抗告訴訟の対象 ~ごみ焼却場設置行為~

                        法学科3年 島浦 めぐみ 

1.はじめに

ここでは、不快施設であるごみ焼却場設置行為が抗告訴訟となり得るかについて検討するとともに、関係する判例を踏まえながら、抗告訴訟のあり方や問題点、さらには抗告訴訟と民事訴訟との関わりについても触れてみたいと思う。

 

2.事実の概要

東京都(被告・被控訴人・被上告人)は、昭和14年ごろ東京都大田区矢口町947番地にごみ焼却場を設置すべく、2,115坪の土地(以下T土地とする)を買収したが、建設せずにそのまま放置していた。ところが、昭和32年5月28日、同年第2回東京都都議会臨時会に第21号議案として本件ごみ焼却場設置計画案を提出し、同議会は同月30日右原案を可決した。そこで被告は同年6月8日東京都公報をもってその旨公布し、その後西松建設会社との間に建設請負契約を締結した。これに対し、近隣の住民8名(原告・控訴人・上告人)は、本件ごみ焼却場の設置場所の選定が環境衛生上最も不適当な土地になされていて清掃法6条に違反し、煤煙・悪臭などによって保健衛生上重大な脅威を受け、かつ経済上多大の損失を被るとして、都によるごみ焼却場設置の一連の行為の無効を求める訴訟を提起した。

 

3.第一審(東京地判昭和36223日)

【原告の主張】

1.         昭和14年当時T土地は田園の一部で付近に人家もない土地であったが、その後東京都の発展に伴いT土地の付近一帯は商工業・住宅地帯と化し、すでに当時とは事情が一変しておりごみ焼却場の設置場所としては最も不適切な場所である。よって、被告が20年前の計画に基づいてこれを設置することは事情変更の原則に違反する。

2.         T土地の東200メートルの地点に東京都水道局矢口浄水場があって、付近約一万世帯に飲料水を供給しているが、T土地にごみ焼却場が設置されれば、ごみ汁が地下に浸透して右の水源を汚染する虞があり、かつ西200メートルの地点に大田区矢口中学校、南200メートルの地点に大田区立多摩川小学校があって、多数の学童生徒の通学従来が頻繁であるから、本件ごみ焼却場の設置場所は公衆衛生上並びに交通安全上最も不適当である。

3.         被告は本件ごみ焼却場設置計画をすでに20年以上も放置していたので、原告らは右計画が取り止めとなったものと信じて、T土地周辺に住宅や工場を建て、諸種の生活関係ないし経済事情を樹立して今日に到った。よって、被告がかかる情勢の変化を顧みず、原告等の陳情請願をも無視して設置を強行しようとするのは権利が行使されない永く放置されていることによって権利そのものの自壊作用でその権利を行使することが信義則上ゆるされなくなるという失効の原則にも反し、違法というべき。

4.         のみならず、都議会は「地元民の諒解納得を得た上着工すること」という希望意見を附して本件ごみ焼却場設置計画を可決したものであるところ、原告ら地元民は右ごみ焼却場の設置に反対して来たもので、設置に諒解納得を与えた事実はないから、被告の行為は都議会の議決にもそわない違法な行政処分である。

 

【被告の主張】

本件ごみ焼却場の設置は行政訴訟の対象たりうる行政処分ではないから、これが行政処分であることを前提として被告に対しその無効確認を求める本訴はこの点において不適当である。すなわち、被告はごみ焼却場を設置するために昭和14年ごろT土地を売買により取得しが、戦争激化のためその建設を一時中止し、昭和31年にT土地上にごみ焼却場を建設すべく決意し、都議会の議決を求めたところ、希望意見を附して原案を可決した。そこで、東京都公報に記載して一般に報道し、西松建設会社と請負契約を締結し、建設工事に着手しようとしている。

このように、都議会の議決、東京都公報の登載、被告と西松建設会社間の工事請負契約等右一連の行為はいずれも直接人民を相手としてなされたものではなく、また人民の権利義務に直接的な影響を及ぼすものでないからこれが行政訴訟の対象たる行政処分でないことは明らかである。

 

【判決】

ある行政庁の行為が行政訴訟の対象となる行政庁の処分と言いうるためには、その行為が公権力の行使としてかかる公権力に服する人民に対し行政庁の優越的意思の発動としてなされ、これにより一方的に人民を拘束するものでなければならないが、法律上一定の行政事務の遂行が義務付けられている場合においても、法律上義務付けられているということによって当然にその行政事務遂行としてなされる行為が行政処分となるものでなく、公権力の発動としてなされる行為たる性質を有するかどうかによって決せられなければならない。本件の場合、ごみ焼却場が地方公共団体により汚物を衛生的に処理し、生活環境を清潔にするために供用される物的設備であり、地方公共団体が汚物を処分するための手段として清掃法6条、同法施行令2条によりその設置を予定されている公用営造物である。しかし、ごみ焼却場自体は、地方公共団体が自己の所有又は使用権を有する土地その他の物件を利用して造成せられる一定の物的施設で地方公共団体はその施設に対する私法上の権利に基づいてこれを汚物処理のために利用するにすぎず、右のごみ焼却場設置のために必要とされる行為も、土地その他の物件の購入、賃借、施設建設のための請負契約等の私法上の行為を出るものではない。そして、ごみ焼却場を公用営造物として利用するについては、道路、公園等の如き公用営造物についてなされる如き公用開始の意思行為をも必要とせずごみ焼却場が設置されたからといって、附近住民はその存在を甘受しなければならない公法上の拘束を受けるわけでも何でもない。よって、ごみ焼却場の設置に関する行為には、公権力の行使たる性質を有するものはなにもなく、被告に対しその無効訴訟を求める原告の本訴請求は不適法といわなければならない。

 

4.第二審(東京高判昭和361214日)

【控訴人の主張】

1.         東京都清掃条例(昭和29年条例60号)8条1項3号、11条4号によれば、ごみ処理場は環境衛生上支障の少ない地並びに排水の良い地を選定すべき旨を規定している。しかし、T土地は環境衛生上最も不良であり且つ低地であるため、排水の最も不良の土地である。従って、下水を多摩川に流下させるため、T土地の南1丁弱の地点に揚水ポンプを設置している。被控訴人は自ら制定した条例に違反して本件ごみ焼却場を設置しようとしている。

2.         東京都の有する清掃工場は5つ。うち、第1~4清掃工場は旧式で狭小で敷地もそれほど広くない。しかし、第5工場は近代的設備を有し、敷地は4500坪である。さらに、T土地の周辺には工場が建設されているため拡張の余地がない。ちなみに、現在建設予定の第7工場の敷地は8500坪で且つ附近は緑地帯であり、第8工場の敷地は15000坪である。
よって、ごみ焼却場の敷地が2000坪程度では完全な操業が不可能であることは明らかである。

→ 本件ごみ焼却場の設置は許されるものではない。

 

【被控訴人の主張】

東京都清掃条例8条1項3号が控訴人主張の事実を規定していること、控訴人主張の地点にその主張のような施設がなされていることは、いずれも認めるが、その余の点は否認する。同条例114号は積換場または処理場はその地盤を不滲透質材で建設し、平滑で排水に便利な構造をすることを規定しているだけ。また、T土地は多摩川に近い関係から、排水場を設置することにより排水が最も容易にできる場所というべき。

 

【判決】

被控訴人の一連の行為は、私法上の契約によるものであり、そこには公法的関係は認められない。被控訴人が本件ごみ焼却場の設置を計画し、計画案を都議会に提出することは、被控訴人の内部的な行為であり、また都議会の議決は、法人格を有する地方公共団体の内部的意思決定たる性質を有するにすぎないものである。本件のごみ焼却場の設置によって控訴人等近隣の住民がその主張のような不利益、不安な状態におかれるとしても、それはその設備内容にも重大な関係をもつものでもあり、またそれは本件議決の法律上の直接の効果であると認めることはできない。また、被控訴人が東京都公報に登載したことも、そのこと自体法律上の効果を伴うものではない。

ごみ焼却場の設置行為自体は、一定の法律上の効果を生ずるものでなく、単なる事実行為にすぎない。控訴人が、汚物の運搬、集積及び焼却作業等の過程で、耐えがたい悪臭が放たれ、煤煙の発散等のため保健衛生上重大な脅威を受け、その権利を侵害されるような自体が生ずるとするなら、それは、その廃止、移転等の問題として、政治上解決すべきだが、法律上処理するとしても、私法上処理し得る別の問題といわなければならない。

→ 本件のごみ焼却場設置に関する一連の行為は、行政訴訟の対象とされる行政処分に当たらない。また、右のような行為を間接ながら不利益を受ける者からそれを対象として不服の訴を認めることを規定した法規もないため、行政処分であることを前提としてその無効確認を求める本訴請求は不適法である。

5.最高裁(昭和391029日第一小法廷判決)

【上告理由】

1.         当該行為が行政主体の公権力の行使として為されたもののみが行政訴訟の対象となり然らざるものは対象とならぬとする見解は、今や社会的に経済的に生活関係において公権、私権の区別が困難となった際、果たして公権力の行使と否らざるものとを区別し、その取り扱いを異にする実益ありやは甚だ疑わざるを得ない。
現行憲法は国民の基本的人権の尊重を基調とするものであって、原判決の公権力と雖法を離れて存在し得ず法のもとに法に従ってのみ、行政庁は行政権を行使すべき。よって、公権力の行使か否かよりも違法の行政行為かどうかが先決問題と言わねばならない。

→原判決は、公権力の行使という旧理念に拘泥し、上告人の控訴を棄却したのは法令の解釈を誤った違法がある。

2.         行政庁と個人間に具体的の事実について法律上の争が存在する以上、これを審理審判するのは、日本国憲法下における司法裁判所のみが有する権限であり義務である。原判決は行政事件訴訟法1条を不当に狭義に解釈し、「公権力の発動としてなされた行政行為」のみが行政訴訟の対象であるとして、上告人の控訴を棄却したのは現行憲法下における法理念に反するものである。行政に対しても常に法律の適用を要求し、その容れない場合これを保障する作用が存在しなければならない。
司法裁判所は公法関係であれ私法関係であれ、その取り扱いを異にすべきでない。

→本訴は適法の訴であるにもかかわらず、これを棄却した原判決は違法である。

 

【判決】

行政事件訴訟特例法1条に言う行政庁の処分とは、公権力の主体たる国または公共団体が行う行為のうち、その行為によって、直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められているものをいうものである。かかる行政庁の行為は公共の福祉の維持、増進のために、法の内容を実現することを目的とし、正当の権限ある行政庁により、法に準拠してなされるもので、社会公共の福祉に極めて関係の深い事柄であるから、法律は、行政庁の右のような行為の特殊性に鑑み、一方このような行政目的を可及的速やかに達成せしめる必要性と、これによって権利、利益を侵害された者の法律上の救済を図ることの必要性とを勘案して、行政庁の右のような行為が違法なものであっても、それが正当な権限を有する機関により取り消されるまでは、一応適法性の推定を受け有効として取り扱われるものであることを認め、権利、利益を侵害された者の救済については、特別の規定によるべきこととした。

 

→ 行政庁の行為によって権利、利益を侵害された者が、右行為を無効と主張し、行政事件訴訟特例法によって救済されるには、当該行為が前叙の如き性質を有し、その無効が正当な権限により取り消されるまでは事実上有効なものとして取り扱われている場合でなければならない。

 

ところで、右設置行為は、公権力の行使により権利義務を形成し、その範囲を確定することを法律上認められている場合に該当するものということを得ず、原判決がこれをもって行政訴訟特例法にいう「行政庁の処分」に当たらないから、本訴請求を不適法であるとしたことは結局正当である。

 

<行政行為について>

抗告訴訟の対象とされるのは、行政行為である。「行政行為」とは、直接国民の権利義務を形成・確定することが法律上認められている行            為であり、且つ公定力が伴う。(「公定力」とは、行政処分は違法であっても原則として一応有効であるというものである。)

 

<ごみ焼却場設置行為について>

ごみ焼却場設置行為について見てみると、本件行為は複合的行為と見ることができ、以下の5つに分解される。

① 土地の買収行為      ‐私法上の行為

② ごみ焼却場設置計画    ‐内部的手続行為

③ 設置計画の議決・公布   ‐  〃

④ 建設会社との建築請負契約 ‐私法上の行為

⑤ 建築・据付当の設置行為  ‐事実行為

 

<概念分析的手法による検討>

概念分析的手法とは、個々の行為が「行政行為」に該当するか否かを判断する手法である。この手法によると、処分性を過程に求めることになり、権力的なものでも処分性が認められない。

この手法により、処分性の認められないものとして、行政立法、一般処分、行政計画がある。この手法は、「公権力の行使であるか否かという実体法上の行為の性質と、抗告訴訟の対象という訴訟レベルの問題は常に一致する」(阿部説)という考えを前提にしている。      

以上から、ごみ焼却場設置計画においては、住民に向けられた行為は何ら存在せず、住民の権利・義務を形成する性質のものは含まれておらず、よって処分性を否認する。

 

<処分性について>

※行政処分とされるもの

a)講学上の行政行為(実体的行政処分)

  行政行為には公定力があるといわれるが、その根拠として取消訴訟の排他的管轄が挙げられることが多い。行政行為が取消訴訟の対象になること、行政行為の効力を取消訴訟以外の訴訟により否定することはできないということが前提となっている。

  許認可等の申請に対する拒否処分や裁量処分も、実体的行政処分である。

b)行政上の不服申立てに対する審査庁の決定・裁決

c)行政不服審査法21項が行政上の不服申立ての対象として明示する、人の収容や物の留置などの継続的な性質をもった公権力的事実行為

ex,感染症者の病院への強制的な入院)  

d)a)の実体的行政処分に当たらないとしても、また、b)やc)に当たらないが、法律上、訴訟の形式として取消訴訟が指定されている場合がある。

  (ex,生活保護法上の保護の決定および実施に関する部分、国家公務員に対する免職等の不利益処分)

 

※行政処分に当たらないとされるもの

 行政機関の行為であっても、a)の実体的行政処分に該当しない行為、すなわち、政省令・条例などの一般的抽象的規範またはその定立行為、計画(の法定行為)、契約(の締結)などの私法上の行為、通達(を発する行為)などの行政組織内部での行為、事実上の行為などは、c)やd)に当たる場合は別とすると、行政処分に当たらないことになる。

e)地方議会の条例制定や行政機関による規範定立行為の処分性(行政処分としての性質)は否定される傾向にある。

f)行政上の計画のうち、国民に対する権利制限的な効果を持った拘束的計画は取消訴訟の対象とすべき必要性が強いが、最高裁は、土地区画整理事業計画の処分性、用途地域指定の処分性、都市計画法上の地区計画の決定における処分性を否定している。それは、付随的効果論(計画の権利制限的効果は計画に内在するものではなく、計画の実現のための法律により与えられたものだということ)及び争訟未成熟論ないし中間処分論(計画の段階では争訟は未成熟であり、後続の行為を争えば足りるということ)より理由付けがなされている。

g)国有財産の売払いは私法上の行為であり、行政処分に当たらないとされている。

h)行政組織内部での行為、行政機関が他の行政機関に対して行う意思表示たる同意、上級行政機関が下級行政機関に対して発する通達、内部的な承認・許可は、行政処分に当たらない。

i) 事実行為として、最高裁は、保険医に対する知事の戒告、地方公務員の採用内定取消行為、都市計画法上の公共施設管理者の同意の拒否、男子生徒の頭髪を丸刈りと定める中学校生徒心得、市町村長による住民票への続柄記載行為につき、直接の効果を生じないこと、事実上の行為であることなどを理由に、処分性を否定する。

 

しかし、以上の枠組みに入らない行為についても処分性が認められることがある。

 

6.関連訴訟

() 執行停止申立事件~横断歩道橋の設置行為~ (東京地裁昭和451014日)

【事実】

横断歩道橋の設置箇所の近隣に居住する住民が、右横断歩道の設置により従来の方法による道路通行権の行使が妨害され、環境権が侵害されることを理由として、右歩道橋の架設工事の施行の停止を求めるにつき、申請人適格を有するとされた事例。

横断歩道橋の架設工事の施工の停止を求める申立てが却下された事例。

 

【判決】

断歩道橋の設置自体は、地元住民を名宛人としてなされる行為ではなく、これを構成する個々の行為もまた、行政庁の内部的な手続上の行為および行政庁が私人との間に対等の立場にたって締結する私法上の行為ないしは私人の右契約の履行行為にほかならず、行政庁の住民に対するいわゆる公権的権力の行使に当たる行為といえないことは明らかである。しかし、道路の安全な交通の確保という地方公共団体に課せられた本来的行政目的を達成するため、地元住民に対して当該施設による利益を供与する行為であって、前記私法上の行為も、右の行政目的達成の手段たる意味を有するものであるから、利益の供与を受ける住民との関係においては、前記起工決定と私法行為との複合した一体的行為として観念することが可能である。

また、横断歩道橋の設置は、住民既得の権利・利益を侵害する虞がないとは断定しがたく、侵害の性質如何によっては、公害の如く、事後の金銭的賠償によるのでは救済の実を挙げ得ない場合があるのみならず、行政庁の行う行為であって、地元住民の日常生活に広い係わり合いをもつものである以上、これを個々の行為に分解して行政庁の自律や私法法規の規律に委ねるよりも、これを行政庁の一体的行為と把握して、公法的規制に服せしめるとともに、権利救済の面においても、行政事件訴訟法3条にいう「公権力の行使にあたる行為」と解してこれに抗告訴訟や執行停止の途を開くのが現代社会の実情に則して法治主義の要請を貫く所以である。

→ 本件申立ては、対象の点において、適法。

 

<検討>

ここでは、国民の権利・利益の救済保護を重視する観点から、抗告訴訟の対象を拡大し、救済の可能性を広げる必要性を重視し、また、行政庁の行為のうち行政行為に当たらず公定力のないものであっても、抗告訴訟以外の訴訟手続では適切・実効的な救済を確保しにくいものについては、抗告訴訟により争うことを認めるべきであるとする、「形式的行政処分論」が見受けられる。ごみ焼却場設置行為の手法とは反対に、横断歩道橋設置行為を個々の行為に分解せず行政庁の一体的行為とみており、行政事件訴訟法3条「公権力の行使に当たる行為」と解することができるとしている。国民の救済を重視した機能論的視点を取り入れるともに、行政過程全体を包括的総合的に考慮している。

 

() 大阪国際空港訴訟(最高裁昭和56年12月16日大法廷判決)

【事実】

大阪国際空港では、大型ジェット機の頻繁な離着陸により航空機騒音が発生し、周辺に深刻な公害をもたらしてきた。周辺住民は、同空港に離着陸する航空機の騒音・振動・排ガスにより身体的・精神的被害、生活妨害等を被ったと主張し、空港の設置者である国を被告とし、午後9時から翌朝7時までの使用差止めを求める民事訴訟を提起した。

 

【第一審・第二審】

第一審・第二審とも原告住民らの請求を基本的に認容。

→ 国側が上告。

 

【最高裁】

上告理由

国営空港の使用差止めは運輸大臣の行政権限の発動を求めるものにほかならないから、民事訴訟で空港の使用差止請求をするのは三権分立の原則に反し許されない。

 

判決

本件空港の離着陸のためにする供用は運輸大臣の有する空港管理権と航空行政権という二種の権限の、総合的判断に基づいた不可分一体的な行使の結果であるとみるべきであるから、右のような請求は、事理の当然として、不可避的な航空行政権の行使の取消変更ないしその発動を求める請求を包含することとなるものといわなければならない。したがって、右らが行政訴訟の方法により何らかの請求をすることができるかどうかはともかくとして、上告人に対し、いわゆる通常の民事上の請求として前記のような私法上の給付請求権を有するとの主張の成立すべきいわれはないというほかはない。

 

<検討>

抗告訴訟で訴えが提起できない場合、民事訴訟での差止請求等で救済の途を開くことが考えられるが、本案は民事訴訟による空港の供用差止めを求めることはできないと判示した判決である。民事訴訟をも否定し、公権力の行使を本質的内容とする「航空行政権」といった総合的包括的な公権力の捉え方をしている。

本案のように民事訴訟までも否定してしまうとすると、住民の権利救済はさらに狭く、難しいものとなってしまうのではないか。

 

7.抗告訴訟と民事訴訟との比較

ここで、民事訴訟における救済も可能であると考えた場合、抗告訴訟にはどのような意味があり、また、どのようなメリットを持つのかを検討してみたい。

 

※民事訴訟との比較による抗告訴訟のメリット

① 適法性統制機能

民事訴訟では、他人の行為によってもたらされる権利侵害が問題になるが、これに対し、抗告訴訟では、当該行政処分そのものが審理の対象となり、それを規律する法規との適合性が判断される。この機能は、法治主義の原則に対応する抗告訴訟の重要な機能である。

② 早期権利保護機能・既成事実発生予防機能

抗告訴訟では行政処分そのものの違法性を争うことができ、また、後続の工事・事業による被害の発生を待たず抗告訴訟を提起することができる。

公共施設からの騒音・振動などを理由に訴えを提起する場合、民事訴訟であれば、被害発生の蓋然性がなければ訴えは認められないであろうが、これに対し抗告訴訟は、こうした蓋然性を要件とせず、公共施設の設置承認行為などの先行の行政処分を捉えて提起することができる。この点で、抗告訴訟は、早期の権利保護・既成事実の発生の予防に資する。

③ 紛争の一挙解決機能

一つの行政処分が多数の国民利益に影響を与える場合、民事訴訟によるとすると個々人の権利利益への影響を捉えて争うことになるが、抗告訴訟によってであれば、大本の行政処分を争うことができ、紛争の一挙解決を図ることができる。

④ 第三者救済機能

抗告訴訟においては、民事訴訟に比べると法関係の第三者に原告適格が認められ易く、第三者の救済が容易であるという特色がある。

 

※抗告訴訟のデメリット

① 行政処分には、抗告訴訟の排他的管轄が及ぶ。そこで、本来なら抗告訴訟の対象とはならない行為が抗告訴訟の対象として認められると、これについて抗告訴訟の排他的管轄が及び、(いわゆる公定力が付着する)、民事訴訟の提起が認められなくなる虞がある。

② 抗告訴訟がそもそも、民事訴訟との比較において、国民の権利保護の上で有効なものかという問題がある。取消訴訟には出訴期間があり、裁判例上、原告適格が民事訴訟に比べ狭く解される傾向がある。さらに、裁判所が執行停止をするための要件は厳格であり、また、行政庁の積極的措置を求めることができない。

 

8.まとめ

形式的行政処分論を展開した判決(横断歩道橋設置行為における判決)はあったが、ごみ焼却場設置行為における判決は抗告訴訟の対象に関するリーディング・ケースとされ、後の判例をほぼ支配してきた。こうした現状のもとでは、不快施設の設置によって人権を侵害された場合、抗告訴訟では当該施設の設置を争うことは許されないことになり、関係者は民事訴訟で差止めを求めることになるが、先にみた大阪国際空港訴訟のように、民事訴訟をも認めない判決も存在する。

では、ごみ焼却場の設置により、保健衛生上、重大な脅威が加えられ、住民の権利が侵害されるようなことがあった場合、住民には法的救済が与えられないのだろうか。考えられる方法として、①煤煙排出施設であれば、所轄行政庁に、当該施設の排出基準の遵守、改善命令、緊急時の措置等の行為を行うべきことを要望とすると共に、和解の仲介の申立てを行うことも可能である。規制対象外施設であれば、地方自治法上の直接請求権によって、これを規制しうるような条例の制定を地方公共団体に求める。②司法的手段による救済、住民がこれによって権利を侵害されたという場合に、差止請求、損害賠償請求をする、などがあろうか。

しかし、やはり住民が自らの権利を救済するために、抗告訴訟制度を見直す必要性はあるだろう。抗告訴訟制度を権力性ゆえの制度ではなく、現代社会における行政作用の量的・質的な重要性を考慮して、国民が行政庁の行為の適法性を直接攻撃しその効力を対世的に確定するために採用した制度とするならば、「公権力の行使」も実体的な権力性ではなく手続き的なものにすぎず、それ自体無内容なものである。また、公権力概念を不要とし、民事訴訟と抗告訴訟との区別も廃止すべきである。さらに、民事訴訟との役割分担も含めて、行政訴訟の機能・本質が基本的に再検討される必要もあるだろう。

9.私見

抗告訴訟の対象となるものは行政行為であり、その行為には処分性があるということが前提となっている。そもそも行政行為の範囲たるものものが、いささかあいまいであるように感じられる。定義としてはあるものの、先にあげた「行政処分とされるもの」のc)にあるように、継続的な性質をもった公権力的事実行為は、不快施設の設置行為についても当てはまると考えることは不可能とは言えないし、行政庁の行う不快施設の設置が、住民の権利・義務を形成していると解することもできるのではないか。現に横断歩道橋設置判決のように、形式的行政処分論を取り入れ、処分性を認めた例もある。ごみ焼却場の設置において具体的なことを言えば、煤煙等による健康被害や、設置場所に鑑みたところの汚物運搬による交通安全面での問題等、権利を侵害するに足る行為と言えるのではないか。また、救済の時期に関して、問題発生の蓋然性を訴訟要件とする民事訴訟よりも、早期に救済が可能である抗告訴訟をもってした方が、より救済の面で優れていると言えるのではないか。

最後に、抗告訴訟だけでなく、民事訴訟との関連においても見直すところは多く、いわゆる迷惑施設に対して、住民に争う確固たる機会と保障を与えて欲しいものである。しかし、行政庁の行う行為が、ある程度権力的でなければならないというのもうなずける。形式的行政処分論を持ち出すことは、行政庁の行為が権力的であることの必要性を考えた場合、行政行為の範囲を広げ、訴訟要件をあいまいにし、スムーズな行政活動を阻むことになる。だからといって、やはり多かれ少なかれ不快施設が住民にもたらす影響が存在するのは確かなのだから、住民側と行政側とがそれぞれお互いの主張やその行為の意味を考え、より快適で住みよい社会を作っていければと思う。

 

 

(参考文献)

『行政判例百選Ⅱ』<第2版>381頁 原田尚彦

『   〃   』<第3版>374頁  〃  

『行政法散歩』 塩野宏・原田尚彦

『行政法総論』 兼子仁

『行政救済法講義』 芝池義一

『行政法Ⅱ』 塩野宏

『法曹時報』44巻11号39頁 原田尚彦

『行政法理論の再構成』 高柳信一

『判例評論』79号16頁 川上勝巳

『民商法雑誌』52巻6号78頁 松島諄吉