日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

一覧へ
最新の雑感へ
タイトル付きのリスト
リンクのはり方

前の月へ  / 次の月へ

茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2009/12/22(火)

おお、12 月になった。

あわただしかった 2009 年も残すところあと1 ヶ月。 大きなことのやり残しは無数にあるけれど、少なくとも細かいことはやり残さないよう、この 1 ヶ月をしっかりと過ごしたいものだ。 1 ヶ月と思うから短く感じるので、31 日と思えば、いや 744 時間と思えば、十分長いではないか。

などと小学校の月間目標のようなことを思う間もなく、22 日である。まあ、そんなもんであろう。


昨日は今年の最後の講義。

大学院の講義で、量子多体系での長距離秩序と対称性の自発的破れを扱ってきた。 (1) 基底状態での長距離秩序と (2)(有限系での)低エネルギー励起状態、(3) 無限小の「磁場」が入った系での自発的対称性の破れの関わりを丁寧に解説していたら、あれよあれよと時間が経ち、昨日が最終回だった。

最後はボース・アインシュタイン凝縮系での非対角長距離秩序の意味について、かなり詳しい議論をした。 以前に数理物理夏の学校で簡単に講義したことのある内容だが、今回は、さらに踏み込んで丁寧に解説したので、ぼくにとっても、ここらをじっくり考え直すいいチャンスだった。

最終回には、今回この講義のために新たに証明したささやかな定理(絶対零度で、BEC を起こす系を二つ無限小にカップルさせると、相対位相が確定するという結果。分かっている人は分かっている事だが、明示的に証明しておくと気持がいい。ある意味で、これが非対角長距離秩序があることの物理的意味だと思うし)も紹介できた。


さらに、最後は関連する面白い話題として、ボース・アインシュタイン凝縮体での物質派の干渉の話。

実は、一回目の講義が終わった後で「BEC の干渉はやりますか?」と質問され、おおやるとも、俺が教えればばっちり本質が分かるぞ --- 的に返事をしたので、やらねばならぬ。 というか、ただ扱うのでなく、誰よりも見通しよく明快に講義しなくてはならない。

昔、この問題について考えて、ひどく混乱して、人に教わり、それからちゃんと考え直して正しい理解に到達したことがある。 まずは、その時の記録の日記(2000/11/14)を読み返すことからはじめた。 こういうとき、web 日記は便利である。

既に 9 年も前の日記だが(うひゃ〜、嘘みたい。ほんとうに時間が経つのが速いじょ)読んでいると、いろいろな事を思い出す。 あのとき、ここに座ってメールを読んで「ぐひゃ」って思った様子とか、平野研に出かけていって鳥井さんとか大学院生の前で「この前言ったことは間違えで、本当はこうだ」と説明している自分の姿とかが、はっきりとよみがえってくる。

が、肝心の理解していた中身は、すぐには出てこない!

そういうところは、人間の頭の作りは不思議だなあと思う。 そのときの情景や、理論的理解のもっている「空気」や「感触」はすぐに思い出せるのだが、理解の論理的な中身は別のところにしまってあるみたいだ。

けっきょく、あの頃参照した論文をもう一度読まなくてはならないのかと思って、読み始めて、でもグダグダ書いてあって読む気がしねえよおと思ったあたりで、何をすればいいのかを全てあっさりと思い出した。 今回の講義の記法にあわせてちゃんと再導出してみたが、さっき思い出した「空気」と「感触」のとおり。 ついでに、非対角長距離秩序の存在さえ仮定すれば(トラップを切った後では相互作用はないという近似のもとで)干渉効果はあっさりと説明できるという、やっぱり 9 年前に気づいていたこと(2000/11/15)をしっかりと認識し、議論も書き下す。

しっかし、まあ、一度分かっていたことをもう一度分かるのに費やす時間のなんと長いことよ。 脳の(特定部位の)ある時の状況をそっくりそのままセーブして、後でロードする技術があれば、ほんとうに便利なのだがなあ。 ま、それは、脳のネットワークを全部スキャンしてコンピューターに移植した後の話か・・・ まだ、ちょい先だなあ。

それからさらに平野さんに実験の状況を教わったりして、講義の最終回に話す内容は十分。ていうか、ちょっと多すぎたかも。 少なくとも、一部の学生さんには好評だった。


講義の後は「一部の学生さん」たちとお茶部屋に行き、コーヒーを飲みつつ、関連する議論。 いくつか理解が不足していたところもはっきりとして、これでさしあたって軽く考えられることは考え尽くしたと思う。

やるべき面倒な計算が残っていたのだが、それも今日になって、妻と出かけたライブハウスで、開演前の時間にビールを飲みつつ全て終わらせた(妻は雑誌の原稿を直していた)。


さて、こうやって一段落したところで、今回講義したことを講義ノートにまとめて公表すれば、少なくとも(世界にいる)「一部の学生さん」たちのお役には立つだろうなあと思う。 思うのだが、なんせ、講義が終わったところで、(最優先のイジング本の執筆をはじめとして)やりたいことを次々とやっていきたいので、なかなかどうして、講義ノートの執筆には手がまわらない。 さしあたって、今、頭に入っていることをそっくりそのままセーブできれば・・・
2009/12/25(金)

ぎゃあ、もう 25 日だ。困った。

講義が終わったところで、一気に集中して仕事をばんばん進めるはずだったのだが、どうもスタートが悪い。 何を本気でやるか焦点が合わないし、どうも集中力にも欠ける。

何年か前までは、何か一つやらねばならないことが終わると、次の瞬間には全力で次のことをやりまくっていた気がする。 それは、計画性とか義務感とかそういう高度な話じゃなく、単に本能の赴くままに生きていた結果、そうだったのだ。 講義が終われば、やりかけの証明を必死で考え、証明ができると書きかけの本を全力で書いていた(気がする)。

けっきょく、これが歳をとるということかなあ --- と珍しく弱気。 もはや本能的に生きているだけでは時間とエネルギーの使い方を最適化することはできない。 やっぱり、年齢相応に、時間や体力の気力の使い方を自分で管理しないといけないのであろう。 がんばりまふ。


ちなみに、これから検査のために車をサービスステーションに持って行くことになっている。 成り行き上そうなってしまったのだが、面倒。

こういう、ルーチンにない(研究とかと無関係な)ことをやるのが、やたらと億劫に感じられる。 これもまた歳をとるということか。

いや、それは昔からか・・・


ふう。サービスステーションから無事に帰宅。

  30 分運転 → 整備を待つ間 30 分、イジング本の読み直しと修正作業 → 30 分運転

という感じ。 しかし、都内の走り慣れない道の運転は気疲ればかりして嫌だ。


先月の日記(11/8)に Jona-Lasinio 先生の講演会の写真を追加。

実は、このときは講演会を企画・実現・通訳するので精一杯で誰にも写真を撮ってくれるよう頼まなかった。 後からあわてて、当日いらっしゃっていたマスコミ関係の知り合いに尋ねてみたのだが、不思議なことにどなたも写真を撮っていない。 けっきょく、東京物理サークルの皆さんに問い合わせたところ、こだまさんが写真をくださったのだ。 遠景からの写真なので、当日の盛況ぶりが伝わる。 後ろのほうの人もちゃんと聞いているのがよく分かるね。


2009/12/27(日)

結城浩さんの新著『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』が好評らしい。 不完全性定理などという、ある意味、めちゃくちゃマニアックな内容を扱った青春数学小説(!)が歓迎され多くの人に読まれるというのは素晴らしいことだ。文化的な事件といってもいいくらい。

ご存知の方はご存知のように、ぼくは「数学ガール」シリーズの三冊にはレビューアーとして関わっていて、三冊とも、きっちりと巻末の謝辞に名前を書いてもらっている。 実のところ、謝辞に名前が載るだけの貢献をしているかと問われると大いに疑問なのだが、結城さんから名前を出してやると言われると 未だミルカさんの残り香の消えぬ頁に自分の名前が刻まれるという状況の甘酸っぱい魅惑に勝てず(←アホか) ついつい心弱くもお言葉に甘えてしまっているというのが正直なところ。お恥ずかしい、また、ありがたいかぎりである(なので献本はもらわず自分で買っている)

今回の『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』に関しては、レビューが始まった頃がたまたま各種雑用で多忙な時期だった。なので、雑用逃避のため、レビュー原稿が送られて来るや否やすごい勢いで読んで感想を送ったりしていたのであった。 結城さんに最初に送ったメールがみつかったので、いっさい加工せずに引用しよう。

1章、2章とも楽しく拝読しました。 まさかゲーデルを扱われるとは思っていなかったので、実は、たいへん驚きました。

先が楽しみであると同時に、ちょっと怖くてドキドキもします。この子たちはほんとうに証明の形式化にまで踏み込んでいくのでしょうか? まだ高校生なのに。早すぎない? 集合の濃度とか、素朴な集合論のパラドックスとか、そのあたりで十二分に楽しみ感動できると思う。あの若さでゲーデルまで行っちゃうミルカさんを見るのは少しおそろしい気がします。

あと、ゲーデルは解説者には鬼門で、世の中には間違った解説書がいっぱいでていますよね。吉永さんの書かれたブルーバックスが完璧にダメだというのは有名な話のようです(ぼくは読んでませんが)。ぼく程度では正確さを保証するための査読者としては全く不的確だぞと思って、それも不安だったのですが、よく考えると、彼がいますね。あの人が読んでくれるなら、そちらは安心。ぼくは落ち着いて、ミルカさんが行き過ぎたことをしないかどうかに注意していられます。

この後、ほんの少しだけ(本文とは無関係なところで)意見を言って、それは多少は役に立ったと思う。 ただ、いよいよ本文が佳境に入る頃には多忙を通り越して超絶多忙になってしまい、逃避活動もできなくって、実質的にレビューから脱落してしまった。 今、ちゃんと本になったバージョンでゆっくりと読んでいるところ。

ところで、上の引用のなかで「あの人」って書いたのは、この人のこと。リンク先を読むと、ぼくは正しかったようだ。

あと、吉永良正氏のゲーデルについてのブルーバックスには根本的な誤りがある(「完全性定理」でいうところの「完全」と、「不完全性定理」でいうところの「完全」の意味を混同しているらしい)ことについては、たとえば専門家である鴨 浩靖さんの書評を参照してほしい。 数学の解説を書くのだから、どんなにがんばって工夫していても根本的な間違いがあったらダメです(吉永氏の本の多くは専門家からも非専門かからも高い評価を受けているので、余計こういうのは残念)

同じ鴨さんの書評のページの下のほうを見ていくと、ちゃんと『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』も取り上げられていますね。 鴨さんも高く評価されていて、うれしいかぎり(ついでに、鴨さんのブログはこっち。なんとこのブログは『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』に参考文献 [33] としてあがっているのだ)。

それにしても、解説者にとっての鬼門中の鬼門である不完全性定理を取り上げ、数学的にも正確で、かつ、読んで面白くて萌える物を書いてしまうとは。 結城さんがただ者でないのは分かっていたし、前の二冊の「数学ガール」にも大いに感心していたけれど、今回は感服や感心のレベルがさらに上がったというのが正直な気持であります。

「ふ〜ん、そういう本なら読んでみようかな〜」と思いかけている、そこの君。そう、君です。 君の背中をもう一押ししてアマゾンの購入ボタンをクリックしてもらうために、公式ページのなかの「読者の声」の「僕」の欄の最初にでてくる感想を引用しておこう。 他人が書いたとは思えないんだよね・・・

それにしても、ほんとうに「僕」以外には男は出てこないですね。こんだけ女の子たちといっしょにいたら、他の男どもにいろいろ言われまくりですよね。普通。いや、もちろん、男を出せと言っているのではありません。というか、でないほうがいいです。(強調をつけたのは結城さんだじょ)

夕方からはプール。 思ったよりも気温が低く、日没直後の街を自転車で走っても体が温まるどころか冷えていく。 そろそろダウンジャケットを着るべき時期か。

12 月は、6 日、13 日、20 日、27 日と、完璧に一週間に一度 1000 メートルずつ泳いだことになる。 こうやって週一回のペースを確立すると、泳ぎ初めても息が上がることなく、快適に泳ぎ切れる。

すっかり暗くなった街を自転車で走る。 先ほどよりも気温は下がっているはずなのだが、適度な運動の後は体がぽかぽかと暖かく気持がよい。


2009/12/31(日)

大晦日である。

と言っても、きんとんを作ったり、少し掃除をしたり、買い物に行ったり、家族でゆっくりと夕食をしたり、「紅白に出てるのを見ても、まわりの雰囲気も司会も全然ダメだから楽しくないんだよね」と言いつつも Perfume の三人の笑顔と生き生きとしたダンスにすっかり引きこまれついにはトドメのあ〜ちゃんの笑顔+ウィンクに打ちのめされてクラクラしてしまったりした以外は、ひたすら「イジング本。」の作業。 高度に技術的な部分なので、時間も手間もかかる割に目に見える進展は少なく、精神的には厳しい。 とはいえ、地道に作業し続けるしかないので、ごちゃごちゃ言わずにがんばるのである。

今年は、正直言って反省することの多い年だったのだが、そういうことを言っている暇があったら仕事をすべきなので、もう少しがんばろう。

というわけで、いとも簡単ですが、みなさまどうか良いお年を。

前の月へ  / 次の月へ


言うまでもないことかもしれませんが、私の書いたページの内容に興味を持って下さった方がご自分のページから私のページのいずれかへリンクして下さる際には、特に私にお断りいただく必要はありません。
田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp