Krクラスターの電子励起状態の研究
自然科学研究科物理学専攻博士前期課程荒川研究室
99-141-004
植原 啓方
【はじめに】
孤立した原子や分子の集まりである気体と、無限個の原子・分子の集合体である液体や固体との中間には、数個から数千個の原子・分子が集合してできた「クラスター」と呼ばれるナノ・スケールの粒子群が存在する。クラスターはマクロスケールの物質系に比べて単にサイズが小さいというだけではなく、様々な特異な構造と物性を示すことが分かってきた。
Van der Waalsクラスターの代表として、希ガスクラスターを対象とした実験が行われている。希ガスクラスターの電子的励起過程の研究は、T.M?ller[1]を中心とするグループでシンクロトロン放射光を用いた蛍光励起分光法により行われてきたが、電子線を用いた研究報告はほとんど無い。電子衝撃によって標的を励起すれば、光を用いた実験では選択則により禁止されている励起過程についても観測することができる。本研究では超音速ジェット法により生成したKrクラスターを標的とした電子エネルギー損失分光実験を行った。電子衝撃励起実験では入射電子エネルギーを適当に選ぶことにより、サイズの大きな固体様クラスターでも表面での励起過程を効率的に測定できる。この測定により希ガスクラスターの電子励起状態とそのサイズ依存性を明らかにすることを目的とした。また、原子と固体で存在が知られているFeshbach共鳴がクラスターにおいても存在するかどうかの検証実験も行った。
【電子エネルギー損失分光実験】
電子を標的に入射したとき、一部の電子は標的内の電子やフォノン等を励起して非弾性散乱される。このような非弾性散乱電子のエネルギー分布を測定する方法が電子エネルギー損失分光法であり、標的の表面およびバルクの電子構造に関する知見が得られる。2台の疑似半球型の静電偏向分析器を用いて、それぞれ入射電子エネルギーの単色化と散乱電子エネルギーの分析を行う。散乱電子は二次電子増倍管でパルス検出する。電子エネルギー損失分光実験系の全体図をFig.1に示す。超音速ジェット法により生成したクラスタービームは紙面垂直方向から入射する。
【実験結果】
入射電子エネルギーE0が50eVと200eVでKrクラスターを標的とした電子エネルギー損失スペクトルをFig.3に示す。平均クラスターサイズは1400である。原子の4p55sピーク(10.031eV)より50meVほど低エネルギー損失側へのシフトが見られた。これはJ.Stapelfeldtら[2]による光励起実験の傾向と一致する。またE0=200eVの時には低エネルギー損失側へのシフトと共に、エネルギー損失10.18eV付近でピークの肩が出現した。これはバルク励起子に対応するものと思われる。
Kr固体中での電子の平均自由行程は50eVの時0.6nm程度であるが、Krクラスターの結晶構造をfcc構造とすると最隣接原子間距離は0.398nmとなる。従ってクラスター最外殼で生成される表面励起子は観測されているが、第二層目以下で形成されるバルク励起子の生成に関与する電子は観測されていない。E0=200eVでの電子の平均自由行程は1.2nm程度になり、クラスター内部での励起が起こる。サイズの大きいクラスターを標的としても、入射電子エネルギーを低くすることにより、表面での励起現象を効率良く測定できたと言える。
[1] T. M?ller, in Progress and Application of Synchrotron Radiation to Molecules and
Clusters, ed. A. Ding, (Cambridge University Press, 1991)
[2] J. Stapelfeldt, J. W?rmer, and T. M?ller, Phys. Rev. Lett. 62, 98 (1989).
Fig.1 電子エネルギー損失分光装置概略図
Fig.2 Kr原子を標的とした電子エネルギー損失スペクトル
Fig.3 Krクラスターを標的とした電子エネルギー損失スペクトル 図中の線 s , t , l はそれぞれKr固体の表面励起子、バルク励起子(横型)、バルク励起子(縦型)の生成エネルギーに対応している。
Fig.4 Kr原子を標的としたFeshbach共鳴スペクトル 図中の印はKr原子の共鳴エネルギーを示している。