SUWA HARUO 通信 2

アジア文化研究プロジェクトへようこそ。 私たちのホームページをご覧になる皆さんへ、定期的に最新の研究情報をお届けするコーナーです。

前回の通信1には、わずか一週間たらずのあいだに300人をこえるアクセスがありました。ありがとうございました。これからもアジアと日本の文化についての新鮮な情報をお送りしますのでよろしく。

先週6月23日(土曜日)の各紙朝刊が、弥生時代の大阪池上曽根遺跡と奈良の唐古・鍵遺跡から出土した炭化米について報じているのをご覧になった方も多いとおもいます。たとえば、朝日新聞の大阪版は、第一面につぎのような見出しで掲載していました。

「大陸稲作 直行ルート証明」 「弥生の炭化米 DNAを分析 大阪・奈良の遺跡」

両方の遺跡から出た水稲の炭化米のDNA(遺伝子情報)を分析したところ朝鮮半島出土の米とは一致せず、中国の米と一致したという内容です。その結果、日本への稲の伝来ルートに中国からの直行ルートがあったことが証明されたというものでした。

このニュースは、私にとってはありがたいものでした。アジアの稲の起源地が、中国大陸の長江中流域にあることは、すでに確定しているといってよいとおもいます。湖南省、江西省などから一万年以前の米が出土しているからです。問題は日本への伝来のルートです。従来、有力説が三つありました。

A 長江下流からの北九州へ直行

B いったん北上し、山東・遼東・朝鮮の各半島を経て北九州へ

C 西行し、南下し、黒潮にのって琉球、北九州へ

私たちは、早い段階で、何度も現地調査をかさね、A、Bの両ルートを支持し、研究会や講演会で、その見解を発表してきました。当会刊行の『アジアの稲作文化と日本』『日本人の出現』などをご参照ください。そのA説が、今回、証明されたことになるとおもったのです。

しかし、事情はそう簡単ではなく、証明自体にはまだ問題がのこるようです。DNA鑑定の最大の弱点はサンプリングにあります。サンプルの選定の仕方によって、結果はまったくちがってくるからです。今回の鑑定にも、肝心のサンプルの米に多少の疑問があるというのが複数識者の判断です。

今回の池上曽根、唐古鍵の出土米の問題がどのような結末になろうとも、稲作の主要伝来ルートにABの二つがあったことはうごかないとおもいます。

しかも、大事なことは、Aが稲単独の伝来ルートであったのにたいし、Bは、稲と雑穀の両方を同時に日本へもたらしたルートであったということです。

そして、稲は日本人の一元的価値観(一つのものだけに価値をみとめる一神教的価値観)、雑穀は多元的価値観(複数のものに平等に価値をみとめる多神教的価値観)の源泉となって、複雑にからみあいながら、日本文化を形成してきました。

稲の問題は単に日本人の主食の問題にとどまらず、日本文化の根幹にかかわるテーマです。だから、ジャーナリズムも派手に追いかけ、私たちもこれまで執拗に稲の文化について研究をすすめてきたのです。当会刊行の『日本人と米』などをご参照ください。

これからも、稲作について、この欄でもたびたび言及することになります。

前回の通信でもちょっと予告しました、私たちが7月の28(土)・29(日)の両日に開催する「東アジアの王権と祭り」という公開のシンポジウムで、最大の論点となるのは、同じ東アジアで、中国や朝鮮の王朝が交替をくりかえしたのに、なぜ日本の天皇家だけが、曲がりなりにも永続することができたのか、という問題です。この問題を解明する重要な鍵も、私は稲作文化と雑穀文化にあると確信しています。関心をお持ちの方は、事務局に問い合わせて、ぜひ、当日、会場(学習院百周年記念会館)へお越しください。

では、今回はこの辺で。

 

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