日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


8/9/2006(水)

8 月に入ってもあわただしかった。

久々に一息ついて日記を書いていますが、実は、明日から東京を離れるので、またしばらくは更新しません。


例によって、忘れていたところに駒場の「現代物理学」のレポートがどどーんと百三十人分ほど届いて、泣きながら採点。

「○○を示せ」という出題にしてしまうと、示せてないのに強引に(きっと半ば自分をだまして)「示せた」と書いてしまう答案がいっぱいでてくるので、採点の時に苦労する。 毎年、それで後悔して、来年はもっと採点しやすいレポートにしようと思うのだが、なにせ、講義の内容そのものが決まっていなくて、必死で構成やネタを仕込みながらやっているくらいなので、レポートの採点のしやすさにまでは頭がまわらない。 講義をしながら、「お、これは面白いかも」と思ったことを、その場のノリでレポートに出してしまっているのだ。

先週は多大な時間を採点に費やし、土曜は深夜まで大学にいて、ともかく採点と採点報告を終えた。 今年から、採点報告を web 経由で送るシステムが使えるようになったのだが、これは、この手のものにしては珍しく、使いやすかった(ファイルをアップする方法は、なぜかうまくいかなかったので、web 上で直接入力した)。


別のお仕事の方も、大変だが、きわめてやり甲斐はある。 ちゃんと働いています。
物理教育学会誌に依頼されて書いた「ニセ科学」シンポジウム関連の記事を公開。 迫力はないですが、いくつか、くり返し問題になる論点を馬鹿丁寧にまとめてあります。 菊地さんと天羽さんの記事もあわせて公開する予定。
珍しく、時事ネタに関連するリンク。
19歳の亀田興毅さんが、その人生を賭けて、私たちに教えてくれたこと
切込隊長
切込隊長さんのことは存じ上げないわけだが、先日、彼をリアルで知る人たち何人かとお会いしたせいか、以前より親しみを感じる。 本音を読み取るのが難しい文章を書かれる方なのだが、
アメリカのポチと一部から酷評されながらも、日本人の総意として公正な社会を実現するための試みが無駄に終わりつつあることを、たかがボクシングの試合ひとつで証明されたというのは、怒りを通り越して嘆きの境地に辿り着くものであります。(強調は引用者による)
というくだりは、真摯な思いを表したものなのではなかるまいか?  いずれにせよ、切込隊長さんの書かれていることを信じるならば、この話題には、亀田氏の態度が悪いとか判定がインチキ臭いとかいうのとは違う次元の日本の暗部が関わっているらしい。
8/23/2006(水)

うはー、びっくりするくらい書いてない。

「東京を離れる」と書いてから、ずっと更新が途絶えていると、まるでずーっと涼しいところで暮らし続けているような感じだけど、実は、今回の避暑は数日間で終了。 ずっと前に、馬鹿暑い東京に舞い戻って、日々忙しく働いております。


旅行には新しく買った車で出かけ、数日間で、600キロほど走ってきました。 前の車が十二年間乗って二万キロだったことを思うと、わが家の年間走行距離は千数百キロ。数日間で、年間走行距離の三分の一くらいを走ってしまったことになるけれど、実際、この時期以外はほとんど車で長距離を走ることはないのだった。

車は、前と比べてほとんどグレーアップしていないのだけれど、それでも、新しいだけあってエンジン音は静かで快適。 さらに、細々(こまごま)とした周辺ハイテク機器の充実ぶりがうれしい。 カーステレオも音がいいしね。 わが家の車は、一貫して、いわゆる一つの大衆車なわけだが、それでも、時代はめぐり、昔は高級車にしかなかったような装備がついてくる。

最初、特に、うれしかったのが、鍵についている赤外線の(?)リモコン。 車には指一本触れることなく、離れたところから、ロックをかけたり解除したりができるのだ!  これは、他の人がやっているのを見て、セレブや金持ちの乗る車だけについている高級な仕掛けだと思ってずっと憧れていたのだが、ついに自分でもできる日がやってきた!!

当然でしょうが、

といった、きわめてベタな失敗もしました。 ベタ過ぎて面白くないですが、別に日記が面白くなるように生きているわけじゃないので許して下さい。

あと、使ってみて感動したのが、ETC ね。 高速道路でゲートを通過するだけで料金が払えてしまう仕掛け。 これは人件費削減だけでなく、本当に車の流れがよくなるシステムだと思う。

今までは、高速道路の料金所を通る時は、「なに? ETC 車専用レーンだと、そんな邪魔な物は端にあればいいだろ。普通の、ノーマルな車が通りやすいようにしろ!」と言っていたものだが、今年からは「おいおい、勘弁してくれよ、何で真ん中に一般車レーンがあるんだい?」と手のひらを返した私たちです。 言うまでもないでしょうが、妻も、

という、きわめてベタな失敗をしていました。 これもベタ過ぎて面白くないですが、実話なのでお許し下さい。

さて、そして、きわめつけがカーナビ!  方向音痴のわれわれの世界を根源から変えてしまう科学の成果!!  いったん踏み込んだら、これがなかった時代には二度と戻れない究極のハイテクの魔術!!!  これは本当に圧倒的だと感じたのだが、書くのに飽きてきたので、また今度余裕があったら書くことにしようっと。


8/25/2006(金)

夏の宿題の一つがようやく片づいて、少しだけ、余裕が出たかも(しかし、論文書きとか研究とか、ちっとも、できないのだが)。

というわけで、昨日、今日と、続けてプールに行っている。 四人家族のうち二人が風邪で医者にかかっているのだが、私はひたすら元気。 一気に1000メートルほど(それなりにばてる程度に)泳いで家に戻ってくるのだが、その後は、何かが活性化するらしく、精神的にも物理的にも物理学者的にも、一段と元気になるのだ。 うっほ。うっほ。


さて、国際天文学連合 (IAU) 総会で惑星の定義を相談した結果、冥王星が惑星でなくなったというのが話題になっていて、テレビのニュースなんかでもびっくりするほど大々的にやっている。 別に、今の段階で、なにか新しい科学の発見があったわけでもないし、太陽系の天体についての認識が変わったわけでもない(ただし、長い時をかけて、天体についての知識が蓄積し、物の見方が徐々に変化してきたのは事実で、それが今回の定義の見直しにつながったわけだ)。 天文学者が言葉の定義をどうするかという、いわば、科学者社会の社会学的な問題。 普通の意味での科学の話題じゃないのだが、かえって、こういう方がマスコミとしてはストライクゾーンなのかも知れない。

今回、「惑星の定義」として、三つの性質を書き下したのだが、これは、あくまで太陽系内の天体のみに適用することを想定した「定義」らしい(専門家である井田茂さんのコメントを参照)。 太陽系内限定だったら、「水、金、地、火、木、土、天、海の八つが惑星です」と「定義」すれば十分な気もするが、ま、それじゃ身も蓋もないから性質を列挙したのだろう。 しかし、端から見ても、ちょっとわざとらしい感じがしないでもない(つまり、わざとらしい感じがするってことだよな)。(「将来、大きな天体が発見されたときのための『定義』だ」というのは、多分、本当じゃない。将来、予期せぬ大きな天体がみつかったりしたら、その時点で、また「定義」を再検討するはず。)

それにしても、同じ自然科学者なんだけど、ぼくなんかには「みんなで集まって、投票で定義を決めよう」というセンスは、違和感があるどころじゃなくて、全く理解できない。 なんか、SF 映画みたいで愉快だなあというのが正直な感想。

たとえば、数学者が会議を開いて「自然数に0を含めるかどうか」を投票で決めるとか、物理学者が「『相対論的質量』という用語は混乱を招くので廃止しよう」と議決するなんてことは、ちょっと考えられない。 定義というのはしょせん方便なので、混乱しない範囲で、便利なように作ればいいのだ。 たとえば、教科書や論文を書くとき、「ここでは、○○なものを△△と呼ぶ」と宣言して、その流儀を一貫して用いればよい。 しばらくすると、だんだんと大きな流れができてきて、その時代の科学にとって自然な「定義」が自ずとできあがってくると思う。 というか、自然科学での定義というのは、普通は、こうやって自然にできてくるものだと言っていいんじゃないだろうか?(ちがったら教えて下さい。)

今回の「惑星」だって、別に無理に定義を統一しないでも、冥王星を惑星に数えない教科書が徐々に増えていって、それで次第に定義がシフトしていく、という自然なやり方じゃダメだったのかな、と素直に疑問に思う。 やっぱり、惑星発見に伴う栄誉といった政治的要因が強すぎて、そういう素朴なやり方じゃ動かないのだろうか? しかし、もしそれが本当なら、いよいよ科学の話題じゃないなあ。 「『惑星』の定義をきちんと決めてもらわないと理科の教育で困る」という意見は、却下。 重要なのは、「星々の間を気紛れに動く、またたかない星」たちの観察から出発して、われわれが太陽系の天体についての詳しい描像を手に入れたことなのだ。 惑星の名前を覚えさせるのは、理科じゃないよ。

以上、自然科学を愛する一人として、一般的な発言をしてきたわけだが、自分が専門とする分野のことを思い出すと、やはり、ひとこと、物理学者としての意見表明をしておく必要を感じる。








仲間はずれは、かわいそうじゃないか。

セーラープルートの冥王せつなは、(原作では)物理学科の学生なんだぞ!


8/27/2006(日)

昨日の「ニセ科学フォーラム・京都」は、楽しい雰囲気の有意義な会になったようだ(左巻ブログ菊池ブログ)。 「ニセ科学フォーラム・東京」の準関係者(懇親会の会場の予約(しかも、妻に教えてもらってやっているだけ)担当)としてもうれしいかぎり。

来週の東京でのフォーラムも、意義深い会になることを期待しています。


昨日、今日は、プールには行かなかったが、夕方に、妻といっしょに長い散歩。 そして、夜に筋トレをフルセット。 相変わらず、風邪などひく気配さえなく、元気である。

今日の散歩は、買い物がてら中野のホームセンターへ。

7/30 の日記に車で中野に行ったと書いたところ、わざわざそんな遠出をしたのかという反応があった。 目白(正確には、ぼくが住んでいるのは目白じゃないけどね)と中野は、電車の路線を考えると、ずいぶん遠く離れている気がするが、実際には、けっこう近いのである。 今日は、途中、少しだけ迷ったものの50分ほど歩いて到着した。 しかし、いつも車で行くところに歩いていくと、「地続きだったのだ!」という感じの不思議な喜びがある。

帰りは、さすがに遅くなったので、中野の駅前からバス。 かなり長い距離を走るバスで、街並みの様子がどんどんと変わっていくのが不思議に楽しい。


「うっほ。うっほ」などと調子づいていたら、先週末にやるべきだった(提出しなくてはいけなかった)仕事を忘れていたことに気づいた。

どうしよう・・・、って、まあ、明日、大学に行ってから淡々とやっつけるしかないでしょう。

週末は、別の時間のかかる仕事を、ひたすら進めるのみ。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp