パトカー追跡による第三者の損害

                        法学科3年 中村 和也 

1.事実の概要

 Y県の巡査であるAら三名は、パトカーによる機動警ら中の昭和50年5月29日午後10時50分ごろBが運転する速度違反車両を見つけ追跡を開始した。B車は逃走を測ったが1キロ先で停止したのでパトカーもその前方に止まりナンバーを確認した。しかし、警察官が近づくとB車は突如Uターンして逃走を再開したため、Aらも再びパトカーによる追跡を開始し、無線手配を行った。B車は2キロ先の交差点を信号無視して先行車をかわして右折車線から大回りで左折した。B車はパトカーを振り切ったと思い時速90キロから70キロに減速したが、B車と同様の左折方法により時速80キロで追跡してきたパトカーの赤色灯を確認したためにB車は再び時速100キロに加速して、信号無視を繰り返した挙句、本件事故現場に突入し、10時57分信号に従順して進行していたC運転車両に衝突、C車両の同乗者(D)を死亡させた。また、C車両が対向車輌に激突しXら3名に入院1から4ヶ月の傷害を負わせた。

 本件は、XらがUターン逃走後のパトカーによる再追跡・左折後の追跡継続・途中におけるサイレンの中止をした時点でAらに過失があったとして国家賠償法1条1項に基づきYに対して1414万円の損害賠償請求に及んだものである。

 

2.最高裁判決

 「警察官は異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯したと疑うに足りる相当な理由のある者を停止させて質問しまた現行犯人を現認した場合には速やかにその検挙または逮捕にあたる職責を負う」(警察法2条・65条・警察官職務執行法2条1項)

 「警察官がかかる目的のために交通法規等に違反して車両で逃走するものをパトカーで追跡する職務の執行中に逃走車両の走行により、第三者が被害をこうむった場合において右追跡行為が違法であるというためには右追跡が当該職務目的を遂行する上で不必要であるか、逃走車両の逃走の様態及び道路交通状況から予測される被害発生の具体的危険性の有無内容に照らし追跡の開始継続、方法が不相当であることを要するものとかいするべきである。」

 Aらは「現行犯人として検挙ないし、逮捕するほか挙動不審者」として「職務質問をする必要も」あり、B車の「車両番号は確認」していても「運転者の氏名等は確認できておらず、無線手配や検問があっても逃走車両にたいしては究極的には追跡が必要」であるから、「本件パトカーが加害車両を追跡する必要があった。」また「本件パトカーの乗務員において当時追跡による第三者への被害発生の蓋然性のある具体的な危険性を予測」することは不可能であった。さらに、本件パトカーの追跡方法に問題はないものとして、追跡行為に違法はないとして、Xらの請求を棄却した。

 

3.今日の国賠法1条1項の「違法」の理論状況

代表的な認容例=本件1・2審判決

     追跡行為は法令上警察官の職責を果たす上で当然のものであるが、自車の追跡行為により被追跡車両が暴走するなどして、交通事故を誘引する具体的危険性がある。かつ、予見できる場合には追跡行為を中止するなどの措置をして事故発生を未然に防止する必要があった。つまり、第三者への損害発生の防止すべき注意義務を怠った過失がある。

     本件追跡行為もBを検挙する関係では適法な職務行為であるといえるが、第三者の法益を侵害することを極力避ける必要があり、他の手段方法がなく、第三者の法益侵が不可避であって当該追跡によって達成しようとする社会的利益が侵害される第三者の法益を凌駕する場合にのみ第三者の法益侵害の違法性を阻却されることがありうるにすぎない。本件場合では原告らとの関係において違法性を阻却されるものとは到底いえない。

Bとの関係では適法・原告Xとの関係では違法とする考え。

第三者への法益侵害が発生したら原則として違法であるとする考え。

 

ここで職務遂行上の一般的な適法性の問題と損害填補における違法性の判断が別次元であるケースをいくつか見ていく

 

     速度違反車が何台か通過中突然の白バイの出現に驚いた1台の車両があわてて急ブレーキ・急ハンドルをしたため追突事故を起こしたケース

(東京地裁昭和44・4・16)(東京高裁昭和46・4.12)

  =パトカーに追跡された逃走車両が交通事故を引き起こしたとはいえない。

     パトカーに追跡されて逃走車両がそれぞれ転倒事故・転落事故を起こしたケース

(東京地裁昭和59・6・29)(札幌地裁昭和60・9・9)

=パトカーの行為には責任がない

     警察官がヘルメットを着用していない自動二輪車に質問しようとしたところ、それが制限速度20キロのところを80キロで逃走したため反対方向からきた自転車に衝突死亡させた事件で、警察官がついせきするにあたりサイレンを鳴らしマイクを使用する等第三者に注意することをしなかったことは適法としたケース
        (東京地判昭和61・7・22)
最高裁判決の立場に立っても疑問も多い。

<?>重大事犯があって警戒網を張っている場合でなく、単にヘルメット着用義務違反くらいで追跡の必要性はあるのか、この速度では事故の具体的な危険性は予見できないか、サイレン、マイクの使用は警察官自身が超スピードで走る場合に限定する理由はなく、危険防止のためには、使用の義務があるとかいするべきではないか、被害者には何の落度もない。

 

     責任肯定説(横浜地裁昭和52・1・25)

この場合、逃走車両の運転者が警察官と顔見知りであったことが追跡当時から判明しており、無免許運転者であることも判明していた。裁判所では「逮捕を免れるためにはその速度方法等をも顧みない無謀なものであって道路状況に照らし第三者の生命身体に対し重篤な危害を加える可能性の極めて高いもの」としている。とくにこの場合は運転者の人物が判明していることより無理な追跡を違法とした例である

     責任肯定説(本件1・2審判決)と否定説(本件最高裁判決)

     車両番号が確認済み・無線手配・検問開始の合図も無線傍受していたことから、「あえて追跡を継続しなくとも交通検問などのほかの操作方法ないしは事後の操作」により検挙が可能であったとする

⇒「氏名等の確認はできておらず無線手配・検問があっても逃走する車両には究極的に追跡が必要とする」

⇔無免許運転・飲酒運転・覚せい剤・重大事件の疑い等の場合は証拠保全が後日の検挙によっては著しく困難になりうる。

⇔無線手配の検問開始は殺人・強盗などの広域な緊急配備は別として本件のように逃走方向の変化に応じて検問の場所が移動するなど必ずしも有効とは言えない。したがって、本件のようにUターンしてでも逃走している場合は究極的な追跡が必要となる

⇔停止しないで逃走をし続ける車両は単に道路交通法違反者のみならず、他の犯罪行為も犯している可能性が高いということもある。従って、人物未判明の時には他事件の早期解決のためにも必要?

 

結論:判断の枠組み

違反行為・逃走行為の態様・程度・道路交通状況を考慮しつつ追跡行為の必要性・追跡の開始継続方法の相当性による判断においては、肯定説否定説において一致

   :判断出発点

    肯定説~結果である被害の重大性より論点を出発

    否定説~原因とされる職務行為の正当性より論点を出発

⇒本件の場合について考えると、肯定している下級審の出発点となっている追跡の必要性・相当性の判断が抽象的である。この方法をとるにあたっては被害の重大性が具体的にされる必要があるといえる。

⇒また、最高裁においては、職務行為の適法性と第三者への被害は区別している。今回の場合で違法であるというには、追跡の不必要性・追跡の方法開始継続が不相応でなければならない。ここでいう追跡の必要性は職務目的追行の見地から見るものである<法益侵害の見地から見るものではない>

=違法性の対人的相対性も当然の帰結

 

藤田説

警察官の職責・権限行使の直接の名宛人はBであり、当該権限規定に何ら違法がないとしても直ちに第三者への法益侵害が正当化されるものではない。要は、第三者の法益侵害を許容する法律の根拠があるかどうかということであり、もしなければ、法律の根拠なしに私人の法益を侵害してはならないという「行動準則」に反することになる。

=名宛人と第三者に対する行動準則は行政機関で違うものであるから、違法性の対人的相対性も認められる

 

4.比例原則理論

     意義:一定の目的を達成するための手段としてとられる措置は、比例したものに対応したものでなければならない。

     判断:各事情各要素を総合的に勘定することになる(=比較考慮による均衡の原則ともいう)

     根拠:憲法13条の人権最大尊重原理による行政条理法上の原則

個別法の中に警察法2条2項・警察官職務執行法1条2項があり、さらに具体的に規定しているのが警察官職務執行法5条・道路交通法77条などがある。

     その適用範囲

適法な範囲内で裁量問題が発生する。

行為(手段)は目的に適合的でかつ不可欠なものでなければならずコストが成果に比べて不均衡であってはならない。

本判決では、「予測される被害発生の具体的危険性の有無及び内容に照らし」て断念の要否を決するものとしている。=均衡原則は目的遂行自体の断念をもとめるものである。

=「不必要な法益侵害が生ずることを極力避ける義務」がある 

 

5.職務行為基準説

「現行犯逮捕、職務質問等の職務の目的を遂行するうえで不必要であるか、または逃走車両の態様及び道路交通状況等から予測される被害発生の具体的危険性の有無・内容に照らして追跡の開始、継続もしくは方法が不相当であることを要す」るとした。その理由は、警察官は異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯したと疑うに足りる相当な理由のある者を停止させて質問し、また、現行犯人を現認した場合、速やかにその検挙または逮捕に当たる職責を負う(警察法2・65条、警職法2条1項)という点にあり、職務行為基準説である。

具体的には、この事件の場合、警察官Aは暴走車の運転手Bを現行犯人として検挙ないし逮捕するほか挙動不審者として職務質問する必要があり、Bの氏名は確認できておらず、無線手配や検問があっても究極的には追跡が必要になるし、本件道路は格別に危険な状況になく、事故発生時刻も午後11時で、Aが当時追跡による第三者の被害発生の蓋然性のある具体的な危険性を予測しえたものということはできず、そのパトカーの追跡方法が特に危険を伴うものではなかったから、右追跡は違法ではないとした。

警察官は犯人逮捕の職責に忠実たらんとすれば、犯人が他人に危害を及ぼす危険を回避できず、他人が危害を被らないようにしようとすれば犯人は逮捕できない。職務行為基準説では判旨のいうとおりになろう。しかし、Bは赤信号を無視して暴走したのであるから、Aは第三者の被害発生の蓋然性を予測できたともいえる。被害者には落度があったわけではなく、犯人逮捕という公益の犠牲になったといえるから、被害者救済を図るよう解釈論的にも立法論的にも努力するのが妥当であろう。立法論で(たとえば警察官の職務に協力援助した者の災害給付に関する法律に類する法律で)という意見も多いが、そうした法律ができるまでは解釈論的な努力を放棄してはならない。

 

6.本件別件裁判判決(富山地裁昭和54・10・26)

  被告=富山県

  原告=B違反車輌に追突された

C車に同乗して死亡してしまったDの遺族

 

     原告の主張

Ⅰ.本件パトカーは本件事故発生直前までBを追跡しており、かつBは本件事故発生の直前に本件パトカーの赤色灯を確認しており、あわてて時速100キロに加速して逃走をするうちに本件事故を惹き起こしたのであるから、追跡行為と事故との間には因果関係があることは明らかである。(仮に、被告主張のように事故当時パトカーが追跡行為を中止して検索行為をしていたとしてもパトカーはB車と同一方向に進行を継続していたのであるから追跡と実態は何ら変わらない。)

Ⅱ.Bは速度違反車両として追跡されるや時速100キロに加速し、突如Uターンをし再び100キロで逃走していることから逃走の意思が硬い。このような場合交通違反車を取り締まるパトカー乗務の警察官としては交通事故の発生を予測できた。またB車が県外ナンバー(名古屋)であることを確認しており無線手配等で取り締まることができたので、Uターンして再逃走した時点で追跡を中止する義務があったのにも関わらずこれを怠ったとして、過失がある。

Ⅲ.危険な左折方法・信号無視多数といったような危険な逃走方法であったのにもかかわらず追跡をしていたということは一般市民に対して損害の派生を未然に防いだとは言えず、未然に防止する注意義務を怠った。

Ⅳ.サイレンをいったん停止したことにより、本件事故が起こったということから、通常のドライバーに対し道路の異常・危険を告知するべく注意義務を怠った

Ⅴ.本件パトカーを運転していたのは富山県警の警察官である。その職務中に起こった事故なので富山県に対し国賠方1条1項により損害賠償を求める。

 

     被告の主張

Ⅰ.原告の言う状況等の起訴事実は認める。

B車逃走中の信号無視については否認

Ⅱ.車体番号は確認できたが運転者の人相等は確認できなかった

Ⅲ.B車Uターン後は引き続き赤色灯サイレンをつけ追跡を開始。同時に車両番号・車種闘争方向等を無線手配。B車を見失ったあとは追跡を中止して一般機動警らに切り替えた。以上より、事故発生当時は本件パトカーは追跡していなかった。それを知っていたB車は自分から赤信号に突入し本件事故を起こしたのであるから追跡行為と事故は何ら因果関係はない。また、サイレンの中止は見失い追跡を止めていることから緊急用務から解放されたといえるので当然である。さらに、一般市民に交通の危険性を告知するためにサイレンを鳴らすことは意味がなくかえって混乱を招く恐れがある。

Ⅳ.原告の主張するⅤについて。

警察官は現行犯人を現認した時は司法警察権に基づき速やかに検挙・逮捕する職責を有する(警察法2条・65条・刑事訴訟法213条)、道路交通法違反の場合は行政警察権に基づき速やかに違反状態を排除して交通の安全と秩序の回復を図るべく違反車輌を停止・そのための追跡は良い(警察法2条・警察官職務執行法1条・2条・4条・5条)こうみると、B車両は速度違反のみならず、その行動から挙動不審者として何らかの犯罪に関与していることも考えられる状況にあった。従って、本件パトカーの追跡行為は道交法違反者の検挙と挙動不審者の職務質問の必要性も存在したから正当な職務行為の中にある

 

     富山地裁判決

道路交通違反車を発見した場合には司法警察権(現行犯人逮捕・刑訴213条)・行政警察権(職務質問・警察官職務執行法2条)の行使による違反車両の停止・逮捕・追跡の権限義務はあるが、逃走を続ける場合には道路交通の安全と円滑を確保するために従事しているのであるから、違反車両の現場における捕捉のみを求めるのではない。逃走車両の逃走態様・程度・道路交通の状況・違反の程度・追跡の必要性を総合的に検討して決すべき。

B車の逃走の態様・道路交通状況に照らすと同車の暴走により、通過する一般人の生命・身体・財産に重大な損害を生ぜしめる客観的可能性は極めて高かったというべきであり、また、十分認識できたというべきである。しかも、Uターン時に車両番号等を認識し無線手配がなされ検問も開始されたとも無線連絡を傍受していたのであるから、追跡を続行しなくても交通検問など他の方法ないし事後の捜査により検挙することができた。そうであったとすれば、追跡の継続がBを暴走運転させ一般人を被害者とする不測の事故を発生せしめるおそれが大であることを予測できたのであるから、追跡速度を落とすか中止するなどの措置をとって交通事故の未然の防止をする注意義務があったというべきところ、検挙を急ぐあまり注意義務を怠り、高速度での追跡を続行するという過失を犯したというべきである。また、パトカー乗務の警察官が被告の公権力にあたる公務員であり、職務に従事していたことは争いがないから被告は国賠法1条1項に賠償すべき責任がある。

=注意義務違反があるのであるから違反はまぬがれないとして、違反判断と過失判断を一体的に行っている。

学説でも「第三者に関する関係では結果回避義務違反のみを問題とすべき」でり、「その場合には違法性と過失は一元的に判断される」という見解もある。☞第三者との関係で追跡行為を受験・規制する「客観的法」は存在しないとの前提に立ち、そうである以上過失責任主義をとる国賠法1条の行為規範違反の問題を予見・回避義務違反という「過失」の問題と区別して論ずる意味はない。☞存在する場合にはそれへの違背が国賠法上の違法を意味する=違法性一元説が採られる。

 

8.様々な学説

     違法性と過失の二元論

・〔被害発生=原則違法〕という発想=過失要件に重要機能を認める

61年判決は、違法性要件に重要機能を認める。(過失要件意義は小さい)

     「被害発生=原則違法の発想」=「結果不法論」的なもの。

この事件に置き換えると、追跡行為は下級審と最高裁ではBとの関わりでは適法とされているが、被害者との関わりで適法かどうかを判断するにあたり対照的となっている。

下級審では、「結果」の方から判断しているのに対し、最高裁は「行為」の方から判断している。

つまり、下級審は「法益の侵害=違法性」という原則から出発している。そして、違法性阻却事由は民法720条の「正当防衛」の要件に限定しており、職務遂行の必要性・方法の相当性は過失要件の中で考慮している。(6③の富山地裁判決にみられる)

最高裁は国家賠償において「結果」たる法益侵害の発生から直ちに違法性を認定するものではない!つまり、国賠法1条において違法性の要件に重要な機能を認めるといえる。しかし、「違法性と過失」の二元論か一元論かの論点については明確されていない。(過失一元論でないことだけ判明できる)

#違法性要件のほかに過失要件を重要な機能を果たすものとしているのか?違法性一元論なのかは分からない。

 

     遠藤説:職務行為基準説より考える(批判的に)

=国賠法1条1項の違法性を専ら職務行為の適正さのみによって、判断していこうという考え。

➪2つの場合に区別するべき?

Ⅰ.法が公権力行使による当該法益侵害そのものを許容している場合

Ⅱ.法は当該職務の遂行を公益実現の見地から許容しているが、法益侵害そのものを許容していない場合

 

本件事案の場合、法が警察の追跡等を認めている。Ⅰだと、だから法益侵害も許容してしまうが、Ⅱだと、追跡によって被追跡者・第三者に生命・身体の被害を被らせた場合は、損害賠償責任要件の違法性の原点に戻り被害を重視した違法性判断をすべき?ではないか。

=結果不法論的考えといえよう。

#『結果不法論』『行為不法論』の対立はいずれが正しいかを決める性質のものではない。(高木)

=損害填補を強調すると「結果不法」的判断、行為の統制を強調すると「行為不法」的判断が相応しいと思われるが、違法性=義務違反とする と『権利侵害=原則違法』という発想は『他人の権利を侵害してならない』という一般的な義務=「行為義務」を前提としている。つまり、二つを異質なものと考える必要はない。

 

     道垣内説

「行為不法論」的発想をとりつつ、「違法性阻却事由」というものを利益考量の定型化されたものととらえるほうが適切。つまり、損害賠償が成立するか否かはという判断においては被害者側の事情と並んで行為者側の事情も考慮され、抽象的過失=結果回避義務はこれらの諸要素として定められるのが通例だが民法720条もまた考慮される中で行為者側の事情によって損害賠償責任が否定される典型的場面を定めている。

=公務の遂行においては720条にとどまらず損害賠償責任を否定する方向で定型的に利益考慮がなされるべき局面があることを肯定する。

「公権力の行使としての職務行為は、何らかの公的ないし社会的利益の実現のためになされるものであり、その目的実現のためには第三者の利益のある程度の場合によれば侵害そのものが法的に許容されることがある。いわば「許された危険」とも言うべき体質を公権力の行使としての職務はもっているのであり、その点を国家賠償法上の責任を問題とする場合にも考慮することが必要である。」

対人的相対性は否定はしないがBに対して適法な追跡行為は、原告に対しても適法な行為ということになる。(職務行為の違法性は原告側で立証すべきこと)

 

     藤田説

抗告訴訟と国家賠償の両者を「法律による行政の原理」という観点から統一的に理解すべき。国家賠償と抗告訴訟の違法の相対性を否定。

『法律による行政の原理』に反する行政活動につき「行為規範違反」とする。

「行政活動の私人の行為との基本的な違いは「法律による行政の原理」という」基本原則に服するものであるところにあるという視角が国家賠償法をめぐる諸問題についてもつらぬかれるべきであるとするならば実質上過失と違法性の判断が重なることがあったとしても、それはたまたま法律そのものが過失要件を違法性の要件の一環として定めているのに過ぎないからだ・・・・不法行為的保護を与えるに相応しい侵害があったか否かを専ら問題とする民法不法行為論上の違法性と過失の統一的把握はそのままの形で国家賠償法の分野に持ち込むことはゆるされない。」

 

     阿部説

命令・強制権限を付与する「法律」の範囲内で『行為規範』がある。つまり、行為規範のある領域とない領域があり、それぞれにおいて違法性判断の方法が違うというものである。(⇔藤田説との違いは「法律」を限定することで、遠藤説との違いは行政活動一般に行為規範があるところにある)

行為規範がある領域については国家賠償についても抗告訴訟と共通の違法性判断をその「行為規範」=「権利や自由の侵害を許容する法律に」照らし合わせて、ない領域については国家賠償を民事の不法行為と同様に、「被侵害利益の種類・性質と侵害行為の様態の相関関係から違法性の有無を判断。

 

9.私見

 最高裁判断に賛成。つまり職務行為の正当性により論点を出発させることで時間的流れの逆方向への展開を否定する。正当な職務行為の範囲内での出来事なので賠償する必要はない。また、本件別件裁判(レジュメ6)での判決は私の考えとは異にする。不審車両の検挙は当然の行為である。それを無線手配・検問の準備ができたからといってそれらに頼ることは考えられない。特にこの場合は著しい不審行動を示していたといえるので引き続きの追跡は正当職務といえる。従って、この判決のロジックは見当違いであるといえよう。

 また、最高裁の行為不法説に賛成。道垣内説に近い。

 

10.講評

以上を踏まえて、まとめてみる。

レジュメでは分かりにくかったので、まず学説についてまとめていく。

『根拠法』

⇒あり

①Bに対してもCに対してもあり=適法

②Bに対してもCに対してもない=違法

③Bに対してあるがCにはない

1) 藤田説=A-C間で根拠法がないなら根拠なしに被害を被らせてはならない。生命侵害には根拠法必要。この場合、A-Bには追跡という根拠法あり。行為不法によると適法となる。またA-Bで適法ならA-Cも一貫して適法となる。つまり、Cが勝つためには法がないため民法上の720条となるが、それにもあたらないため免責となる。

2) 民法不法説(相関関係説)=侵害行為の態様・悪質性が高いと認められれば違法。逆に侵害行為の態様・悪質性が低ければ適法。つまり、侵害と行為を比較・比例して、考えていく。主に道垣内説・阿部説

⇒なし=根拠法のあるなしに関わらず、その行為により法益侵害行為につながる行為であったら適法行為でも「結果的に」違法とするという結果不法説を唱える遠藤説がある。つまり、法規違法などは問わずに、裁く法がないなら民法720条で行くというもの。

『違法性』

⇒追跡行為について=違法性の中身はBに対してかCに対してかの違法性で考え方を分ける。藤田説は法が各々に存在すれば問題ないがCにはないのでCの命を奪うなんてもってのほかとなり違法である。違法性相対論的発想。

 

以上の学説を踏まえて議論した。

原告Xの主張を認めるという立場の意見

     警察官は職務行為で行ったものであるが、災難を被ったXを保護しないのは道義上変

     不可抗力である。追跡は正当だが、追跡行為が終了していたのは一般人には分からない。衝突の原因はある。一般人の安全確保の欠如

     追跡以外の方法があったはず。

     時速100キロでの追跡行為は事故の危険性も予測できた。注意義務違反である。

     別訴でCが認められたのにXは認めないのはへんである。

     最高裁支持するものの究極的に逮捕することが必要だったのか?違反者の追跡行為により、本来の安全を欠いた。

 

最高裁支持(Xは認めず)という立場の意見

     Aの行為は適法職務。よって、正当化される

     損害賠償では無理だが損失補償で救える可能性もある

     結果不法説は事後的で賛同できない

 

11.総合意見

このような意見が出たが私はやはり、最高裁判決の意見に賛成であり、Xの主張は認めるわけには行かない。警職法に則った活動中の・警ら中の事故を認めてしまうようなことがあれば、それは警察官の職務を萎縮させてしまい、そのような判例の登場により違反車を擁護しかねないからである。そうなってしまっては、国民利益に逆に影響を及ぼす。まず①に対しては、確かにXはかわいそうだが正当な手続きのうえでの結果としての事故に賠償をすることはありえないであろう。正から誤は生まれないからである。②⑥に対しては例え追跡は知らない第三者といえども、交通法規上前方確認などする義務があり、それを怠ったと解せる。保険の例をとっても動いている車同士の事故なら過失が100パーセントのなることは皆無である。このことからみてもXにもなんらかの過失が生じてしまう。ともすると、やはり、Xの過失も認めざるを得ない。また、正当な職務行為というならばXは逃走車両に対して不法行為を取るのが良いだろう。一般警ら中の事故であるのでBの単独事故と言うのが妥当である。警察の行為は関連しないだろう。③に対しては追跡以外の方法は考えられない。速度違反については事後的に逮捕することは困難である。死亡ひき逃げ事故などなら、道路交通法違反のほかにも刑法上の問題にもなるため事後的逮捕も可能であるが、速度違反なら証拠が残らないため現行犯逮捕が最良な方法であり、かつ、警職法に従順したものであるので、追跡行為も正当化される。④に対しては究極的な逮捕の必要性・警職法2条による速やかな逮捕責務があり、時速100キロといえど、追跡の義務がある。危険を察しし一般警らに切り替えたことからも、手段は尽くしたものであるといえる。⑤に対しては、なんともいえないが、その判決については検問等の配備により他の手段が出来たということであるが、それをするにも後方からの追跡は逃走方向確定のためにも必要と解す。従って、別訴の判決自体認めてないので、問題外とすることにする。

以上のように反論した上で、挙がってきた議題について検討していく。『本当に損失補償で救えるのか?』ということである。逃走車両Bは犯罪者であり、Aの行為は適法であるから、Aの正当な行為によって被害を被ったX・Cは一応は因果関係があるといえるので救済可能ではないのかということである。ここで問題となるのが憲法上の私有財産の範囲であろう。憲法29条の公共のために用いるには単に財産権のみを扱うのではなく、究極的な人間の財産の生命権も含まれるのかどうかという問題である。これについては、生命権を付随すると考える。公務員の行為によって損害を受けたのなら保障すべきであるからだ。しかし本件では追跡行為が適法であり公務員には過失がなく問題ないのでXを救わないと考えるのが良い。ここで可能性があるのは追跡行為が違法な場合、藤田説のように考える場合であるが、本件では適法との判断により追跡行為の違法性により保障されるというのはないであろう。また、藤田説のように考えると被害者救済機能としてみていくのであるが、結果的に不法行為を起こしたからと考えれば、そこには公務員の行為によるものではなく逃走車両との関係によるものであると考える。つまり、不法行為を唱えるなら、その諸悪の根源を作った逃走車両に求めるのが良いと考える。

又別の面を見てみる。A-B-Xが連動しているとするならばA-Xで認められると中間のBも認めなければ筋がとおらないと一見言えそうであるが、やはりBは違反者である。公序良俗に照らし合わせても保護に値しないとするのが良い。とすると、Xも認められなくなってしまうのか?こう考えていくならばB・Xは分離して考えていくのが良いといえよう。その方がXの救済の幅が広がるからである。しかし、これだと先にも述べたように損害賠償という形では無理となってしまい、意味がなくなる虞も出てくる。つまり、二元的に考えると論理的に矛盾が生じてしまうのである。

そこで、私とは逆の意見のXの救済というものをして行こうとするならば、権利侵害という面からが妥当か?しかしそれには、やはり、Aの行為の正当性・根拠法規などの面から崩していかねばならないと思えるので、困難を極めよう。

 

 

(参考文献)

ジュリスト行政判例百選Ⅱ

遠藤博也「本判決批評」判評334号26頁

判時951号102頁

塩野宏・行政法Ⅱ〔第2版〕247頁

川上宏二郎「行政法における比例原則」行政法の争点〔新版〕18頁

高木光・損害賠償法の課題と展望内137頁

宇賀克也「国家賠償の課題」ジュリスト1000号60頁

民集40巻1号223頁

稲葉馨「本判決解説」法教134号17頁

芝池義一・行政救済法講義207頁

宇賀克也・国家補償法・144頁