日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


8/1/2004(日)

無事、夏の学校から帰ってきました。

疲れましたが、楽しかったです。 準備局のみなさん、お世話になったみなさん、ありがとうございました。 (夏の学校については、暇になったら何かを書くかも知れません。)


付記:物性若手夏の学校のこと(暇にはならないけど)

[Hal at summer school] 岩手県網張温泉(←この URL の qkamura っての、なかなかいい味だね)は思ったより近かった。 山の上で、比較的涼しく、かつ見晴らしもよろしい。 到着するなりホテルの三階の部屋の前を無数のツバメが飛び交っているのに驚く。

ホテルの廊下にはドビュッシーなどピアノ音楽が流れている。 ピアノが好きなホテルなんだなあと思っていたら、ぼくが講義をした会場(冬はスキー客用の食堂になる)にもアップライトピアノが置いてあった。
のだが、これは本格派のホンキートンク・・

食事がなかなか豪勢で驚く。 懇親会のときは食べ放題なのだが、若者がこれだけ集まっても、食べ物がなくならないのだからびっくりだ。 それにしても、懇親会が多いし、毎晩、徹夜で宴会をやるための広間が確保してあるし、まったくもって今時の学生さんたちは夏の学校のなんたるかを、よく理解している。 左の写真は初日の懇親会で撮ってもらったもの。 二回目の懇親会のとき、バカなやつ 明るく積極的な学生さんが T シャツにサインしろとせまるので、サインした。 その時の様子を写真に撮ってくれた人がいて送ってくれると言ってたんだけど、今のところ届かない。ここに載せたいので、ください。お願いします。

講義は大盛況でみなさん一生懸命に聞いて下さった。 やった甲斐があった。 あまり質問が出なかったのがやや残念だが、時間が足りないとか騒ぎながら、三つ並べたホワイトボードに必死になって式を書きまくっていられては、そうそう質問もできないかな?  「田崎さんは学習院での普段の講義もこういう感じなんですか?」ときかれたが、いったいどういう部分を指して「こういう感じ」といっているのかがわからないので答えられないぞ。

ポスターセッションは過密で時間も長く、ちゃんと聞くのは大変な仕事だった。 全部は聞けないから、実験を中心に一生懸命に聞く。 全く知らない話、わからない話を聞く方が楽しいから。 田崎「同じサンプルについて、LEED と STM の測定ができるの?」 発表者「はい、実はそれがうちの研究室の売りなんですが・・」 などという、いかにも実験に詳しい人みたいなやりとりをする。 すごくなくない? (実は、荒川研と溝口研で苦労していたのを知っていたからなんだけどね。)

ポスターの発表には賞が与えられる。 講師による特別賞というのはなくなった(なくしてもらった)ので、一般の皆さんと同じように、清き一票を投じる。 ぼくに理解できないとてもきれいな実験結果があり、その人に二重丸をつけて投票。 でも、その人は、けっきょく何の賞もとらなかったことを論評抜きで記しておこう。 ぼくが提供したふたつの賞品(くりこみ群の本と熱力学の本)が渡ったお二人とも、ぼくが楽しく発表を聞いた方たちだったので、うれしかった。(お二人とも女の子だったことも論評抜きで記しておこう!)

夏の学校で知り合った T 君は、かつて田崎ゼミにいて、今は西坂研で活躍中の T 君(たとえば、6/14/2002 に登場)の弟であった。 顔は多少ちがうのだが、声の出し方、しゃべるときの間合い、そして何よりもそばに立っているときに作り出す空気が、ぼくのよく知っている T 君と、そっくり、ていうか、完璧に同じ。 失礼とは知りつつ、笑っちゃうくらい同じ。 それにしても、この兄弟は二人とも、でかい。 (なんせ、学習院の T 君(兄)は、4月に大学を歩いていると必ずラグビー部に勧誘されると伝えられている。) これで本気で兄弟げんかしたら家は破壊される。

今年の夏の学校の講師6人のうち、3人が関本、水口、田崎であった。 広い広い物性の世界のなかで、この3人は異常なまでに非線形非平衡というか非主流派物性というか、ともかうくやたらと狭い分野に偏っているではないか、6人の選挙区に共産党が3人かよ(←政治信条の話ではなく、マイナーさの比喩としてね)、などといろいろの意見があったわけですが、まあ、やっぱりそれは正論なので、今後の反省材料としてほしいと思う。 と、言うべき事を言った上で、しかし、個人的には関本さん・水口さんと夏の学校でごいっしょできたのは楽しく有意義だった。 (山田耕作さんとも色々話して、超伝導についての最近の話などを教えていただいた。) 関本さん、水口さんとは学生さんを交えた飲み会の席などでもしょっちゅう話したが、それ以外に、二晩つづけて関本さんの部屋にこもり、ぼくが SST、長距離相関、跳ね返り係数などの話題についてお二人にじっくりと聞いてもらい、議論してもらった。 これはきわめて有意義だった。 (議論が終わったあとは、ちゃんとビールを飲みにみんなのいるところに出て行った。) また、三人でホテルのすぐ横から出ているリフトを乗り継いで近くの山の山頂まで軽い遠足に行った。 山頂には火山ガスを核として発生したと思しき濃い霧が立ちこめていて世俗を離れた不思議の世界。 普段はできない話をして日本の物理の現状を憂う私の姿があった。


8/2/2004(月)

木曜日には科学セミナー「アインシュタインと 21 世紀の物理学」で話をする。 こいつの準備があるので、講義が終わるや夏の学校から帰ってきたのだ。 こういう風に、「いかにも忙しいでっせ」ていう感じは性に合わないんだけど、引き受けたんだから、しかたがない。 そもそも講義をするのも講演をするのも楽しいのだから、四の五の言わず一生懸命にやります。

本日は、重要な準備としてブラウン運動をみせてくれた西坂研究室に写真を撮りに行く。 ブラウン運動の写真は、ぼくのような素人には撮れないので、みんながブラウン運動を観察している様子をぱちぱちと写真に撮る。 笑いを取るためのネタ写真も撮りましたが、もちろん、その内容は当日まで厳粛なる秘密です(というほど面白くもないけど)。


科学セミナーのために書いたテキストは独立して読みうるものだと信じているので、講演は、アインシュタインと統計力学のかかわり、彼にとってゆらぎの考察がいかに本質的であったか --- といったより広い視点から自由に話を展開するつもりなのだ。

病院に何日か通い、待合室で長い時間を過ごす間に、Pais の 'Subtle is the Lord ...' の最初の方を熟読したのは非常によかった。 (これを読んでおくべきだというのは、早川さんのご指摘で認識した。) これによって「精神的準備」は整っている気がする。 あとは、これをちゃんと形にして「物理的準備」を整えるだけなんだが・・・


ところで、 'Subtle is the Lord ...' というタイトルは、実験でエーテルが見つかったのではないかという噂を聞いたときにアインシュタインが言った
Raffiniert ist der Herr Gott, aber boshaft ist er nicht.

(Subtle is the Lord, but malicious He is not.)

という有名な言葉(同書 p. 113)の前半を取ったものです。 これ(ただし英訳)を虚心坦懐に訳すと、
神はとらえがたし。されど悪意はもたず。
という感じになると思います。実際、アインシュタイン自身のこの言葉の解説
Die Natur verbirgt ihr Geheimnis durch die Erhabenheit ihres Wesens, aber nicht durch List.

Nature hides her secret because of her essential loftiness, but not by means of ruse.

自然は、その本質的な高遠さゆえに真実を隠す。策略によって隠すのではない。(英語からの適当な重訳)

を読んでも、上のような訳でいいかなと思われます。

とっころが、Pais の本の日本語訳(手元にありません)のタイトルは、「神は老獪にして」ですよね?  たしかに subtle を辞書で引くと「老獪」みたいな訳語ものっていますねえ。 でも、日本語の「老獪」ってのは、悪賢いっていう意味でしょう?  老獪な神ってのは、まさしく

「ひっひっひっ、愚かな人間たちが気づかないように、この法則はこうやってこっそり隠しておこう。」
という感じで「策略で真実を隠す」んじゃないのだろうか?

よって「神は老獪にして」というのは、もう単純素朴明快な誤訳だとぼくは思うのです。 ちがうかな? でも、あの本を真面目に訳したら(訳さないでも、真面目に読めば)、当然そのことに気づくはずだという気もするので、どうも釈然としません。

このへん、何か事情があるのだろうか? (たとえば、昔、誰か偉い人が「神は老獪にして」と訳してしまって、それが有名になったので訳書でも仕方なく使ったとか? あるいは、老獪という言葉についてのぼくの理解(と広辞苑の説明)が不正確で、今の文脈にあった用法もあるとか?? あるいは、実はこれは古い格言をアインシュタインがもじったもので、そのもとの格言の定訳ができているとか???)

どなたか、訳書を読まれた方などで、このあたりの事情をご存じの方はいらっしゃいますか? 水曜日までに情報をいただければ、木曜の朝の私の高遠じゃない講演に反映させていただけると思います。何も情報が得られないと、「これ、明らかに誤訳ですよねえ」とか偉そうに言ってしまいそうな私です。どうかよろしくお願いします。


8/3/2004(火)

ひたすら木曜の講演の準備です。

朝、妻に知らされて、目覚ましテレビで「群青日和」のプロモビデオをかいま見られてうれしかった(そして、そのあと、また寝た)ことを書く暇もねえ。


「神は老獪にして」については、「やっぱ誤訳だろうよ」という意見が、続々と、日々英語に接している外資系証券会社勤務の旧友の M からも、教え子の S 君からも、寄せられる。二人だけど、続々。

Pais を英語で読んでいると、なかなか難しい表現も出てくるし、格調高かったりするし、しかも物理のきわめて専門的な内容もでてくるしで、これこそ、優秀な文芸翻訳のプロと、本物の物理学者が共同作業で訳すしか訳しようのない本だなあと思っていた。 が、ちょっと調べてみると、西島先生が監訳なのは、ま、いいとして、他の実際の翻訳のメンバーって、ひょっとして、みな物理畑?? これ以上調べたり、実際の訳書にあたってみたりするのが、だんだん怖くなってきた。 というか、やめよ。


8/4/2004(水)

昨日は西坂研でブラウン運動の動画も作ってもらい、いよいよ準備が整ってきた。 あとは、OHP を仕上げるのみ! 例によって気に入らない OHP はどんどん破棄して書き直したりして、休みなく作業しております。

というわけで、

今週の『少年ジャンプ』


駒場の講義のレポート到着。

これの採点を終えてこそ夏休みである。 「科学セミナー」がおわったら、やる。すぐにやる。休まずやる。絶対にやる。


映画「存在の耐えられない軽さ」が話題になり、検索していて、ぼくのページにたどりついた --- というメールを拝受。

ぼくをご存じの多くの方にとって予想可能でしょうが、ぼくはミラン・クンデラの小説は大好きで、もちろん「存在の・・」も読んでいます。 (今になってみると初期の「冗談」がもっとも強く印象に残っている。 あと「不滅」の中のいくつかの表現や思考法はぼくの中に根付いてしまった気がする。) しかし、ぼくが「雑感」などでクンデラについて触れたことは今まで一度もなかったと思う。 記憶はあてにならないから、「クンデラ+田崎」で検索してみるが、やっぱり、ぼくと関係するものはない。

ううむ、そうなると、この方はどうやってクンデラ原作の映画(←映画は見ていません。これも、ぼくをご存じの方には言うまでもないですね。スノッブでごめん。)がらみの検索から私を引っかけたのだろう? なにか、ベイズ統計とかで個人の隠れた嗜好をテキストから読み取ってしまう新しい検索エンジンが試験的に動いていて、あなたがひた隠しにしている趣味や心の底に抱いている欲望や妄想や・・・

とか、忙しいんだったら駄文を書くのはやめよう。


準備完了。眠いや。

明日、明後日は、科学セミナーに終日、顔を出します。


8/5/2004(木)

[Einstein bear with E=mc^2] 2004 年科学セミナー「アインシュタインと 21 世紀の物理学」に行ってきました。

疲れましたが、楽しかったです。 みなさん、ありがとうございました。

と、自分の日記のコピペをしているようではいかんわけですが、今日は特別にビールを飲んでもいい日なので(自分でそう決めたわけですけど)もう酔っぱらっているわけで、ちゃんとはかけらいれす。


というわけで、今のところは、今日の講演で使った写真、使わなかった写真をアップしてフォトログして終わりにしておきましょう。 近い将来には、このあたりの文を消して、今日の話をいろいろ書く予定。

また、同じく近い将来には、Sasa-Tasaki の大部の SST 論文を公開し、さらに、跳ね返り係数についての論文を公開し、さらに、金属強磁性が現れることがきわめて確からしい Hubbard model(ただし厳密証明はないんだなあ)についての論文を公開する予定。 (消すはずの部分にオチをつけてしまった・・)


[Einstein watching brownian motion] ま、せっかく書いたので、消さずに続けましょうか。

ぼくの講演は「ブラウン運動と非平衡統計力学」。

まずブラウン運動の簡単な紹介をして、実際に西坂研でのブラウン運動の観察の様子を見てもらおうという趣向。 せっかくなので、Princeton から連れ帰った Al"bear"t Einstein じいさん(右上参照)にも西坂研に来てもらった。

左の写真(当日使ったものには、もう少しちゃんと人が写っていましたけど、ネット公開にあたり、プライバシー保護のため差し替えました)のようにして顕微鏡を覗くとビーズのブラウン運動を見ることができます(動画を、講義用教材のページに置きました)。 アルじいさんが、女の子に抱っこされて一生懸命に顕微鏡を覗いている姿は、なかなかかわいいでしょう? でも、それほどは受けなかったなあ・・・

それからアインシュタインのブラウン運動論文の背景を押さえるべく、1902 年から 1905 年の前半までアインシュタインの第三から第九論文(相対論)までのリストを見せて、初期のアインシュタインの主要な関心が統計力学と分子の実在性の証明にあったことを述べる。 これらのテーマについての概要を圧縮して解説。

それから、1905 年のブラウン運動の理論の概要を、なるべくごまかさずに解説。

ブラウン粒子が「もにょもにょもにょ」と動く様子を観察することでアボガドロ数が数えられる!
という奇跡的な理論のもっともコンパクトな説明を目指す。

で、時計を睨みながら、最後の5分間で「非平衡統計力学の展望」。 非平衡統計力学がまったく未完成であることを強調。これだけでも、重要なメッセージだったと思う(あとで、学生さんと話したら、ちゃんと伝わっていた)。 最後の最後は、林さん、佐々さん、ぼくの仕事でアインシュタインのもろの拡張になっているものを二つ見せて、言うまでもなく、

神はとらえがたい。

しかし、悪意はない。

で締めくくる。 道は遠いけれど、そう信じて元気を出してがんばろう、と。

ちょっと欲張りで中盤が苦しかったけれど、ま、イメージ通り。 次の講演者の久我さんに「田崎さんのカリスマ的講演」とほめていただき、ちょっとうれしかったりした(←人の言うことなど気にしないという顔をしているが、そうじゃないんだよね、実は。)。 終わった後に、何人かの方からいろいろと熱心に話しかけていただけたのも、よかった。


[Einstein bear with the Einstein relation] 休み時間にジュースを買っていたら「『笑いを取るためのネタ』っていうのは、あのクマの写真ですか?」と質問して下さる方が。 もちろん、3日の雑感で触れたことを覚えていて下さっての質問なのだ。 ありがたや。

雑感を読んで下さっている方に会うと、ついほっとするので、正直に告白。 実は、何を隠そう、その場の判断で使わなかったネタ写真がもう一枚あったのだった。

アルじいさんがいつも来ているシャツには E=mc^2 の式がプリントしてある。 この式の重要性はぼくも大いに認めるところだが、しかし、ブラウン運動の公式のバージョンだってあってはいいではないか、というので、それに着替えた写真というのをわざわざ用意したのだった。 右の写真に、アインシュタインが 1905 年の論文に書いた形でのアインシュタインの関係式をプリントした(紙をはっただけですが・・)シャツを着ているアルじいさんの姿が写っているというわけ。 これをアインシュタイン関係式を導出したところで見せることを考えていたのだけれど、あまりに時間がぎりぎりだったし、顕微鏡を覗いている写真の受けがいまいちだったのでこちらも不発におわりそうな気がして、けっきょく見せるのをやめたのだった。

この事情を雑感読者の方に話したら、大いに受けてくれたので、それだけでもよかったです。


ぼくは講演会のトップバッターだったので、自分の話を終えた後は、気楽に人のを聞ける。

一番前に座って、人への質問に勝手に答えたりして(自分でも質問したいことはもちろん無数にあったが、これは一般向けのセミナーなので講演者どうしで議論するのはやめた方がいいと思って遠慮したのだ)、気楽に聞いていた。

とくに、午後の中村卓史さん、杉山直さんの宇宙関連の話はおもしろかった。 中村さんは、関西弁でネタを交えながら淡々としゃべっているようで、話の構成は猛烈によく考えられていた。 杉山さんの話もよく練られていて、かつ、サービス満点でお上手。勢いもある。

ひそかに

「ううむ、これほどに話のうまい奴らが出てくると知っていたら、俺の話ももっとがんばるべきだったかも・・」
と、ぼくにしては珍しい感想を抱く。 この思いを次回に活かそう。

それはともかく、杉山さんのお話で、宇宙の dark energy の現状をはじめて真面目に知る。 こんなものは、まったくもって認めたくないのだが、しかし、彼らの話を信じれば観測事実はかなり強く dark energy の存在を示唆しているようだ。 ううむ。 同じように、話としていかにも不自然で認めたくないのが、初期宇宙の inflation。 しかし、認めたくないといっても、観測事実を説明しようと思うと、これが今のところもっともまともな説明みたいだ。 ううむ、だよな。

いずれにせよ、inflation でも dark energy でも、安易に変なスカラー場を導入して「説明」するのだけはやめてほしい。 ああいう安っぽい説明(←佐々さんなどは、「はじめて聞いたときは、ギャグかと思いましたけど」と評していたなあ。基礎物理学研究所の大きな研究会で、宇宙論をはじめ各分野の大物がそろっているところだったけど(あの研究会が、佐々さんとの初対面だった。佐々さんのこのコメントのあと、ぼくがフォローを入れて、同じ厳しい内容を、より客観的な批判として述べなおした(←こう書くと、本当にイヤな奴はどっちかは明確な気がしてくる・・)。あれが佐々さんとぼくの初めての連係プレーだったわけだ。))をつけると、かえって話がうさんくさくなってしまう。 よしんばこれらストーリーが真実だとしても、宇宙全体の場のダイナミクスなどは極めて複雑なものだろうから、その研究を真面目におこなうためには、非平衡の多自由度系のふるまいについての人類の知識と能力を思いっきり鍛え直す根性で取り組む必要があると信じます。


8/6/2004(金)

科学セミナー二日目。

あいかわらず気楽に楽しく聞く。

清水さんの講演は、さすが。 一つ一つの言葉の選び方にまで、伝えたい考えがしっかりと現れている。 聞いていて頭がすっきりとしてくる。

今回聞いていて思ったけれど、講演が本当にうまい人は、自分の専門のもっとも難しい部分だけではなく、関連する初等的な、あるいは、一般的な話のところにも(あるいは、そういうところにこそ)しっかりと細かく神経を配っている。 そういうところに論理と筋を通しながら話すことで、ある種の精神的安定感を維持しながらより高級な話に進むことができるし、聞き手にも本質的なことが伝わるのだと思う。 敢えて自分を棚に上げて言えば、今回、素粒子関連のお話をされた最若手のお二人は、とてもお話はうまかったし、本題のご専門の部分はお見事だったのだけれど、そういう初等的な部分への細かい気遣いという部分で、やはり若さを感じさせた。 (要するに、「つっこみどころ」が多いのだ。 とくに、一般的なことを述べたり、アイディアを直感的にかみ砕いて話そうとするような部分に。 その点、昨日書いた中村さんや杉山さんのような「名手」は、派手にやっているようで、そういう隙を見せないんだなあ。俺もがんばろう。)


今回は、「せっかく講演させてもらうのだからついでに聞いてみるか」くらいの軽い気持ちでずっと出席したのだけれど、予想していたよりもずっと楽しかった。

いろいろな分野での最近の動向についてのぼくの「耳学問」をアップデートする絶好のチャンスになったし、専門でない分野のスタンダードな話について(たとえば学生時代や大学院生時代にざっと勉強した)自分の知識が(プロになった今の基準からして)どの程度まともかを吟味するいい機会でもあった。 話がまったく面白くない(アマチュアの聴衆にとって明らかに退屈だし、プロのぼくらが聴いても構成も準備もまずくて面白くない、ということ)人もいなかったわけではないが、日本のこの手の催しとしては異例なほどに講演の質が高く、大いに楽しめるものになったと思う。


セミナー終了後は、熱心な学生さんたちと議論していた何人かが最後まで残ったので、世話人と講演者をあわせた四人で軽くビールを飲んで雑談。

ふう。 夏の学校と科学セミナーと連続で引き受けて、どうなることかと思ったが、なんとか無事に話ができて、さすがに、一安心。


8/7/2004(土)

家にこもって、今学期最後の授業関連業務である駒場の講義のレポートの採点中。 誓い(4 日)を守っている偉い私。

あー、それにしても、めんどくさい。 (誤解を避けるための補足:いつも言っていることだけど、ぼくは、講義をするのは好きだし、それで学生さんと議論したり質問に答えたりするのも好きだ。 でも採点は全般的に嫌い。時間のたち方そのものが嫌いなんだな。 もちろん、試験の採点でもレポートの採点でも、ぼくを楽しませてくれるような答案やレポートが毎回いくつかはあります。 でも、バルクの仕事としてはつらいのですよ。)

やたら力作もあれば、ま、そこそこというのもあるし、もろ手抜きもある。 それが普通だろうけど。

田崎さんの『熱力学』読みました( +5点)論理がわかりやすく感動しました。
日々の雑感も読んでいます( +10点
(線で消してたのはご本人)
とのコメントあり。 そういえば、本家、学習院の解析力学の授業では、
『熱力学』買いました。点ください!
と言っている奴がいたなあ。 ま、読んでも、買っても、点には関係しないけど。
8/8/2004(日)

よく体を動かした日だった。 午前中は妻と自転車で池袋に買い物に行ったし、午後は文字通り汗水たらして家中の掃除。

さらには、夕方から、娘と妻と三人で近所のプールへ。

三、四年前くらいまでは子供たちとよくプールに行った。でも、ぼくは100メートルか200メートル泳ぐとへろへろになるし、水に入っていると体もすぐに冷えてしまう。 さっさと一人プールサイドにあがって、子供たちがプールに入っている間、ずっと考え事をしているのが常だった。 (そうやっている間に生み出された理論も多いはず。)

しかし、今日はどうだろう。

プールにざぶんと入って平泳ぎで泳ぎ出すと、けっこう力を入れてぐいぐいと泳げるではないか! しかも、100メートル一気に泳いでも別にへろへろにはなっていない!!  そうか、これが筋トレの成果なんだ!!!  筋力とスタミナが多少なりとも増えると、こんなところも全然ちがってくる。

おまけに、体があまり冷えない。 泳がずにプールの中でぷかぷかしていても、別に寒くならずに楽しく浮いていられる。 そうか、これが脂肪肝の成果なんだ!!!  体内の脂肪が多少なりとも増えると・・・


けっきょくプールでは300メートル強、泳いできました。 さいごの10メートルくらいにいたっては、体一つ以上前をクロールで泳いでいた女の人を見て「よし競争だ、ぜったいに抜くぞ!」などと思い、全力で急ピッチで泳いで、タッチ寸前で追いついたりと調子に乗ってしまう私。 おまけに夜になって風呂の前には軽く筋トレまでしている。 なんも運動しなかった一年前の私から見れば狂気の沙汰、異常行動ですな。

ともかく、学期が終わってから、夏の学校、科学セミナーとあまりに物理漬けの日々だったので、さすがの私も物理からちょっと離れてみたくなって、一日、体を動かしてみたわけです --- なんつって、信じた? 嘘です、もちろん。ごめん。そんなわけがない。あり得ない。ずっと自分の仕事を進めたくてうずうずしていたんだから。一瞬でも信じた人、ごめんなさい。

昨日の夜、レポートの採点を終えた瞬間から、(夏の学校の帰りの新幹線以来)中断していた跳ね返り係数の仕事のまとめを再開。 今日の買い物の途中で(妻が息子のジャージを選んでいる横で)証明の本質を再確認し(描いていた安易な拡張がなぜ不可能かを理解し)、プールサイドでは(椅子に座ってプールの表面で光がきらきらと反射するのを見ながら(←泳いだ後のけだるい体に入って、このキラキラとゆらめく光を見ているのは大好き))まとめるべき最終形を決定して詳細を詰めていました。 あと「科学セミナー」で紹介した林さん佐々さんの「縦方向のアインシュタイン関係式」を理論的にどう理解すべきかという当然の課題についても助走を開始。 さあて、がんばるど。


8/9/2004(月)

免許の更新のため、朝から新宿の都庁にある免許更新センターに行く。 ぼくは、しばらく前に目白通りで 警察にはめられたため 通行帯の規則に違反するという大変申し訳ないことをしてしまったため、今回の更新にあたり、優良ドライバーの座から転落してしまったのだ。

けっ、優良ドライバーから墜ちてしまったからにゃあ、オイラは不良ドライバーさ、と世をすねかけたが、よく見ると、単に普通講習を受けるべき立場になったようだ。 とはいえ、一時間の講習を受けなくてはならないし、講習の始まる時間は決まっているので、三十分以上時間をつぶすはめに。

せっかくだから少し探検をしようと思い、エスカレーターで地下に降り(と思ったが実は最初から二階にいたので降りた先は一階だった)陽の当たらない不思議な広場のような空間を通って適当に向かい側のビルに入ってみた。 と、なんと、これは NS ビルではないか! 

ビルのが真ん中がてっぺんまで吹き抜けになっていて、内側に入ると回りを高層ビルに囲まれた不思議な空間になっている。 学生時代に A に連れてきてもらって以来(A は、東京のかっこいい場所を教えてくれるほぼ唯一の友達だった)ちょくちょく来ていたところだ。

あの頃はもちろん都庁なんてなかったし、(方向音痴なので)NS ビルのそばに来ているなどという自覚はまったくなかったので、時空がねじ曲がってあり得ない時と場所に一瞬で到達したような不思議な目眩を覚えるのだった。 そして NS ビル内部の広場。 シンボルの巨大な振り子時計が時を刻み、エスカレーターからは明らかに外国からの観光客とわかる若者たちが降りてくる。 ヨーロッパのカフェみたいに屋外用の椅子とテーブルが並んでいてコーヒーや軽食を売る店がいくつか開いているところに来ると、無性に外国に来ているような気になってしまう。 ここは日本だと自分に言い聞かせてもコーヒーショップの店員がアジア系アメリカ人のような気がしてならない。 何かを買おうとするととっさに英語が出そうだと思った。

いずれにせよ何も買わず、たまたま空席になったテーブルに座って、やりかけだった計算の続きをする。 隣のテーブルでは大きな旅行鞄をもった初老のやせた男と若者が座っていて、初老の男がしきりと「そんなのは常識なんだよ!」と大声で若者に人生の説教をしていた。


現代の日本に戻り、駒場の教務に成績を提出。

午後からは佐々研へ。林さんと佐々さんの「粗視化したノイズの直交分解(←私の勝手な命名)」の話を聞く。

おもしろい。

単なる observation ではなく、思想があるから、おもしろい。

一つの例についての結果ではあるが、外に広がる力を予感させるから、おもしろい。

最大限まで集中して佐々さんの話すことを頭にすべてたたき込み、その場で理解できるところまで理解し、その場で考えられるところまで考える。 いっぱい混乱もして愚問も発するが、次第に話の輪郭はわかってくる。 物理をやっていて心からわくわくする時の一つだ。 久々に興奮して素直に楽しかった。

いくつかの混乱が残ったけれど、帰りの電車でそのうちの二つはほぼ解消。 でも、まだ謎は多く、楽しさはつづく。


8/10/2004(火)

明日から一週間くらい東京を離れ、山にこもって仕事をしてきます。

去年、プロバイダに電話接続しようとして失敗したので、今年は最初からあきらめ体制で臨みます。 一週間と少しは web も見ませんし、メールも読みませんし、また、ここの更新もしません。 去年みたいにオフラインで日記を書きためて東京に戻ってからまとめてアップするかも知れません。

では、また。


8/11/2004(水)

車で移動。

今回、長距離(といっても200キロくらいだけど)ドライブをしても疲れ切ってばててしまわないコツを発見した。 「雑感」読者の皆さんだけに、こっそり教えてしまおう。

コツは、主に二つあり、

というものです。

どうだ斬新だろう!

というわけで、ゴールド免許を失って、ますます優良ドライバーへの道を歩む私です。


8/12/2004(木)

夜、子供たちが花火をするので、大人も少し。

日本の伝統に従って締めくくりは線香花火。 近頃の線香花火は出来が悪くて派手なばっかりで続かないとお嘆きの貴兄。 今年ぼくらが買ったのは当たりだった。 序盤は派手にパチパチといき、それで終わらず、後半には美しいしだれやなぎ。 最後は消え残った火球からか細い火の筋が二本三本と静かに飛び出るわびの境地。 花火職人「源さん」の男の意地を見た。 (調子の悪いのも混ざっていたので、それは源さんが食事に行っている間に弟子の「サブ」が作ったことになった。サブがんばれ。 (横で妻が、あの花火は中国製だとうるさく言っている。 へいへい。福建省の花火職人の源さんだ。フルネームは源光煙。))


花火が終わって空を見ると、きれいに晴れている。

家のまわりは見晴らしが悪いので、車を出して近くのゴルフ場の駐車場に向かう。

山の上としては例外的なほど空気が澄んでいて、天の川もくっきり見えるとても広く素晴らしい星空。 頭の真上に白鳥座。 目の前にはゆったりと北斗七星。 そのうちぼくらの銀河とアンドロメダ星雲は衝突するんだよなどと話ながら、皆で空を見上げていると、一つ二つと大きな流星がとぶ。 あ、見逃した、あ、今度は見えた、などと言いつつ、しし座流星群を見たときのこと(11/19/2001)なんかを思い出す。 あのとき、「パパがおまえの分まで」言った願い事は実はかなったんだなあ。

後から知ったけれど、これはペルセウス座流星群のはしりであった。


8/13/2004(金)

メールもネットもない生活。

こういうときに「あなたのネット依存度」みたいなのがわかりますね。

朝、起きると、もうメールがチェックしたくてうずうずするし、自分のアンテナなんかから他人の日記や掲示板を覗かないと自分だけ取り残されたような気になる。 こうして Power Book を開くと反射的に web につないぎたくなるし、いつでもメールが入ってくるんじゃないかと気になって仕方がない。 何かわからないことがあると Google で検索しようととっさに思うけれど、それができないとわかるともどかしくてもどかしくて、もう悶絶し地団駄踏んで奇声を発し爪が血に染まるまで頭皮をかきむしり --- とかいうようなことは全くなく、初日から何も気にならない。 spam も来ないし、レフェリーの依頼も来ないし(来ていても読んでないだけですけど)、メールがないのは気楽。 Power Book を開いて論文を書いてるけど、別にそれで十分。時々、こうやって日記を書く。だからといって web につなぎたいとも思わない。 ま、そんなもんだね。


8/14/2004(土)

跳ね返りの論文が一通り仕上がった。思ったより時間がかかった。

次に考えるべきことの助走として、R. M. L. Evans, Phys. Rev. Lett. 92, 150601-1 (2004) に目を通す。 前に見たときはほとんど気にしていなかったのだが、著者とメールのやりとりをして、それなりにものを考えている奴だというのがわかり、少し真面目に論文を読んでみたのだった。 全体としては未熟な仕事だ。 とはいえ、(2), (3) の式は非常におもしろい。 言ってみれば、佐々さん好みの式。 非平衡系の遷移ダイナミックスを天下りにではなく導きたいという思想は正当だし、この提案についても含意を検討する価値はあるかもしれない。 著者自身は提案をしたところまでで(力尽きたか?)ハードな解析は終わっている。 後半の shear 系についての定性的な考察は、理論としてはかなり弱い。


8/15/2004(日)

近くの町のショッピングセンターへ。

数年前には、広い建物の中に、メインのスーパーマーケットの他に、ラーメン屋、雑貨店、書店から CD 屋まで数多くの店舗が入り、夏場には、地元の人たち、帰省した人たち、避暑で訪れた人たちで大変にぎわっていた。 久々に訪れてみると、外にあった子供のための遊具は撤去され、スーパーマーケットは昔どおりに活気があるものの、ほとんどの店舗が出て行き、プリクラやゲーム機などを並べても、まだ何もない広いスペースが残されていた。 他に大きくて便利なショッピングモールができたことが原因だろうが、こういう栄枯盛衰を目の当たりに見ると複雑な気持ちになる。

さて、そのスーパーマーケットのお菓子売り場で安売りのお菓子のコーナーを見ていると、ブルボンか何かが出している80年代のヒット曲の 8 センチ CD 付きの箱入りお菓子を半額で処分している。 たしかグリコかどこかから中身がわからないようにして CD 付きのお菓子を売っていたと思うが、中身がわからないのでは、怖くてなかなか買えない。 その点、ブルボンのやつはちゃんと曲名が箱に書いてあるのだ。 人気がなくて売れ残ったのを半額で出しているのだろう。

中森明菜やチェッカーズのような売れ線の CD が入っているのはもちろん売れ残ったりはしない。 でも、面白がってみていると、なんと、

一風堂「すみれ September Love」/ 土屋昌巳「Tokyo Ballet」
というのがあるではないか。

土屋昌巳といえば、かの JAPAN のギタリスト。 その土屋の率いるバンドである一風堂のヒット曲「すみれ September Love」といえば、安易にカバーした奴はアイドルと結婚して瞬間で離婚してしまう事になるといい伝えられる幻の名曲である。 というか、実は、それほど詳しくないし、ちゃんと聞いたこともなかった。 ただ、当時、ベストテンを見ていたら、松田聖子とかに混じってこんな曲が出てきて「ぐへえ、かっこいい」と大いにショックを受け、是非ともちゃんと CD 版を聞いてみたいとずっと思っていたのだった。 それから幾星霜。 実際に(お菓子を買って)聞いてみると、今になっても、かっこいい曲だ。 それにしても、まさか300円ちょっとのお菓子のおまけとしてお目にかかれるとはね。


8/16/2004(月)

散歩がてら息子と二人で河原へ。

少し前に一人でやってきて挨拶代わりに小岩を一つほど動かし、その次に娘と二人で来て軽く流れを変えた。 今日は男二人で息子は力も強いので、川の流れを変える本格的な作業が自然にはじまった。

川の中ほどの流れの強かった部分をよどみに変え、逆に、ほとんど流れのなかった片側に新たな流れをつくることを目標に作業。 二人でいくつかの要をいじくると、もくろみ通りにみるみると流れが変わっていく。 流れを弱めてしまった部分はみるからによどみに変わり、水位が確実に下がっているのが岩のぬれ方からわかる。 楽しい。

次第にこちらは疲れてくるが、息子は元気なので次々と野望を抱き、大きな岩を動かそうと試みて苦しんでいる。

「時には、あきらめなくてはいけない。 どうしても無理なこともあるから。」

そう。 時期尚早の問題というのもあろう。 どうしたって手がでない課題もある。 しかし、そうだったとしても、今、できる限りのことをしておこう。 小さな岩をたくさん動かしたことによって、大きな岩のまわりに土が水流で掘り崩されて、いずれは大きな岩を動かすことができるようになるかもしれないのだから。


ちなみに、息子は三日ほど前まで小学校六年の甥っ子(息子は中三)といっしょにずっと庭で焚き火をしていた。

焚き火も、川の流れを変えるのも、どちらも好きなようだ。

ま、気にせず(8/21/2001 参照)好きなようにやってくれ。


8/18/2004(水)

東京へ。

暑い。


8/21/2004(土)

東京に戻ってきて暑さで死んでいるかというと、そうでもなく、ひたすら色々のレベルの仕事をしています。 じょじょに東京の気温も下がってきているのが救いだ。

ともかく、われながら、よく働いている。


昨夜は、いったい何を今さらという感じだが、Onsager の 1931 年の相反定理の論文を読んだ。

論理を追っていって素直にわかるような論文じゃないよ、と佐々さんに脅されていたので、おそるおそる読み進めたわけだが、なんと、予想以上にすばらしく面白かった。 とくに、一般論できれいに展開した二つ目の論文よりも、話を一歩一歩進めながら熱伝導を議論している一つ目の論文の方が「手作り感」があって楽しい。 そして、来ました! おそるべき、あるいは、すばらしい、目もくらむような論理と推論のジャンプ!!  おおよその風景が自分でわかっている今だからこそ、この知的スリルを楽しく味わうことができるのだと思う。 楽しいなっと。 (昔の論文を読んで楽しんでいるだけじゃ駄目なんだけどね。でも、すごい仕事に感動する心もなくなったら、研究なんてやめるべきですよ。)

朝、寝床のなかでダラダラしながら、Onsager の論旨を再現し、改めて頭のよさに感心する。 それと同時に、この話が線形非平衡領域に限定されたものであるかを再確認する。 そして、ぼくらの SST とは、いかに無関係か、あるいは、相補的かという点も。


ぼくが東京に戻ってきたことを(アメリカから??)察知したか、連続してレフェリー依頼のメールが。

この忙しいのにどうしたものか大いに悩む。 ひとつは、難しく長い数理物理の論文なのだが、これとじっくり付き合って関連する仕事の勉強もすることで、ぼくにとっても大いにプラスになりそうに見える。 やっぱ引き受けるしかないか・・・  もう一つの、これは、どうしよう。 ○○さんに押しつけるというのは、どうかな? ○○さん、どう? やる気があればメールください。 (とだけ書いてみて、自分が○○だと思った人からの返事を待つ、という新作戦はどうだろう?)


8/23/2004(月)

あいかわらず、よく働いています。

予定表をいっさい見ないで、ただ働いている。できれば、この状態をもう少し続けたい。


しばらく前にアメリカからメールで送られてきた論文の計算をチェックして、いくつかのコメントと書き直し案を送る。

と書くとよくある話だが、実は、これはぼくの祖父が準備中の論文なのだ。

四十代も半ばの孫が祖父の論文にコメントする
というのは、当事者ながら、すごい気がする。 すごいのは、もちろん、孫じゃなくて、あっちだけど。 (これを実現するには、90過ぎまで研究を続けるだけじゃ不十分で、早めに子供や孫を作る必要もある。)

ちなみに、この論文にまとめられている実験は、この春にアメリカを訪れて NIH に立ち寄ったとき祖父の実験室で見せてもらった。

祖父は、ぼくが小さい頃から、ぼくのことを(彼なりのやり方で)とてもかわいがってくれたのだが、面白いことに、ぼくが小学生でアメリカにいたときも、ポスドクで Princeton にいたときも、彼の研究室を見せてくれたことはなかった。 この春に(最盛期に比べれば圧倒的に小規模になった)彼一人の小さな実験室に連れて行ってくれたのが、はじめてだったのだ。


ぐは、土曜日の日記を読んで、レフェリー依頼が二つ来ていたことを思い出してしまった。

一つまでなら覚えられるんだが・・


8/25/2004(水)

蚊がいる。

今、大学の居室にいるんだけど、明らかに部屋のなかに蚊がいる。 おそらく、たった一匹だと思うのだが、こっちが集中して仕事をしているのをいいことに、足を刺しまくったようだ。

かゆい。

ぱっと見ただけでも、3カ所か4カ所、刺し跡がある。今年はあまり蚊に刺されていないせいか、すごく、かゆい。 あまりにかゆいので、思わず仕事の手がとまって、これを書いている。 ネットを通じて世界に公開すれば、少しでもかゆさが和らぐのではと思って、これを書く。時間があれば、何か気の利いたことを書く予定だったような気もするが、かゆくて忘れた。


8/28/2004(土)

朝、ベッドの中でぼけっとしていると、ふと、

ぼくにはすでに driven lattice gas の SST 自由エネルギーにおける最低次の非平衡補正を求めることができる
ということに気づく。

格子ガスの SST 自由エネルギーの(原理的には計算可能な)表式を導いて以来、具体的なモデルで自由エネルギーを摂動計算したいというのは、ずっと前からの課題だった。

ともかく何が何でも計算しようと思って、漸化式をつくり、うまく閉じないので、無理矢理に平均場的な近似を入れて計算しようとしていたこともあった。 ああ、なんていい加減で自分勝手な計算。 今、思い出しても生理的な恥ずかさを感じてしまう。

そもそも(つい先日、Raphael との共著論文として最初の結果を公表した)driven lattice gas の摂動計算にしても、初期の動機は SST 自由エネルギーの計算だったのだ。 ただ、まともな計算ができたるようになると、簡単に計算できる二体と三体の最低次の有効相互作用からは、SST 自由エネルギーへの寄与はまったくないことがわかった。 より高次の項を計算しないと駄目で、それはきわめて大変なので、こちらの技術が進歩するのを待ってから再挑戦しようと思っていたのである。

この計算は、もちろん、正しかったわけだが、しかし、今年の 5 月 8 日以降、ぼくらは確率過程モデルの非平衡定常状態は、(ハミルトニアンではなく!)時間発展ルールの選択に厳しく依存することを知るようになった。 その結果としてわかったのは、ぼくらがずっと用いてきた指数型ルールでは非平衡補正はもっとも小さく、他のルールでは、より大きな補正がでることだった。 で、指数型以外の一般のルールでの二体からの補正(ここから長距離相関が出る)を計算すれば、ばっちり SST 自由エネルギーへの補正がでてくることになる。 必要な計算は、二体系の長距離相関のルール依存性をまとめた短い論文に書いてある。 あとは Sasa-Tasaki の長い論文(ただいま、ラストスパートをかけて公表の準備中です。もう少しお待ちを・・)に書いてある自由エネルギーの表式を展開して、二体の計算結果を代入すれば、いいだけだった。 気づけよ、おれ。 (ま、気づいたわけだが。)

実は、こうやってでてくる SST 自由エネルギーは、SST の第一部の最小仕事やゆらぎの関係式の部部とはばっちり整合するのだが、SST 第二部の凸性の要請は満たさないだろうと考えるべき理由がある。 それはそれで仕方がないと思いつつ、おそるおそる計算していくと、なんか外場についても温度についても、上に凸になっていて、SST 第二部の期待のとおりにみえる。

あれ? 駄目だと思ってたのは杞憂??  ひょっとして、これは神様からの誕生日の贈り物??? で、朝、急にベッドで気づいたわけ???? (誕生日は本当です。)

という風に思うときは落ち着いて符号のチェックをすべきだというのが理論物理の鉄則でありまして、ていねいなチェックの結果、やはり符号は逆。 熱浴法では、期待した凸性はでないですね。

もちろん、計算だけでは、またも間違っている危険が残っているけれど、しばらくすれば直感が育ってきて、神を、じゃない、紙を見ないでも符号くらいは自然にわかるようになる。 やっぱり、望む凸性はありません。

というより、この最低次の補正で望む凸性がでるか、でないか、という本質的に見えることさえも、時間発展ルールに依存してしまうのだ。 おそろしい。

望む凸性がないとわかったのは、熱浴法、別名 Kawasaki dynamics を採用した場合の結果。 林さん、佐々さんの数値計算もこの方法だしね。

実は、Ikasawak dynamics というのがあって、こいつを採用すると、補正項の符号が逆転して、SST 自由エネルギーは(最低次の補正の範囲だけど)ぼくらの期待したとおりの凸性を示す。 ううむ。わけがわからない。

ちなみに、この dynamics を提唱したイカサワックというのは旧ソ連の有名な確率論の研究者で、かのドブルーシンや前にぼくを夕食に呼んでくださったシナイとは深い関わりがあって







ていうのは、嘘で、これは Kawsasaki dynamics(phi(h) = 1 /( 1+ exp(h) ) に対応)をひっくり返したようなもの(phi(h) = 1+ exp(-h) に対応)だっていうだけの話しでした。 一つ年をとっても進歩がなくて、ごめんちゃい。


8/29/2004(日)

どうも朝から気合いが入らない。

やはり、年を一つとると衰えるのだろうか・・  ここでお好みのツッコミの台詞をいれてください

SST 論文の作業をしようと思っているのだが、どうも集中が断片的だし、中途半端に物思いにふけってしまう。 ま、そういう日もあるさ、と自らを物思いにふけるにまかせる。

寒い雨の一日で、外出もしなかったので、夜は真面目に筋トレ。 腕立て、腹筋、背筋と、最近付け加えたスクワットを、50回ずつ。


8/31/2004(火)

とても大きな台風が(←冒頭から間抜けな表現)昨日の晩からこの明け方にかけて日本海側を抜けていったので、東京でも暴風が吹く。 二年と少し前にこの家に移り住んでから、おそらくもっともつよい風だったと思う。

ベッドにはいっても、時に猛烈に吹き付ける風の音、雨戸がなる音、近所で何かが落っこちて道路をころころと転がっていく音、などなどに邪魔されて寝付けない。 寝ていても落ち着かない。 眠りかけても、すぐに起こされる。

こんな強い風の夜は、ヒースクリフならずともそこはかとなく物狂おしくなろうというもの。 ベッドで悶々としながら、非平衡系の確率過程における系の接触について考える。 何度も考えたテーマのはずだが、また考える。 あ、そうか、そうだったか、ぼくは weak canonicality を重視し過ぎていた。 それ以前の問題として、ポテンシャルをかけないときの粒子数のゆらぎがどうなるかという性質にこそ接触の性質が現れているのだ。 その、本来の接触の性質を特徴づける方法は・・・・ 少し利口になったような気がするが、しかし、けっきょくわからないという事実のまわりをウロウロとまわっている。 少し眠る。 夢のなかでもわけのわからない接触のイメージが踊る。 強い風音で半ば目覚める。 激しく流れうずまき、まさに強い非平衡にある外の大気と、穏やかな室内の空気が接触すれば、それこそ典型的な非平衡状態と平衡状態の接触の問題だなあといったことを朧気に考えていると、また徐々に意識がはっきりしてきて、具体的な格子ガスの設定で、ゆるやかにポテンシャルが変化する場合、そして、何種類かの弱い接触を利用してポテンシャルを一気に変化させる場合、それぞれ何がおきているかのイメージを得ようという努力をつづける。 例によって言語化も数式化も不可能なわけのわからないイメージをいじくっているうちに、果たしてまともな理論をやっているのか、眠りかけて妄想にふけっているのか、自分でも区別がつかなくなってくる。 というより、そういう区別にも意味はないのだろう。 ふと、今、きわめてオタク的な狭い狭いことを考えているという強い自覚。 もちろん知った上でやっていることだが、感覚的に強く自覚。 もどかしい。 ここは、けっきょくは閉塞した場所で、どこへもいけないのかもしれない。 しかし、あきらめて考えるのを中断してしまえば、万が一でも道が開ける可能性をも最初から捨ててしまうことになる。 あきらめたらゲームセット。 もう少しだけ粘ろうか。 しかし、手のつけようがない。 考えるとっかかりがつかめない。 逆から攻めて、なぜ平衡系では、あそこまで接触の種類に関して robust なのかを考えるべきか? あるいは、SST が許容する接触に関しては、平衡系と同じような robust さを持つような非平衡定常状態こそが考えるべき正しいミクロモデルだという提案は、どうだ?

一夜明けると、蒸し暑い強い風の吹く一日。

誕生日のある月には子供の頃からなんとなく思い入れがあった。 今、日記を読み返すと、それなりに出来事が多くいっぱい仕事をした長い一ヶ月だったなあと思うが、ともかく、今年も八月がおわった。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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