SUWA HARUO 通信 6

 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 連続してこのコーナーでのべてきました天皇制の永続の問題について、いま私のかんがえていることをお話いたします。

 前回紹介した江上波夫氏の、騎馬民族が「万世一系思想」を日本にもちこんだという説についてはつぎのようにかんがえます。万世一系思想の由来にかかわる有力説とはおもいます。しかし、肝心なことは、日本では、この思想にもとづいて、事実として、長期間、天皇制が維持されたのにたいし、スキタイ系諸民族のばあい、万世一系思想にもかかわらず、諸王朝は交替をくりかえしています。そこに、なぜ日本では永続したのかという問いが依然として未解決でのこります。

 前回紹介したABC三説のうち、C説はAB説をくみあわせたものです。まず検討しなければならないのは、AB両説です。なぜ虚政なのか、なぜ祭祀王なのか。

 この問題を解決するために、中国、朝鮮、日本三国の比較という方法をとります。

 すでにいわれていることですが、中国の王朝は、東普、南宋、初期の明などのわずかな例外をのぞくと、中国北方、黄河流域で興亡をくりかえしていました。黄河流域は、大量の土砂が堆積してできた沖積平野であり、しかも低温乾燥地帯ですので、農耕のためには大規模な潅漑工事が必要でした。そこでは、人手をあつめて水を支配できる強大な力をもった者が王権を獲得し、巨大国家を建設しました。

 これにたいし、高温多湿で水利の便がよく、ゆたかな農作物や水産物にめぐまれた長江流域では、巨大な王権は誕生していません。さらに注意すべきことは、女真族による金、蒙古族による元などのわずかな例をのぞくと、意外にも異民族による王朝の交替例がすくないことです。

 朝鮮半島では、中国のように北方に巨大王朝が誕生したという事実はありません。新羅、李氏朝鮮など、統一王朝はむしろ半島中央部におこっています。しかも、ツングース系の扶余が建国した高句麗、百済の二国と、多種族国家の渤海をのぞくと、ほとんどは韓族のたてた国で、異民族による王朝の交替という現象も顕著ではありません。

 以上の結果をまとめます。

@頻繁な王権交替は中国黄河流域と朝鮮半島でおこっており、中国長江流域と日本ではみられない。

A東アジア全域をつうじて異民族による王権交替という現象は顕著ではない。

B王権交替現象の重要な契機として食料生産方式の違いがある。

 中国で王朝交替を正当化する理論として天の思想が生まれ、日本では天皇の永続をささええる理論として太陽の思想が形成されました。天の思想とは、天の神の命令で王となり、天の神の怒りで王の位置を追われるという思想で、天命思想、易性革命ともいわれました。この中国の天の思想に対立するのが日本の太陽の思想です。太陽神の子孫だけが天皇の地位につくことができるという観念です。 

 ここで強調しておきたいことがあります。中国では、天の神は皇帝の身体の外、天空に存在する神です。日本では太陽の神は天皇の身体と一体化しています。隔絶した神と一体化した神という、はっきりした対比がそこに存在します。この相違は、じつは王権の問題にとどまらない東アジアの神話構造に普遍的にみられる二つの型なのです。

 ここでは、問題を、王権にかかわる天の思想、太陽の思想の由来にしぼります。つぎの図をご覧ください。

中国黄河流域  狩猟採集型経済・潅漑型農耕  天の思想     王権交替

日本        降雨型農耕             太陽の思想   天皇の永続

 中国の黄河流域ではながく狩猟採集経済がつづき、やがて治水対策をほどこした潅漑型農耕に移行します。狩猟採集型社会はシャーマニズムの脱魂(エクスタシー)型をそだて、シャーマンの魂はみずからの身体をぬけだして神の許へおとずれるという信仰を生みます。その段階では、神々はかならずしも天の神に統一されていたわけではなく、多様な自然物が神として崇拝の対象になっていましたが、黄河の氾濫を制御した潅漑型農耕がおこなわれるようになった段階で、水を制御する力の根源として、天の神にたいする信仰が優越してきたものとかんがえられます。

 天子のみが執行できる郊祀という祭りでは、「燔柴」とか「燔祭」などと称して、天子は聖なる山の頂に祭壇を築き、火を焚いて、その煙を天の神にとどけて祈願します。煙は天子の霊魂とかんがえられ、この祭りはまさにシャーマニズムの脱魂型の儀礼そのものと見ることができます。

 日本の天皇家は、農耕社会、それも大規模な治水工事などは必要としない降雨型農耕の段階になって誕生します。この段階のシャーマニズムは、神がシャーマンの身体にやどる憑霊(ポゼッション)型となります。また降雨農耕は、太陽の日照に収穫を大きく規制されるところから、太陽を神とあがめる信仰を優越させます。

 天皇が太陽神の子孫とみなされ、生身の身体である天皇と太陽神を同一視する太陽の思想は、シャーマニズムの憑霊型と太陽の信仰があわされたところに誕生しました。

 太陽の思想は稲の信仰と結合しています。日本の太陽の思想じたいが稲作を中心とした農耕社会の産物だからです。稲の豊穣を祈願する祭りが、穀霊と太陽神の合体する場となります。太陽神の子孫である天皇は、穀霊としての米を太陽神とともに共食することにより、生命力を更新します。大嘗祭に代表される天皇家の祭りの基本構造です。

そのとき、稲はあらゆる穀物や農作物のなかで、唯一絶対の価値をもっています。そして稲の種子の永続性が、太陽の永続と結合して、天皇の位置の絶対性と永続性を保証することになります。

これにたいし、中国の王権の交替を保証したものは天の信仰と雑穀の信仰でした。黄河流域が雑穀生産地帯であったこと、稲の原産地であった長江流域から九州北部への直接ルートが日本に稲を単独にもたらし、朝鮮半島を経由したルートは稲と雑穀の両方をもたらしたことについては、通信2と3をご参照ください。

日本の天皇家の虚政は、太陽や稲に由来する中心の一元的価値を、天や雑穀に由来する周辺の多元的価値がとりまくことによって形成されました。また、祭祀王としての性格は、天皇が、本来、祭りを主宰するシャーマンであったことにもとづいています。中国から律令制が導入され、多元的価値観が優勢になったとき、この祭祀王としての性格も希薄化してゆきました。平安以降の天皇が祭祀性を喪失していった現象はそこから生じました。

かなり駆け足となりましたが、天皇の永続について、現在、以上のようにかんがえています。

7月21日からちょうど3週間、夏期休暇を利用して、中国の湖南省と貴州省へ、民俗の調査にまいります。その間、この通信を継続できるか、どうか、かなり奥地にはいりますので、予断をゆるさない点がありますが、なるべくなら、現地から生の調査報告をおくりたいとかんがえています。

それでは今回はこの辺で。


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