『「知」の欺瞞』のページへ
第1-11 刷訂正 |邦訳文献 | 第1-4刷訂正 | 第1刷訂正
Last modified: 4/4/2007
まったく今さらでお恥ずかしいですが、「エピローグ」での誤訳を指摘していただきましたので訂正します。
-
本文 p. 278 7 行目
実証的な科学論へのクーンの挑戦 → 論理実証主義的な科学哲学へのクーンの挑戦
Last modified: 8/1/2000
読者の方から教えていただいた文献の追加のリストです。
(情報をくださったた方々のお名前は省略させていただきます。)
-
p. 7, Albert, David Z. (1992)
『量子力学の基本原理 なぜ常識と相容れないのか』
高橋真理子訳
(日本評論社 1997)
-
p. 10, Chomsky (1979)
ミツ・ロナ編『チョムスキーとの対話 : 政治・思想・言語』三宅徳嘉ほか訳(大修館書店、1980)
-
p. 12, Derrida (1970)
ジャック・デリダ「人文科学の言語表現における構造と記号とゲーム」
(『エクリチュールと差異』下巻所収、法政大学出版局、1983)
-
p. 13, Duhem (1954)
ピエール・デュエム『物理理論の目的と構造』小林道夫ほか訳(勁草書房、1991)
-
p. 13, Eagleton (1995)
テリー・イーグルトン『ポストモダニズムの幻想』森田典正訳(大月書店、1998)
-
p. 16, Granon-Lafont (1985)
『ラカンのトポロジー』中島伸子、吉永良正訳(白楊社、1991)
-
p. 16,Grosser (1962)
M.グロッサー『海王星の発見』高田紀代志訳(恒星社厚生閣、1985)
-
p. 17, Hegel (1989 [1812])
ヘーゲル『大論理学』寺沢恒信訳
(以文社、1977)
-
p. 18, Kristeva (1974)
J.クリステヴァ『詩的言語の革命 第三部:国家と秘儀』松島征、枝川昌雄、原田邦夫訳
(勁草書房、2000 年 9 月刊行予定)
本文 p. 65-66 の引用部分が訳されているものと思われる。
-
p. 21, Lechte (1994)
ジョン・レヒテ『現代思想の50人』山口泰司・大崎博監訳(青土社、1999)
-
p. 22, Lodge (1984)
デイヴィッド・ロッジ, 高儀 進訳
『小さな世界 ― アカデミック・ロマンス』
(白水社, 1986)
-
p. 26, Russell (1948)
鎮目恭夫訳『人間の知識』(みすず書房、1960)
-
p. 26, Russell (1949)
バートランド・ラッセル『ロシア共産主義』河合秀和訳(みすず書房、1990)
Last modified: 9/11/2000
読者の方から教えていただいた誤植等をまとめておきます。
これらは第5刷以降では修正されています。
(情報をくださったた方々のお名前は省略させていただきます。)
-
本文 p.5 註 6、および索引 p.6 に登場する Lechte の人名表記を「レヒテ」に変更します。
Lechte はオーストラリア在住なので、
周りの人からは九分通り「レクティー」、「レクトゥ」のように呼ばれていると思いますが、
Lechte 本人に確認したところ、ドイツ語読みの「レヒテ」が正式だとの回答がありました。
-
p. 157 7行目 [NEW, 9/11/2000]
さらに付け加えておくべきは、発見はすべて形の整った、つまりは理に叶った言葉遣いで表現されなければならないということがある。
文末を以下のように修正:
・・・ことである。
Last modified: 7/5/2000
読者の方から教えていただいた誤植等をまとめておきます。
これらは第二刷以降では修正されています。
(情報をくださったた方々のお名前は原則として省略させていただきます。)
本文
-
p. xv 最後から5行目
(誤)フィリップ・ソレル (正)フィリップ・ソレルス
-
p. 42 引用の最後の一文、p. 43 (*4)
The notion of a loss is
the effect afforded by the instance of the trait which is what, with the
intervention of the letter you determine, places ---
say a${}_1$ a${}_2$ a${}_3$ ---
and the places are spaces, for a lack.
山形浩生さんから、上の原文が文法的でないというのは誤りとご指摘を受け、
正しい翻訳の示唆もいただいた。
おっしゃるとおり。
上で赤くしるした ``places'' を動詞(主語は what)と解釈すれば、
文法的には成立する。
しかし、引用の中で、この最後の一文だけが極端に意味がとりにくいことは事実。
以下、新しい訳。
喪失の概念とは、みなさんが決める文字の介入にともなって、
置く=場所化するものである特徴 --- たとえばa${}_1$ a${}_2$ a${}_3$ --- の例によって生み出される効果であり、
そして、場所とは空間なのです、喪失のための。
-
p. 54 註 37 最後の行
(誤)「セメイオケチ」 (正)「セメイオチケ」
-
p. 74 註 52
(誤)Russele (正)Russell
-
p. 119 註 111 の Russell への参照。
邦訳情報を追加
(市井訳、第3巻、29, 30 章、とくに p.817)
-
p. 158, 7 行目、限性子の仏語
(誤)quanlificateur (正)qualificateur
索引
-
p. 2 コーシー
(誤)Cauchy, Agustin Louis (正)Cauchy, Augustin Louis
(このタイポは英語版からの遺伝。)
言うまでもないことかもしれませんが、私の書いたページの内容に興味を持って下さった方がご自分のページから私のページのいずれかへリンクして下さる際には、特に私にお断りいただく必要はありません。
田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
Hal Tasaki
Department of Physics, Gakushuin Univeristy
Tokyo, Japan
hal.tasaki@gakushuin.ac.jp
田崎晴明ホームページへ