SUWA HARUO 通信 5

 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 14日(土曜日)、15日(日曜日) の両日、四国の徳島県名西郡上山町神領小野でもよおされた講演会に講師として参加してきました。この地で、ながいあいだとだえていた人形浄瑠璃舞台の復活のために、各地から四人の講師をまねいて実施されたフオーラム2001〈芸能を読み解く〉で、「日本の祭りと芸能」の題で講演するためでした。

 専門分野を異にする人たちに出会い、貴重な阿波人形浄瑠璃の実演や遺品を見、いろいろとかんがえることの多かった2日間の体験は、今後のこのプロジェクトの活動に生かしてゆきたいとかんがえています。

 今回は、せまってきている公開講演会・シンポジウム「東アジアの王権と祭り」へのガイダンスとして、通信3につづけて、天皇の永続の問題についてのべます。

 なぜ日本の天皇家は、永続することができたのか。この問いについては、政治学者や歴史家だけではなく、多方面の人々がこれまでに見解を発表してきました。天皇論の究極の課題だからです。その説は大きく三つにまとめることができます。

 A 虚政あるいは中空構造

 法学者の故中村哲さん、心理学者の河合隼雄さんの説をつぎに紹介しますが、この二人にかぎらず、天皇の永続について検討する多くの学者が、多少のニュアンスの違いはあってもしたがっている説です。

 「それは、日本の天皇が、君臨すれども統治せずの方式をつらぬき、べつのことばをもってすれば実政をおこなわず、実際の政治決定は、その下部機関にゆだねる虚政にほかならなかったということである。」(中村哲『宇宙神話と君主権力の起源』法政大学出版局)

 「中心、あるいは第一人者は空性の体現者として存在し、無用な侵入者に対しては、周囲の者がその中心を擁して戦うのである。このとき、その中心は極めて強力のように見えるが、それ自身は力をもたないところが特徴である。日本の天皇制をこのような存在として見ると、その在り方を、日本人の心性と結びつけてよく理解することができるように思う。」(河合隼雄『中空構造日本の深層』中央公論社)

 B 呪術的・神話的特性あるいは祭祀王

 天皇永続の原理を、日本の古代社会の基層にあった呪術的・神話的信仰のささえにもとめ、天皇を、祭りをおこなう祭祀王ととらえる見解です。代表的な説を引用します。

 「古代日本の人々(厳密には貴族などの支配層)にとって、天皇の〈天〉とは、天つ神の住む天上界としてのアメであり、八世紀の宣命で、天皇が〈天つ神の御子〉といいかえられるように、それは、天孫降臨神話を背景としていた。」(大隈清陽「君臣秩序と儀礼」『古代天皇制を考える』講談社)

 「天皇が日本の支配者(統治者)であり、この地位は、天皇家の血統に属する者が世襲するという思想は、高天原の神の命令・委任(神勅)に正当性の根拠があった。」(斎川真『天皇がわかれば日本がわかる』筑摩書房)

 この考えをさらにつよめますと、天皇家の不可侵性は、天皇に刃向かえばたたられるという呪術の魔力によって維持されてきたという極論にまでゆきつくことになります(梅澤恵美子『天皇家はなぜ続いたのか』(KKベストセラーズ)

 C 宗教性と政治性の交替あるいは政治力学

 天皇に宗教性をみとめることができるのは、奈良時代ぐらいまでであって、平安時代以降、天皇家は宗教性をうしなうか、希薄化させていった、しかし、それでも天皇制が持続することができたのは、時の実質的権力と天皇の権力とのあいだに複雑な力学がはたらいた結果であったという主張です。

 「平安時代に入ると、天皇の宗教的な力、あるいは氏姓制を支えた神話的イデオロギーが失われていき、かわって礼が導入され天皇制の唐風化が進む。朝賀も節会も中国的儀礼を導入して整備される。天皇の宗教的な力は、元日節会での被(ふすま)の支給として残されるだけで、おそらく五位以上官人全員を人格的に支配することはなくなり、官僚制は、天皇の力と関係なく自立的に機能するようになる。」(大津透「〈日本〉の成立と天皇の役割」『古代天皇制を考える』講談社)

 今回の講演会・シンポジウムに講師としてお招きした今谷明先生は、じつはかなりラジカルに天皇即祭祀王説を否定する急先鋒です。

 「十五世紀以降の現実の天皇の権威に宗教性はない。だからこそ、大嘗祭を挙行しない天皇が連綿として続き、しかも天皇としての権威を全うし得たのである。祭祀王が存続価値ならば、どうして大嘗祭未遂天皇の存在が許されようか。大嘗会だけではない。伊勢神宮の造営も十五世紀に入って廃絶し、宮中の節会儀礼も殆んど実施不能に陥っている。そのような満身創痍の天皇にも、宿老の目から見れば利用価値はあるのである。」(『天皇家はなぜ続いたか』新人物往来社)。「民俗学者・文化人類学者、一部の歴史家から唱えられる〈司祭王としての存続〉〈祭祀王権としての復活〉説は、まったく事実に合致しない一種の"共同幻想"というほかない見解である。」(『室町の王権』中央公論社)

このほか、江上波夫氏に、ツングース系の北方騎馬民族が万世一系思想を日本にもちこんだという、有名な騎馬民族渡来説があります。

 以上のような、歴史学、文化人類学、政治学、考古学、民族学、民俗学などの各分野の多くの研究者が、これまで営々とつみかさねてきた天皇論に、あたらしい視点をつけくわえることなどができるのか。この無謀な、そらおそろしい試みに挑戦しようというのが、今回の私たちの大会「東アジアの王権と祭り」であり、私の講演「天皇の民俗学」です。

 それは、なぜ虚政なのか、なぜ祭祀王なのか、なぜ交替したのか、という、これまでの三つの学説の根底を問いなおすことからはじまります。その成否の判断は、当日の聴講者の皆さんにゆだねますが、このコーナーでも継続してこの問題をかんがえつづけます。

 「学問とは挑戦である。」     

では今回はこの辺で。


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