マセマティカルフィジックス・ワンダーランド

見栄えはよいが凡庸な「美」のイメージを大上段に論じるほどには若くはない。かといって、深い経験と洞察に根差した「美」を淡々と説くには若すぎる。そういう中途半端な年齢の理論物理学者としては、私が日々どのように仕事をし、そこで何を味わっているのかを率直に語ることにしたい。

「どういう数学を使っているのですか?」と聞かれると、たとえば量子多体系の問題を扱っているときには(もっと響きのいい答え方はあるかもしれないけれど)、「線形代数です」というように答える。理論物理とは様々な既存の公式を駆使して問題を解いていく営みであると理解している人には、線形代数の分厚い教科書を開いて、物理に使えそうな定理や公式を物色している姿が想像されるかもしれない。もちろん、そういうのとは随分違う。面白い物理の問題が、既存の数学の道具を使ってすんなりと解けるというのはかえって珍しいことだ。新しい結果を導くための道具は、ほとんどの場合、新しく作るしかない。新しい道具をどうやって作るのかというと、結局は、研究している「物理現象」そのものに教えてもらうのが一番いいのである。

物理学者(少なくとも私)にとっては、「面白い物理現象」を「理解」したいという欲求が、研究の最大の動機付けである。「物理現象」は実験、観測で見られるものだけでなく、数学や計算器の助けを借りて見えてくるものでもよい。具体的で生き生きとした「物理現象」がそこにあると感じられれば、それが仕事のエネルギー源になる。これは、個々の現象よりも数学的な構造を重んじる(ように私には見える)多くの数学者たちとの根本的な違いかもしれない。「面白さ」の基準はかなり直感的だが、派手な爆発が起こるからといった皮相的なものではない。あえて言えば、その物理現象が不思議なとき、つまり、定義をいくら眺めてもそんな物理現象がでてくるとは予想もつかないようなときに、特に面白いと思う。一見面白そうでも、少し考えると理解できてしまうような問題は、面白くないということになる。(私の場合には、量子力学や統計力学の多体問題や場の量子論など、単純な法則に従う微少な要素が無数に集まった結果、全体としては全く新しい振る舞いを示すような現象を特に面白いと感じてきた。)

面白い物理現象に出会ったら、その世界に入り込み、ひたすら歩き回る。(理論物理と数学の道具を用いて「歩く」わけで、具体的には、闇雲に計算したり、ぶつぶつ言いながらアイディアを練ったりしている。)最初の間は大したことはできないが、景色を眺めたり、住人たちの声を聞いたり、時にはこちらからちょっかいを出したりしながら、その世界で何日、何カ月と過ごす。うまくすれば、最初は気がつかなかった美しい景色(新しい面白い物理現象!)も見えてくるし、住人たちの気心も知れてきて、彼らと付き合うのに一番いいやり方(欲しかった新しい数学の小道具!)もわかってくる。そうなれば、探検は楽しくわくわくするものになる。計算器による数値計算が役に立つこともある。それは、探検に携えていくと便利な航空写真のようなものだ。(もちろん、航空写真を見るだけでは探検のかわりにはならない。自分の足で歩いてこそ、森の中の湖を見られるし、湖の底に沈んだ古代の遺跡やそこに住まう妖精などにも出会える。)

探検が成功におわれば、「物理現象」はほとんど理解されたといってよい。(私の場合には、その現象が生じることの証明もほぼできあがっている。)大それた言い方だが、こういうときには「人類全体が少しだけ利口になった」という感慨がある。後は、人間の世界に戻ってきて、証明や計算の仕上げをしたり、論文を書いたりするわけである。論文を読んだ人が、同じ世界を探検してくれれば(あるいは、飛行機で飛んで航空写真をとってきてくれれば)、さらにうれしい。

物理学全体を支配する使命感のようなものが失われてしまって久しいと感じる。そんな時代には、多くの人が共有できるような「普遍的な面白さ」を持った物理現象たちを、みつけて、理解していくことが大切だろうと思っている。普遍的な面白さにいたる道はまだ遠いけれど、今は、自分の足で物理の世界を歩き回り、ゆらぐスピンたち、自己同一性を持たない電子たち、量子化された場、ランダム図形といった私の好きな住人たちの声を一生懸命聞きとっていきたいと思う。この雑誌が 600 号、700 号と号数を重ねる頃には、理論物理学者の見た世界の「普遍的な美」について語ることができるかもしれない。

(数学セミナー、1995年1月号、創刊 400 号記念特集「数学と美」)


「よい数理物理」とは?

厳密な理論というのは、たとえばダイアグラム計算や数値対角化とは違って、本質的にパッケージ化できないものである。 証明したい「物理」について深く深く考え、どのような数学的道具が必要かを物理現象そのものから学びとる。 高校生レベルの数学で事足りるときもあれば、新しい数学の道具をゼロから作る必要があるかもしれない。 それはどちらでも構わない。 とにかく、生き生きとした魅力的な「物理」を完全に理論的にコントロールすることが研究の動機であり、指導原理である。 少なくとも私の考える「よい数理物理」とはそのようなものである。

(固体物理、1996年3月号、「Hubbard 模型の数理と物理」より抜粋)


Last modified: September 7, 1996

田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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Hal Tasaki
Department of Physics, Gakushuin Univeristy
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