日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


1/1/2007(月)

[Hal at Soseki's house in Matsuyama] あけましておめでとうございます。

2006 年は、色々な意味で充実した一年になりました。研究面では、非平衡熱力学に関する 100 ページ超の論文(佐々氏との共著)が出版され、また、何年にもわたって難攻不落の課題だった金属強磁性の問題についても、ようやく一つの突破口をみつけました(田中氏と共著)。教育面では、ずっと構想してきた統計力学の教科書を書き始め、今年の早い時期に一通りの完成を目指しています。また、「ニセ科学」批判にも、少しだけ時間とエネルギーを割いてみました。研究・教育とは違って楽しいものではありませんが、意味のある活動だと思っています。

若いつもりでいた私も、いつの間にか、中堅と呼ばれる年齢になってしまいました。今年はいろいろと多忙になりそうですが、これまで以上に実り多い一年を過ごしたいと思っています。

どうかよろしくお願いいたします。

2007 年元旦 田崎晴明

今年の年賀状は、こんな風に、これまでとは趣向を変えて、自分のことを少し長目に書いてみました(ただし、個人情報保護のため、後半は実際に送ったものとは微妙に変えてあります)。

写真は、三月の学会の後で妻と訪れた、松山の愚陀仏庵(松山時代の漱石の下宿)です。


1/3/2007(水)

正月の間もひたすら統計力学の講義ノートを進める。 調子にのってトラップ中の原子集団のボース・アインシュタイン凝縮についても詳しい結果を書く。


朝、PRL からメール。田中さんとのハバード金属強磁性の論文のレフェリーレポートである。
The paper is therefore an important milestone in the theory of metallic ferromagnetism.
おお。milestone って、かっこよすぎ!  でも、自分で言うのもなんだが、本当にそうだと思っているのだ。

定理が正しいことは田中さんと二人で何度も確認したし、この結果が物理的に重要であることも強く確信している。 だから人が何と言おうと別に気にはならないのだが、こうしてレフェリーが全面的に評価してくれるのは、ありがたく、うれしいことだ。 エディターが正しいレフェリーを選んでくれたということでもあるのだが。

レフェリーは二人とも手放しで絶賛しているし、あとはイントロ部分の無限小に近い修正だけで載るだろう。 ほぼ最短ルート。 でも、かつての高麗さんとの PRL(長距離秩序と自発的対称性の破れの関係についての Koma-Tasaki theorem の速報)は、submit したら、レフェリーレポートも戻ってこず、そのまま掲載になった。あれが論理的にありうる最短。

ともかく、新春からうれしいニュース。すてきなお年玉だ(実質的な話として、レフェリーとのやりとりで無駄なエネルギーと時間を消耗しないよかったのは本当に助かる。こちらは絶対に PRL に載るべき一流の仕事と確信しているので、もし変なレフェリーが出てきても絶対に納得せず闘い続けただろうから)


1/4/2007(木)

統計力学講義ノートの、長い「量子理想気体」の章を一通り脱稿。 しかし、自分を休ませることなく、「相転移と臨界現象入門」の章に突入。最終章である。

講義に並行して執筆するという計画だったのだから、学期末に最終章に突入しているのは、当たり前といえば当たり前。 しかし、世の中、なかなか理屈通りには行かないということも理解しているお年頃の私。 どこかで挫折する、あるいは、途中のテクニカルな章はごっそりととばすといった事になるのではないかと秘かにいぶかっていたのだ。 そんな不安をよそに、ばっちりと計画通りに全体ができあがりつつあるのは喜ばしいことだ(ま、がんばったわけだけど)。

もちろん、一通り完成したとしても、前の方の章には既に膨大な不満があるので、ベータ版の完成はまだ先なのではある。


夕方からプールへ。初泳ぎだ。

区営プールは、なかなか根性が入っていて、昨日から開いていたようだ。残念。

お休みのあいだに水をかえたのか、水がすんでいる。 そして、人が少ない。 最後は、完泳コースにぼく一人、隣の広い自由遊泳コースに二人、という準貸し切り状態。 気楽に1000メートル泳ぐ。

ゆっくりと泳ぎ、水に包まれる独特の懐かしいような感触を楽しみながら、誰もいないプールのあちらのコーナーや、遠くで泳ぐ人の姿を、水中で見ていると、ある種の水棲動物になった、あるいは、戻ったような不思議な錯覚。


講義ノートが進展して、少しほっとしたところで、「みすず」の「読書アンケート」(去年の目次はこちら)の事が急に脳裏に浮上。 あまりに忙しければ忘れたままでいるつもりだったのだが、便利な脳だ。

編集者からのメールを調べてみると、(公称の締め切りではなく、真の)締め切りは明日ではないか。本当に、便利な脳だぞ。

去年がアインシュタインの伝記だったので、今年は、ベタにボルツマンの伝記にするのが私の義務だろうと思う。 だいたいの構想はできていたので、プールから戻って夕食までの一時間くらいで「えいやっ」と八百字強を書き上げてしまう。 うーむ。去年に比べると、完成度も迫力も今ひとつかなあ。去年は、もっとずっと時間をかけたしなあ。でも、読者はボルツマンという名前も統計物理学という言葉も知らないことを前提に書くのだから、ま、こういう感じしかないのでは?

二年つづけて優等生的な「物理学者もの」を書いたので、もし来年も依頼が来たら、一気に暴走してまったく違う路線のものを書いてみたいものじゃ。


1/5/2007(金)

大学に行って、諸雑用を。部屋の片づけは、なかなかできない。

夕方になって、昨日やった「みすず」の「読書アンケート」の原稿のことを思い出し、軽く手を入れて、編集者に送る。

原稿を送ったメールに、「来年は、暴走してめちゃくちゃなものを書いてみようかな」という一言を書き添えたところ、即座に担当の編集者からメールがあり、その路線でやってくれればとても面白いので期待しているとのお返事。 にゃるほろ、優秀な編集者というのは、こうやってちょっとしたきっかけを見逃さず、書き手を挑発してその気にさせるものなんですねえ。 おっしゃあ。ナイーヴな科学者であるところのオイラは、あっさり挑発されてしまったど。 来年の「みすず」は、××××でいくか!


今年送った原稿をここに載せるのも、なんとなく気が引けるなあと思いつつ、よく考えてみると、去年の原稿を web で公開するのをすっかり忘れていた。 ちょうどいいので、今年のを送ったタイミングで、去年版をここに公開しよう。
「みすず」読書アンケート
2005年に読んだ本(新、旧を問わない)から五冊以内について八百字以内で感想を述べよ。

Abraham Pais
'Subtle is the Lord...' The Science and the Life of Albert Einstsein (Oxford Univ. Press)

昨年は、若きアインシュタインが特許局につとめる傍ら科学の流れを変える三つの論文を発表した「奇跡の年」から百年目。私は三つの論文の内容を半年かけて理科系の一、二年生に講義した。それは、量子論・統計物理・相対論という現代物理の三つの柱を原点に戻って見直す作業でもあった。教える側にとっても、物理を学んでよかったと心から感じるほど愉しい講義になった。

この講義のため、原論文の他に本書を参照した。晩年のアインシュタインと親交があった Pais による大部の伝記である。アインシュタインの人生を歴史的・文化的背景と共に生き生きと描き出すだけでなく、科学者としての彼が何に直面し何を考えたか明解に伝えてくれる。そのため、専門概念や数式を遠慮なく駆使し、物理学史と彼の研究の流れを詳述する。我々物理学者にとっては理想の記述だ。専門知識のない読者は伝記部分だけを拾い読みできるよう配慮されているとはいえ、このような本をペーパーバックで供給できる文化の底力はうらやましい。

1905 年に光の量子論に到達したアインシュタインの論法はまさしく奇跡。読み直し考え直すたびに思わず身震いする。混沌とした実験事実と理論の中から真に重要なものを見抜き、進むべき道を見いだす「目」をもっていたのだ。誰よりも早く量子論の本質に到達した彼は、後年は量子論のもっとも深い批判者としてその成熟に貢献する。彼が量子論については常に孤立の道を歩んだことは興味深い。

タイトルは、彼自身の言葉「Raffiniert ist der Herr Gott, aber boshaft ist er nicht.(神はとらえがたし、されど悪意はもたず)」から。真理は容易には見いだせないが、それらは悪意によって隠蔽されているわけではない、という強い意志に裏打ちされた楽観論だ。日々の研究で「とらえがたさ」ばかりを痛感している物理学徒にとっては、最高の励ましの言葉でもある。


1/9/2007(月)

この何日間か、すげく働いた。

睡眠時間こそ削らなかったが、起きているあいだの仕事の密度の高さは半端じゃないと断言できる。 もちろん、各種の家族サービスもしたが、それ以外は、ひたすら統計力学の講義ノートを書いて過ごした。 書きまくって講義の進路においつき、それでも容赦せず(←誰を?)書きまくって、ついに最終章の「相転移と臨界現象入門」も脱稿してしまった! これだけの分量をこの短期間に書いたのは初めてっぽい気がする。正確なことはわからないけど。で、今日は、それを最終チェックし、量子理想気体の章の残りと最終章と索引と目次、あわせて数十ページをすべて印刷。 おわったのは夜おそかったが、千枚を超すプリントを明日の講義の教室に運び込んで、準備終了。

これで、統計力学については、明日の講義ですべてのプリントを配り終えることができる。 こうしておけば、少しだけだが、身が軽くなるじょ。 次は、数学の授業のレポートの採点である。 文末が不一致なのじゃ。


1/18/2007(木)

全学向けの総合基礎科目(むかしで言うところの、一般教養科目ね)「現代科学」の二回目の担当。 今年度のこの科目の最終回でもある。

いろいろ迷ったけれど、こうなったら(どうなった?)開き直って「水からの伝言(信じないでね)」を題材にして、科学と「ニセ科学」について考える講義にした。 実際、こういうものを取り上げて、「なぜ科学じゃないんだ?」と問うことは、われわれはなぜ科学を正しいものとして受け入れているのかということを反省するための格好の材料にもなるのだ。

冒頭(あるいは、「つかみ」)は、「ある小学校での授業から」と題して、ぼくが小学校の先生になりきって、「水からの伝言」を用いた道徳の授業をシミュレート(ご存じない方は、こちらを参照)。 せっかくだから、なりきって迫真の模擬授業をしようと思っていたのだが、やっぱり、ついつい、てれが出てしまう。 しかも、こっちが「ほらー、みんなの体の中の水がこんなになっちゃうんだねー」とか盛り上げているところで遅刻して入ってくる学生さんがいるではないか。 入って来るなりこんなトークを聞いたら完璧にアブナイ先生だと思っちゃうだろうなあ、とか雑念が入ると、ついつい、普通の自分に戻ってしまう。 こういうネタのときは遅刻厳禁なのだ(いや、別に「水伝」じゃなくても遅刻はいけない)。

で、その後、「水からの伝言」の詳しい説明、何が困るかという話をして、さらに、科学とは何かみたいな話へ。 せっかくなので、雪の結晶成長の物理について、基本的なことがらを講義する。 最後は、様々な「ニセ科学」について駆け足で。


色々な意味で話し足りないところは多かったが、まあ、まとまった講義になったと思う。

それにしても、終わったあとで、どっと疲れが出て、びっくりするくらい、ばててしまった。 部屋が大きめとか、テンション高めとか、普段の学生さんと違うので慣れてないとかが、疲れた要因かもしれないけど、でも、そういうことなら時々はあって、普段はそんなに疲れたりはしないのだ。

考えてみると、今回は、結晶成長について少し話したところを除けば、物理の楽しい具体的な話がなかった。 「ニセ」の話、科学についての一般論はあったけど、やっぱり本当の具体的な話とは全然ちがうのだ。 これが、疲れた原因というか、エネルギーが補充されなかった原因かもしれない。 そもそも、講義ってのはすごーく体力を使う作業で、やっていればどんどんエネルギーを消耗していく。でも、途中で楽しい物理の話ができれば、ぼくらは、それで活性化して、疲れも感じないで、どんどん話し続けることができるっていうことなんじゃないかな?

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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