日本航空123便墜落事故

日本航空123便墜落事故は、1985年(昭和60年)8月12日に日本航空所属のボーイング747型機が群馬県多野郡上野村の山中に墜落した航空事故である。事故当日はお盆の帰省シーズンの月曜日で、ビジネス客の他、当時開催されていたつくば科学万博や東京ディズニーランドからの帰り客がいたことなどからほぼ満席となっており、乗員乗客524名が搭乗していたが、墜落によりそのうちの520名が犠牲となった。

年月が過ぎたとはいえ、今Web上で検索すれば事故の情報をいくらでも収集できる。ネット上では、当時の事件を報じる新聞画像、墜落現場の写真などが見つかる。そんな中に、操縦席の会話を記録したとされるボイスレコーダーの音声を公開しているサイトがある。異常発生から墜落まで約30分の音声を短くまとめて再生したものでWebでは事故機の飛行ルートも重ねて表示している。事故当時、私は生まれていなかったが、墜落を回避すべく懸命の努力を続けるパイロットたちの肉声を現在Webを通して聞いている。この事故は本当に忘れてはならないし、伝えていかなければならない。

東日本大震災

東日本大震災は、2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源に巨大地震が発生した震災である。東日本の各地で大きな揺れを観測するとともに、海岸線に壁となって押し寄せた津波により多くの人命が失われ、東日本をはじめ、日本各地に甚大な被害をもたらした。

津波の高さは9m以上といわれ、建物の5階まで浸水した地域もあった。死者は1万5899人。そのほとんどが津波によるものだ。現在も2527人の方が行方不明で捜索活動が続けられている。東日本大震災は、地震そのものの影響に加えて、津波、火災、停電、福島第一原子力発電所の事故など多岐にわたる被害をもたらした、大規模な複合火災だといえる。この東日本大震災後も、熊本地震、西日本豪雨など犠牲者を出す災害が絶えない。災害の記憶を共有することが防災と発災時の減災に必ず繋がる。今後災害が起きた時に自分はどう行動するのかそれぞれが考えていかなければならない。

大阪市北新地ビル火災

大阪市北新地ビル火災は、12月17日午前10時30分ごろ、大阪市北区の繁華街・北新地にある雑居ビル4階で起きた。出火元は心療内科・精神科の医療機関「西梅田こころとからだのクリニック」だ。この事件で26人が死亡した。犯人とみられる男は一酸化炭素中毒による蘇生後脳症で死亡した。容疑者を含む27人が心肺停止状態で搬送され、死者はいずれも一酸化炭素中毒だった。

容疑者の男が引火させた場所が、クリニックの入口付近だったことで、被害が拡大した。外に避難するためのエレベーターと非常階段は入口の奥にあり、クリニックの中にいた人が逃げるためには火元を通らなければならない。油による火が激しく逃げられなかった人が多く、被害者が増えてしまったとされる。不特定多数の人が利用する雑居ビルでは安全対策としては放火も想定すべきではないか。脱出路が限定されるビルに対しては水道管直結方式の簡易型スプリンクラーをせめて義務付けるなど安全対策が重要である。

高見茉白