点字ブロックの不存在と
駅ホームの設置管理の瑕疵
法学科3年 森本 マリ
1.はじめに
国家賠償法2条の「営造物の設置・管理の瑕疵」の具体的判断基準はケースバイケースであり、事故の起きた時代の水準における社会通念に照らし、通常予想される危険の発生を防止するに足りると認められる程度の設備を必要とするとされている。本件では事件当時、全国的に普及する途中であった点字ブロック等の安全設備が駅ホームに設置されていなかったことが瑕疵となるかについて争われた事件について検討していきたい。
2.事実の概要
視力障害者である大原隆(以下Xとする)は昭和48年8月17日午後6時45分頃、国鉄大阪環状線福島駅の島式ホームから線路上に転落し、進入してきた電車に両足を轢断された。Xは国鉄(以下Yとする)に対して損害賠償を求めて訴えを起こした。(第一審においては商法590条、控訴審については国家賠償法2条に基づき請求を行った。)
Xは、事故前日に単身で博多駅から夜行列車で大阪駅に到着し、事故当日は公園のベンチで3,4時間午睡したのち、環状線に乗車し、福島駅で降りた。Xは白杖を所持しておらず(それまでも使用したこともない)、介護者の同伴もなく、さらに、事故当時酒気を帯びていた。
3.第一審 (大阪地裁昭和55年12月2日判決)
Yの使用人である加害電車の運転士が旅客の運送に関する注意(前方注意義務)を怠ったとして商法第590条に基づきYの責任を認めた。そして、賠償額の認定において、一般的には当該駅におけるホーム上において通常予想される危険から旅客を保護するに足りるだけの人員を配置すれば足りるものと解すべきで、本件事故当時の福島駅ホーム上の駅員の配置に不備があったとはいえない。また、点字ブロック等の普及の程度、視力障害者の同駅の利用状況等に鑑みれば、本件事故当時、点字ブロック等を敷設していなかったからといって駅ホームの人的・物的施設に不備があったとはいえず、また、Xにも過失(疲労、注意力の減退等)があるとして、40%の過失相殺をした。
4.控訴審 (大阪高裁昭和58年6月29日判決)
福島駅は島式ホームで特に転落の危険性は高く、視力障害者のための転落防止設備を不可欠としていたこと、点字ブロックが有効であり、それが開発されていることを承知しながら施設しないまま放置していたことから、同駅ホームは通常有すべき安全性を欠き設置・管理に瑕疵があったとして、国家賠償法2条に基づくYの責任を認めた。
5.最高裁判決 (最高裁昭和61年3月25日判決)
国家賠償法2条1項に言う営造物の設置または管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠く状態をいい、かかる瑕疵の存否については、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合的に考慮して具体的個別的に判断すべきものである。点字ブロック等のように、新たに開発された視力障害者用の安全設備を駅のホームに設置しなかったことをもって当該駅のホームが通常有すべき安全性を欠くか否かを判断するに当たっては、その安全設備が、視力障害者の事故防止に有効なものとして・その素材、形状及び施設方法等において相当程度標準化されていて全国ないし当該地域における道路及び駅ホーム等に普及しているかどうか、・当該駅のホ-ムにおける構造又は視力障害者の利用度との関係から予測される視力障害者の事故発生の危険性の程度・右事故を未然に防止するため右安全設備を設置する必要性の程度及び右安全施設の設置の困難性の有無等の諸般の事情を総合考慮することを要するものと解するのが相当である。
そして、控訴審判決について、本件事故当時の点字ブロック等の標準化及び普及の程度についての認定が明確でない点、福島駅が島式ホームであって、視力障害者にとって危険な駅であることを強調するが、当該ホームが視力障害者の利用度との関係でその事故発生の危険性が高かったか否かについて検討しないで、本件事故当時福島駅ホームに点字ブロック等が敷設されていなかったことが通常有すべき安全性を欠き、その設置管理に瑕疵があったとしたことは審理不尽、理由不備の違法というべきとして、破棄・差戻しを命じた。
なお、本件は差戻し後の二審で和解が成立した。
6.点字ブロック等の開発状況
普及の状況は、Yは事件当時においては、付近に盲学校のある2駅に設置したのみであった。その後、昭和49,50年に各2駅、昭和51年においては、京都駅、大阪駅、神戸駅等のターミナル駅に設置された。また、大阪近郊の私鉄においては、昭和49、50年に合わせて4駅設置された。これらは、Y、私鉄とも視力障害者施設がある、または視力障害者の利用が多いとされる主要駅に限られている。
なお、点字ブロック等のJIS規格が制定されたのは平成13年9月20日であり、それまでは統一した同じ種類の点字ブロックであっても、その形状は地域によってまちまちであった。
7.駅ホームの構造
8.営造物の設置・管理の瑕疵について
(1) 瑕疵の存否を判断する際に考慮すべき要素
その基準となる指標は学説、判例、本事件(第一審・控訴審)を総合して、大きく駅と点字ブロック等の2つのグループにまとめ、各判決が判示したものを挙げていく。なお、最高裁は考慮すべき要素を挙げたが、自らの判断は加えていない。また、本件に関連する判例として、高田馬場視力障害者転落事件についても同様に分類していく。
【1】当該駅に関して
(a)駅としての公共性・社会性
一般旅客の大量輸送を目的とする機関であるが故の事故発生防止のための人的物的設備の責任、また、心身障害者対策基本法(現、障害者基本法)に基づく視力障害者の社会的自立を図る上で、駅を安全に利用できるようにする必要性のこと。
(b)視力障害者の利用頻度
(c)駅周辺の状況
(d)ホームの事故発生の危険性
【2】点字ブロックに関して
(e)有効性 その有効性が社会的に承認され、企画や設置方法について統一かされていたか否か
(f)普及度 全国的またはかなりの地域に普及していたか。一般市民の通常の認識の範囲内に入っていたか。
(g)設置の必要性 陳情の有無や広義には(b)(c)も考慮される。
(h)設置の困難性 設置費用、所要時間等 予算制約論がからんでくる。
第一審判決:
(a)Yは視力障害者に対して単なる善管注意義務にとどまらず、物的施設及び人員配置について万全の措置を講じ、最高度の注意を払って視力障害者の生命身体に対する十分な安全確保をなすべき義務がある。しかし、一部の利用者に固有の事情によって生じる危険から安全確保のために加重された施設の整備を求めるのは、基本的にはその施設の社会性・公共性に由来する要請であり、法律上の義務として要求するには限界がある。
(b)福島駅を利用する視力障害者用の乗降客は月間数名程度。
(c)同駅周辺には特に視力障害者のための施設はなく、周辺の道路等の公共施設も視力障害者用に整備されているということもない。
(d)同駅ホームは、転落の危険性が高いため、安全施設があることが望ましい。
(e)完全とはいえないが視力障害者に対する安全設備として一応十分の役割を果たす。
(f)昭和50年頃から点字ブロック等を敷設する駅がぼつぼつ現れ始め漸次増加しているが「未だ実験的段階を脱せずその手法としても試行錯誤的範囲を脱していなかった」。
(g)本件事故以前に特に同駅について点字ブロック等の設置が要望されたということもなかった。
(h)同駅のホーム縁端に点字ブロックを設置するのに必要な費用はせいぜい70万円程度である。
控訴審:
(a)視力障害者が晴眼者(視力障害者でない者)とともに自由な社会生活を営むことのできる社会環境の整備に務めることは国や地方公共団体の当然の責務であり、視力障害者が介護者なしに電車を利用することを前提としてホームの安全設備を考慮すべきは当然である。
(b)本件事故当時、福島駅は一日に乗降客が約2万6000人いる。
大阪市内だけで約1万人いる視力障害者の利用が当然予想される。
(c)明記なし。
(d)同駅ホームは島式ホームでかつ高架のため周囲の騒音が入り乱れる上、ホーム上には多くの障害物があるため、視力障害者が転落する危険性が極めて高い。
(e)点字ブロック等は帯状に並べて敷設し、足裏又は白状による手指の感覚により、視力障害者の歩行を誘導するためのもので、これを駅のホームの白線内に敷設すれば、視力障害者がホーム側端の位置を容易に知覚することができ、転落事故の発生を防止しうる機能をもつ。
(f)点字ブロック等は昭和41年に開発され、その後普及活動が始まり「昭和48年頃から急速に普及していった」。(実証的データなし。)そして、既に全国の相当多数の道路に敷設されていた。
(g)Bも敷設の要望を受け、視力障害者の施設に関係する駅ホームには敷設するなどその意味を理解していたと推認される。
(h)点字ブロック等を敷設するためには巨額の費用を要するものではなく、福島駅のホームに敷設するには一日もあれば足りる。
高田馬場駅視力障害者転落事件(東京地裁昭54年3月27日判決)
視力障害者である訴外亡上野孝司(以下Aとする)は、昭和48年2月1日午後9時25分頃国鉄高田馬場駅(以下Bとする)で山手線外回り電車から下車し、同駅の島型ホームの目白寄り階段から地上改札口に出ようとしたが、上記ホームには点字ブロック等の視力障害者にその側端を認識できる設備がなく、ホーム上に駅員1名しか配置されておらず、その警告もなかったため、Aは同ホームの側端を認識できないまま前進し、線路上に転落した。転落後直ちにホーム上に這い上がろうとしたが自力では上がれず、付近に居合わせた一般乗客らがAを引き上げようとしている最中に山手線内回り電車が進入し、電車とホームの間にはさまれ、即死した。
Xの両親は民法717条及び商法590条に基づきBに損害賠償を求めた。
〈判決〉
本件高田馬場駅のホームは本来有すべき安全性を欠き、その設置保存に瑕疵があったものといわざるを得ず、その瑕疵によって本件事故が発生したものと認めざるを得ないとして、Bに民法第717条に基づく責任を認めた。(しかし、Aがもう少し慎重に歩いていれば避けえたものと推認することができたとして、2割の過失相殺を認めた。)
(a)Bのように一般旅客の大量輸送を目的とする機関はできるだけ事故の発生防止の人的物的設備をなすべき義務がある。視力障害者自ら十分注意して行動すべきであり、電車等の交通機関を利用する場合には介護人の付き添いが望ましいが、それを常に期待し要求することは酷で、社会生活上不可能に近い。
(b)高田馬場駅利用する視力障害者が一日220人から230人と多く、危険性が高い。
(c)周辺に視覚障害者の利用施設が多数ある。また、東京都は昭和47年に同駅の周辺を「視力障害者対策モデル地区」と指定し、歩行者道路に点字ブロックを施設するなどの対策を講じていた。
(d)視力障害者の駅ホームから転落する危険性は島式ホームの場合一層高い。
(e)当時既に視力障害者に対する安全設備として一応十分で、他の晴眼者の乗降にも支障とならない。
(f)点字ブロックが開発され、敷設した駅もあった。
(g)同駅には度重なる点字ブロック等の設置の陳情があった。Bは本件ホームの一部に視力障害者側の意見を徴したうえで、キクラインテープを貼付したが、視力障害者に対する安全設備として不十分であるから、(Aはテープの未貼付部分から転落した)
ホーム側端を容易に感知でき得るような安全設備を施すべきである。
(h)多額の費用を要せず敷設可能であった。
(2)設置・管理の瑕疵に基づく責任の意義
国家賠償法2条は無過失責任(損害の発生につき、故意過失がなくても負う損害賠償責任)であるというのが通説である。それは営造物の設置・管理に瑕疵があるという要件を前提にしたものであり、絶対的無過失責任または結果責任(行為の経緯を問わず生じた結果に対して負う責任)ではなく、危険責任的(危険な施設・企業など社会に対して危険を作り出している者は、そこから生じる損害に対して常に負う責任)無過失責任といえるとされる。現代行政における物的手段の重要性とそれに伴う営造物責任は行政の管理体制の不作為責任である。
さて、判例上、通常有すべき安全性は2種類に分類される。
一つ目は、当該種類の営造物が「現状において備えている」と認められる程度の平均的な安全性である。これは、事故発生当時における物的施設水準・管理状況にできるだけ重点を置いて判断するものである。
二つ目は当該営造物に「本来備わってしかるべき」安全性である。これは、営造物管理の一般的水準である。
控訴審は後者を求めたが、最高裁は前者を目安に営造物責任を論ずるべきと説いたとされる。
ここで学説に関しても触れておく。設置管理の瑕疵の意義については学説の対立がある。その中で客観説が通説とされているが、その他にも代表的なものとして、主観説、折衷説、義務違反説などがある。判例は客観説に近い。(「営造物が通常有すべき安全性を欠き他人に危害を及ぼす危険性のある状態」〈昭和45・8・20〉)
以下は、代表的な2つの学説について概要である。
客観説:当該行政主体が管理可能な範囲において、公の営造物が通常又は本来具備すべき安全性が欠けていた状態を客観的にみて「設置・管理の瑕疵」と解する。
義務違反説:営造物行政当局による危険防止措置の懈怠を問題とする判例を手掛りに、本来営造物責任は一般に前提となっている行政当局の安全管理の義務違反に基づく安全性の欠如を根拠・要件とする。また、維持する義務のある安全性は、諸般の事情を考慮して予測される危険の程度、回避可能性等と関連してとらえるべきであるとする。
しかし、この瑕疵論争は個々の営造物の判断基準を直接論定するものではない。昭和40,50年代の道路、河川水害事故における営造物責任の判例が具体的基準について判示している。
9.その他の判例から見る本判決
Ⅰ.防護柵から校庭への幼児転落事件(最高裁昭和53年7月4日)
この判決においては守備範囲論が展開されている。守備範囲論とは、営造物の管理者と利用者との間で責任分配を行うものである。このなかで、被告は当該事故を予測がつかなかったとした理由について、本件防護柵が設置された昭和40年ころから本件事故まで4年間、子供の転落事故が発生していないこと、付近住民から事故防止措置を取るよう陳情がなかったことを挙げている。第一審では他の転落事故発生の事実と陳情の事実を肯定し、瑕疵ありとした。控訴審においては上記の事実認定を覆し、瑕疵を否定。最高裁も被告の管理責任を否定した。ただし、この判決は損害が営造物を通常の用法によったものかまたは通常予測できない行動に起因するかにも関わってくる。設置管理者が予見可能性を有しうるものであったのかが争点となった。
福島駅の転落事件と比較すると、福島駅は昭和39年の開業以来、健常者・視力障害者のホーム転落事故は本件以外皆無であったが、点字ブロック等の設置の陳情はなかった。
両者の事例から、駅ホーム管理者の予見可能性について検討していく。福島駅においては、視力障害者の転落事故の予見可能性が存したとはいえないと考える。前出の瑕疵の判断基準を念頭に入れて
Ⅱ.大東水害訴訟(最高裁昭和59年1月26日)
河川が本来自然発生的な公共用物であり道路等とは異なり、もともと洪水等の自然的原因による災害をもたらす危険を内包しており河川の通常備えるべき安全性の確保は管理開始後において治水事業を行うことによって達成されていくことが当初から予定されていること、この治水事業の実施については財政的、技術的、社会的制約があり、また、河川の管理においては道路の管理に置けるような簡易・臨機的な危険回避の手段をとることもできないことを指摘し、したがって未改修河川又は改修の不十分な河川の安全性としてはいわば過渡的な安全性を持って足りるとした。
大東水害訴訟の判決は、「通常」具体的内容が同種・同規模の営造物の一般基準に照らしての安全性の判断であるとの基準こそが営造物の設置又は管理の瑕疵についての判断基準をより客観的なものとした。このことは、福島駅のホーム転落事件での点字ブロック等が有効なものとして相当程度標準化されているかという点、つまり、営造物の安全性の一般基準を考慮することにあたる。さらに、福島駅判決は大東水害判決の財政制約等の諸制約を河川管理の瑕疵の判断において考慮すべきとした判示を基礎として、さらに発展させたものであるとされる。
また、福島駅判決の新技術の開発と普及のタイムラグを考慮しなければならないとすることは、未完成の堤防と性質を同じくすると考える。つまり、全国的に標準化したという状況にまだ至っていない点字ブロックと改修中である河川とは完成への過程の途中であるということである。しかし、このとき必要とされる安全基準は果たして「過渡的な安全性」をもって足りるのであろうか。
ちなみに、福島駅の転落事件は対利用者関係(道路、子供施設遊び場、観光施設、障害者施設など)においての事故であるのに対し、大東水害訴訟は対第三者関係(河川水害、営造物公害など)での事故である。また、福島駅の転落事件においての瑕疵は視力障害者にとっての安全性の欠如であり、対健常者関係では瑕疵とはならない。
10.高田馬場事件と国家賠償法2条
日本において、国家賠償制度が確立したのは、第二次世界大戦後のことである。明治憲法下では、民法の使用者責任に基づいて、訴えを提起するより他なかった。行政裁判法(明治23年6月30日公布)16条では、「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と定めており、また草案にはあった国も私人と同様に使用者責任を負うものという項目も旧民法にはなく、国家無答責であった。
大審院が初めて民法717条の適用を認めたのが、徳島小学校遊動円棒事件判決(大正五年六月一日判決)である。公の営造物(校舎施設)であっても、その占有権は私法上のものであるという理由で市の損害賠償責任を認めた。そして、日本国憲法においては、17条により国又は公共団体の賠償責任が定められ、それまで基本原則であった国家無答責が明文で否定された。この下で国家賠償法は制定された。
高田馬場事件は民法717条によって請求をしている。では、国家賠償法2条によっては請求できないのであろうか。以下、検討していく。
まず、国家賠償法2条は民法717条の特別法の地位を有している。特別法が一般法に優位して適用されるのが法原則である。なので、高田馬場事件の場合、駅ホームが通常有すべき安全性を欠いていたとして請求できると考える。次に瑕疵の範囲として民法717条に基づく責任は「土地の工作物」に限定されているが、国家賠償法2条は「公の営造物」である。この場合の「公の営造物」という文言は、行政は危険責任を負うべきという見地から見ると、物の範囲を限定することは望ましくないので広く解釈する必要がある。この中には、駅のプラットホームを含まれると解されるのが通説である。最後に民法717条1項は土地の工作物の「占有者」と「所有者」に責任を認めるが、国家賠償法2条では公の営造物の「設置者」「管理者」「費用負担者」とし、場合によっては、管理責任が法令上義務付けられた者であることを必要とせず、事実上の管理を持って足りるとされ(昭59・11・29)、公の営造物はその所有関係の如何を問わず、現に公の目的に供されているという機能に即してその責任が問題とされることになる。高田馬場事件の場合、駅ホームの設置管理者は国鉄である。以上より高田馬場事件においても国家賠償法2条に基づく請求も可能であると考えるが、駅ホームの瑕疵という一点に絞って請求を行うのであれば、むしろ民法717条を用いるよりも妥当ではないかと考える。
ところで、国家賠償請求事件の中で国家賠償法2条に基づくものがきわめて多く、そのほとんどが原告勝訴という結果となっている。国又は公共団体は同条に基づく請求に対してその責任を免れることは難しいとされる。
11.私見
上記の瑕疵の判断基準から考えるに、少しでも高い安全性を求めてはいるが、基準を絶対的なものととらえて、すべてに達していなければ瑕疵があるとすることは個々の公共施設の状況を考慮すると、妥当でないと考える。安全性は相対概念であるから、やはり地域性を重視して駅・地域の事情に応じた安全策が必要である。基準の中で特に点字ブロック等の普及度は考慮すべきか、ということは微妙であると考える。もちろん、全く考慮に入れないわけではないが、事件当時の時代背景を加味すると安全設備の新技術の開発と普及との間で生じるタイムラグを承認せざるを得ない。本判決でも、新技術の有効性・普及度・費用、施設の危険性、対応の緊急性などによって異なるが、実用性・有効性が得られ、それが認識可能になったならばその施設の性格によっては安全性を確保していないことが設置・管理の瑕疵となりうるというべきとされている。つまりは普及度が高いということは有効性が認められ、一般化しているということに通じると考える。
また、障害者は健常者に比べ、運動能力・危険回避能力が劣るので、障害者の利用する公共施設については安全設備の充実を図ることが望ましい。しかし、視力障害者の社会参加のために安全設備をできるだけ設置するよう努力すべきだということは政策的水準であり、法的水準とは違う。損害賠償責任とどの程度の安全設備を整えるかは分けて考え、過失相殺での調節を図るべきであろう。
本件事故当時の点字ブロック等の普及程度を考慮すると、福島駅ホームが特別危険で瑕疵があったとはいえないと考える。また、安全設備の新開発と普及とのタイムラグが生じた場合に危険性が高い駅、陳情のあった駅から敷設されていくことは妥当であると考える。また、視力障害者の社会参加のために安全設備をできるだけ設置するよう努力すべきことは当然であるが、政策的基準は達成しないからといって法的責任が直ちに生ずるものではなく、駅における点字ブロック等の必要性は政策的要請に止まり、法的要請とまではいえない。
また、人的設備をどう扱うかについても検討していく。福島駅事件当時駅ホームに役務係として1名しか配置されていなかった。(高田馬場事件も同じ)これを駅員や運転士の過失ととらえると国家賠償法1条の範疇となってしまうので、事故が個人の責任で発生したものではなく、あくまでも営造物の一部であり、その瑕疵によって発生したと考えると解する。
点字ブロック等の未設置は視力障害者には危険であるから、自由な生活を営むことができるように整備に努めることが国や公共団体の当然の責務であるが、あまり普及していなかったり利用者が少ないと瑕疵にならないとすることには疑問が残る。本来、駅ホームが安全でならなければならないこと自体は利用客の多数とは関係がない。予算配分の点からいえば、利用客の多い駅から点字ブロック等を設置すべきである。判決でも、国鉄が陳情のあった緊急度の高い駅から順次対応するのは当然で福島駅については陳情もないものとして後回しにすることは不合理ではないとしているが、瑕疵の判断とは直接の関係はない。
12.まとめ
身近な例として平成13年4月にJR目白駅ホームに前年11月に設置されたばかりのエスカレーターへの点字ブロックが撤去の危機にさらされた。目白駅は盲学校の最寄り駅でもある。JR側は平成6年に旧運輸省が作成したガイドラインに沿っていないと気付いたからだという。結局、多くの視力障害者団体の要望によって、現状のまま保持することとなったが、時代に沿った安全対策が必要であるということが浮き彫りとなった。
ちなみに本件における国鉄は日本国有鉄道法に基づいて設立された公共企業体(「営造物法人」)であり、国家賠償法2条にいう「公共団体」にあたるとして同法が適用されてきたが、昭和62年の民営化、分割化により現在のJRの不法行為責任は民法が適用される。さて、今日ではほとんどの駅に点字ブロックが設置され、視力障害者用の安全設備の基礎となっている。しかし、点字ブロックに限らず、安全設備等の地域格差があることはまだまだ否めない。今後はホームドア、可動式ホーム柵、音声誘導などより高い安全性・利便性を求め、さらなる整備が期待される。視力障害者が移動を円滑に行うことを可能にするため、法的水準、政策的水準共に検討を重ねていき、現状に見合った安全施設を一般化していくこと、そして障害者が過ごしやすいまちづくりを進めていくことが重要であると考える。
(参考文献)
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古崎慶長 国家賠償法の諸問題
阿部泰隆 国家賠償法
秋山義昭 国家補償法
西埜 章 国家賠償責任と違法性
宇賀克也 国家補償法
遠藤博也 国家補償法
国家賠償法体系2.3