S からの年賀状

「数学セミナー1月号の記事、面白く読みました。」

S からの年賀状は、そう始まっていた。 S は、私が大学1年の頃から、一緒に数学や物理を学び、音楽を聴き、酒を飲み、徹夜でビリヤードを憧いた友人である。 私の大学生活に様々な影響を与えてくれた S が拙文を読んでくれたのは、思いの外の喜びだった。S の年賀状は、「フェルマー予想が解決されてからまた数学に興味がわき、数学セミナーを読んでいます。」と続いていた。数学科を卒業した後、大手の証券会社の研究所でエリート社員として休む間もなく働いていた S も、300 年来の難問の解決に強い興味を持っていたというわけだ。

S とはもう何年も会っていなかったが、学生時代に本当に親しくなった相手の常として、疎遠になったという感覚はなかった。出会うチャンスがあれば、大学の喫茶店で毎日顔を合わせていた頃のように、いくらでも話が続けられることがわかっていた。私が S に書き送っていた年賀状でもフェルマー予想に触れていたので、次に S と会えば、この予想を取り巻く話題について話がはずむはずだった。

いうまでもないことだが、フェルマー予想は(たとえばリーマン予想や重力場の量子化とは違って)問題設定だけなら中学生にも理解できる。そんな問題が、長い間未解決だったというのは、学問のフロンティアが極めて身近なものであり、かつまた極めて深遠なものだということを示す格好の例だったと思う。その難問が、300 年以上を経て(我々の生きているときに)遂に解決したというのは素晴らしいことだ。人類というのは、たった一つの問題を何世代にもわたって考え続けて解くことができるという事実が、際だった例ではっきりと示されたのである。私も人類の一員として、この問題を解いてくれた数学者たちに感謝したいし、それ以上にこの成功を一緒に喜びたいと思っている。

ところが、数学者というのは個々の現象や一つ一つの問題をあまり重視しないらしい。それよりは、全てを包み込む巨大で美しい数学的構造が大切だという。今回も早速、「フェルマー予想の解決も大事だが、本質的に重要なのは志村-谷山予想が解けことだ。」と、現代数学を理解しない輩がフェルマーの解決を無闇に喜ぶのを牽制している。(かくいう私も、志村先生のお宅にお招きいただいたことはあるけれど、志村-谷山予想のなんたるかは知らない。この予想を取り巻く数学的構造についても何も知らない。

こういった数学者の態度は、数学を単なるパズル解きにしてしまわないためにも大切なのだろう。しかし、数学には人類全体の文化の一部分という側面もある。そう捉えたときには、感動を誘う現象の理解や、心を打つ美しい問題の解決も、数学の重要な要素だと思う。フェルマー予想の解決は、人類みんなにとっての素晴らしいニュースだ。この際、少しでも数学に関心を持ったことのある人々みんなが、数学者も、企業人も、引退した人も、みんながそろってこの問題の解決を素朴に喜び、「我々が勉強していた数学というのはやっぱりすごいものなんだな!」と語り合えた方がずっといい。そういった「知的な無邪気さ」は、とても大切なものだと思う。

S と会えば、私はこんな話をするはずだった。文化の様々な側面について一流の見解を有する S が、この文化史上の大事件をどう捉えているかを聞いてみたかった。しかし、5月のある日、突然体調を崩した S は、30代半ばにして帰らぬ人となってしまった。信じられない話だったが、仏壇に飾られているのは紛れもなく明るく笑っている S その人の写真だった。

S と語り合うはずだった様々な考えや思いは、みな宙に浮いたまま行き場を失ってしまった。せめて、やりきれないままに書いたこの一文を、 S に捧げたい。これをどこかで読んだ S が、また気の利いた感想を年賀状に書いて送ってくれるような気がしてならないのだが。

(数学セミナー、1995年11月号 S-mail)


Last modified: June 30, 1996

田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

Hal Tasaki
Department of Physics, Gakushuin Univeristy
Tokyo, Japan
Hal Tasaki's home page in English

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp