Replay 目次

□【第198号 2005/07/04】 射撃部主将 斉藤望さん(法4)
□【第197号 2005/06/06】 ダイビング部主将 前田俊さん(政3)
□【第196号 2005/05/09】 ウェイトトレーニング同好会主将 山口倫太郎さん(哲3)
□【第194号 2005/01/12】 トランポリン部主将 五十嵐陽平さん(法2)
□【第193号 2004/11/22】 山岳部部長 柴田由布子さん(政4)
□【第191号 2004/09/28】 ゴルフ部主将 斧田奈央子さん(法4)
□【第190号 2004/07/05】 馬術部主将 梅澤直人さん(法4)
□【第189号 2004/06/07】 フットサル愛好会 飯田晃英さん(済2)
□【第188号 2004/05/10】 バスケットボール部主将 佐良土茂樹さん(法4・さろうど)
□【第186号 2004/01/13】 弓道部 濱坂晃徳さん (済4)
□【第185号 2003/11/25】 航空部 野村梨絵さん(済2)
□【第183号 2003/09/30】 スキー部主将 雄賀多沙紀さん(営4)
□【第182号 2003/07/07】 ラグビー部主将 横内正宏さん(政4)
□【第181号 2003/06/09】 ヨット部 大坪沙織さん(政4)
□【第180号 2003/05/12】 フェンシング部女子主将 中島風子さん(営4)
 記事

■ 【第198号 2005/07/04】射撃部主将 斉藤 望さん(法4) 

  5キロから6キロもの銃を構え、一点の的を狙い定めて引き金を引く。ミスをしてはならないという緊張感やその日の健康状態、心の迷いなど、一瞬の気持ちの揺れが結果に響く。射撃は精神スポーツなのだ。
 斉藤主将は大学に入って間もなく、友人の勧めで射撃に魅かれ、銃を撃つという非日常的な世界に入っていった。そしてその年の甲南戦での2位入賞が彼の射撃人生を変えた。「それまでは全く成績が振るわなかったのですが、突然いいスコアを撃って。励みになりました」。その後は、射撃のコツがつかめてきたこともあり、スコアが大きく落ち込むことはなくなったという。
 しかし最初は右上がりだったスコアも2年の春に伸び悩み、次第に射撃への熱は冷めていった。しかし射撃部に装薬銃使用の話が持ち上がったとき、一気に目の前が開けた。それまで空気銃しか知らなかった斉藤主将にとって装薬銃は未知の世界だった。新しい可能性が彼の射撃魂を呼び覚ましたのだ。あとは装薬銃を構える日を夢見てひたすら練習に没頭するだけだった。成績はそのうち伸びるだろうと気持ちを切り替えた。その結果、秋の関東大会にはやっとスランプから立ち直った。
 その年の10月には念願の装薬銃への進出を果たす。「空気銃に比べ装薬銃は的までの距離が50メートルと、今までの5倍なんです。しかも狙いづらい上に空気銃には無かった反動が付いています。ブレをいかに修正していくかが装薬銃の醍醐味ですね」。
 昨年の甲南戦は悔しい思い出として心に残っている。3人一組の団体戦での出来事だ。このままいけば勝つと思われた試合だったが、前日に体調を崩したこともあり、斉藤主将は的を外してしまう。「自分のせいで勝てなかった。もう二度とこういう思いはしたくないです」。
 良い結果もそうでない結果も気持ちを成長させる。心の葛藤は誰にも負けない強い心を与えてくれるようだ。      
       (石崎知世子)
   ◇    ◇
 今号をもってReplay は終わります。ご愛読いただきありがとうございました。
 

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■ 【第197号 2005/06/06】ダイビング部主将 前田俊さん(政3) 

 沖縄、宮古島の海。日光が青空から水中へ真っ直ぐ降り注ぎ、クロスホールの奥深くまで差し込んでいる――
 前田さんがダイビング部に入部したきっかけは、ただ海に対する興味だけだった。
「入部するまでダイビングの経験が無く、水泳自体、小学校の頃にやった程度でした」
 ところが入部後の伊豆への夏合宿で初めてダイビングをし、印象が大きく変わった。水中の無重力による浮遊感や景観の美しさを体験し、すぐにダイビングの虜になった。
「感動するばかりで、初めてタンクを背負って海に潜ることへの恐怖感は、全く無かったですね。ただ、水の中に身体が潜っていく感覚だけに気を取られていました」前田さんは感慨深げに語る。
 海中でのことについて尋ねると、「とにかく景色が綺麗ですね」と嬉しそうに話しはじめた。「クロスホールと呼ばれる×印の形に開いた岩の亀裂や、洞窟の中を探検するんですよ。壮大な地形に圧倒されます。それに魚の種類も多く、イルカやマンタが目の前に来て触れたり。すごく楽しいです」心底ダイビングを愛しているのだろう。前田さんの口調が弾む。
 しかし楽しいばかりではない。スキューバダイビングは1回あたり小1時間程度のものだが、その間は気を抜くことはできない。小さな失敗が大きな事故につながりかねないのだ。「合宿はインストラクターをつけずに行くんです。だから事前のミーティングやレスキューの練習など、安全には非常に気をつけていますね。ただ楽しむだけではなく、楽しいダイビングができるよう、練習を厳しくしています」。
 最後に、前田さんは「海は自然のものなので、波の流れなどは自分たちでコントロールできません。けれど、自然物だからこそ、人それぞれ無限の楽しみ方がありますね」と、ダイビングと海に対する想いを熱く語っていた。
 社会と同様に、楽しさと厳しさが居合わせる海の世界。その美しく広大な自然の中での経験から、前田さんは好きだからこそ厳しくやるということを教わったようだ。(小倉正也)
 

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■ 【第196号 2005/05/09】 ウェイトトレーニング同好会主将 山口倫太郎さん(哲3)

 スポーツの大会はまさに多種多様だ。たとえば、ボディビルの学生大会の場合、予選を通過した選手20名のみフリーポーズをとることができる。フリーポーズとは、選手自身が選曲したBGMに合わせて、ステージで思い思いのポーズをとり、己の鍛え上げた肉体を披露することだ。これらは「いかに肉体を美しく見せるか」に終始しており、その観点からすれば芸術といえよう。しかし、先にも述べたように、この夢のステージに立つためには、予選を通過しなければならない。
 山口主将は昨年、2年生の6月に10月の大会に向けて減量を始めた。自ら本を購入し、栄養学を学び、脂肪だけを落とすためのヒントを得た。しかし減量とトレーニングとの並行は厳しく、苦労の末20s減量したが、大会当日に疲労は極限に及んだ。そのため、予選の段階で弱気になってしまった。だが山口主将はそれを「未熟さの表れ」と冷静に分析し、力をふりしぼった。それが功を奏し、大会初出場ながらも見事予選を通過した。「これまでの努力が報われて、うれしかったです。次に行われるフリーポーズもがんばろう、楽しんでやろうと思いました」。
 そして迎えたフリーポーズ。「終わった時は他大学の選手も温かい拍手を送ってくれました。自分がやってきたことを見てもらえたのでしょう」と懐かしそうに振り返る。
 関東大会15位、全日本大会19位と山口さんの結果は好成績だった。成果を出せたことの喜びは大きいようだ。
 ウェイトトレーニング同好会が取り組んでいるパワーリフティング、ボディビルディングは、いずれも個人の努力がものを言う。鍛えれば鍛えるほど、高重量を持ち上げる自分に出会い、進化した肉体を目の当たりにすることができる。そのため、ライバルは自分だと言う選手も少なくない。山口主将もそのひとりだ。
「パワーリフティングもボディビルも個の力をつけることができるスポーツです。このスポーツによって今の自分を超え、自分を高めていきたいですね」と、このスポーツの魅力と今後の抱負を熱く語ってくれた。(中谷美穂) 

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■ 【第194号 2005/01/12】 トランポリン部主将 五十嵐陽平さん(法2)大会への執念、実る

 五十嵐さんは、1年生の冬頃トランポリンAクラスの選手と知り合いになった。この競技はAクラスからCクラスまで分けられており、Aクラスは頂点とされる。Cクラスだった彼は、目標が身近にいることで触発された。「Aクラスの選手と仲良くなったことで、自分も彼のようにうまくなりたいと思いました」。
部活で行っているメニューのほかに、空いている時間に筋トレを取り入れた。
 そして昨年夏、北海道で全日本インカレが行われた。しかし男女合わせて150人が出場する大規模な大会を前に
した7月、五十嵐さんは尾てい骨骨折、全治4ヶ月の大怪我を負ってしまう。医者から絶対安静を言い渡され、リハビリの段階でさえないという状態。しかし、そんなことでめげる彼ではなかった。なんと医者の忠告を聞き流して、練習に行ってしまったのだ。作り話のようだが本当の話だ。「絶対に大会に出るぞ、と気合を入れて乗り切りました」と少年のように語る。
 彼が出場するのはCクラス。大会は3日あり、初日は練習となる。この日もAクラスの選手を見て圧倒され、自然と気合が入る。2日めは予選で、規定型と自由型の点数によって3日めの決勝に出られるか否かが決まる。ところが、彼は規定型で上手く演技ができず、また自由型も納得できるものではなかった。ただ、他の選手も同じくミスが目立ち、運良くCクラス1位で通過する。
 1位通過。この言葉が重くのしかかり、彼は頭が真っ白になってしまう。成功する自分をイメージして落ちついて競技しようとするが、緊張で体が硬くなってしまう。そして本番。技に入る前台の上で跳ねている間もがちがちで、周りが緊張するほどだったと言う。だが、技に入ると肩の力が抜け、完全ではないが満足できる演技ができた。
 結果はなんとCクラス1位で優勝。「人よりも何倍も頑張れば、何とかなるんだと学びました」。医者は果たして怒るだろうか。それとも喜んでくれるだろうか。この結果を五十嵐さんに内緒でこっそり教えてあげたい気分だ。
       (山田絵美) 

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■ 【第193号 2004/11/22】 山岳部部長 柴田由布子さん(政4) 歴史を作り次の舞台へ

 ネパール王国・ムスタン地域。チベットとの国境に近いこの場所に、彼女が世界初登頂を達成したチービ・ヒマールという山がある。標高は6650メートル。地表は雪に覆われ、酸素も極端に薄い。またこの地域は近年まで鎖国状態にあり、特にチービ・ヒマールは、2002年まで登山が禁止されていた、まさしく人類未踏の地なのである。
 今回の登山隊のメンバーは柴田さんを含め5人。全員が大学生で、本学山岳部も所属する日本山岳会の100周年記念行事として、日本山岳会学生部の後援で実現した。
「山に登る、ということを始めたのは大学で山岳部に入ってから。何か新しいことに挑戦してみたいと思い、部室の戸をたたきました」。
 入部した当初は女性部員が多く、監督から登山ではなくハイキング程度のものでもよいのではないか、と言われたこともある。しかし、彼女は登山にこだわったのだ。「歴史に残るようなことがしたい」その思いを胸に、率先して部を引っ張ってきた。
 だが、自然に挑む以上、危険がないわけではない。
「2年生の秋に剣岳へ登ったのですが、自らの不注意で30メートルほど転落してしまいまして……。たまたま途中の木に引っかかって助かったのですが、あの時は本当に死ぬかと思いました。そのまま谷に落ちれば、間違いなく死んでいたでしょう」。
 その後、無事仲間に助けてもらったが、手足の震えが止まらなかったという。
「怖くないというと嘘になりますが、でもそれを恐れて立ち止まっていたら前に進めません。これからも山を登り続けるために、そこで踏み出す一歩が大切なんです」。
 卒業しても登山を続けたいという彼女に、山岳部での4年間を振り返ってもらった。
「自ら計画を立てて、それを実行することと、様々なものに対する責任感。山岳部の活動を通して、この2つを学んだと思います」。
 チービ・ヒマール世界初登頂の登山隊員として、歴史に名を残した柴田さん。これからは、社会という山を登っていくことだろう。
      (山本慎一郎)

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■ 【第191号 2004/09/28】 【Replay 悔しさバネに昇格 ゴルフ部主将 斧田奈央子さん(法4)】

 今年の秋季リーグでBブロックに再昇格。それは、Cブロックに落ちてからの半年間で努力した結果であった。
 本学ゴルフ部は何年もBブロックを保持し続けていた。Bにいるのは当たり前。その認識から、それまで「それなり」に練習をしていた。だが、今年の春季リーグでBブロック最下位になり、Cブロックへ降格。「Cに落ちて、自分たちの甘えを自覚しました」。
 今までの練習、チーム体制ではいけない。秋季リーグで昇格するためにも練習内容を厳しくし、ゴルフ場にも足繁く通った。「ゴルフ場へ全員で行くことで、結束力が生まれました。以前の個々がよいスコアを出せればよい、という認識を改め、互いを意識し、高め合いました」。
 そして2日間にわたって行われる秋季リーグの初日が始まった。前半、本学は普段より打数が増えてしまう。その上、斧田主将は前半、ハーフの最後で2回連続OBを出してしまう。しかし後半ではスコアを崩さずに、観客が大勢いる中でよいスコアを出す。2日目に向けてよい終わりとなった。
 初日成績は暫定1位。だが長年のライバル校である玉川大が4打差、成城大にいたっては同スコア。他校も5打差以内がひしめく激戦で、気の抜けない状況であった。
 2日目、他大の打数が増える中、本学だけが前日よりよいスコアで、2位との差を広げる。だが斧田主将には不安があった。前日OBをしたコースである。「そこにさしかかったときは怖かったです」。前日と同じ右ぞれにならないよう左に打つ。しかしボールは前日と同じく右にそれてしまう。頭に昨日のことが横切る。だが幸いにも、ボールはOBギリギリで止まっていた。その後はうまくショットを打ち、プレッシャーの中、4打でパーを取る。結果2位と15打差をつけ優勝。見事Bブロックに返り咲いた。
「今になると、一度Cブロックに落ちてよかったと思います。気も引き締まったし、ゴルフに対する姿勢も変わりました」。現状に安住せず、更に上へ行こうとする姿勢は、ゴルフ部を更に強力にしてくれるであろう。
(山田絵美)  

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■ 【第190号 2004/07/05】 【Replay 「一言が生んだ馬との絆」 馬術部主将 梅澤直人さん(法4)】

 梅澤さんは2年生の12月に全日本学生馬術大会に毎年出場している馬、篠桜(しのざくら)の担当になった。その篠桜は競走馬のときの名前「コメンテーター」にちなみ、「コメ」と呼ばれている。梅澤さんは、翌年6月に行われる全日本の予選である関東学生馬術大会に向け、コメと共に日々練習に励んだ。
 しかし練習では何度となく障害を跳び越える寸前で急に止まられ、落馬を繰り返した。試合に出てもなかなかよい成績を残せない。そんなことが続くうちに、梅澤さんはコメに対して次第に不信感を抱くようになっていった。
 そして、関東大会まであと1ヶ月と迫った5月。ある大会で、梅澤さんは落馬して気を失ってしまい、コメへの不信感は頂点へ達してしまう。
 そんな最悪の状況下に転機は訪れる。偶然オーストラリアから来日していたコーチから「馬を信用してないから走ってくれないんだ」という指摘を受けたのだ。
 それまで梅澤さんはコメを下に見ていた。もちろんなめられてはならないので、ある程度の上下関係は必要。だが何でも無理やりやらせようとしていた。「友達のように接するようになりましたね」。コーチの一言でコメへの接し方が180度変わった。
 すると、コメも梅澤さんの変化を感じて素直に梅澤さんの言うことを聞いてくようになる。梅澤さんとコメは関東大会までのわずか1ヶ月間で、互いに心を通わせるまでに絆を深めることができたのだ。そして梅澤さんはコメの本来の能力を存分に発揮させて、念願の全国への切符をつかむ。
 結局、この全日本ではよい成績は残せずに終わってしまう。しかし、梅澤さんは「結果は残せなかったけれど、それよりも馬を信頼して走れたことがよかったです」と述べていた。
 そして現在、梅澤さんはコメとの絆を深めることができた「とにかく馬を信頼してやれ」という教えを、後輩へと伝えることに力を注いでいる。後輩たちも、この言葉の大切さが、身に染みて分かる日がいつかは訪れることになるだろう。  (大田祐貴)  

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■ 【第189号 2004/06/06】 【Replay 「白衣」の結束を信じ  フットサル愛好会 飯田晃英さん(済2)】

「白衣」の意味は白いユニフォームを自分たち色に染めたいという願い。「軍」は鉄の結束を表す。前主将の岡本さんから、去年卒業した先輩の働きにより日本で初めてフットサル公認運動部になった。それがフットサルクラブ「白衣軍」だ。

 飯田選手と白衣軍の初めての出会いは1年生のときの「めじおん」。白衣軍によるZINGA(音楽とフットサルのコラボレーション)というパフォーマンスに強く魅かれ入部した。

 血のにじむ練習を乗り越え、チームの大黒柱となった飯田選手。だが白衣軍は去年の埼玉選抜や浦和レッズユースなどに入るほどの実力を持った先輩達が抜けた穴を埋めきれず、公式戦を1勝8敗1分けと負け越す。そのため今年の3月に東京都フットサル2部リーグ残留をかけ、2部昇格を目指す下位リーグのチームとのトーナメントに臨んだ。飯田選手は振り返る。「うちの前評判は最悪だったけど、昨年度で一番大事な試合だったから勝ちたい気持ちは今までで1番でした。

 初戦は接戦だった。前半を相手リードの1−2で折り返し後半、2−2の同点へと追いついた。そしてこのまま延長かと思われた試合終了間際、本学は貴重な勝ち越しゴールを奪う。「みんなの気持ちで奪い取った泥臭いゴールでした」と飯田選手。白衣軍はこの試合に勝利し、前途に希望が見えてきた。

 前評判を覆して1回戦を勝ち抜いた白衣軍は、2部残留が正式に決まる緊張の2回戦に進んだ。本学は前半から果敢に攻撃。相手を圧倒する。そして、飯田選手の2得点の大活躍もあり、6−0の大差で勝利した。待望の2部残留が決まった。

 決勝は1−1で延長PK戦まで持ち込んだが、飯田選手がゴールを外し惜敗。こうして熱いトーナメントは幕を閉じた。

「今年の白衣軍の目標は、他に所属している関東大学学生リーグ1部昇格です。学習院に白衣軍ありといわれた頃の栄光を取り戻したい」と飯田選手は熱く語ってくれた。彼の右足が白衣軍に新たな歴史を刻むだろう。(森谷直樹)

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■ 【第188号 2004/05/10】 【Replay『成長の場へもう一度 バスケットボール部主将 佐良土茂樹(さろうど) (法4)』】

 どのスポーツにも、聖地なるものが存在する。サッカーをやっている者にとっては国立競技場。また、高校野球児にとっては甲子園――。
 そして、バスケットボールをやっている佐良土さんにとっては、それは代々木第二体育館であるという。「そこで試合をするたびに何かをつかんできた。僕にとって特別な場所なんです」。
 1年生の秋の関東大学リーグ戦。4部で全勝優勝を遂げた本学は、3部昇格をかけた東京工業大戦を代々木で迎えた。第3クオーター7分頃に出場したその試合で、佐良土さんは、そのクオーター残り20行で値千金の3ポイントシュートを決めた。「自分の得意の、しかもずっと練習してきた3ポイントシュートで大事な試合に貢献できた。自信がつきましたね」。そのシュートで、本学のリードは6点差から9点差まで開く。流れをつかんだ本学はそのまま第4クオーターも逃げ切り、見事3部昇格を果たした。
 2年生のときの関東大学新人戦では、キャプテンに任命され、代々木に乗り込んだ。一回戦で大敗したものの、強豪校の東京農業大相手に、ひるまず攻め続けた。監督に「攻め気が素晴らしかった」とほめられた。リーダーシップを学んだ試合だった。
 3年生のときは、再び秋の関東大学リーグ戦の入れ替え戦を代々木で行った。しかし、2年前とは立場が違う。この年は3部残留をかけた4部準優勝校との入れ替え戦だった。この試合で初めてディフェンスが面白いと思った。「僕はあまりディフェンスが得意じゃないんですけどね(笑)。でも、あの試合でディフェンス上達に必要なものがつかめました」。
 今年は佐良土さんにとって最後の年。「3部で2位以内に入る。そうすればまた代々木で試合が出来るので、そこでもう一回成長したいです。僕は、何かをつかんで喜びを得ることを1年生のときに先輩に教えてもらった。だから先輩としての今、それを後輩に伝えたいですね」。意気揚々と語るその顔を見ると、今年もまた成長を遂げている佐良土さんの姿が目に浮かんだ。
(内藤真治) 

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■ 【第186号 2004/01/13】 Replay:弓道部 濱坂晃徳さん(済4)

 矢をつがえる感触。弓を引く射型。弦が返る音――。どれも普段と変わらなかった。ただ一つ、矢が的中しなかったことを除いて。

 2002年秋。8月に全日本学生選手権で準優勝した濱坂さんが次に臨んだのは、平成14年度リーグ戦(3部)だった。そこでの個人の的中率は、強豪と呼ばれる学生のみが出場できる、伊勢大会出場の選考基準となる。

 彼は4試合中3試合目を終え、それを狙える位置にいた。試合では1人が4射を五立(5回)に分け計20射を放つ。初戦は20射皆中。2、3試合目共に19中。もし最後の4試合目で16中以上ならば出場が決まる。彼は調子が悪くても15〜16射は的中するため、容易に手が届くかに思えた。

 しかし簡単にはいかない。4試合目の2週間前に体調を崩し、1週間も弓が引けなかった。そのブランクを抱えた上、当日の朝は体調不良が前日までより酷く感じられた。  

 それでも一立目は4射3中。案外大丈夫かもしれない。だが二立目で調子が崩れた。1本目を外し2本目は的中したが、3本目も外してしまった。何かおかしい。普段と変わらない射のはずだが、矢だけは的の外へ外れてしまう。そして4本目も――。

 結果は4射1中。半年以上残していない的中数だった。残りの立で3中、皆中、3中するも計14中に留まり、伊勢への道は閉ざされた。

 二立目の3本目を外したとき、次の矢は無理にでも当てたかったかと問うと、彼は首を振った。

「射型を崩してまで当てようとは思いませんでした。『常に自分の射をする』という信念に反し、当てる一心で伊勢を掴んでも納得できなかったでしょう。逃したのは、自分の実力がそこまで達していなかったからです」

 そして彼は「より高いものを目指す過程が楽しいから、卒業しても弓道を続けます。でも弓道の本質は技術を磨いても届かない、ずっと上にあるものだと思いますね。だから完璧と思える射は一生できないかも」と笑った。向上心は決して尽きることはない。理想の射を追いかけて、濱坂さんは弓を引く。(天野宏美)  

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■ 【第185号 2003/11/25】 【Replay 大空への飽くなき夢  航空部 野村梨絵さん(済2)】

「他人とは違うことがしたい」と思っていた。そんな時、グライダーにであった。

 1年の時の新歓期。ものめずらしさから航空部に興味を持った。そして何も分からないまま、埼玉県妻沼(めぬま)町で行われた航空部の体験登場会に参加した。実際に機体を前にして、その格好よさに目を離すことが出来なくなった。

 いざ、グライダーに乗り込む。凧揚げの要領で揚力が働くと、機体が浮き上がる。滑走路から離脱し、上昇気流に乗って高度を上げていく。地面との距離が遠くなる。

 目の前の広大な空、眼下に広がる美しい景色に心は奪われる。「なんてきれいなんだろう」。グライダーに初めて乗ったときの感動は、言葉では言い表せないくらい大きなものだった。

 強く「自分の手でグライダーを操ってみたい」と思った。ライセンスを取れば、自分1人で操縦できると聞き、取得の意思を固めた。そのまま入部を決めて以来、グライダーの虜になっている。

 普通の飛行機と違い、エンジンのついていないグライダーは自然の気流を利用して飛ぶ。自らの腕だけが頼りだ。そのかわり、上手く気流を捉えることができれば何時間でも、それこそどこまでも飛ぶことができる。

 彼女はそこにグライダーの魅力を感じるという。「今はまだ10分くらいですけれど、将来は1時間くらい飛べるようになりたいです」と話してくれた。

 そのために彼女は年間40日以上激しい合宿生活を送っている。辛いこともあるが、「きっと一生続けていくと思います」と宣言する野村さんには夢がある。

 まずは操縦技術を向上させライセンスを取得すること。彼女は次の夏休みにはアメリカに行き、ライセンスの試験を受ける予定だ。来年度の関東学生グライダー競技会に出場するためである。

 また、野村さんは「いつかは友人や家族を乗せ、他では決して味わうことの出来ない空の魅力を一緒に分かち合いたいのです」と瞳を輝かせる。

 彼女の夢と可能性は、空のように無限大に広がっている。(江崎瑠里子) 

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■ 【第183号 2003/09/30】 Replay:スキー部主務 雄賀多沙紀さん(営4)

 目標がはっきりとしていれば、それを達成したときの喜びは何倍にもなる。

 雄賀多さんは、3年生のときの全日本学生スキー選手権大会クロスカントリーリレーで2部優勝を果たしたとき、それを実感した。前年も優勝したのだが、その時は明確な目標がなかった。「2年生のときの優勝の瞬間は、勝ったという事実が信じられなかったですね。けれども、うれしかったことは確かです。もう一度きちんと優勝したいと思いました」

 2年生までは、先輩に言われるままに練習をこなしていた。そのため、優勝しても本気で喜べなかった。そして次こそは本物の勝利を味わいたいと強く思うようになった。

 そんな思いを抱きながらトレーニングチーフとして3年生のシーズンに臨んだ。部員不足のため、経験の少ない1年生を育てなくてはならない状況の中、厳しい練習メニューを課した。それでも、つらい練習を乗り越えたところに大きな喜びが待っているとチームメイトを励まし続け、優勝というチームの目標を共有しあうことができた。

 そして本番。とにかく優勝を信じて走った。2走の雄賀多さんは、自分の区間で1人抜いて、順位を5位から4位に上げた。その後の3走がまたひとつ順位を上げると、アンカーがついに1位に躍り出る。そのまま1位をキープしてゴールしたときは、みんなで喜び、抱き合った。

 優勝したいというはっきりした目標があったからこそ、過酷なレースを乗り切ることができた。つらい練習を耐えつかんだ優勝の喜びは、とても大きいものであった。

「もう本当に最高でしたね。チーフとしてチームを作りながらの優勝だったので、前年度の優勝よりもうれしかったです」

 今年は4年生。来年の1月に最後の全日本学生選手権が控える。

「もちろん3連覇を狙いますよ。最後の年ですしね。2回目よりもさらに大きい達成感を味わいたいと思えば、つらい練習でも乗り越えていけます」と力強く語ってくれた。その強い意志をもってすれば、勝利の女神はきっと彼女に微笑んでくれるだろう。(内藤真治)  

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■ 【第182号 2003/07/07】 Replay:ラグビー部主将 横内正宏さん(政4)

 2000年秋、1年生で挑んだ関東大学対抗戦の対上智大戦。試合は同点のまま後半ロスタイムにもつれ込んだ。

 本学は敵陣に攻め上がり、得点のチャンスを迎える。ここで、味方からのパスが横内さんめがけて出されたが、ボールは無情にも彼の両手をすり抜け、グラウンドに転がった。相手はそのミスを見逃すことなくボールを奪うと、本学陣内へ猛然と攻め込む。不意を突かれた本学はその勢いを反則で止めるのが精一杯。ペナルティーキックを許してしまうと、相手に勝ち越しゴールを決められ、そのままノーサイドの笛が鳴り響いた。

 試合後に両足をつるほど全力でプレーした。しかし、一瞬の気の緩みで、チームの足を引っ張ってしまう結果に終わる。

 「それまでは、大学の試合でも無難にこなしていて、自分はこのままでもいけるんじゃないかと思ってました」

 だが、大学ラグビーはそんなに甘いものではなかった。たった1つのミスが敗戦につながってしまうシビアな世界なのだ。

 それでも横内さんは「今思うと、1年生という早いうちにあの経験ができて良かったですね」と振り返る。あのときに挫折を経験していなくても、いつかきっと壁にぶつかっていただろう。けれども、それまでに過ぎ去ってしまった日々は取り戻せない。少しでも早く、挫折を味わったからこそ、今の彼があるのだ。

 「成功ばかり経験しているよりも、失敗を多く積んだ方が、さらに上にいけると思うんです」

 自分の甘さを痛感させられても、決してくじけることはなかった。むしろそれを原動力へと変え、よりラグビーに対する意識を高めることができたのだ。

 横内さんは「上智大には負けられないですね」と秋への抱負を述べた。

 あの挫折から3年の月日が流れた。大学ラグビーの厳しさを思い知らされた上智大にはあれ以来、一度も勝っていない。上智大を破ることのできるレベルまで達することができたのか。主将としてチームを引っ張る今年、彼の真価が問われる。(大田祐貴)  

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■ 【第181号 2003/06/09】 Replay:ヨット部 大坪沙織さん(政4)

 海はどこまでも広がっている。
 波を切る。しぶきを巻き上げながらヨットを駆る。
 普段とはどこか様子が違っていた。青い眼の選手たちが肩を並べる。よどみない英語が飛び交う。胸の高ぶりを抑えることができない。何もかもが新鮮だった。
 さわやかな風が吹いた。

 「ヨットの魅力は、いろんな人と知り合えることです」と大坪さんは言った。
 大学でヨットに惹かれ、心を奪われる。ヨットのことなど何も知らなかった女子大学生は、船を学び、海を学び、やがて日の丸を背負うことになる。
 人との触れ合いを楽しむ。その気持ちが原動力だ。どんなレースでも気負いはない。全日本日建レンタコムカップ5位。見事アメリカ・ロサンゼルスへの切符をつかんでみせた。

 2002年11月。日米学生親善レース。日米の精鋭が一堂に会する大舞台だ。
 印象的な場面があった。
 レース中にアメリカのあるチームと口論になった。コーナーを前にして、接触を避けるためにどちらが進路を譲るかでもめたのだ。結局は大坪さんらが説き伏せ、先行した。そしてレース後に彼らが詫びてきた。あなた方の判断が正しかった、と。
 些細なことではあった。しかしたとえ国境を隔てていても変わらないものが、そこには確かに感じられた。
 ただ我先にと競い合うばかりではない。分かち合い、支え合い、あるいは高め合う。共にこの海に生きていく。そういった一体感。誰もが好敵手でもあり仲間でもある。ヨットを通じてつながっているのだ。

 そして世界は海を通じてつながっている。
 「海って毎日違うんです。風の強さとか、波の大きさとか。だから毎日新しい気持ちになれます」
 海は様々に形を変えて人々を魅了する。人々を引き合わせる。幾多の出会いがそこにはあるのだ。
 海はどこまでも広がっている。
 そして大坪さんは海を駆ける。(高橋豪士)  

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■ 【第180号 2003/05/12】 Replay:フェンシング部女子主将 中島風子さん(営4)

 表彰台の頂点に立つ。そこから広がる景色。今まで目にしたことのない世界に、心は打ち震えていた。

 2000年、夏――。香港で開催されたアジア大会に中島さんの姿があった。日本代表選出。突然かかってきた電話で、そのことを知らされた。

 「その前にあった世界選手権の予選3位までが出られるんだけど、私は5位だったのね。でも繰り上がりで行けることになったと言われて。とにかく驚いて、本当か嘘かも分からない感じだった」

 突如舞い込んできた大きな機会。初めて国際大会への出場権を得た。

 「国の代表だというプレッシャーはあった。でもそれ以上にチャンスと思っていたから、割と楽しんでできたかな。初めて外国の人と試合して、国が違ってもフェンシングを楽しむ気持ちはどこも同じだなと思った」

 各国の強豪たちを退け、日本チームは決勝へ。アジアの覇権をかけて韓国チームと激突する。彼女の胸中には、足を引っ張りたくないという思いがあった。点を取られないことを第一に考えて戦い、勝利に貢献。アジア制覇の快挙を成し遂げたのだった。

 表彰台に上り、メダルを受け取る。浴びせられる祝福の歓声。これまで立ったことのない場所に自分がいた。

 「客席から見るのではなく、客席を見てる側だから眺めがすごく違った。自分は本来ならばここにいないはずの人間。それに国内でも団体戦で優勝したことないのに、こんな大舞台で……。本当に夢のようだった」

 そして芽生えた自信。今までは遠くに思えていたものが、近くに感じられた。

 「憧れじゃなくて、本当に上を目指せるんだという思いが出てきた。あそこから全てが変わった。社会人になっても続けようと思えたし、大きな分岐点だったな」

 個人戦でも10位の好成績を残したこの大会後、関東新人戦で優勝を達成。まさしく、あの時手にした自信と経験によるものだった。

 今目指すのは世界選手権、日本代表の座だ。再びあの場所へ。彼女には忘れえぬ景色がある。(馬場瑠美香)

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