「知」の欺瞞 について

Last modified: 8/19/2000

『「知」の欺瞞』への訂正・追加

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朝日キーワードの「サイエンス・ウォーズ」をお読みになってこのページにアクセスされた方へ(1/26/2000 大幅加筆)



本書は Alan Sokal と Jean Bricmont による
Fashionable Nonsense --- Postmodern Intellectuals' Abuse of Science
(Picador USA, 1998)
の邦訳です。

この本と関連したいくつかの文章を私の web site で公開します。

なお、一連の出来事についてより詳しく知りたい場合は が役に立つと思います。


「朝日キーワード 2000」p.55 PLUS ONE 「サイエンス・ウォーズ」をお読みになってこのページにアクセスされた方へ

「サイエンス・ウォーズ」という言葉と、「ソーカル事件」について、 ごく簡単に私の意見を述べておきます。

アラン・ソーカルもジャン・ブリクモンも、science wars というのは、 悲しく不毛な言葉だといっていますし、私もそう思います。 なにをするにせよ、 「戦争」という比喩を前面に出してしまうのが建設的なはずがありません。 いずれにせよ、よく考えてみても、 誰が誰とどう戦っているのかは少しもはっきりしません。 仮にソーカルとブリクモンによる 『「知」の欺瞞』の原書 Fashionable Nonsense についての論争だけを考えても、 この本に対して批判的な態度をとる自然科学者もいますし、 あるいは、 (コレージュ・ド・フランスの哲学教授ジャック・ブーヴレスをはじめとして) この本の意義を高く評価する文科系の人もたくさんいます。 「自然科学」対「人文科学」、「保守派」対「左派」といった構図はまったく成立しません。 (そもそも、ソーカルはばりばりの左翼であり、 「ソーシャル・テクスト」も左翼系の雑誌だそうです。)

science wars という言葉を最初に使ったのは「ソーシャル・テクスト」の編集者のロスだと言われています。 それは、例のソーカルのパロディー論文以前のことです。 (パロディー論文の載った「ソーシャル・テクスト」はまさに scienece wars の特集号でした。) 人を騙してパロディー論文を出すのは戦争ではないか、という事にはならないと思います。 あれは悪戯であって、(文科系理科系を問わず)多くの人の笑いを誘うものです。 悪戯そのものは誉められたことではありませんが、ともかく一発花火的に人々の注目を集め、論争と --- そして何よりも大切な --- 真摯な考察の出発点になったという意義はあったと思っています。

「サイエンス・ウォーズ」という言葉には、 ある人々が別の陣営からの不当な攻撃を受けているというニュアンスがあります。 (すくなくとも、「スター・ウォーズ」を知っている日本人なら、 強大な帝国軍の影におびえる連邦共和国を連想するでしょう。) こういう言葉を多用し一人歩きさせてしまうのは、 ものごとを単純な戯画的な構図に押し込み、 真摯な論争の機会を奪うことにならないかと、私は危惧します。

残念ながら、朝日キーワードにおける 「サイエンス・ウォーズ」の紹介は、 まさに「サイエンス・ウォーズ」という言葉を作り広めようとしている人たちのものの見方(と私が考えるもの)をそのまま表したもののように思えます。 とくに、

問題の背景には、90 年代に表面化した、 自然科学の地盤沈下傾向があるとされる。 いらだちを覚えた専門科学者は、 元凶はポストモダン系科学論者たちの近代自然科学相対化の主張にあるととらえ、 これに狙いを定めて宣戦布告したというのが局所的分析だが、 底辺では、米国の保守主義を「中心」とする「周辺」たたきと相通じる、 との見方もある。
という結びのパラグラフは、相当に偏っていると言わざるをえません。 そもそも、 「元凶はポストモダン系科学論者たちの近代自然科学相対化の主張にあるととらえ」 などという「局所的分析」は誰が主張しているのでしょう? 実際は、ポストモダン系科学論(というのが何であるにせよ) の影響などは微々たるもので、それが 科学の「地盤沈下傾向」 (というのが、やはり、何を指すにせよ、 またこんなものが本当にあるとして) の「元凶」になどなり得ないでしょう。 「ソーシャル・テクスト」の関係者とて、 その点には諸手をあげて同意するだろうと、私は考えます。

ソーカルが「ソーシャル・テクスト」にパロディー論文を投稿した動機は、 彼の左翼としての危機感によるものだと、本人は語っています。 アメリカの左翼がポストモダン思想にかぶれ、 認識的相対主義を採用してしまうことによって、 象牙の塔にこもり、現実に対する真の批判力を失ってしまうことを、 ソーカルはつよく恐れたのだといいます。 (上でリンクした the Skeptic's Dictionary の「ソーカル事件」 の項目を参照。) いずれにせよ、 これはアメリカの左翼というかなり限定された世界での話ということになります。

しかし、 これは、あくまでソーカルの個人的な動機の話です。 (それも、パロディー出版の動機に過ぎません。) 自然科学を無意味に援用して高尚な雰囲気を醸し出す社会科学・人文科学における言説への批判、 あるいは、 自然科学に対する軽薄で混乱した攻撃への批判などは、 左翼であろうがなかろうが、 (そして人文系であろうが自然科学系であろうが) 多くの人が支持しています。 このような批判の動機となるのは、 本当の意味での「知」を求める真摯な気持ち、 あるいは、 科学を愛しその健全な発展を望む心だと思います。 そう考えれば、 「サイエンス・ウォーズ」などという名称が不適切なことは明らかではないでしょうか?

より中身のある話は、上にリンクした文章やデータベース、そして、 『「知」の欺瞞』をご覧下さい。


言うまでもないことかもしれませんが、私の書いたページの内容に興味を持って下さった方がご自分のページから私のページのいずれかへリンクして下さる際には、特に私にお断りいただく必要はありません。
田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室

Hal Tasaki
Department of Physics, Gakushuin Univeristy
Tokyo, Japan

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp

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