せながら軽やかに話して、いかにもかっこつけているので分野の古顔から憎らしく思われるけど、でも、まあ仕事はちゃんとしているから何が悪いわけじゃなく、と。 例をあげれば、ええと。 たとえば、そういう人として。 あ、そうか。ほんの少し若い頃の・・・・。

うむ。よろしい。

私は、やはり、実力派ヒーズミを心から応援することにしますぞ(きっぱり)。


12/27/2003(土)

明け方に雪。 ようやく本格的に寒い冬らしい日になった。

寒いからというわけではないが、仕事を一式家に持って帰ってあるので、在宅で原稿書きなど。

暗くなってから、買い物を兼ねて散歩。 猛烈に遠回りして、ひたすら早足で歩きながら、ひたすら素早くいろいろなことを考える。 もっと遠くに行くつもりになっていたのだが、ちょっとした事情により(ま、小さい声で言えば、トイレに行きたくなったということなんだが)やや早めに引き返す。 心は遠くに向かいたがるが体がそれをさせないという、ちょっとした心身問題である(←ちがいます)。


時々悩んでいた問いを明示しておこう; 電気伝導の SST を構築するとき、Sasa-Tasaki 流のスケーリングは、電流方向か、電流と垂直方向か、どっちにすればいいんだ?

スクリーニングがなく、電場による駆動が支配的なら、driven lattice gas でやっているように、電場を示強変数として電場と垂直な方向にスケールするのが自然。 他方、化学ポテンシャルの差が流れを駆動する場合には、Sasa-Tasaki の熱流の扱いと(壁の微妙さを忘れれば)ほぼパラレルであり、そうすると電流を示強変数に、電流方向にスケールするのが自然、ということになる。 しかし、実際には、双方の効果が混ざった状況を扱いたいはずだから、そのときにどうするかは全くわからない。 このパズルは、SST は「表」と「裏」をセットで考えなくてはならないことを示唆しているんだろうか?  想像も妄想もできない領域である。

これは、けっこう本質的な悩みとして先に残るぞという気がする年の瀬の夜であった。


12/28/2003(日)

夜になってから池袋経由で(池袋のビルの大画面に J-pop のベストテンを映しているところで、ちょうど「茎 (Live) 」が出てきて、着物でギターを抱えた林檎の姿が大きく映し出された)歩いて大学に来て、印刷したり、家に持って帰る文献をさがしたりしています。

さすがに大学の中は人気がなく静か。誰もいない小道を街灯が照らし、郊外の公園のようで気持ちいいです(ちょっと怖いくらい)。


さて、先日の(家族に(だけ)は、けっこう好評だった)「ベル次郎」の話(12 日)の枕で、ぼくがアメリカの小学校に通っていた頃のことを書きました。 そこにでてきた "Say something in Japanese." に関連して、雑感を読んで下さった T さんからお便りをいただきました。

T さんも、私と同じように、小学校四年生のときアメリカで暮らされたそうです。 実は T さんは私よりもいくつか年上なので、その世代の人が子供の頃にアメリカにいたというのは、なかなか珍しい。 お仕事でカリフォルニアに行かれたという T さんのお父さんはいったいどういう方なんだろうという疑問も膨らみますが、そっちの話はさしあたっては置いておきましょう。

で、その T さんがアメリカで子供どうしで遊んでいたときの会話について書いて下さいました。

よその子:Hey, ○○○(←T さんのお名前)

T さん:

よその子:Say something!

T さん:?・・・・ Something!

もちろん、「よその子」は T さんをつかまえて、「おまえ、なんとか言えよ」と言ったわけですが、それに対して、T さんは「なんとか」と答えてしまったという話です。

たとえば、

お母さん:(子供にむかって)Say Hello.

子供:Hello.

という会話は普通のものなわけです(よその人にあって、「ほら、『こんにちは』っておっしゃい」と言っている)。 ただし、Hello の場合は言うべき内容を直接指定しているのに対して、something の場合は「なにか」を言えという風に間接的に指定しているというのが違いです。

言葉における指示の階層の初歩的な話なのですが、実話だというところが、なかなかいい。また、当の T さんは何年後かにこれを思い出すまで、この会話がおかしかったということに全く気づかなかった、というのも面白いです。


で、急に田崎パパの思い出話。

うちの子供たちがまだすごく小さかった頃のある晩、ぼくはいつも通り子供たちが寝る前にいっしょに布団に入ってお話をしました。 普通なら、そのまま、子供たちが寝付くまでいっしょに布団にいるのですが、その晩は(きっとやりたい計算でもあったのでしょう)そこで子供たちを残して、ぼくは隣の部屋に行きました。

「パパはお隣にいるから、なんかあったら、呼んでね。じゃ、おやすみ。」
と言って。

隣といってもふすまを一枚隔てただけなので、子供たちがすぐには寝付かないでぼそぼそ話している気配がわかります。 少しすると、二人で何か相談しているようで、それから、二人で、

「パパアー」
と呼んでいます。

やれやれ、と思いながらふすまをあけて、「どうしたの?」と聞くと、娘が

「なんか、あった」
これも、素直に言っているのだから、おもしろい、というか、かわいい。

でも、時の経つのは速いもので、その子供たちも、今は高校生と中学生。 「なんか、あった」などとはもう言わない、どころの話ではありません。 二人とも大人サイズになってしまった。

でも、なんかあったら、呼ぶんだぞ!


12/29/2003(月)

いよいよ年末モード。

複数の人と、「今年は・・、来年は・・」といったメールをやりとり。


夜は恒例のきんとん作り。

きんとんを作っていたら、腹筋・背筋をするのを忘れた。 忘れたまま風呂に入ってビールを飲み始めてしまった。 ま、一日くらさぼってもいいいや、ばれやしない。


と書いたが、やっぱり、やったぞ。 ビールを飲む間に筋トレ。 不健康なような健康なような。 ちょっとのビールでも酔いがまわるぜ。
12/30/2003(火)

「不健康なような健康なような」がまずかったのか、夜は寝床に入ってもいろいろ考え事をしてしまって、ちっとも寝付けなかった。 そのぶん遅くまで爆睡かと思ったら、早めに目がさめてしまって、そのまま寝床のなかで、伝導系の SST について本格的に悩みはじめ、いろいろと思考実験を。 けっきょく、実に珍しく他の家族より先に起き出してしまった。

やっぱ眠いや。


さてと、明日は朝から東京を離れるので、今日が今年さいごの雑感ということになるだろう。

月並みながら一年をふりかえって何か書こうと思うが、けっきょくずっと眠いし、その割には憑かれたように論文の草稿を書いているし、佐々さん(←どこにいるのか知らないけど)と中身の濃いメールを朝からやりとしているし --- という感じなので、簡単に。


昨年の暮れの雑感(12/30/2002)をみると、しきりに「今年は駄目だった」と書いてある。 一年たってから見ると、ずいぶん謙遜していたものだ --- などと、過去の自分を甘やかす私ではなーい! やっぱり、どう見ても去年は駄目であった。

それに比べると、今年は、華々しいとかものすごいとかいうことはないにしても、自分なりにきちんと物を考えて、学べるものは学び、仕事を進められる部分は(少しずつ)進めてきたと思う。 まずまずの出来だったと言っていいと思う --- と最近の自分を甘やかす私。


あと、夏に騒ぐのを忘れていたけれど、この夏で、ぼくが学習院に着任して研究室をもってからちょうど十五年たったのだ。 だからどうってことはないけれど、ああ、そんなに経つのだなあという感慨はありますね。 幸運にも、じっくりと研究をつづけていくためにほぼ最良と思える環境にめぐまれ、その中で、ある程度のことはできたと思っています --- と、今日は、ちょっと自分を甘やかしすぎの私かな?  ちょうど今から十六年前、まだ二十代だったぼくを採用して自由に研究をさせてやろうと決断して下さった物理学科の先輩たちには、本当に感謝したい。 とくに、着任した最初の頃は「若い人は研究をしなさい」とはっきり言われて教室の雑用などから守っていただけたことも本当に貴重だった --- 少し世間のことがわかるようになってきた最近なので、よけいそう思います。

残りは二十五年くらい。 まだまだ、できることを、できる限りやりまっせ。


さて、世間を見渡せば、統計力学の未来はあまり明るくない、というより、まじめな物理学の未来そのものがあまり明るくない、という気もしてしまうのですが、まあ、今はいろいろ言うのはやめておこう。

一人の研究者として、できる最良のことは、けっきょくは、最良の研究をあとの世代に残すことに尽きる。 多くの(優れた、あるいは、優れているとみなされている)研究者が、様々ないいわけを楯に、その「最良のこと」に敢えて挑戦せずに逃げているのが、今の時代でしょう。 少なくとも、ぼくは、自分にはどんないいわけも許したくはない。 与えられた才能でできるか・できないか、ぎりぎりのところを目指して、いい結果を残すことを目指します。 (なんかめっちゃ凡庸ですが、こういう凡庸なことを堂々と言ってしまうと、逆に凡庸でなくなるような気がする。)

今年は、研究のいくつかの方向について、それなりに見通しも立ってきたという実感がある。 来年は、それを軸にどんどんと展開していくつもり。

この前、佐々さんへのメールの最後ににとっさに書いた文を、ここにも書いて結びとしよう。

来年は、派手にやりましょう。

というわけで、

みなさま、よいお年をおむかえください。

来年もよろしくお願いします。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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