2002.9.12

 
行政判例百選T 17事件 道路の自由使用 担当:高橋 中村 藤原 横田

事実の概要

 三重県安芸郡安濃村に住むXら(原告・控訴人・上告人)は村道を挟んで宅地と耕地を有していたため、その生活や農業経営はもっぱらその村道を利用してなされていた。そのため、Xは村道の出入口に自費で踏み板を設置したり、道路保護のために自己宅地をつぶして排水溝を設けたりして、数十年以上も村道を利用してきた。ところが、Y(被告・被控訴人)は昭和31年1月頃から、村有の橋を壊し、Xの作った溝板を撤去処分し、右村道に槙を植栽し、石材を堆積した。また、Xらの住宅と通路口に柵2個(高さ1丈長さ2間くらいの物と、高さ4尺長さ5尺以上の物)を設置して、Xらのみならず一般住人の通行を不可能ならしめたばかりか、村道上に基礎コンクリートの5坪の納屋を建設した上更に約2坪の本屋建増工事を完成したために、村道の機能を消滅させてしまった。

 そこでXらがYに対し、通行妨害の排除を求めて提訴したのがこの事件である。

第一審

○請求理由 

・本件道路は三重県安芸郡安濃村の村道であり、その所有権も同村がこれを有し管理している。過去10年間公道として一般住民の共用になっていたものであるが、とくに本件道路は原告等の住家・宅地の西側に接着している関係もあり、また原告等の耕地が本件道路の西側に密集している関係上、原告等の生活・農業経営は専ら本件道路を通じてなされているといえる。また現実に利用している。またこのような性質上原告等は宅地・本道の出入り口に自費を以って板敷きを架したり道路敷きの保護のため宅地をつぶして排水溝を設置したりしている。

・このような実態から鑑みれば原告は本件道路に対し当該村民としての一般通行権・長年の慣習により本件道路上に農道等使用権を取得しているということができる。

・これに対し被告は本件道路に架けてあった村有の板橋2個・原告の架けた板敷きを撤去処分し、本件道路上に植木・石材ぼ堆積等をして原告等・一般住民の通行や共用を不可能にしたうえに、さらにコンクリートによる木造平屋建ての納屋5坪の建築に取り掛かったので原告等は制止しようとしたが暴行脅迫を受けてしまった。そこで、原告等は村長に対し撤去の・妨害禁止の措置を講ずるよう申請した。結果、村長は被告に対し、上記旨の命令を文書にて発したが被告は無視して、平屋建てを完成させ、さらに増築工事を行い、残りの道路敷地全てをも排他的に占有するに至った。そのため、道路機能を消滅させるに至った。

・以上のような理由により、原告等は村民としての一般通行権・農道等使用権に基づき被告に対し上記妨害排除請求権を請求したのである。

 

○被告の反論

原告等の主張する道路は村道であることは認めるが、原告等は本件道路を立地上使用することは殆どない。まして、本件道路は廃道であるため一般住民の利用はない。また、被告は本件道路に植木・石材の体積・建築したことは否認する。つまり、被告は本件道路の交通・共有を妨害しているものではないと主張した。もし仮に、原告の主張を認めたとしても本件道路を管理する安濃村が請求権をなすべきであって、個々の村民である原告にはその権利はないとした。

 

 

○判決

本件道路は村道であり、村が管理するものであることは当事者間で争いはないであろう。その上で、原告等が本件村道に対して、村より排他的に付与されていることについては、原告等に何ら主張しないところであるから、これを認めることはなく、かりに原告等の主張の事実があったとしても、これにより排他的使用権を取得すべき法律上の根拠はない。とすると、原告等は単に村民として本件道路を通行する自由を有するに過ぎないといえ、行政行為に基づき村民が反射的に有する利益は村民固有の権利とはいえない。つまり、行政行為の反射的利益を享受しているに過ぎない者は第三者の行為によって、その利益享受が妨害されたからといって直ちに第三者に対して妨害排除を請求する権利は有するのもではない。従って、このような場合は、管理者の村が請求をなすべきである。

 

第二審

控訴理由

理由は第一審とほぼ同じ。原判決の取り消し・妨害排除請求を求め、本件収去部分の仮執行の宣言を求めた。

本件道路は通行取得権につき時効取得をなしえる。控訴人が自己の為にする意志をもって平穏公然善意無過失で10年以上(仮に善意無過失でなくとも20年以上)本件道路を通行したりしているので、時効により通行取得権を取得したものであるから、本件権利に基づいても本件請求はなし得る筋合いがあると述べた。

 

○被控訴人(被告)の反論

被控訴人においては控訴人の主張を否認して本件道路はむしろ被控訴人側の通行に供せられているものであり、公共に使用されるべき性質のものは時効により通行取得権が控訴人らに取得できるような関係ではないと述べた。

 

○判決

原審と同じ理由により省略。

村道その他公有地で事実上道路として一般に通行することが自由とされているところを長年通行しているからといって通行地役権を時効により取得することはできないものと解す。よって、控訴人の本訴請求は失当であって本件控訴は棄却する。

(なお、公物が民法上の即時取得に該当した例がある。)

 

最高裁判決

○主文

原判決を破棄する。

本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。

 

理由

地方公共団体の開設している村道に対しては村民各自は他の村民がその道路に対して有する利益ないし自由を侵害しない程度において、自己の生活上必須の行動を自由に行い得べきところの使用の自由権(民法710条参照)を有するものと解するを相当とする。勿論、この通行の自由権は公法関係から由来するものであるけれども、各自が日常生活上諸般の権利を行使するについて欠くことのできない要具であるから、これに対しては民法上の保護を与うべきは当然の筋合である。

故に一村民がこの権利を妨害されたときは民法上不法行為の問題の生ずるのは当然であり、この妨害が継続するときは、これが排除を求める権利を有することは、また言を俟たないところである。

原判決は上告人ら主張の事実関係については十分に審究を尽さず、ただ漫然と上叙の法律論にのみ拘着して、上告人らの請求を敗訴し去っているのである。したがって原判決は到底破棄を免れないものと言わなければならない。

 

上告人の上告理由

民法709条によれば「故意又は過失に因りて他人の権利を侵害したる者は之に因りて生じたる損害を賠償する責に任す」とあり、この「他人の権利」のうちには純然たる私有財産とか、個人の特定の権利を侵害するものでなくても、著しく社会の倫理観念に背く行為であれば、それらの行為(他人の行為)によって損害を受けたものは民法第709条によって直接その行為者に対し損害賠償を請求できる。ひるがえって被上告人の本件行為は刑法、道路法、道路交通法等により罰せられる行為であり、そうでなくとも、公序良俗に違反する行為であることは明らかである。

ところで、第一審判決理由は、「本件道路に対し村民としての通行の自由を有するに過ぎないものと解すべきであり、かような地方自治団体の行政行為に基き反射的に村民が有する利益は村民固有の権利とは言えない」と判示しているが、反射利益が何故被上告人に対し直接妨害排除、損害賠償請求ができないのかの最も重要な点について原判決は何らの理由も、根拠も示していないのは、法律の解釈を誤まったものであるといわねばならない。また同様に、何故、村民個人が請求できないのかの法律上の根拠、理由を示していないのである。

原判決は「権利なきところに訴権なし」との思想によっているものと認められるが、権利の観念をオーソドックスなものに固定しそれ以外のものを認めないとする誤まりを犯している。殊にたとえ反射的利益であっても当該地方公共団体が侵害、妨害したら住民は直接当該地方公共団体の長に対しその排除、救済を求めることができるのであり、いわんや第三者がこれを侵害、妨害した場合は尚更である。上告人は当然この権利を有する。

 

解説

反射的利益

一・二審の立場

T本件はXが公道の利用権が侵害されたことを理由に村に対し村道の妨害排除を求めたり、適正な管理を求めるというのではなく、公道の妨害者を直接相手取って妨害排除を求めた民事訴訟である。そこで、伝統的アプローチによればXが村道に対しいかなる権利を有しているか、またそれがYに妨害排除を請求しうる根拠となるかが問題となる。

公物:本来一般公衆の使用に供することを目的とする公共施設であるから、何人も他人の共同使用を妨げない限度で、その用法に従い、許可その他何らの行為を要せず、自由に使用することが出来る。(一般使用・自由使用)

   例、公物…道路、河川、海岸

一般使用…道路の通行、公園の散歩、海水浴のための海浜の使用

河川における水泳・洗濯

公物の自由使用

:公物がその共用の開始により一般公共の用に供せられた結果、その反射的利益として、これを享受するに止まる関係であって、別に権利としての使用権が与えられているわけではない。公物管理者により公物として一般公共の用に供されている限りにおいて、これを自由に使用することが出来るに過ぎない。したがって、公物管理者が公物の設置又は廃止によって、利用者が不利益を受けることがあっても、それをもって、自己の権利の侵害であることを主張することができない。

反射的利益

:行政法上、法が公益目的の実施等のために命令・制限・禁止等の定めをしていることの反射として、ある人がたまたま受けている利益のことをいう。

反射的利益は反射権と呼ばれることもあるが、法の執行の結果派生する利益であるにすぎず、利益の享受者が自己のために直接その利益を主張する法律上の力を付与されるものでない。その点で、反射的利益は個人的公権と区別される。公権を侵害された者は、裁判上その回復を請求したり、損害賠償を求めることができるのに反し、反射的利益の侵害を受けたにすぎない者は、これらの救済手段に訴えて利益の実現を求めることはできない。

 

⇒この見解を取ると、村民は村道に対し何ら権利を有していることにならないから、一応、妨害排除請求もなしえないということになろう。

     この見解をとる判例として

<大判大正8年6月18日民録25輯1054頁>

「村道ハ公ノ営造物ニシテ各人ハ土地ノ所有者タルト否トヲ問ハス自由ニ之ヲ通行スルコトヲ得ルニ止マリ通行権ノ目的タルヘキモノ非ス」

<岐阜地判昭和30年12月12日行集6巻12号2909頁>

企業が自己の工場敷地隣接の市道を払い下げてもらうために詐言を弄して町会長等に同意書に捺印をさせ廃道申請を行い、その結果廃道処分がなされたとしてその取り消しが求められた事件につき、「元来道路は一般公衆の用に供されることを本来の性質とするが故に各人は道路が公衆の共用に開放された結果の反射利益として、道路管理者の許容の範囲内において且他人の共用を妨害しない限度においてこれを使用する自由を享受するに止まり、これ何人も享受する一般自由権の効果たるにすぎず、特別の権利たるものではない」

<千葉地判昭和34年9月14日行集10巻9号1812頁>

新県道を設置するにつき旧県道は設置すると共に村に移管する旨の合意があったにも拘らず、県が旧道を払い下げ、払い下げを受けた者が柵を作り全く通路を閉塞したという理由で廃道敷処分の取り消しが求められた事件

 

Uこのような従来の見解に対し、給付行政の立場から単なる反射利益としてでなく法律上保護される利益として認めてゆこうとする判例・学説が抬頭している。

<東京高判昭和36年3月15日行集12巻3号604頁>

道路の共用廃止の無効の確認を求められた事件につき「道路の存する公共団体の住民ないし一般公衆が道路を通行する便益は、道路が公用に供せられたことの反射的利益であって、各人に個別的になんらかこれを使用する特別の権利が設定せられたものとなすことができない」が行政庁がその管理する道路について公物としての共用の廃止処分をなし、「自己の住家の唯一の出入り口が廃道処分によって塞がれたことにより直接生活上重大な障害を被った者は、当該道路の共用廃止処分の無効確認を求める訴の利益がある」と判示した。

<福井地判昭和46年10月16日行集22巻10号1618頁>

横断歩道の近くに居住する住民が横断歩道廃止処分の効力の停止を求めた事件につき、住民が日常生活上横断歩道を通行利用していること、横断歩道の廃道処分により通行人が減少し、営業上の収入に影響を受け、あるいは地価低下の損失を被るおそれがあることを理由に「日常生活関係の上で、現実に当該横断歩道により便益を受けていた者の法律上の利益にかかわるもの」として申請人の原告適格を認めた。

<学説>

原田尚彦「道路の自由使用」行政判例百選第1版26頁

違法な手続き形式による公用廃止につき何ら阻止する権能が存しないとはいえないこと、また不利益な差別を受けないで自由に使用しうる地位が認められること、また村民の通行を困難にし生活に支障を及ぼすような場合には村に対しその違法管理の是正を請求しうる権能が認められるべきであり、この限度では反射的利益というよりはむしろ公権だとする説。

⇒本件は村道の自由使用が単なる反射的利益に止まらず、一般に村民各自が、日常生活上必要な行動をするための要具であり、法的保護に値する生活利益であることを前提として、妨害の継続が事実であれば、不法行為の妨害排除を求める権利を有するとした。

 

 

公法私法二元論

本件は、いわゆる「生活妨害」の差止訴訟であるが、Xらは、どのような法的根拠に基づいてYの妨害行為の排除を求めることができるのだろうか?

ここで問題となるのが、公法私法二元論である。

この公法私法二元論をとる場合と、その否定論をとる場合とでは、法的根拠も大きく変わってくるといえる。

つまり、道路の使用という公法関係に、私法の適用は許されるのか?という問題である。

 

そもそも、公法私法二元論の意義は、公法関係への私法の適用を排除し、公法規定・公法原理の適用を図ろうとする点にあった。この公法・私法を厳格に区別するのが絶対区別説であるが、これはあまり受け容れられなかったと言ってよいだろう。

そこで、公法関係にも私法の適用の余地を認める相対的区別説が広く受容された。これは、管理関係、つまり国・公共団体が公権力の主体、優越的な意思の主体として国民に対する関係(具体的には、公物や営造物の設置・管理・利用etc)については、私法の適用の余地を認めるというものであった。

しかし近年では、公法体系・私法体系の区別を不要とする公法私法区別否定論が定着しているといえる。これは、本来公法私法二元論が前提としている包括的な法関係の観念ではなく、個々の行為(あるいはそこから生じる法関係)に着眼し、個別的に問題を考えていくというものである。

 

以下、その法的根拠を検討してみたい。

公法私法二元論

    ☆絶対区別説をとる場合

『慣習による道路使用権を認め、この公法上の権利に妨害排除の権能を与えようとするもの』

道路についても慣習による使用権の取得を認めようとするものであって、地方自治法238条の6に、法的根拠を求めうべく、これを公権とみることによって、道路使用関係を公法関係とする行政法理論にも整合するといった利点をもつ。

※しかし、特定人の永年にわたる特別な使用にかぎられること、またその立証が困難であるという弱点をもつ。同時に、この見解については、「実際的にみても、公道上の妨害排除権を永年の公道使用者のみに認め、短年月の使用者には、いかに違法かつ重大な妨害を受けようとこれを否定することは、不当といわざるをえない」という批判もある。

参考判例

(東京地判昭和30・9・12)

「原告寺は年代を溯ること遠くその開山以来前記国道敷に当たる部分を参道として専用してきたものであり、大正末年区画整理のため撤去せられるに至るまで右参道の入口に屋根葺き有扉の表門及び門番所が存していた次第であって、今日にいたるまで引続き右参道は原告寺への出入、檀信徒の参詣用等の唯一の通路として使用されてきていることを認めることができる。原告寺の右沿革に徴すれば、原告寺は永年に亘る慣行により前記国道敷上に公法上の参道使用権を取得しているものというに妨げない。……而してかかる公法上の権利はその性格上妨害排除の権能を具有するものというべきである」

 

  ☆相対区別説を取る場合

道路の通行を管理関係とみるとすれば、そこには私法の適用があると考えられる。

つまり、その結論において、公法私法区別否定論と同じと考えてよいだろう。

 

公法私法区別否定論

物権的請求権説

『道路(公道)を唯一の通路とする土地所有者について、その通路妨害を土地所有権の侵害として、この所有権にもとづく妨害排除請求権を認めようとするもの』

※たしかに、本件のように、公道が唯一の通路であり、これが妨害をうけ、所有権の使用・収益が不可能になるといった場合には、所有権にもとづく妨害排除請求権という理論構成も可能であろうが、こうした場合は極めてすくなく、またこの理論のみでは、所有権その他の財産を有しない者には救済が与えられないということになるだろう。

参考判例

青森地判大正7・1・24

「本件原告主張の如く同人所有権に通ずる唯一の公路に恣に生墻を設け其通行を妨害したりとせば其通行妨害は原告所有地の使用収益等を為し得ざる結果を惹起しその土地所有権を侵害するものなると同時に該侵害の違法なるや勿論なるが故に原告は其土地所有権に基づき通行妨害の排除及び墻の取払を請求し得る」

 

不法行為責任説

『村民各人には村道で生活に必要な行為を行う共同使用権(民法上の権利=私権)があるとし、それにもとづいて侵害があった場合不法行為が成立するとして妨害排除の請求をなしうるとするもの。』

 

人格権説(通説・判例)

人格権(人格的利益)とは、生命、身体、名誉など、「主として人格的属性を対象とし、その自由な発展のために第三者の侵害に対して保護されなければならない諸利益」と説明され、民法710条においても保護法益として挙げられている。そして、その概念はきわめて多岐にわたる。

この人格権に基づいての差止請求に、実定法上の根拠はないが、人格権が差止請求の根拠となることについて、多くの判例で認められてきている。その一つとして、人格権としての名誉権を基礎とする差止請求権を認めた「北方ジャーナル」事件が挙げられる。

そこで本件をみると、Xらが村道を通行する利益が、Yの妨害行為を排除する根拠となる人格権(人格的利益)といえるのかが問題となる。

 

通行の自由権

  本件は妨害排除請求の根拠として「通行の自由権」をあげている。

まず、この判例の基礎として、以下の判例がある。

判例:明治31年3月31日大審院判決

「各人ハ他ノ各人ノ権利ヲ侵害セサル程度ニ於テ該村道ヲ道路トシテ其侭使用シ自己ノ生活行為ノ各種ノ作用ヲ自由ニ行ヒ得ヘキ所ノ共同使用権ヲ有スルコトハ明確ナリ。而シテ此権利ハ公法上ノ関係ヨリ発生シタルモノナルニセヨ各自ノ生活上ノ必須且ツ諸般ノ権利行使ノ要具ニシテ各人カ当然之ヲ有スルモノナレハ私法上ノ於テモ亦当然ニ之ヲ保護セサル可カラサルモノトス。是故ニ一個人ニシテ他ノ一個人ノ共同使用ヲ妨害シタルトキハ啻ニ公用物ニ関シ公ケノ秩序ヲ紊乱シテ公益ヲ害シタルノミニ止マラス併セテ他ノ一個人ノ自由ヲ侵害シタルモノナルヲ以テ此侵害タルヤ所謂不法行為ナルニ依リ惣チ其当事者ニ民法上ノ関係ヲ生シ被侵害者ニ於テ司法裁判所ニ出訴シ之カ為メ既ニ被リタル損害ヲ其侵害者ヨリ賠償セシメ又侵害者ヲシテ其侵害物ヲ排除セシムルコトヲ得ヘキハ勿論ナリトス」

 

 ⇒「自由権」「共同使用権」といった表現の差こそあれ、本件はこの見解、この判例の流れをくむものであるといえる。だが、この判決は不法行為の効果として構成しているが、本件はあくまで自由権のほうに重きをおいているといえる。

  

     本件は、村民各自の有する「通行の自由権」の存在を認め、この「通行の自由権」が「日常生活上諸般の権利を行使するについて欠くことのできない要具である」ことからすれば,公法関係に由来する権利である(*)とはいえ、民法上保護されるのは当然であるとし、「妨害が継続するときは、これが排除を求める権利を有する」と判示した。

 本件の示す「通行の自由権」は、「710条参照」とあることからすると、人格権を意識したものと考えられる。判決が示すとおり、公道を通行することが,日常生活を送る上で必要不可欠なものである場合には、公道を通行する利益は人格的利益として法的に保護されるべきものということができよう。

(*)本来公道の一般使用の関係は、公法上の通説的見解によれば、反射的利益としてそれを自由に使用できるにとどまる。しかし、このことは、それによって生ずる私法的な利益を民法上の関係として保護してはならないということではない。たとえ公法関係から生じた利益についてであっても、それをめぐって対等な私人相互間の関係として経済的利害の対立について、その調整を図るということは、なお私法関係といってよいからである。

 

《反対意見》

○ 道路使用の自由権という理論構成には疑問をもつ。むしろ、道路使用上の利益は、反射的利益であるという立場に立ちながらも、特定の個人に対する重大な生活妨害の救済という方法(公害問題と関連)で議論を進めるか、地役権的に構成すべき。(田村浩一)

  ○  村民が村道を使用する地位は、公法関係であり、私法的な使用権というようなものではない。(時の法令)

 

他には、人民は道路管理者から、通常の用法に従い自由に使用することが認められているから、その使用の利益を「自由権」と解する立場もある。

 

 

私見

一、二審でいう反射的利益という考え方に賛成である。(最高裁判決には反対)

例えば路上で勝手に物品を販売する人がいたとして、それを立退けと(公機関からの命令は認められるとしても)付近住民から請求できるのだろうか?では、その販売が路上を占拠して住民の通行を著しく妨げている場合はどうだろう?

この場合、住民から直接請求できない、とするのが反射的利益説の考え方であるが、決して住民は泣き寝入りせよ、としているのではない点に注意したい。ここでは、市町村長に立退きを命令するよう請求する権利が住民には認められているはずである。

最高裁では住民からの直接の訴訟を認めることで、人格権の幅を更に広げる形となっているが、その傾向は日本もいずれアメリカのような訴訟大国になろうとしているという、危惧を感じずにいられない。

 

 

 

参考文献

注釈民法(19)108頁

人格権の具体的な内容について 幾代通・不法行為83頁

最大判昭和61・6・11民集40巻4号872頁

原龍之介・公物営造物法〔新版〕253頁

大判大正8・6・18民録25輯1054頁

千葉地判昭和34・9・14行集10巻9号1812頁

岐阜地判昭和昭和30・12・12行集6巻12号2909頁

判例時報550号64頁

判例時報818号136頁

判例時報1193号73頁

判例時報1509号105頁

判例評釈 松島諄吉・行政判例百選<第二版>24頁

判例評釈 山本進一「村道使用関係の性質」

荒秀・地方自治判例百選30頁

山本進一・判例評論69号4頁

田村浩一・民商法雑誌51巻4号142頁

時の法令499号52頁

原田尚彦「公物管理行為と司法審査」環境権と裁判91頁

行政判例研究第78巻第7号132頁