諏訪春雄通信80


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 
通信65で紹介した「勉誠ブックレット 知恵の海叢書」の執筆依頼の発送がおくれています。執筆依頼状に見本として添える予定の私の『視覚革命 浮世絵』の刊行がのびているからです。 

 刊行のおくれた理由は二つありました。いちばん大きな理由は、
掲載図版の問題です。私の本は浮世絵をテーマにしていますので、たくさんの浮世絵図版が挿入されます。そのすべてが私の用意したものですが、素人写真なものですから、なかに不鮮明なものや多少ピントのぼけたものがあったために、その撮りなおしをしました。

 掲載図版には所蔵者の許可をとらなければならないものがあります。ここ数年、掲載条件がきびしくなって、多額の掲載料を要求する美術館や博物館が増加していました。そのために、書物の値段が高騰し、良い図版が読者の眼にふれにくくなったなどの弊害も生じていました。

 ただ、この問題について、ごく最近、
掲載条件をきわめてゆるやかにかんがえる裁判所の判例が出たという話を聞きました。所蔵者から直接図版を借りるばあいは従来どおりですが、すでに掲載されている書から複製をつくる条件がおおはばに緩和されたというのです。

 国際浮世絵学会の事務局を担当している久保田一洋君と常任理事で栃木県馬頭町の広重美術館館長稲垣進一さんからの情報ですから信用できます。久保田君になおくわしい調査をたのんでいますが、この話が事実とすると編集者や著者にとっては大きな朗報になります。

 私の本の刊行がおくれたもう一つの理由は、著者に支払う
印税の問題です。あたらしく執筆を依頼するためには、執筆者にたいする報酬の問題をきちんと決めておかねばなりません。

 しかし、現在の教養書の売れ行きはけっしてよくありません。大手の出版社でも、教養書の刊行には慎重です。まして、学術書の出版には、ほとんど手を出しません。

 私が最初に刊行した研究書は、昭和42年(1967)に笠間書院から出してもらった
『元禄歌舞伎の研究』です。この書は初版が800部で、そののち昭和58年(1983)に増補して300部の再版を出しています。

 いま、国文学の研究書の初版部数は
300部が相場です。それでも初版を売り切って再版にこぎつける書はほとんどありません。本がよまれなくなったうえに、みなコピーですませるからです。

 こんな時代にあたらしい教養書のシリーズの刊行に踏みきるには勇気と決断が必要です。勉誠出版に大きな犠牲を強いることはできませんし、また、苦労して原稿を執筆してくださる著者の方々にもそれなりの報酬は支払われなければなりません。

 私が勉誠出版社長の池島洋次さんと話しあった条件は、
初版には一定部数の本をさしあげ、再版以降に印税を払うというものです。多分、この条件でまとまるはずです。

 
諏訪春雄通信65では多数の執筆予定者のお名前をあげました。ほとんどは私の友人や知人の方々です。この方々のもとへ、できたら今月中か来月早々には、依頼書が送られると思いますので、大勢の方々が趣旨に賛同して執筆してくださることを願っています。

 ここ数日、
日本の古典の世界にひたりきっています。机のまわりに、岩波の古典文学大系、新日本古典文学大系、日本思想大系、小学館の日本古典文学全集、新編日本古典文学全集などをうずたかくつみあげて、開いて読んでは閉じ、開いて読んでは閉じ、パソコンにデータをうちこむという作業の連続です。

 
諏訪春雄通信77で紹介した新日本古典百選の候補作の解説と採択箇所の決定作業です。百選のほとんどは私が自分でえらんだものですから、その作の価値や評価については自信があります。ただ採択箇所の決定には、これまでの私の読書と研究と知識のすべてが問われます。

 たいへんな作業ですが、やり甲斐があり、日本古典の世界の豊かさにあらためて感動しています。この感動をできるだけ大勢の人たちにおわけしたい。いまはそんな情熱につきうごかされて膨大な作業にとりくんでいます。

 
『日本妖怪大全』という本が、ごく最近、小松和彦さんの編集で小学館から刊行されました。この書のことは朝日新聞の4月10日の朝刊が「時空を超える妖怪たち」という題でかなり大きくあつかっていましたので、ご覧になった方も多いとおもいます。

 京都の国際日本文化研究センターで1997年から約4年半かけておこなってきた共同研究の成果をまとめたもので、私も
「幽霊・妖怪の図像学」という一文をよせています。

 『日本妖怪大全』は現時点での妖怪研究の成果を知るというで点は最良の書であり、冒頭に序論として掲載された小松さんの
「妖怪と妖怪研究」という文章は、すぐれた妖怪研究の展望になっています。しかし、やはり私には物足りない部分があります。それは中国の妖怪を考慮していないことです。

 中国の妖怪に目配りすれば容易にわかることが日本の妖怪だけではわからない問題が数多くあります。たとえば、
道具の妖怪です。以前、この通信の75でのべましたように、日本の中世になって活発に活動を開始する道具の妖怪はあきらかに中国の影響下に生まれたものです。日本の道具の妖怪の本質を解明するためには、中国の妖怪と比較する必要があります。

 日本のこれまでの妖怪研究に欠けている視点の一つは
妖怪の形態学です。図像学といってもよいでしょう。その妖怪の形態がどのようにして形成されたのか、その形成過程の考察です。日本の妖怪でも、鵺、河童、道具の妖怪など、異種をいくつか合体・合成したものがありますが、それらはむしろ少数派で、多くは自然物または人間一種の変型です。そのことが日本の妖怪の形態研究を学問として自立させていないのです。
 
 ところが中国の妖怪はじつに多様な原型を複雑に組みあわせて構成されています。その
形成過程をときほぐしてゆくと、その妖怪の本質がみえてきます。私がこの通信の77天狗についてこころみたような研究方法です。

 中国の妖怪研究からみえてくる重要な視点のもう一つは
神との関係です。柳田國男が、妖怪は神の零落したもの、という有名な定義をくだしましたが、この定義についてはきびしい批判がされてきました。そして妖怪と神はわけてかんがえるべきだという姿勢が日本の妖怪研究の主流をしめています。

 しかし、私は、柳田の定義は、妖怪のすべてを説明できるものではないが一部には適用でき、しかも、妖怪は神との関係を無視しては本質をとらえられないとかんがえています。

 たとえば
天狗です。天狗は修験道では神であり、仏教では魔物です。一つの存在が二つの意味をもっているのです。河童は妖怪であると同時に水の神であり、山姥も恐ろしい妖怪であるとともに山の豊饒の女神でもあります。日本の妖怪の多くが神と妖怪の両義的存在であることには疑問がありません。

 中国に眼をむければこうした妖怪の本質はもっと明瞭です。中国に
とよばれる祭りがおこなわれていることはご存知の人も多いとおもいます。はやく紀元前12世紀ごろからつづいた周の王室の行事として存在したことが文献であきらかになっています。

 この
儺の根本精神はより恐ろしいものの力を借りて恐ろしいものを追いはらうということです。かんたんにいえば妖怪の力を借りて妖怪を追いはらっているのです。そのさいに妖怪か神かと問うことはあまり意味がなく、妖怪がそのまま神なのです。

 儺はたんなる祭祀の形態にとどまらず、多くの民族がひしめきあって興亡をくりかえしてきた
中国人の人生哲学そのものなのだといえます。

 中国の妖怪のほとんどは、このような
両義的存在です。そして、その本質は日本の妖怪の多くにもあてはまります。

 前回の通信の最後に、
「妖怪と神とはかなりの部分で重なりあう可変的存在である」とのべたのは、以上のような認識を私がもっているからです。

 しかし、
妖怪と神が異なった性格をもつことも事実です。これらの問題については、また、次回以降にのべます。

 今回はこの辺で失礼します。


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