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更新日 2024 年 8 月 5 日
地動説の場合と同様、ミクロな世界についての科学も、分子や原子や素粒子の存在を単に暴くだけでは、人の知的営為として不十分なのである。 ミクロな構成要素の存在が必然であることを立証するかたわら、マクロな世界がわれわれが知っているような姿をとってわれわれの目に映り手に触れるのは何故か、人類が分子・原子・素粒子の存在に気づくのにこれほどの時間がかかったのは何故かについても、満足のいく論理的な解答を用意する必要がある。 つまり、ミクロな世界の存在が明らかになった以上、目に見えないミクロの世界の法則と、経験できるマクロな世界の現象を、論理的に結びつける科学が必要になってくるのだ。 それは、ミクロな構造をもった世界にマクロな知的生命が発生し世界を論理的に理解しようと試みたとき、必然的に生まれてくる科学研究の流れと言っていいだろう。 そして、私自身のかなりバイアスのかかった意見を述べれば、こういった科学は「面白いことが自明」ではないが、ある程度の知的背景を獲得したときに真の深さと面白さが浮かび上がってくるような深淵かつ重要な問題の一つなのである。
予想されるように、ミクロの世界とマクロの世界を結ぶのは、きわめて非自明で困難な課題であり、今日でも未解決の点は無数にある。 それでも「平衡状態」と呼ばれる限定された状況については、ミクロな世界の法則がどのようにしてマクロな世界と対応するかについての、ほぼ完全な一般論が得られている。 それは、人類の科学の中でももっとも大きく成功した基礎分野の一つであり、平衡統計力学あるいは単に統計力学と呼ばれている。 統計力学は、マクロな系の平衡状態を扱う際の必須の言葉であり、物理、工学、化学などの諸分野の基礎の一つになっている。 同時に、統計力学は、様々な非自明で魅力的な研究が展開する生きた研究の舞台でもある。(第 1 章より)
田崎晴明「統計力学 I」,「統計力学 II」
培風館、新物理学シリーズ 37, 38
定価: I 巻 3400円+税、II 巻 3300円+税
2008 年 12 月 5 日発行
アマゾン(統計力学 I、統計力学 II)、e-hon(統計力学 I、統計力学 II)、
楽天ブックス(統計力学 I、統計力学 II)
何年間にもわたって構想を練り、三年近くをかけて執筆した統計力学の教科書が 2008 年のおわりに出版されました。
統計力学の本格的な入門書、そして、もっとも標準的な教科書を世に出すことを目指して執筆しました。 もちろんまだまだ完全ではありませんが、私なりにじっくりと考えた上で工夫と試行錯誤を重ね、さらに、数多くの人から有益なコメントをいただいてくり返しくり返し書き直して改良したのがこの本です。
幸いにも出版直後から多くの方に好意的に受け入れていただき、順調に増刷をつづけています。 本書を支持してくださったみなさんに心から感謝します。
これからも、お一人でも多くの方が本書を手にとられることを願っています。
本の冒頭の「はじめに」(本屋さんで立ち読みしていただきたいところ)を pdf ファイルでお読みいただけます。
田崎晴明
本書を執筆するにあたっては、統計力学にはじめて接する初学者、既に一通り統計力学を学んだ上でさらにしっかりと考えてみたいという既習者、さらには、専門の研究者や教育者にいたるまで、幅広い読者にとって有益なものを書くことを目指しました。 これがきわめて欲張りな目標であることはよくわかっていますが、それを実現するために、最大限の工夫と努力をしました。
そいういうわけですので、本書のどういう部分が特徴的(で、望むらくは、すぐれている)と考えるかは読者の立場によって大きく異なるでしょう。 それぞれの立場の人は、(おもに)以下のような点を本書の特徴と感じてくれるだろうというのが、私のねらいです。
まず、初学者を想定して以下の点に留意しました。
力学、電磁気学、初歩的な量子力学の知識を前提として、統計力学の基本的な考え方と応用を概観する(ただし、量子力学、電磁気学、連成振動などについては、必要な事項を解説する)。 I 巻を通読すれば、統計力学の思想、手法、そして文化にひと通り触れ、それらが物理学のより大きな流れとどう関わっているかを味わうことができるはずだ。 理科系の素養をもった方が、本格的な統計力学に触れてみたいという場合にもおすすめできる一冊である。
統計力学についての「心構え」を述べたあと、確率論と量子論からの必須の知識をまとめる。 続いて、マクロな系の平衡状態についての熱力学的な経験事実を出発点にして、平衡状態を確率モデルによって記述するという戦略(等重率の原理)を一気に提示する。 長い長い時間発展の末に実現される平衡状態を、時間発展の情報をいっさい含まない確率モデルによって記述しうるというのは、人類の自然認識にとって本質的な、驚くべき事実である。 もっとも実用的な確率モデルであるカノニカル分布を早々に導入し、理想気体、常磁性、高分子の弾性などの基本的な応用をみる。 さらに、二原子分子の熱容量、固体の比熱、黒体輻射といった、統計力学の創始者たちを悩ませた問題が、統計力学と量子論の組み合わせで見事に解き明かされることをみる。
原子・分子の存在をめぐる論争から説き起こし、最後は、量子論の誕生、ビッグバンから約四十万年後の「晴れ上がり」の時期の宇宙への統計力学の適用(宇宙背景輻射の問題)にまでおよぶ、壮大で真摯な科学物語でもある。
II 巻の主要なテーマは、物理学を学ぶ者には必須の量子理想気体の統計力学、そして、統計力学のもっとも魅力的な話題である相転移と臨界現象への入門である。 さらに、異なった確率モデルの等価性という重要なテーマについても詳述する。
まず、量子理想気体を調べるために欠かせない道具になるグランドカノニカル分布を導入する(8 章)。 そのまま量子理想気体の章に入るのが自然だが、ミクロカノニカル分布、カノニカル分布、グランドカノニカル分布の三つの確率モデルが顔を出したところで、じっくりと腰を据えて、これら三つの確率モデルの関係を論じる(9 章)。 9 章は、熱力学におけるルジャンドル変換の復習から入り、ミクロカノニカル分布と (U,V,N) 表示の熱力学の関係を吟味し、それから、三つの確率モデルが(熱力学のルジャンドル変換を介して)等価になることをみる。 厳密な結果の紹介も含めた中身の濃い章なので、余裕のあるときに読んでいただきたい。
量子理想気体をあつかう 10 章では、まず、多体の(とくに、多数の同種粒子からなる)量子力学の扱いを丁寧に解説し、一体の量子力学の知識だけで読み進められるよう、配慮した。 量子理想気体の一般論を整理した後、フェルミ理想気体、ボース理想気体それぞれについて、典型的な例をとおして、多体系における量子効果がいかに非自明な物理を生み出すかをみる。 最後に、調和振動子の集まりを理想ボース系とみる描像(場の量子論の基礎)にも触れる。
相転移と臨界現象への入門である 11 章では、相転移研究という大きな流れのなかでのスピン系の研究の位置づけを明確にすることから始めた。 それ以降の展開は、一次元イジング模型の厳密解、平均場近似と、スタンダードである。 最後に、イジング模型の相転移について厳密に知られていることを解説した。 スケーリングやくりこみ群など(実は、私が得意とする)臨界現象の深い扱いには踏み込まなかったが、それよりは、なぜ相転移と臨界現象の問題が魅力的で重要なのかの本質を伝えることを目指した。
II 巻の付録はやや上級者向けだが充実している。 付録 B は、多変数の凸関数とそのルジャンドル変換についての、初等的かつ数学的に厳密な解説。 私の知る限り、この内容を(証明も含めて)初等的に解説した文献は(英語のものも含めて)一つもない。 さらに、付録 C では、(統計力学の重要な理論的基盤である)一般のマクロな量子系の状態数の挙動についての定理、および、異なった確率モデルの等価性の定理を証明する。
8, 10, 11 章は、物理学科で統計力学を学ぶ上では必須の内容であり、初学者でもゆっくりと学べるように丁寧に書いた。 さらに統計力学についてじっくりと考えたい読者は、9 章、そして、付録にも目を通していただきたい。
直接にせよ間接にせよ、本書の完成のお手伝いをしてくださったことを心から感謝しています。 ありがとうございました。
もちろん、お手持ちの草稿やファイルを破棄される必要はありません。 ただし、今後は、ファイルや草稿の複製や配布はいっさいおこなわないようお願いします。
なお、出版されたバージョンでは膨大なミスの修正と改良がおこなわれているだけでなく、新しい問題や内容(大きいところでは、二原子分子理想気体のセクションと、二次元イジング模型の低温展開のセクション)が付け加えられています。 できれば手にとってご覧いただきたいと思います。