諏訪春雄通信88
アジア文化研究プロジェクトへようこそ。
他称〈幽霊学博士〉の私のもとへNHK Hi-Vision『迷宮美術館』担当テレコムスタッフ小林諭さんから番組構成案がおくられてきました。さすがによくできています。
まず谷中全生庵の紹介、所蔵幽霊画の展示からはじまります。つぎに、スタジオにうつって私の幽霊画、幽霊風俗の解説があり、講談師一龍斎貞水さんの講談の語りによる幽霊画一枚ずつのプレゼンテーションがあります。怪奇仕立てで幽霊画の凄みを十分に出した演出はみごとです。要所、要所で私が解説をくわえるという構成です。
山場は、円山応挙の幽霊画の紹介とゲストたちへのクイズにあるのですが、「後世の幽霊画に応挙の幽霊画が多大な影響をあたえた工夫はいったい何か」という問いにたいし、「足を無くした」というのが答えになっています。
応挙の幽霊画から幽霊が足をうしなったという俗説は1829年に出た藤井高尚の随筆『松の落葉』などにみえるものですが、実際には足のない幽霊の絵は応挙の絵以前に数多くあります。私の幽霊研究の重要な一部がこの俗説の否定でした。私としては、簡単には譲れない一線です。
小林さんと数回の電話のやりとりがあり、この個所を小林さんは手直しすることになりました。しかし、応挙の幽霊画をめぐってよいクイズの設問ができるか、小林さんも頭の痛いことでしょう。
足のない幽霊は日本だけで、ヨーロッパも中国・朝鮮も幽霊に足があります。これをクイズの問題にできませんか、という私の示唆に小林さんは興味をしめしていましたが、中国にはよい幽霊の絵がありません。この点がまたネックになるようでした。
ただ、そのあとで、中国で購入してきておいた版画絵本などをしらべてみましたら、足のある幽霊の挿絵が出てきました。ヨーロッパ絵画には、迫力のある幽霊画がすでに紹介されています(『別冊太陽 幽霊の正体』平凡社・1997年・夏))。したがって、
問い「円山応挙の幽霊画には世界に類のない日本独自の幽霊の特色を見ることができます。それは何でしょうか」
答え「足のない幽霊です」
というクイズのあとで、証拠として、ヨーロッパと中国の絵画を見せることができます。メールでこの旨、小林さんに送っておきました。採用するかどうか、はテレコムスタッフの皆さんの判断です。
仏教が日本に普及してからのちは、お盆に幽霊が活躍するのは当然ですが、それとは別に、ここ数年、世の中全体に妖怪や幽霊にたいする関心がつよまっています。大きな流れとしては、1960年代の末から70年代にかけて、地球規模でおこった合理思想への懐疑の動きがあります。
その大きなうねりのなかで、ドイツのカント哲学やマルクス・エンゲルスの思想、さらには実存主義までが没落してゆき、代わって、深層心理学、構造主義、文化人類学、神話学、記号論などの新しい学問方法が、市民権を得て登場してきました。ソ連や東ドイツの崩壊も、その一連の動きのなかでおこったことでした。
最近のオカルトブームも巨視的にみるなら、非合理の復権という、大きな世界史の変化のなかでとらえるべき現象なのです。
今年の講義ではシャーマニズムに言及する機会が増えました。日本、韓国、台湾、中国南部などのシャーマンはほとんどが、憑霊型で脱魂型は珍しくなっています。シャーマンには、大きく修業型(修業巫)と召命型(召命巫)の二種があります。召命巫というのは、神からの招きのサインとして病気に罹るのが普通です。神の招きを断り続ける間は、その病気が治らず、シャーマンになる決意をした途端に治ったという巫病体験を共通にもっています。
中国や韓国、日本でも沖縄などではよくみられる現象です。以前に、谷川健一さんから、『神に追われて』(新潮社・2000年)という本をいただきました。沖縄で神ダーリとよばれる、巫女のユタの召命体験をまとめた書で、神から召された女たちが、それにあらがいながらも、最後に神の意志にしたがってゆく壮烈な魂の戦いの記録とでもいうべき内容でした。
神を見ること、つまり神がかりの能力は個人の資質に大きくかかわりますが、ほかに体力とでもよぶべきものがものをいいます。若いときにはよくトランスに入ることのできたシャーマンが歳をとるにつれて、トランスにはいれなくなり、神を見る能力をうしなってシャーマンを廃業する話をききます。
しかし、この体力の問題は、個人だけではなく、国にもあるようです。中国や沖縄、台湾などのシャーマンがトランスにはいる能力を維持しているのに、日本本土や西欧では、トランス体験どころか、シャーマニズムそのものが姿を消そうとしています。おそらく、文明が爛熟にむかって、国としての若さをなくし、体力をうしないつつあるのではないでしょうか。
しかし、見神の能力や霊感をもった女性が、私たちの周りから完全に姿を消したわけではありません。二年まえ、学習院女子大に出講をしていたとき、社会人入学の女子学生にそうした能力をもっている人がいて、よくその体験をかたってくれました。
また、先週のある講義のあと、わざわざ私のもとにやってきて、自分のもっている霊感能力をかたってくれた女子学生がいました。彼女は、自分で自分の霊感が怖いとおそろしがっていました。その能力は、えらばれた特殊な人しかもつことのできない貴重なものであり、結婚などの境遇の変化で、いずれはうしなわれてゆくとおもうが、今はあまり人にかたらず大切にされたほうがよいでしょう、というのが私の助言でした。
智慧の海叢書の執筆条件を出版社と話しあいました。その結果、初版では刊行した書物を50冊さしあげる、再版以降で一割の印税を支払う、ということになりました。
まず、第一次として、以下の方々に執筆依頼が発送されます。
「日本語を叱る」 北原保雄(筑波大学学長)
「江戸の異文化体験」 白石広子(文化交流史研究家)
「小栗街道―ハンセン氏病の道―」 乾 武俊(伝承文化研究家)
「私の沖縄」 外間守善(法政大学名誉教授)
「古典物語の創作―理論と実技― 」 くすのきあや(作家)
「パロディー源氏」 木下聡子(古典文学研究家)
「私の愛する中国少数民族」 鈴木正崇(慶応大学教授)
「浮世絵に見る日本の民俗」 藤沢 茜(学習院大学助手)
「弥生時代はどこまで遡るか」 甲元真之(熊本大学文学部教授)
「春画の視点から日本文化を見れば」 早川聞多(国際日本文化研究センター教授)
「仏教とアニミズム」 新川哲雄(学習院大学教授)
「日本語を考える」 浅田秀子(日本語コスモス代表)
「気功は貴方を救う」 曽紅(学習院大学講師))
「美術館商売」 安村敏信(板橋区立美術館学芸員)
「猫・ねこ・ネコー私の愛猫物語―」 左近司祥子(学習院大学教授)
多数の方々がひきうけてくださるとよいのですが。
今回はこの辺で失礼します。