諏訪春雄通信82
アジア文化研究プロジェクトへようこそ。
久しぶりに大野晋先生からお電話をいただきました。例によってさわやかな大野ぶしはすこしもおとろえておりません。ひとしきりタミル語研究の現在の進展状況についてのお話があったのち、川崎真治さんという方を紹介されました。
川崎さんは大野先生の知人だそうです。その川崎さんが大野先生にぜひ私を紹介してくれるように頼まれたので、仲介の労をとられたということです。
川崎さんは、いわゆる超古代文字の研究家です。インターネットで調べてみると、著書などもある、その方面では名の通った方でした。
超古代文字は、ペトログラフともいい、岩刻の文字や模様から超古代史、超歴史を研究することで,日本でも日本ペトログラフ協会、超歴史研究会などの熱心な研究団体があって、かなり活発に活動しています。そうした研究のあることは以前から知っていたのですが、私の関心の外のことでしたので、これまでかんがえてみたこともない領域でした。
ペトログラフは3万年前から紀元前2000年ごろまで存在し、日本でも各地の聖所、とくに古代海洋民族にかかわる遺跡から約100箇所、あわせて1080のペトログラフが彫られた岩が発見されているといいます。
最近報告されて話題をよんだ沖縄与那国島の海底遺跡などは、たしかに夢とロマンをかきたてられますが、これを超古代史で解釈しなければならないのか、かなり疑問を感じます。まして、『古事記』は聖書の日本語版である、日本にもチグリス・ユーフラテス川周辺にさかえた古代のシュメール文明、ウルシュメール文明が存在したなどという主張は私の理解を超えます。
じつは最近べつの方面から超古代文字の研究にふれる機会がありました。前回の通信で紹介した7月13日(日曜日)に開催することが決定している講演会・シンポジウム「東アジア演劇の形成と展開」にお招きする講師候補の一人中国廈門大学人文学院助教授朱家駿氏の著書『神霊の音ずれ 太鼓と鉦の祭祀儀礼音楽』(思文閣出版・2001年)の巻頭口絵と本文記述でした。
この本は題名が魅力的であり、しかも大阪大学へ提出された博士学位論文の増補訂正版だというので、多大の期待をもって読んだのですが、はっきりいって失望しました。中国の民俗祭祀音楽の調査分析を期待したのですが、ほとんどふれられておらず、わずかな日本の民俗祭祀の調査と白川静氏の漢字分析にもとづいて論を立てた書でした。
この書のなかで、安芸の宮島の獅子岩から発見されたペトログラフについての日本ペトログラフ協会の解説をそのまま引用して自己の立論の傍証にしている箇所があります。
わざわざ旅費や謝礼をはらってまで中国からおよびすることもあるまいというのが、朱さんにたいする現在の率直な私の判断です。
大野先生のさわやかなお声は耳にのこっているのですが、川崎真治さんにはまだご連絡をとっていません。大野先生、すみません。もうすこしペトログラフについて勉強してからにします。
猛威をふるっているSARSには、私たちの夏季の中国調査も深刻な影響をうけそうです。8月上旬、北京で開催されるシャーマニズムの国際学会に出席したあと、昨年中止になった貴州省の謎の民族の太陽信仰を独自に調査する計画を立てているのですが、このままですとすべて中止にせざるを得ないようです。
龍の話をします。
善と悪、吉と凶の両義的性格をもっている妖怪が中国には多いのですが、龍はその代表です。アジア史の研究者として知られた山本達郎氏は、東南アジアの龍はだいたい良い龍とされるのにたいし、ヨーロッパの龍は悪い龍とされているとし、水との関係にふれて、「世界中の分布を大きくつかまえてみると、やはり農耕生活で、雨が重要な世界のほうに良い龍がいるのではないかと考えられる」(「龍とナーガと蛇」『アジアの龍蛇 造型と象徴』アジア民族造型文化研究所編、雄山閣出版・1992年)とのべています。
一つの見方ですが、それで片付かない例も多く、状況に応じて神と妖怪に転化する両義性をもつとしかいいようがありません。
龍の形成について九種の混合説があることはすでにふれました。龍の形成についての研究は、このほかにも中国ではさかんであり、基礎となった原型についても、蛇、馬、とかげ、鹿、鰐、河馬、恐竜、雲、虹、雷光、松樹などがこれまでに提出されています。日本の研究者では、百田弥栄子氏がオンドリ原型説をとなえています(「龍の誕生」『日中文化研究 第6号』勉誠社・1994年)。
このような各説のなかで、中国の研究者に大きな影響をあたえているのが、歴史学者聞一多氏のトーテム統合説です(「伏羲考」『聞一多全集』開明書店・1948年)。
聞氏は、龍は蛇トーテムを基礎にすえ、さらにその時代に各氏族がもっていた各種トーテムを統合して形成されたと主張しています。龍の各パーツが馬、犬、魚、鳥、鹿などに似ているとしても、直接それらの動物によった形象ではなく、それらの各トーテムを保持していた氏族をもっとも強大であった蛇トーテム氏族が政治的に統一した結果であったといいます。
この聞説は、現在中国で龍について論じる人たちが、多少にかかわらず依拠している考えです。しかし、これについては、手きびしい反論も最近出されています。その代表が、劉志雄・楊静栄『龍と中国文化』人民出版社・1992年)です。
彼らは批判します。
龍が大きな社会集団のトーテムである蛇を基礎にすえて形成されたと聞説はいうが、通常、大きな社会集団のトーテムがただ一種ということはなく、多くの種類をもっているのが通例である。インデアンの氏族は三百六十ほどあり、トーテムの種類は150種を超える。
中国の古代にトーテム崇拝が存在したことは確実であるが、蛇をトーテムとした強大な氏族の存在を証明することはできず、また、馬、犬、魚、鳥、鹿などをトーテムとして大氏族に統合された弱小氏族も確認できない。さらに、中国古代の考古遺品にみとめられる動物造型をトーテムの表現形式とみることはできず、一種の文化類型とかんがえるべきである。考古学上の文化類型と、社会学上のある氏族部落とは異質の二つの概念であり、時空の範囲は前者がはるかに広大である。
龍は、中国文化上に出現した、長身、大口、多くの角と足をもった変幻自在の、この世には存在しない神秘な動物である。龍は商(殷)の時代になって、新石器時代にまでさかのぼることのできる魚紋(渭水流域)、鰐紋(?河流域)、鯢紋(渭水流域)、猪紋(遼河流域)、虎紋(太湖流域)、蛇紋(汾水流域)などを総合して形成された。商代以前に龍の存在した証拠はない。
以上が両氏の批判の要点です。この反論は説得的です。ことに龍から政治性を否定した点は同感です。龍の形成の仕方についても、『龍と中国文化』の著者たちは、「化合による変形」と「混合による組合せ」の二つをあげ、化合による変形をさらに「角を加える」と「移植」に二分してつぎのように説明しています。
化合による変形
商の時代の人々が自然の動物に起源する芸術形体に部分的添加あるいは置き換えをほどこし、原型の動物の形態から離脱させて、多種類の動物の特性をもたせる芸術手法である。
角を加える
本来角をもたない自然界の各種動物の頭上に一対の角を加えることであり、角の形式には一定の規則はない。
移植
多種類の動物からその典型となる部分や意味をえらびとりいっしょに移植してまったくあたらしい動物の形態を形成する芸術手法である。
混合による組合せ
商の時代の人々が多種類の動物造型をいっしょに組合わせて一個のまったくととのった器物を形成する芸術手法である。
龍の形体を自然発生とみないで、意図的な芸術手法の結果とみている説で、遠く博物学者のビュッホンにまでさかのぼる考え方です。龍の形成過程の重要部分を説明しているとみますが、しかし、龍の形成にはたらきかけた動物信仰をまったく否定することはあたらしい誤りをおかすことになります。パーツとなっている各種の動物がある種の信仰対象となっていたことは確実です。龍は信仰の土台のうえに芸術的手法によって形成された一種の幻想動物です。
このような手法によってつくりだされた龍の性格について、前掲の著者たちは、
人神が天にのぼるための助手と乗物
吉祥と災害をしめす霊物
の二種を指摘しています。
神と妖怪の変換性、両義性が彼らによっても指摘されています。
妖怪が神とある部分でかさなることは確実です。ただ、日本の妖怪の多くが、悪、凶、悪戯などのマイナスの性格をつよくもっていることは事実であり、中国伝来の龍、鳳凰、麒麟などをのぞくと吉祥をあらわす妖怪はほとんどいません。そこに日本と中国の妖怪の違いもみえています。
今回はこの辺で失礼します。