諏訪春雄通信91


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 アジア文化研究プロジェクトは今年度で終了します。平成4年(1992)の8月に発足しましたので、活動期間は11年になります。その記念行事として、今年の9月21日(日曜日)には、
中国、韓国、日本の3国の民族舞踊団を招き、学習院百周年記念会館で競演とシンポジウムを開催します。

 また12月13日(土曜日)、14日(日曜日)の両日、やはり学習院百周年記念会館で
「日本文化―解体と創造―」というテーマで8人の講師を招いて、最後の記念の大会を開催します。講師その他、くわしい日程がきまりましたらお知らせします。

 さらに
会報の最終号を現在編集中です。多数の関係者にご寄稿をお願いし、11年間の活動の多様な記録を収載します。以下の文はそこに掲載するために執筆した文です。 

 
ありがとう、アジア文化研究プロジェクト!最高の思い出をつくることができました。

諏訪春雄


 プロジェクトの会報の裏表紙に
「プロジェクト参加者」という約五十名の方々の名簿がのっています。私たちがメンバーとお呼びしてきた、当プロジェクトをささえてくださった知性集団です。多くは講演会、シンポジウム、研究会などに講師としてお招きした方々ですが、それ以外のさまざまな機会を通じてもプロジェクトと関係をもたれた人々です。
 
 ふつうなら、遠くから仰ぎ見るだけで接触をもつことのなかった高名な研究者たちです。このような方々のお話しをうかがい、ときには議論をかわし、ともに酒盃をかたむけることができたのはアジア文化研究プロジェクトのおかげです。多くは私とは異なる専門分野の方々で、新しい、広い学問領域にみちびいてくださいました。
 
 
大林太良先生、宮田登先生など、すでに物故された方々の学恩もわすれることができません。お願いすれば、事情のゆるすかぎり講師をひきうけてくださり、手抜きすることのない充実した、最新の研究成果をもりこんだお話しをされました。
 
 当プロジェクトにはほかに年会費をおさめて参加してくださった
会員がいらっしゃいます。ほとんどは発足以来の方々で、会場内外でのするどいご質問、ご意見で多くのことをまなばせていただきました。
 
 そして運営委員と事務局。
運営委員会はすでに八十回をはるかに超えています。交通費すらさしあげていないのに十年以上にわたってこの会をささえ、多くのアイデアを出してくださったのが運営委員の皆さんです。
 
 
事務局は、ほとんどは学習院の卒業生で、吉田先生と私のゼミ学生です。長く会計を担当し、この会の終焉を見届けてくださることになった田村さんだけは、映像ハヌルからのご紹介でした。深津さん以来、この会の面倒をみていただいた代々の東洋文化研究所の助手さんたちにもご迷惑をかけてきました。心から御礼を申します。
 
 大勢の方々との
新鮮で知的な出会いの場がアジア文化研究プロジェクトでした。
 
 調査旅行で日本や東アジア各地を駆けまわることができたのもこのプロジェクトのおかげでした。
北は下北半島から南は沖縄の離島与那国島まで、日本列島を縦断して、各地の祭り、新宗教教団、民俗をたずねました。

 そこでも大勢の人たちに出会い、多くのことを見聞し、まなびました。ほとんどは
吉田敦彦先生とご一緒でしたが、ほかにも研究参加者、運営委員、事務局、院生などが、その折々、多数参加されました。

 さらに調査旅行は韓国、台湾、中国、ベトナムの各所にもおよびました。心残りは、韓国まではご一緒できた吉田先生を中国の少数民族社会にお連れできなかったことです。

 調査の成果は、研究会、報告会、講演会などで発表され、さらにまとめられて報告書、会報、論文集などとして刊行されました。講演会の記録は、途中までは
雄山閣、そのあとは勉誠出版にひきつがれたことはご存知のとおりです。また、会報は一貫して運営委員の山本和信さんの編集刊行でした。山本さんは、催し物ごとのポスターやチラシなどもみごとなデザインでかざってくださいました。

 アジア文化プロジェクトの発足は
平成4年(1992)の8月でしたが、準備はその前年からつづけられていました。きっかけは、青山学院大学の近世文学会で顔をあわせた東大大学院の後輩萱沼紀子さんから、映像ハヌルと合同での、アジア文化の調査をすすめられたことでした。

 資金はすべて
外部からの寄付にたよるという無謀な計画に学内からはかなりな危惧の念が寄せられました。強引に発足してみたものの、ちょうどバブルがはじけた直後で、たちまち運営資金につまってしまいました。

 発足時、ほとんど独力でプロジェクトの資金をささえてくださったのが李義則さんでしたが、しかし、ついに預金ゼロとなって、学習院の財務部から
活動停止を命じられてしまいました。

 初代事務局として苦労された石井優子さんは、この辺の事情をよくおぼえていることでしょう。幾度か私の自腹を切って危機をのりこえましたが、運営委員の一人川村湊さんが十万円のお金を用意して委員会に出席されたなどということもありました。
 
 そののち、会費収入にくわえて、科学研究費補助金、私学振興財団助成金、学習院の各種助成金、伊藤謝恩育英財団、サントリー文化財団などなどからの援助金を、ほぼ途切れることなく受けて、
年間予算八百万円前後で十年以上の活動を安定して継続することができました。幸運としかいいようがありません。ありきたりの感想になりますが、大勢の方々のご支援、ご援助の賜物でした。

 今、このプロジェクトを終了するにあたって胸に去来するものは、
なつかしい思い出の数々と各方面への感謝の一念です。長い間ありがとうございました。

 勉誠出版の
智慧の海叢書への第一次の執筆依頼が漸くおわりました。ご返事をいただいた方々には編集担当の小島明さんのほうから直接電話連絡がおこなわれ、そこでさらに細部の詰めがおこなわれることになります。依頼のテーマはあくまで仮題ですので、話し合いのなかで、テーマもしぼられたり、変更されたりします。趣旨を理解されて大勢の方々が執筆を承諾されることを願っています。

 
『浮世絵大事典』(東京堂)は、執筆者150人、収載項目1700、原稿総枚数約5000枚(400字)という大きな企画としてすでに先行しています。『新日本古典百選』(東京書籍)もようよう軌道にのりつつあります。

 『浮世絵大事典』は私自身40項目近くの執筆をしなくてはなりません。また『新日本古典百選』も多くの分量を担当するつもりです。今年の夏はいそがしくなりそうです。

 今回はこの辺で失礼します。


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