国道43号線公害訴訟

法学科3年 鎌田 素史 

1.はじめに

産業活動が高度に発達した現代では輸送手段としての道路の重要性は大きく、私たちの生活にも幅広く寄与している。その一方で、沿道に住む住民は、道路から昼夜を問わない自動車走行に伴う騒音や排気ガスによって被害を受け、生活を脅かされている。少数の犠牲の上に大多数の利益が存在している構造から発生するこのような問題は、多くが未だ顕在化していないだけであって、今後事態はますます深刻になることは容易に想像することができる。

車社会の環境問題がメディアなどでも取り上げられることが多くなってきた。そこで、道路公害に対する初の最高裁判決である国道43号線公害訴訟を検討したいと思う。論点が多岐にわたり全てに関しては扱えないが、わが常岡ゼミの初の試みとなった「公開ゼミ」では時間などの制約から議論ができなかった点も含めて考えてみたい。

 

2.事実の概要及び訴訟の経緯

<事実の概要>

 一般国道43号線は大阪市西成区と神戸市灘区を結ぶ全長約30km、幅員50m、上下10車線(現在は8車線に削減された)の産業道路として昭和38年に全線の供用が開始された。その後、同敷地上約20kmにわたり、高さ10mの高架構造で阪神高速道路公団の管理する自動車専用道路が設置され、昭和54年に全線の供用が開始された。(以下、これらをまとめて「本件道路」という。)交通量は、国道のみで昭和45年当時17万台、昭和57年当時で18万台を超える。平成元年には、国道では1日10万台を越え、自動車専用道路は上下4車線で1日11万台を越える。沿線には住居専用地域も存在する。

 原告は、本件道路の沿道端から概ね50m以内に居住し又は居住していた者である。

 本件は、原告が道路を走行する自動車がもたらす騒音・振動・排気ガスの大気汚染によって身体的・精神的被害を被っていると主張して、本件道路の設置管理権者である国と阪神高速道路公団に対し、

(1)   人格権及び環境権に基づき、本件供用により一定基準値を越える騒音と二酸化窒素の各居住敷地内へ侵入差止め

(2)   国家賠償法一条一項及び二条一項に基づき、過去及び将来の被害に対する損害賠償

を求めて出訴した事件である。

 

<訴訟の経緯>

それぞれの論点ごとに後に詳しく検討するが、訴訟の経緯を簡単に見ていくと以下の通りである。

 

(第一審)神戸地判昭和61717判時12031

       差止請求については、いわゆる抽象的不作為請求であり、作為の内容が特定されているとはいえないから、訴えは不適法であるとして却下した。

       過去の損害賠償請求については、本件道路からの距離が20m以内の範囲では、騒音による睡眠、会話、精神に対する影響として、一般に受忍限度を超える違法な侵害状態が生じているとし、本件道路の供用行為は右範囲内の原告との関係で違法であり、本件道路の設置管理に瑕疵があるとして、国賠法二条により慰謝料請求を一部認容した。将来の損害賠償請求については、訴えを却下した。

 

これに対して、被告らが控訴。原告らの一部も控訴又は附帯控訴をした。

 

(控訴審)大阪高判平成4220判時14153

       本件差止請求についてはその特定に欠けるところはないとして、訴えを適法とした。しかし、原告の被害が生活妨害に止まるのに対し、本件道路は、その公共性が非常に大きく、代替しうる道路がないこと等を考慮すると、差止請求の関係では原告の被害は受忍限度を超えているとはいえないとして、請求を棄却した。

       過去の損害賠償請求については、慰謝料請求の一部認容したが(原告らの一部について認容額を増加変更している)、将来の損害賠償請求については、一審と同様に訴えを却下した。

 

控訴審に対し、周辺住民と国・公団の両者から上告がなされた。

(周辺住民の上告理由)

本件道路の公共性を重視して、差止請求を認めなかった

(国・公団の上告理由)

         被害の回避可能性について考慮されていない

         受忍限度の判断において本件道路の公共性等の評価に誤りがある

 

(最高裁) (最高裁平成777日第2小法廷判決民集4971870頁・2599頁)周辺住民、国・公団、それぞれの上告を棄却した。

<周辺住民に対して>

 施設の供用の差止めと金銭による賠償という請求内容の相違に対応して、違法性の判断において各要素の重要性をどの程度のものとして考慮するかはおのずから相違があるから、右場合の違法性の差異が生じることがあっても不合理とはいえない

 

<国・公団に対して>

         回避可能性があったことが本件道路の設置又は管理に瑕疵を認めるための積極的要件になるものではない

         本件道路の公共性ないし公益上の必要性のゆえに、被上告人らが受けた被害が社会通念上受忍すべき範囲内のものであるということはできない

 

3.差止請求について

() 公権力性の有無(民事訴訟と行政訴訟

沿道住民らは民事訴訟によって本件道路の供用の差止を求めたが、差止請求を請求するに当たって、まず、本件道路のような公の営造物の供用の差止は公権力の発動を制約するものであり、民事訴訟としては不適法ではないかという問題がある。

大阪空港訴訟(最大判昭561216民集35101369)において、差止請求訴訟について、民事訴訟としては不適法であると判示されていた。すなわち、空港の離着陸のための供用の性質について、「運輸大臣の有する空港管理権と航空行政権という二種の権限の・・・・・・不可分一体的な行使」ととらえつつ、空港の供用の差止めは運輸大臣による公権力的な規制制限(=航空行政権)の発動の要求を内包させた請求であり、行政訴訟としてはともかく民事訴訟としては不適法であるとして却下したのである。よって、本件のような道路の供用についても、「道路行政権」を想定し、同じ論理で民事差止訴訟を不適法却下とすることも予想された。

一審は、「原告らの本件差止請求は、・・・・・・本件道路の供用廃止、自動車の騒音や排ガスの規制強化、交通規制のいずれかの措置を求める趣旨であるとすれば、それはいずれも行政行為を求める結果となり、それぞれの権限を有する行政庁を相手方とする行政訴訟を提起すべきものである」として却下した。

控訴審では、「原告らが求める抽象的不作為としての差止は、その目的を達成する方法として、行政庁による道路の供用廃止、路線の全部または一部廃止及び自動車の走行制限といった交通規制等の公権力の発動によることを要する場合のほか、道路管理者による騒音等を遮断する物的設備の設置等の事実行為も想定できるところ、原告らは、公権力の発動を求めるものではない。いうまでもなく、本件は管理権の作用を前提とするところ、それにもかかわらず異別に解しなければならない特段の事由が認め難いというべきであるから、民事訴訟上の請求として許容される」と判示し、本件の差止請求は、非権力的な道路管理権に限定して争われており、民事訴訟として成り立つと解した。

最高裁ではこの点について争われていないが、大阪空港訴訟に対しては、行政作用を個々の行為に分割して公権力の行使か否かを判断する従来の判例・学説の傾向に反するとの批判が強く、道路管理行為は大阪空港事件の射程外に解したものと理解される。

 

() 請求の特定性の有無

.「却下型」と「棄却型」

差止請求が民事訴訟として許容されるとしてもなおクリアすべき問題があり、それが請求の特定性である。本件のような一定基準を超える汚染物質を侵入させないことを求める請求は、抽象的差止請求として請求の特定性を欠くのではないかという問題がある。

この点に関し、裁判所が差止請求を退ける場合には、「却下型」と「棄却型」とに分類することができる。

「却下型」 一定の基準を超える騒音や汚染物質が侵入しないことを求めることは、請求が不特定であり、訴えを不適法とする。

「棄却型」 差止請求も内容的に特定された適法なものとしつつ、差止めに至る受忍限度を超えていないとして請求を棄却する。

 

.一審及び控訴審の判断

<一審> 「却下型」

「本件差止請求は、要するに本件道路を走行する自動車から発生する騒音及び二酸化窒素が一定の基準値を越えて原告らの居住敷地内に侵入しないよう、被告らに対し適当な措置を行うことを求めるというものである。それは、形式的には騒音及び二酸化窒素の侵入禁止という一見単純な不作為を求めるかのようであるが、現実には被告らにおいて後記のとおり様々な措置のいずれかを行った結果としてもたらされる不侵入という事実状態を求めるものであり、実質的には被告らに対し作為としての右の措置を行うことを求めるものにほかならず、結局その内容は、考えられる限りのあらゆる作為を並列的・選択的に求めているものと解さざるをえない」と判示して、実質的に複数の措置(作為)についての請求を包含し、その内容が特定されていないから、訴えは不適法であると判断した。

 

<控訴審> 「棄却型」

「被害を受けている者が、その被害を将来に向けて回避するという観点から、直截に救済を求めるには、原因の除去を求めることが必要であると同時に、それで十分というべきである。原告らの差止請求は、その主張する保護法益と、差止として被告らにおいて何がなされるべきかが明らかであるから、趣旨の特定に欠けるところはない」。

「原告らの請求が認容されて確定した場合の強制執行の方法については、いろいろと議論がなされているけれども、少なくとも間接強制(民事執行法172条)という最小限の方法の裏打ちは存するのである。」と判示し、訴えは適法であると判断した。

 

<最高裁>

差止の適法性に関して、上告理由では問題とされていない。最高裁としての判断は将来に持ち越されたと考えられるともいえるし、職権調査事項であるのに判断を示していないので黙示的に適法性を認めたともいえる。

 

.学説

この点について学説は一致するところを見ない。

<不適法説> ――特定性は必要である

差止請求権は給付請求権であり、差止請求の内実をなす作為・不作為は、なすべき行為またはなすべきでない行為の種類、態様、場所等を明示することにより特定される。したがって、請求の特定のためには、具体的な作為・不作為の特定が必要であるとし、抽象的差止請求は不適法である。

 [理由]

    抽象的作為・不作為判決は内容的に不明確であり、被告の行為に萎縮的な効果をもたらし、行動の自由を不当に制限する

    具体的な侵害排除措置が特定されなければ執行機関は執行を行うことができない

    既判力の客観的範囲、二重起訴、当事者適格の有無の判断を行うために不可欠

    審理の対象、範囲を明確にして、適切、迅速な訴訟指揮を行うために不可欠

    被告が十分に防御権を行使するためにも重要

 

<適法説> ――特定性は不要である

公害の原因が被告の領域にあり、対策についても被告の政策的判断に委ねるのが適当であるとする考えを基礎とし、

       原告は通常、科学的知識に乏しく、有効な防止措置を確知することができないのに対し、被告は防止措置を決める上での資料や情報を握っている

       原告は防止結果のみ利害関係を有するにすぎないのに対し、被告はとるべき措置の選択に最も利害関係を有する

ことから、抽象的差止請求は適法であるとする。

裁判手続との関係では、提訴時には一応の目安としての特定で足り、原告は被告の防禦反応や訴訟の審理の推移を見ながらそれを適宜変更することが許され、また、裁判所も釈明による変更を促すことができるというように、訴訟物を機能的・段階的に捉える。

近時の学説は不適法説を採ると原告に不可能を強いることになり救済の途を閉ざしてしまうとして、抽象的差止請求の適法性を肯定する見解が多数を占めるようである。

 

(参考)抽象的請求適法説

学説は重要な提言を行ってはいるが、現在のところ抽象的請求の適法性の問題は解決されたものとはいえない。多数ある適法説の中からいくつかを抜粋して紹介したい。

     少なくとも例えば「被告は、ある事業を遂行するに当り、原告に~の損害を与える行為をしてはならない。」というような権利侵害の発生源を侵害結果による特定で足りる。(竹下守夫)

     例えば「被告は、騒音を原告の敷地内に~ホンを超えて侵入させてはならない。」というような禁止される侵出行為(侵害行為の露出部分)をその形式・態様の面から具体的に特定すべきである。
提訴時には一応の目安としての特定で足り、原告は被告の防御反応や訴訟の審理の推移を見ながらそれを適宜変更することが許され、また、裁判所も釈明による変更を促すことができる、といったような、訴訟物を機能的・段階的に捉える。(松浦馨)

     「権利侵害判決」と「救済形成判決」の二段階的裁判手続を導入する。
提訴時点では、例えば「被告は、ある事業を遂行するに当り、原告に大気汚染物質~による損害を与える行為をしてはならない。」という申立てでよい。権利侵害判決の言い渡し時点までには「被告は、大気汚染物質~を原告の敷地内に一時間値の一日平均値~ppmを超えて侵入させてはならない。」(ただし、数値化できない場合にはその必要はない)という程度に特定されれば良い。
救済形成判決では「この目的を達成するために、排煙浄化装置その他適切な措置を実施しなければならない。」というような「救済指針付差止判決」とでも呼ぶべき判決主文が言い渡される。(川嶋四郎)

 

() 差止の実体判断

次に差止の実体判断について検討する。

.法的根拠

差止請求はどのような法的根拠によって請求しうるのであろうか。この点に関して、原告は人格権及び環境権を主張したので、これらについて検討をしたい。

まず環境権説であるが、これは差止の根拠を環境権に求める説である。環境権とは良き環境を享受し、かつこれを支配しうる権利のことで、ここに言う「良き環境」とは自然環境、自然の景観、文化遺産、社会的環境を含み、権利の及ぶ範囲は人が健康で文化的な生活を営むのに必要な生活領域である。

判例はこの環境権には否定的である。本件一審においても、「いわゆる環境権には、全く実定法上の根拠のみならず、その成立要件、内容、法律効果等も極めて不明確であり、これを私法上の権利として承認することは法的安定性を害し、到底許されるものではない」として、これを法的根拠と認めなかった。

次に人格権説である。これは差止の根拠を人格権に求める説で、人格権とは人の生命、身体、自由、名誉、氏名、貞操、信用など法的保護の対象となる人格的利益を総称したものである。

人格権について、判例は法的根拠として認めるものが多い。本件一審も「いわゆる人格権は、個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益の総体であり、その侵害行為に対し、訴訟において差止を求めることができる権利である」としている。また控訴審においても、「人は、平穏裏に健康で快適な生活を享受する利益を有し、それを最大限に保障することは国是であって……かかる人格的利益を保障された人の地位は、排他的権利としての人格権として構成され、……本件差止請求の根拠となり得る」として人格権が差止請求の法的根拠たりうることを明示した。本件最高裁では明示の判断をしていないが、物件等の権利の存在や過失を問題とした記述はなく、物権的請求権や不法行為を根拠とするものとは考えられないから、控訴審を黙示的に是認したものとみるの素直な解釈である。

 

.違法性 差止請求を認めるに足りる違法性があるか

差止請求が認容されるためには当該侵害行為に違法性が肯認されることを要する。そしてその違法性は、被害が受忍限度を超えるか受忍限度の内かで判断するという受忍限度論を採用している。すなわち、被害が受忍限度を超える場合には当該侵害行為は違法であると判断されるのである。

そしてその違法性について、損害賠償の違法性と差止の違法性を同次元のものと考えるべきか、差止についてより高度の違法性が要求される違法性段階説を採るべきかという問題がある。

 

<一審>

一審は次のように述べている。「少なくとも身体(その極限が生命であり、一部分が健康である。)は、物よりも重大な価値を有することはいうまでもなく、その侵害については、・・・・・・明文の規定がないものの、物上請求権に準じて妨害予防及び妨害排除請求権を認めるのが相当である」。「しかしながら、騒音や排ガスによる侵害行為については、その程度いかんによって、身体に対する暴行、傷害に匹敵すると評価しうるものから、単なるうるささや迷惑の域を出ないものまでが広く包含されるものであり、後者の程度のものについては、その侵害行為は全て当然に違法というべきではなく、受忍限度の判断を経由することが必要である」。このように述べ、受忍限度論を採用することを明示した。

そして受忍限度については、「侵害行為の態様と侵害の程度、被侵害利益の性質と内容、侵害行為の持つ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度等を比較検討するほか、侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況、その間にとられた被害の防止措置の有無及び内容、効果等の緒事情を総合的に考察することが必要である。なお、右の被害防止措置の判断においては、その前提として、被害発生の危険を回避する可能性について、技術的・物理的な面からの考察のほか、財政的・経済的な面及び法律的な面からの考察が必要である」。

以上を考慮して、「その被侵害利益の内容は、精神的苦痛ないし生活妨害のごときものであるのに対し、本件道路の有する公共性は極めて高度なものであることを重視すべきであるから、本件道路の供用行為は、いまだこれを差止めるべき程度の侵害行為であるとは到底いえないものである」として却下すべきものである、とした。

 

<控訴審>

「被告らが本件道路を走行する自動車によって発生する騒音等を、一定数値を超え原告らの居住敷地内に進入させて、自動車の走行の用に供してはならない、といういわゆる抽象的不作為による差止……請求が許容されるためには、まず少なくとも原告らに属する排他的な権利の違法がある場合でなければならない。」人格権の内容たる保護法益は多様であって、その「侵害に対して差止が認容されるのは、その侵害が基本的に違法と判断される場合でなければならない。」

「被告人らの責任を肯定するためには、違法性の審査として、……騒音の程度が、社会の一員として社会生活を送る上で受忍するのが相当といえる限度を超えているかどうかによって決せられる。……差止請求の場合には、損害賠償と異なり、社会経済活動を直接規制するものであって、その影響するところが大きいのであるから、その受忍限度は、金銭賠償の場合よりもさらに厳格な程度を要求されると解するのが相当」である。

原告らの被害は「生活妨害に止まるものであるといわざるを得ない。これに対し、本件道路は、その公共性が非常に大きく、しかもこれに代替しうる道路がないこと等を考慮すると、差止請求との関係では、原告らの被害は、未だ社会生活上受忍すべき限度を超えているとはいえ」ず、原告らの差止請求は「失当として棄却を免れない。」

このように述べて、違法性段階説に立っている。

 

<最高裁>

原告らは控訴審の違法性判断について、違法性の判断要素の評価に誤りがあり、さらに判断基準の設定に誤りがあると主張した。

それに対し最高裁は、「原審は、本件道路の近隣に居住する上告人らが現に受け、将来も受ける蓋然性の高い被害の内容が日常生活における妨害にとどまるのに対し、本件道路がその沿道の住民や企業に対してのみならず、地域交通や産業経済活動に対してその内容及び量においてかけがいのない多大な便益を提供しているなどの事情を考慮して、上告人らの求める差止めを認容すべき違法性があるとはいえないと判断したということができる。」

「道路等の施設の周辺住民からその供用の差止が求められた場合に差止請求を認容すべき違法性があるかどうかを判断するにつき考慮すべき要素は、周辺住民から損害の賠償が求められた場合に賠償請求を認容すべき違法性があるがどうかを判断するにつき考慮すべき要素とほぼ共通するのであるが、施設の供用の差止めと金銭による賠償という請求内容の相違に対応して、違法性の判断において各要素の重要性をどの程度のものとして考慮するかはおのずから相違があるから、右場合の違法性の差異が生じることがあっても不合理とはいえない」として、原審は正当であると判示した。

 

.検討

控訴審は違法性段階説に立っているが、最高裁の判示の仕方は、違法性の各判断要素の重要性が請求内容によって異なってくるという立場であり、単純な違法性段階説に立つものではない。しかしどちらにせよ、非常に大きな公共性を持つ本件道路と、生活妨害にとどまる沿道住民の被害とを比較考量し、被害は受忍限度の範囲内であるとしているのである。

この点は極めて高度な公益と比類なく重要な私益との相克をどう調整するかという問題に係る。現代における産業物質流通のための道路の重要性は誰もが認識している。その一方で大多数の住民に健康被害のような、重大な法益侵害が出ているのである。確かに本件道路が本件地域を越えて地域間交通や産業経済活動に多大な便益を与えていることは否定できない。しかし、この点について公共性として考慮を払うなら、他方で、本件道路が道路沿道の住民全体の生活環境、地域環境に与える影響、被害の広汎性も正当に評価して、多大な便益と比較しないと片手落ちになるのではないかと指摘することができる。

また、後述するように、損害賠償請求については、道路の供用は受忍限度を超えた違法なものと判断されている。被害者側がなぜに差止請求を退けられて受忍を強いられ続けなければならないのか、具体的に理由を説明されて然るべきであると言える。

さらに、差止といっても、原告が請求しているのは騒音と二酸化窒素の削減である。その達成に必要な手段は多様で、部分的なもので足りることもある。例えば、侵害行為自体の禁止・制限に関しては車の総量規制、車線の縮小、夜間の走行規制、大型トラックの走行規制などが考えられ、侵害結果の除去・防避では緑地帯の設置、家屋への防音装置の取り付け要求などがありうる。公共性の判断は、差止の内容(方法)として、道路の供用の不作為を問題とするか、より軽微な作為を問題とするかによって変わるのではないだろうか。より軽微な作為という方法による差止であれば公共性を害することもなく、認容される可能性もあったのではないかと指摘することができる。差止の内容によっては公共性の考慮がほとんど必要でないケースもあるのであり、差止の成否を決する違法性の判断においては、差止の内容ごとの配慮を行うべきであると言える。

 

() 民事訴訟ではなく、行政訴訟による救済の途は考えられないのか

差止請求が認められないと、行政側が自主的に騒音や二酸化炭素を軽減しない限り公害は継続し続けることになり、損害賠償が認められても終局的な解決には決してならない。本件では差止訴訟は棄却されたが、それでは行政訴訟では救済される余地はないのだろうか。以下に検討してみたい。

 

.取消訴訟

騒音に悩む周辺住民に取消訴訟を認める(参照:新潟空港事件)方法である。行政庁が環境に対する配慮を疎かにして許可を与えるような場合には、周辺住民らがその違法を追求して許可の取消しを求めることができるとする。本件においては取り消すべき許可がどこにあるのかという問題もあるが、何らかの行政処分があればそれを叩くことも理論的には可能である。

しかしながら、現実に継続している騒音被害の救済に十分役立つかどうか、民事の差止請求訴訟の代役を果たしうるかという欠点がある。まず、取消訴訟には出訴期間がある(行訴法14条)が、住民が騒音による健康被害を3ヶ月以内に深刻に意識して取消訴訟を決意するだろうか。次に、差止請求は受忍限度を超える被害の救済を直接の目的とするから、深刻な騒音被害が存在し続けていれば住民らは救済を得ることができるはずであるが、取消訴訟は、行政庁がした免許処分の(実体並びに手続上の)違法性の審査を目的とし、発生している被害の救済が直接の目的ではない。事後になって深刻な騒音被害が発生しても、それは行政庁が杜撰な事前の予測と評価に基づいて免許をしたことを窺わせる間接証拠とはなるにしても、そうした結果の発生がすでに行われた免許処分の直接的な取消事由となるわけではない。(なお、行訴法101項を参照)

 

.公法上の当事者訴訟(行訴法4条)

行訴法の立法者は実定法上に公法と私法の区別があることを前提に、前者にかかる事件を行政事件として把握し、その中で、公権力の行使に関する不服の訴訟を抗告訴訟として別に取り出したので、その他の公法上の権利関係に関するもの、いいかえれば公権を訴訟物とするものが、公法上の実質的当事者訴訟である。

しかし、民事訴訟と紛争の実体よりみても審理手続よりみても、ほとんど変わらない。当事者訴訟ならば許されるという実質的根拠はあるのだろうかという批判がある。

 

.無名抗告訴訟 「権力的妨害排除訴訟」

これは、包括的な権力的作用に対し、生命、健康等の人格権を基礎としてその排除を求める訴訟で、民事上の妨害排除請求をモデルとした無名抗告訴訟である。

この説に対する批判は、通説・判例は、抗告訴訟とは行訴法3条によると「行政庁の公権力の行使に関する不服の訴え」とされ、行政庁の個々の処分権限の発動・不発動の適否を訴訟物として争う訴訟であり、権力的妨害排除訴訟は個々の処分権限の発動・不発動の適否を争う訴訟ではないから、抗告訴訟の手続に則した審理に適合すかどうか疑わしいというのがある。

国立歩道橋事件(東京地決昭451014行集21101187)では、横断歩道橋の設置は、行政庁の住民に対する高権的権力行為とはいえないけれども、「行政庁の行う行為であって、しかも、地元住民の日常生活に広い係わり合いをもつものである以上、これを個々の行為に分解して行政庁の自律や私法法規にゆだねるよりも、これを行政庁の一体的行為と把握して公法的規律に服せしめるとともに、権利救済の面においても、行政事件訴訟法三条にいう『公権力の行使にあたる行為』と解して、これに抗告訴訟や執行停止の途を開くのが(適切である)」と述べ、複合的行政過程全体に処分性を認めて、権利救済の途を広げていた。これが広く承認されるようになれば、権力的妨害排除訴訟も受け入れられることになる。

 

無名抗告訴訟 「義務付け訴訟」

行政庁が取締権を発動して社会的危険を規制すべきであるのに、規制権の発動を怠り危険を放置している場合に、関係の国民が行政庁に対し規制処分の発動を求める訴訟。

法が行政権の発動を覊束している場合、具体的事実との関連で裁量権がゼロ収縮し行政介入が義務付けられる場合、例えば事後では権利救済の実行を期待できない場合や不可償の権利侵害の危険が差し迫っており他に救済の手段がない場合には、原則的に事前の給付判決を認めるとする。

これに対しては、行政権行使の第一次的判断権は行政権に留保されるべきである。司法権が行政権に対し、作為・不作為を命じあるいは義務を確認するのは、司法権の行政権に対する不当な干渉であり、三権分立の趣旨に反する、との主張がある。

 

4.国家賠償法二条について

原告らが国家賠償法に基づいて求めた過去の損害賠償について、裁判所は一貫してこれを認めている。

 

() 営造物の「設置又は管理の瑕疵」の意義

沿道住民らは国賠法2条に基づいて損害賠償を求めているが、同条の要件として営造物の「瑕疵」が要求されている。この瑕疵とはどういうものだろうか。

最高裁は次のように述べている。「国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いている状態、すなわち他人に危害を及ぼす危険性がある状態をいうのであるが、これには営造物が供用目的に沿って利用されることとの関連においてその利用を生じせしめる危険性がある場合をも含むものであり、営造物の設置・管理者において、このような危険性のある営造物を利用に供し、その結果周辺住民に社会的生活上受忍すべき限度を超える被害が生じた場合には、原則として同項の規定に基づく責任を免れることができないものと解すべきである。」

国賠法2条は、公の営造物に物理的・外形的な欠陥から危害を生じる瑕疵である「物的性状瑕疵」があり、通常有すべき安全性を欠いたことに起因してその利用者が受けた損害の賠償責任を定めた規定である。本判決は、大阪空港訴訟によって提示された「供用関連瑕疵」の判断枠組みを受け継いだ。すなわち、営造物が供用目的に従って利用される結果、営造物の本来的利用者以外の第三者に対して危害を及ぼすような場合、これを供用関連瑕疵があるとして賠償責任を肯認するものである。

行政が営造物を設置し一般の利用に供する以上、その利用者だけでなく、周辺住民にも迷惑のかからぬように当該施設を安全な状態に維持する責任があることを明示したもので、救済の途を広く拓くことになり、この供用関連瑕疵の判断枠組みは、学説でも広く支持を得ている。今後は本件のような交通施設のみならず、ごみ焼却場やし尿処理場等といったほかの公共施設にもその適用範囲を広げていくことが予想される。

この場合、営造物に物的性状瑕疵はないので、瑕疵の有無はその実質において違法性によって判断されることになる。(違法性の判断については後述3を参照。)

 

() 予測可能性・回避可能性

国賠法2条の責任が公務員の故意・過失の有無を問わない無過失責任であるであることは、高知落石事件(最判昭45820民集2491268)によって明言されている。しかし同判決は、その場合にも国の責任は無限定なものではなく、学説・判例は、営造物責任に限界があることを認め、あるいは責任が否定される場合のあることを前提にしている。予測可能性・回避可能性がない場合、不可抗力の場合である。

では、「被害の予見可能性があったこと(営造物の設置・管理権者において被害の発生を予見することが可能であったこと)」及び「被害回避可能性のあったこと(営造物の設置・管理権者において被害の発生を回避することが可能であったこと)」が権利の発生要件として請求原因事実となる(請求原因説)のか、「予見可能性のなかったこと」または「回避可能性のなかったこと」が権利の発生障害要件として抗弁事実となる(抗弁説)のだろうか。

一審、控訴審は、「営造物設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠如していることをいい、通常有すべき安全性とは、営造物がその設置目的との関係において、通常予測し、かつ回避可能な、他人に危害を及ぼす危険性を有していない状態をいう。」と判示した。

国・公団は財政制約論や縦割り行政論を主張して上告をしている。縦割り行政論とは、道路公害対策として必要な施策は、道路を管理する行政庁(例えば国土交通大臣)以外の行政庁(発生源対策は経済産業大臣や環境大臣、交通規制は県公安委員会等々)の権限であり、被害の回避は道路管理権の範囲外であって法的に不可能であるという主張である。つまり、本件道路の設置または管理に瑕疵があったとするためには、財政的、技術的及び社会的制約の下で、国・公団に被害を回避する可能性があったことが必要であると主張したのである。

本件最高裁はこれに対し、次のように述べた。「所論は、要するに、本件道路の設置又は管理に瑕疵があったとするには、財政的、技術的及び社会的制約の下で上告人らに被害を回避する可能性があったことが必要であるのに、この点の判断をしないまま、右の瑕疵を認めた原判決は、判断遺脱の違法又は国家賠償法二条一項の解釈適用を誤った違法があるというものである。」

「国家賠償法二条一項は、危険責任の法理に基づき被害者の救済を図ることを目的として、国又は公共団体の責任発生の要件につき、公の営造物の設置又は管理に瑕疵があったために他人に損害を生じたときと規定しているところ、所論の回避可能性があったことが本件道路の設置又は管理に瑕疵を認めるための積極的要件になるものではない」。

「原審は、国家賠償法二条一項の解釈について右と同旨の立場に立った上で、上告人ら(国・公団)において本件道路の供用に伴い被上告人(周辺住民)らに被害が生じることを回避する可能性がなかったとはいえない旨判断している」のであり、この認定判断は、正当として是認できる。

つまり、国賠法2条の責任根拠が危険責任であることを述べたうえで、損害回避可能性が瑕疵認定の積極的要件ではないと判示した。抗弁説に立ったものと解され、主張・立証責任の分配の面で被害者救済に途を拓いている。

 

() 違法性 受忍限度論

瑕疵の有無を判断するにあたっては、被害が社会生活上受忍すべき限度を超えるか否かを基準にするという、いわゆる受忍限度論に依拠している。

違法性の判断要素及びその評価につき、最高裁は、「侵害行為の態様と侵害の程度、被侵害利益の性質と内容、侵害行為の持つ公共性ないし公益性の内容と程度等を比較検討するほか、侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況、その間に採られた被害の防止に関する措置の有無及びその内容、効果等の事情をも考慮し、これらを総合的に判断してこれを決すべきものである。」と大阪空港訴訟の判断枠組みを踏襲した。

本件道路の公共性につき、最高裁は、「本件道路は、産業政策等の各種政策上の要請に基づき設置されたいわゆる幹線道路であって、地域住民の日常生活の維持存続に不可欠とまでは言うことのできないものであり、・・・・・・周辺住民が本件道路の存在によってある程度の利益を受けているとしても、その利益とこれによって被る前記被害との間に、後者の増大に必然的に前者の増大が伴うというような彼此相補の関係はなく、さらに、本件道路の交通量等の推移はおおむね開設時の予測と一致するものであったから、上告人ら(国・公団)において騒音等が周辺住民に及ぼす影響を考慮して当初からこれについての対策を実施すべきであったのに、右対策が講じられないまま住民の生活領域を貫通する本件道路が開設され、その後に実施された環境対策は、巨費を投じたものであったが、なお十分な効果を上げているとまではいえない」。「そうすると、本件道路の公共性ないし公益上の必要性のゆえに、被上告人らが受けた被害が社会通念上受忍すべき範囲内のものであるということはでき」ないと判示した。

違法性の導入に関しては賛成か反対かの対立がある。すなわち、国賠二条は行為責任でなく状態責任ではないのか、違法性を要件としていないのではないかという問題である。

賛成的な意見としては、例えば、

     騒音といっても色々の程度、段階があるわけであるから、社会通念上限度を超えた騒音を付近の住民に撒き散らすことによって、はじめて供用関連瑕疵といえる。限度を超えた騒音であるかどうかは、付近住民の受忍の限度を超えるものかどうかで決まる。(古崎)

     違法と評価されるような損害を引き起こしたことが安全性の欠如となる。(淡路)

というのがある。

否定的な意見としては、

     瑕疵が供用行為に違法性のある場合にのみ認められるということになり、瑕疵と違法性は同一内容の責任概念として理解されることになるわけであるが、国賠法二条の営造物責任を問題にする場合に、果たしてそれでよいのであろうか。(伊藤)

     国家賠償法二条の危険責任の原理からすれば、設置・管理の瑕疵によって被害が生ずればその損害を賠償することが原則でなければならないと考える。(潮海)

というのがある。

 

5.私見

() 差止請求について

差止請求が民事訴訟で請求することができるとした点は評価できる。しかし、結果として差止が棄却された点に関しては疑問がある。道路の供用が、損害賠償請求については受忍限度を超えた違法なものと判断されるにもかかわらず、なぜに被害者側が差止請求を退けられて受忍を強いられ続けなければならないのか、違法性段階論は一般的には納得するところであるが、本件については釈然としない。そもそも本件沿道住民の被害が生活妨害にとどまると言えるのか疑問であるし、また実体判断の検討でも指摘されるように原告が求めているのは道路の全面供用禁止ではない。騒音等を遮断する物的設備の設置など、取り得る手段は多種多様であり、公共性を害さない態様が考えられるところであるから、差止が認められる余地が十分にあるように思う。

他方で、本件道路が臨海部の産業発展のために建設され、実際に産業活動に多大に便益を与えてきており、現在も与え続けていることは確かである。この供用の差止には様々な方法があるにせよ、差止をした場合に及ぼされる影響を考慮する必要がある。また、本件道路の差止をしても、車は別の道路を流れ、その道路の沿道にまた公害を起こして新たな不幸を生みかねないとも言える。しかしながら、差止が認められない限り将来にわたって被害が継続することになり、被害者の救済のためには過去の損害賠償だけでは不十分であるから、差止請求は認容されるべきであると考える。

 

() 国家賠償について

最高裁の結論については賛成である。

国賠法2条の「瑕疵」に供用関連瑕疵を含むのは当然であるし、回避可能性について抗弁説に立ったことも、主張・立証責任の分配の面で被害者救済に大きく途を拓くものとして評価できる。

違法性の導入については、確かに騒音にも程度があるのだから、受忍限度を超える場合に瑕疵があるという論法は理解できる。ただし、受忍限度の判断に当たっては、侵害される利益の性質と内容に重点をおいてされるべきである。

損害賠償が認められたとしても、それが抜本的な解決にはならないのはすでに述べた。現在、高速道路のあり方について国会議員の間でも激しく議論されているところである。本件のような問題を根本的に解決するには、国の公害環境行政や道路行政が大きく転換されなければならず、それが時代の要請でもあると考える。

 

 

(参考文献)

秋山義昭・ジュリスト1081102                      浅野直人・判例タイムズ89297

荏原明則・法律時報671118                      大塚直・判例タイムズ91862

神戸秀彦・法律時報671112       

國井和郎・私法判例リマークス1996(下)74

櫻井敬子・平成七年度重要判例解説(ジュリスト1091号)38

潮海一雄・判例評論45134頁(判例時報1570188頁)

田中豊・ジュリスト108170                                         村松昭夫・法律時報671125

本多滝夫・行政法判例百選Ⅱ342頁(165事件)    橋本博之・法学教室18224

小幡純子・法学教室14692                             野村豊弘・公害環境判例百選124

國井和郎・私法判例リマークス660                潮海一雄・ジュリスト86969

本多純一=伊藤高義・判例タイムズ6389

西埜章「国家賠償法二条の解釈論」・判例時報105614

川嶋四郎「差止請求」・ジュリスト98168

原田尚彦「公共事業の差止訴訟」・法曹時報441135

塩野宏・行政法Ⅱ[第二版]                                       芝池義一・行政救済法講義[第二版]