諏訪春雄通信115


 アジア文化研究プロジェクトの最後の大会が、12月13日(土曜日)、14日(日曜日)の両日、学習院百周年記念会館で開催されました。最後のさよならパーテーには予定人数を大幅に上回る80名余りの方々が参加され、それぞれに別れを惜しんでおられました。

 私も多くの方々のご挨拶をうけました。皆さんがプロジェクトの終了を残念に思っておられました。古くからの会員の中には、私の手をとって涙をながしておられた方もいました。
11年という歳月は、やはり短くはありません。皆さん、年をとられました。もう、これで二度とお目にかかれない方もいると思うと、私も熱いものがこみあげてきました。

 今後のことは、じっくりとかんがえて、またいつかこの方々にお目にかかる機会をつくりたいと願っています。
アジア文化研究プロジェクトにひとまずの別れをつげます

〈質問〉コノハナサクヤビメの神話は東南アジアを中心に分布する死の起源神話であるバナナ型神話に源流をもつことは、定説になっています。中国南部神話によって、何かあたらしい見解をくわえることができるのでしょうか。

 コノハナサクヤビメ神話は
『古事記』によればつぎのような物語になっています。

 天降ったニニギは南九州の笠沙の岬でオオヤマツミのうつくしい娘コノハナサクヤビメに出あった。ニニギは父のオオヤマツミに姫を妻にくれるよう申しこんだ。オオヤマツミはよろこんでコノハナサクヤビメに姉のイワナガヒメを添えてさしあげた。しかし、みにくい姉をきらったニニギはこれを送りかえし、コノハナサクヤビメだけをのこして結婚した。オオヤマツミはひどく恥じて、
「イワナガヒメをさしあげたのは天神の寿命が石のように不変であるようにという気持からです。コノハナサクヤビメを贈ったのは木の花がはなやかに咲くように栄えませという願いからです。姉をお返しになったために、天孫のお命は木の花のようにはかなくおなりでしょう」
と申しあげた。このことによって天皇の寿命は長久ではないのである。

 この神話の原型とされるバナナ型神話は、J.フレーザーによって命名された死の起源神話で、東南アジアを中心に世界中に分布しています。その典型を、中央セレベスのポソ地方のトラジャ族がつたえる神話によって紹介します(大林太良氏『神話と神話学』大和書房・1975年)。

 初め、天と地との間は近く、創造神が縄に結んで天空から垂らして下ろしてくれる贈物によって人間は命をつないでいた。ところがある日、創造神は石を下ろした。われわれの最初の父母は、
「この石をどうしたらよいの?何か他のものを下さい」
と神に叫んだ。神は石を引き上げて、バナナを代わりに下ろしてきた。二人は走りよってバナナを食べた。すると天から声があって、
「お前たちはバナナをえらんだから、お前たちの生命は、バナナの生命のようになるだろう。バナナの木が子どもをもつときには、親の木は死んでしまう。そのように、お前たちは死に、お前たちの子どもがあとをつぐだろう。もしもお前たちが石をえらんでいたならば、お前たちの生命は石の生命のように不変不死であったろうに」

 たしかにこのバナナ型神話はコノハナサクヤビメ神話の原型としてふさわしいものです。しかし、若干気にかかるのは、コノハナサクヤビメ神話は、死の起源神話であるとともに、嫁選びをテーマとした話でもあることです。ニニギは二人の娘のうちの妹を選択して姉をことわったという話型でもあります。バナナ型は食物の選択であって嫁の選択ではありません。
 
 嫁を選択して地上のあたらしい部族や国の祖先になったという話は中国南部にさがしだすことができます。たとえば、以前、根の国神話を検討したときに雲南省のトールン族につたわる難題婿型A、B二つの神話を紹介しました。その
A型では、地上の人で主人公の彭根朋は天神の二人の娘、共に隻眼であって、一人は美しいが顔をあらうことのない娘、一人はそれほど美しくはないが清潔な娘のいずれかの選択をせまられ、彼は清潔な娘をえらんでトールン族の祖先になっています。その娘の名が木美姫というのは多分偶然でしょうが、天神の木崩格に山林の木を管理する山の神の性格があるのはおもしろい符合です。
 
 また、このあと、海幸彦山幸彦神話の項で検討する浙江省の漢族の神話
「竜王、娘を嫁がせる」では、三人の娘をもった海竜王が、かわいがっている末の娘の婿にチャラメル吹きの名手の人間の若者をのぞみ、老人となって若者に申し入れてことわられますが、のちに、娘がみずからのぞんで若者にとつぎます。こちらは、竜神の娘が自分の意思で若者とむすばれますので、話型としてはコノハナサクヤビメ神話とずれますが、嫁えらびの物語であることはたしかです。
 
 また貴州省や広西チワン族自治区のトン族には
「郎付と三人の竜女」という話がつたえられています。これも日本の海幸彦山幸彦神話の類話です。
主人公郎付は木を伐採して母をやしなっていました。あるとき、彼が竜の淵のそばで、鉈を研いでいますと、その音響で一人の美しい娘があらわれ、騒音に抗議します。つぎの日、また郎付が鉈を研いでいるとべつの美しい娘が抗議にあらわれます。そんなことが三日つづきます。三日目にあらわれた娘はやはり美しい、しかしおとなしそうな娘でした。娘は郎付が誠実な働き者であることを見ぬき、自分が竜王の三番目の娘であること、父が郎付の鉈を研く音で痛みを発していることなどを告げ、父のもとにともないます。そして竜宮の宝物の緑の傘をもらい、ともに地上にもどって結婚します。

 この話では、郎付のほうが竜王の末の娘をえらんで、最後は幸せになっています。

 中国南部にも人間の死の起源神話は存在しますが、バナナ型とはかなり異なる物語になっています
。雲南省のハニ族につたえられている「起死回生の薬」という題の神話の概要を紹介します。

 遠いむかし、阿竜、阿翁、阿社とよばれる三人の働き者の兄弟がいた。彼らは猟の名手であった。あるとき、彼らは老翁から神扇を得、また竜王から万能薬の竜の唾液を手に入れた。それらの神扇や唾液で、鼠、カササギ、猫などの動物の傷をなおしてやった。さらに母から、天にある太陽と月が起死回生の薬をもっていて長生不死であることを聞き、天の梯子をつくってその薬をとってこようとする。動物たちの助けで三兄弟は天の梯子をつくることに成功し、阿翁がその梯子で天と地の中間までのぼったとき、供をしていた猟犬が先に月に到達していた。そのさい、天の梯子が折れて、阿翁は地上にもどることができたが、猟犬は月にのこってしまった。月には食物がなく、天狗となった犬が餓えて月をたべてしまった。月は起死回生の薬で復活した。しかし、その薬を手にいれられなった人間は死から復活することはできなくなった

 不死を不老長生の薬のせいとするなど、食物の選択結果とするバナナ型神話にくらべてはるかに新しい観念がみられます。
以上、のべてきたことを総合しますと、つぎのようなことがいえそうです。コノハナサクヤビメ神話の原型は今のところ東南アジアに起源する
バナナ型神話に中国南部の嫁えらび神話が結合したものであると。

〈質問〉海幸彦山幸彦神話も東南アジア起源とかんがえてよいのでしょうか。

 この問題については次回でおこたえします。


 
今回はこの辺で失礼します。


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