日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2015/3/27(金)

父・田崎 明(筑波大学名誉教授)は、3 月 16 日午後 11 時にリンパ腫瘍のため永眠いたしました。81 歳でした。

父と交流のあった皆様から生前賜りましたご厚誼に深謝いたしますとともに、謹んでお知らせいたします。

葬儀は家族だけで 19 日に行ないました。また、勝手ではありますが、お香典等のお心遣いは謹んで辞退させていただきます。これは父の強い遺志ですので、どうかご理解いただきますようお願いいたします。


筑波大学での関係者を中心にして「偲ぶ会」の企画を進めていただいていると伺っています。 お問い合わせは、以下の「偲ぶ会準備会」のアドレスにお願いいたします。
mmml2014@bk.tsukuba.ac.jp

個人的なことがらではありますが、ここの読者には父をご存知の方もいらっしゃると思い、書くことにしました。

81 歳という享年は昨今ではかなり若いと言っていいでしょう。とくに、彼の父(ぼくの祖父、田崎一二)が 98 歳まで生き、さらに、彼の祖母(ぼくの曾祖母)が 108 歳まで生きたことを思うと、81 歳というのは驚くほど早い最期でした。

実際、父も祖父や曾祖母と似て強靭な体力と生命力の持ち主でした。 何もなければ百歳近くまで生きたのかもしれません。 しかし、父の場合は、60 代、70 代のときに癌を患って手術をし、さらに、再発した三度目の癌で命を奪われることになりました。 いくら長寿の遺伝子を受け継いでいても癌ばかりはどうしようもなかったということでしょう。 とはいえ、本人は、多くの人に支えられて人生でなすべき事はしたという確固たる満足感を抱いていました。幸せな人生だったろうと思います。父と交流のあったすべてのみなさんに心から感謝いたします。

個人的には、父は家族のみんなを様々な形でしっかりと支えてくれる強く大きな存在でした。 また、研究者としての私にとって、かれは理想に近い父親だったと言っていいでしょう。私がきわめて若い頃から、父は、私を一人前の知性として扱い、なんら方向付けをすることなく、研究の道を自由に歩めるよう支え励ましてくれたのでした。


というわけで、2/27 の日記
個人的な事情により、とてもとても長い 2 月を過ごしている。
と書いたのは、癌の再発が発見されてから父が最期を迎えるまでの、きわめて特別な時間を過ごしていたからでした。

友人の斉藤さんとともに世話人をつとめた研究会

第 3 回統計物理学懇談会
も結局は斉藤さん(および急遽手伝ってくださった人たち)にすべてをまかせて欠席しましたし、「特別な日」の 3 月 11 日も、病院の父の病室で(まったく別の意味で)きわめて「特別な」状況のなかで過ごすことになりました。

そうはいっても、仕事をすべて中断することなどできないので、病院にいるときにもネットにつないで仕事をしたり、論文を書いたりしていました。病院の廊下を歩きながら着想し、病室で証明して論文に加筆した定理もあります。考えてみれば、自分のためにぼくの仕事が停滞するのは父がもっとも嫌がる事のはずですから、彼も「もっとやれ」と言ってくれるでしょう。


父の葬式のあとは、東京に戻って、卒業式(の後の写真撮影とパーティー)、物理学会、甲元さんの退職記念のパーティー、事務の方の退職記念の夕食会などのイベントをこなしながら、原 + 田崎の数理物理の教科書
相転移と臨界現象の数理
の校正を必死で進めているところ。論文も書いてます。

さすがに疲れは残っているけれど、でも、元気です。そろそろプールも再開しなきゃね。

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言うまでもないことかもしれませんが、私の書いたページの内容に興味を持って下さった方がご自分のページから私のページのいずれかへリンクして下さる際には、特に私にお断りいただく必要はありません。
田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp