銀単結晶表面(111)、(110)、および(100)上のキセノン物理吸着層の成長と構造
自然科学研究科物理学専攻博士前期過程
99-141-009 戸坂 亜希
1. はじめに
原子的に平坦かつ均一な表面上に物理吸着した気体分子は擬二次元的に振る舞うことが知られている。吸着系と平衡状態にある気相の圧力が上昇したり、吸着系の温度が下がると吸着量は増し、ある条件で二次元凝縮を起こし、二次元の気相から二次元の固相へと相転移をおこす。グラファイト上の希ガスの系は、これまでに多くの研究が行われ、二次元の相図もほぼ明らかにされている。金属上の物理吸着系については、清浄表面を保つのが困難であることなどから、あまり研究はなされてこなかった。
本研究ではAg(111)、Ag(110)とAg(100)に物理吸着するXe層について、偏光解析法と極微少電流低速電子線回折法を用い、層成長、吸着層の構造、および成長に伴う吸着層の構造変化を観察した。同じAg下地で、表面原子の疎密の度合いや、原子配列の周期性の違いが、吸着層の構造や成長過程に与える影響について明らかにすることが目的である。
2. 実験装置
本研究で使用した実験装置は、偏光解析法と極微少電流低速電子線回折法(XLEED)を同時に使用できる。さらに吸着相とまわりの気相との平衡状態を維持したままで観察できることも大きな特色の一つである。
偏光解析法は入射光と反射光の偏光状態の変化から表面の光学的性質を調べる手法である。パラメータδΔは吸着量に比例し、層成長の様子を観察することができる。非破壊であり、気相の圧力に制限がないことなどが特徴の一つである。XLEEDはLEEDの入射電子電流を1pA以下までおさえ、脱離等による試料の破壊を極力少なくした方法である。XLEEDでは回折像から、下地および吸着層の構造や、吸着層の原子間距離の変化、さらに下地Ag(10)スポット強度変化から層成長の様子も観察することができる。
試料表面を清浄に保つため、実験は1X10-8
Pa以下の超高真空装置内で行った。原子的にきれいなAg下地を得るためにイオン衝撃と焼き鈍しをくり返した。それぞれの下地で、その結晶性を反映したきれいなXLEED像を確認した。
3. 結果と考察
3-1. これまでの研究について
これまで我々は、Ag(111)に物理吸着するXe原子の成長と構造変化の様子を観察してきた。,
Ag(111)上でのXe層は、下地に対して不整合だが方位のそろった構造をとる。そして殆どバルクとみなせるくらい厚く成長したあとでもきれいな六方構造を保つことを確認した。また、一層目が形成された直後は、Xeの原子間距離はバルクでの値よりも大きいが、層が成長するにつれて圧縮を起こし、二層目が形成される前にはバルクの値に達する過程を観察した。この圧縮については五十嵐が理論的に計算を行い、定性的な一致を得た。
3-2. Ag(110)上でのXe層の成長と構造変化
Ag(110)上のXe層は、一層目が形成された直後、Fig.
1(c)に示すように、下地の畝に捕われた面心長方構造をとることを観察した。Fig.
1(a)およびFig. 1(b)に吸着等圧線とXe原子間距離の変化の様子を示した。吸着量が増すにつれ、畝に捕われていたXe層は、はじめ[001]方向への圧縮をしめす。一層目のなかばで[001]方向のXe原子間距離がバルクの値に達すると、その後[110]への圧縮をはじめる。二層目が形成される前には、六方構造をとるバルクXeとほぼ同じ原子間距離となり、その後数百層以上の厚さまで成長した後も、きれいな六方構造を保ちながら成長する。
3-3. Xe/Ag(100)の構造
Ag(100)上のXe層は六方格子をとる。Fig.
2にXLEED像を示した。Fig. 2(a)に示した構造は、Xe格子の基本ベクトルが下地の[011]あるいは[011]に一致している構造である。これは下地のステップの方向が[011]と[011]にあるために、そのエッジを核としてXe層が成長するためだと考えられる。
我々はこれとは他に、Fig. 2(b)のようなXLEED像も観察した。吸着層の基本ベクトルが下地の[010]と[001]に沿うような配列である。なぜこのような配列があらわれるのかということについて、温度や圧力に一定の条件があるのか、ステップエッジに核形成しない場合にあらわれるのか、あるいは基本ベクトルが[011]と[011]に沿う領域の境界部分なのかなどを原因として考え、現在検討中である。
また、Ag(111)およびAg(110)と同様に吸着層の原子間距離も観察した。その結果、一層目が形成された直後ではAg(100)上のXe原子間距離はバルクの値よりも3%程度大きいという結果を得た。
3-4. Xe/Ag(111)とXe/Ag(100)の吸着等圧線の同時測定
Xe/Ag(111)とXe/Ag(100)の吸着等圧線の結果の一例をFig.
3に示す。圧力1.1×10
-5Paでは、Xe/Ag(111)での一層目の凝縮はXe/Ag(100)より0.24K高い温度で起こり、二層目の凝縮は実験誤差の範囲内で同時に起こることを観察した。吸着等圧線を観察する手段を逆にしても、同様な結果が得られることを確認した。Ag(100)上ではAg(111)よりも低い温度で二次元凝縮を起こすという結果は、Ag(100)の方が下地の原子の密度が粗であるために、吸着原子間の誘起双極子モーメントが大きく、その結果反発相互作用が大きくなり、Ag(111)上よりも低い温度にならないと凝縮がおこらないからと解釈できる。
また、二層目の凝縮では、Ag(111)、Ag(100)のいずれの上にも、既に一層Xe層が形成されているために、凝縮に温度差があらわれないと考えられる。実験結果は両方の下地の温度とまわりの気相の圧力といった成長の条件が、同じであった証拠になる。
一層目が形成される時の凝縮の二次元凝縮の温度差が、結晶面によって誘起される双極子の相互作用が異なる為だと仮定して、双極子モーメントの違いについて計算した。計算には二次元のvan
der Waalsの状態方程式
を用いた。Fは二次元の圧力、Aは一分子が占有する面積、またa2、b2は二次元での気体分子間の力と分子の大きさで決まるものである。結晶面による誘起双極子モーメントの違いは吸着分子間の相互作用のパラメータa
2に反映させた。Ag(111)でのa
2を2.1X10
-39
Jm
2と見積もると、Ag(111)とAg(100)でのa
2の差は6.3X10
-42Jm
2である。ここから誘起双極子モーメントの大きさを見積もると、Ag(111)上でのXe層の誘起双極子モーメントは0.2Dであるのに対して、Ag(100)では0.22Dとなった。見積もったa
2を用いて、さらにMaxwellの規則を使って凝縮がおきる条件を計算することで、凝縮の温度差をもとめ、実験結果と比較し考察を行う。
Fig. 1 圧力1.5X10-5PaにおけるXe/Ag(110)の吸着等圧線と
(a)[001]方向、(b)[110]方向の Xe原子間距離の変化と (c)模式図。階段状の線は吸着等圧線をあらわす。Fig.
1(a)、(b)の左軸のdDは偏光解析法のパラメータで、吸着量に比例する。●は[001]方向のXe列の距離(d001)、▲は[110]方向のXe列の距離(d110)である。
Fig. 2 Xe/Ag(100)のXLEED像。(a)Ei=64.7 eV、T=77.5 K、p=1.5X10-5
Pa、(b)Ei=60.4 eV、T=78,1 K、p=5.1X10-6 Pa。外側の四回対称のスポットはAgに、内側の十二回対称のスポットはXeによるもの。
Fig. 3 Xe/Ag(111)とXe/Ag(100)の吸着等圧線。