普遍性とはなにか?

数理科学 1997 年 4 月号、「くりこみ群と普遍性」から抜粋

物理学を学んでいて,「何故こんなにうまくいくのだろう?」という驚きや疑問を感じたことはないだろうか? くりこみ群と直接の関係はないが,私は何年か前に量子スピン系の Haldane gap というとても面白い問題を研究していた. これは当時のちょっとした流行で,場の理論的手法を用いた近似理論,計算機実験,(私も参加した)数理物理的研究,そして,現実の系での実験など様々な方向から研究が進められていた. 素晴らしいことに,これらの多彩なアプローチが実にうまくかみ合って研究が進んでいった. 場の理論的な手法で予想されたことが,計算機実験で確かめられ,さらに本当の実験でも確認される. 厳密な理論をもとに立てられた予想が,計算機で確かめられ,さらに実験でみつかっていた奇妙な事実がそれをもとに見事に説明される. 物理は一つだという(最近忘れられがちな)事実をはっきりと感じさせてくれた.

こういう成功例を見ていて,ふと「何故こんなにうまくいくのだろう?」と思ってしまう. 確かに,近似理論,厳密な理論,計算機実験は,いずれも理想化したモデルを扱っているので,これらのつじつまが合うのはもっともなことだろう. [ 本当の事をいうと,場の理論的な手法がうまくいく背景には,普遍性があり,くりこみのアイディアがある. ] しかし,実験と話が合うというのは,どういうことなのか? 理論的,数値実験的に研究されていたのは,一直線上にスピンがずらりと並んだ一次元量子スピン系である. 現実には一次元的な系などはないから,実験で用いられたのは(三次元的な固まりの中で)ある一方向だけにスピンの結合が強い擬一次元系である. さらに,一口にスピン系とはいうが,現実の物質は Ni や Cl など何種類もの原子が実にややこしく絡み合ってできているし,そこには不純物だって混ざっているだろう. それでも,適切な実験(磁化測定,中性子散乱,ESR,NMR,比熱測定と何でもある!)を行えば,理論を通して「見て」いるのと同じ一次元スピン系のふるまいが,ありありと「見える」! これは,やはり不思議なことではないだろうか? 不純物の影響,磁性を担う電子の運動の自由度,複雑な分子構造,さらには,原子の内部の自由度,原子核内部の自由度・・・といったミクロなレベルでのいわば無限の詳細な要素は顔を出さないのだろうか? 実験結果を虚心坦懐に眺めれば,確かにこれらの無限の詳細は完全に静まり返っていて,その静かな背景の上に「スピン系」の自由度だけが生き生きと活動しているように思われるのである.

これこそが,(私見では)物理学を支える最も重要な概念である「普遍性 (universality)」の一つの現れなのである. [ 専門家向けの注: ここで議論しているのは単なるエネルギースケールの分離であって,「普遍性」ではないという意見があるかもしれない. しかし,多自由度系ではエネルギースケールを分離するのはた易いことではないので,そこにも「普遍性」という言葉で括りたい理解し切れていない要素があると思う. たとえエネルギースケールの分離がうまく行えたとしても,低エネルギーの有効理論が理想的なスピン系と一致するとは考えられないので,この段階でも「普遍性」は必要である. もちろん,「臨界現象の普遍性は,より深いものを持っている」という意見には私も賛成である. ] 「普遍性」とは,物理系の(マクロな)ふるまいの本質的な部分が,系の(ミクロな)詳細には依存しないという経験事実を指す. [ 正確な歴史は知らないが,統計物理学での相転移と臨界現象の研究の過程ではじめて「普遍性」ということが明確に認識されたと言われている. ] 「普遍性」は,物理学という営みを可能にするための不可欠な前提であると思う. 仮に,実験で観測される結果に,非常に多くの詳細な要素が有意に関わってくるような状況があったとすると [ これが度を越せば,実験は再現性を失い,科学の実験は不可能になる. ] ,それを説明するためのモデルは現実の系と同じだけの詳細を持った極めて複雑なものになってしまう. そのようなひたすら複雑なモデルを解析して理解することはおそらく人類には不可能だし,そいういことが仮にできたとしても,人類の知的な趣味からして面白くはなさそうだ. ある程度理想化したモデルを用いて(人間にも面白い)研究をすることに意味があるのは,「普遍性」の一つの現れなのである. Haldane gap の研究で,実験家と数理物理学者が同じ問題を扱い,同じ面白さや興奮を味わうことができたのは,まさに「普遍性」のおかげなのである.

残念ながら,スピン系の実験で「普遍性」が見られる本当の理由を我々は理解していない. これらの実験が(あるいは,もっと広く,有史以来の科学が)成功裏に進んできたという経験事実が,「普遍性」の存在を示唆しているだけである. そういう意味で,「普遍性」の起源を理解しようとすることは,物理 (physics) の範囲から半歩外へ踏み出した "metaphysics" の領域に属するのかもしれない. [ 私は,「普遍性」は自然科学に存在基盤を与えてくれる(健全な)信仰であると思っている. ただし,全ての研究分野で「普遍性」が人類の味方をしてくれる(あるいは,してくれている)と信じるほど楽観的ではない. ]

それでも,物理学は「普遍性」を理解するための努力を続けるべきだと思う. 「普遍性」の本当の意味を少しずつ理解することで,我々の科学はその限界を少しずつ広げ,より豊かで深いものになっていくと信じる. 完全な意味での「普遍性」の理解は,無限に遠い目標かも知れないが,限定された範囲での「普遍性」の理解は着実に可能になりつつある. そして,「くりこみ群」こそが,我々に「普遍性」について語る可能性を与えてくれる「ことば」なのである. [ 特別な場合に使える「ことば」は他にもある. たとえば conformal field theory は 2 次元の場の理論の普遍性を語る事については驚くほど強力な「ことば」である. ] この解説の目標は,「くりこみ群」という「ことば」を用いてどうやって「普遍性」について語るのかを初歩的な例を通して眺めることである.


果たして,この「目標」が達成されたかどうかは,解説をご覧ください. 本人としては,それなりにまとまってはいるが,明らかに迫力に欠けるものになったと考えています.
Last modified: October 16, 1997

田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

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