行政判例百選U160事件                       2002,05,30

  校庭開放中の事故        担当:島浦・横田

          (最高裁平成5330日第三小法廷判決)

事実の概要

  栃木県下茂木町(以下Y)の町立中川中学校の校庭は、一般人の出入りを妨げる門扉などは設けておらず、近所の子供らや家族連れなどの遊び場として利用されていた。昭和56814日午後4時過ぎ頃、原告生井恒雄(以下X)等は当時510ヶ月の長男圭吾(以下A)を連れ、その校庭にあるテニスコートでテニスをしていたが、Aが右コート脇に置かれてあったテニスの審判台に前部階段から上って遊んでいるうち、座席部分の背当てを構成している左右の鉄パイプを両手で握って後部から降りようとしたため、審判台が後方に倒れAは下敷きになり後頭部を地面に強打し、病院に運ばれたが死亡した。

  Xは審判台の設置・管理の瑕疵に原因があるとして、Yを相手に国家賠償法2条1項に基づき損害賠償を請求した。

 

第一審 (仙台地方裁判所昭和59年9月18日) 

 判旨 : 一部認容

l         本件審判台は、Yの設置、管理にかかる営造物である。

l         Yは、子供が本件審判台に上って遊ぶことを予測し得たにも関わらず、後方に倒れやすい構造上的欠陥を持った本件審判台を後方に倒れる方向に傾斜した地面に設置し、何らかの転倒事故回避措置も採らずに放置していたものであるから、本件審判台の設置管理には瑕疵があった。

→構造のみに着目し、且つ本来の用法に従って使用する限り、転倒の危険を有するとはいえず、設置管理に瑕疵があったとはいえない。営造物の設置、管理の瑕疵とは、「当該営造物が通常有すべき安全性を欠く状態をいうが、ここにいう通常有すべき安全性とは、本来の用法に従って使用した場合の安全性にとどまらず、たとえ本来の用法と異なる方法で使用された場合であっても右使用方法が設置、管理者にとって通常予測しうるものであるときにはこれに堪えうるような安全性をも兼ね備えた状態を指すもの」と解す。本件の場合子供が上って遊ぶことは予測でき、そのとき故意に転倒させなくても倒れる危険性があったことが窺われ、それに対する適切な措置を採っていなかったため、本件審判台の設置、管理に瑕疵があったといえる。

 

本件審判台の設置、管理の瑕疵に起因するものであるから、Yは国家賠償法2条1項に基づき、亡きA及びXらに対し、損害を賠償すべき責任がある。

 

第二審 (仙台高等裁判所昭和60年11月20日)

 判旨 : 控訴棄却

l          本件審判台は通常の使用方法による限り転倒することは無い。

→本件審判台は他種のものに比べ、後方に倒れやすい構造になっており、通常の用法による場合でも後方に倒れる危険は他種の物より大きかった。

l          Aの行動は通常予測することのできないものであった。

→本件審判台の構造及び安定性、本件校庭の利用状況に鑑みると、学齢児前後の幼児が保護者に伴われることなく、または保護者同伴で本件校庭内に至り、保護者の気づかないうちに本件審判台に上り、本件のような行動をして転倒した場合、その素材、重量のため、死傷事故を惹起する可能性があることはYには予測しうるところであった。

l 第一審のいう審判台の設置・管理について地面に固定したり、使用時以外の収容等は本来の用法と異なる方法で使用される場合に対処してなされる措置で、普通一般になされていない審判台に対する考え方と取り扱いをYに求めることになる。

→事故に関し通常予測可能だったのだから、事故の発生を未然に防止するような措置を採ることは当然である。

l  父親であるXの過失は重大である。

Aの行動に対する注意、保護監督義務があったがテニスに興じるあまりAの行動を見ていなかったので、過失がある。

 

本件審判台の設置、管理の瑕疵に起因するものであるから、Yは国家賠償法2条1項に基づき、亡きA及びXらに対し、損害を賠償すべき責任がある。

最高裁判所 (平成5年3月30日第三小法廷判決)

判旨 : 破棄自判

l         第二審は審判台不使用時の、通常は行われていない審判台の管理を管理者に要求し      ている。

審判台が倒れることなく幼児が単に審判台から転落受傷した場合は?

→結局設置管理者は予測可能ということになり、いかなる措置を採っていたにしても国家賠償法2条1項の責任を免れないことになる。

 

→原審でもいっているように、本件審判台が本来の用法に従ってこれを使用する限り転倒危険を有する構造では無い、安全性に欠けるものではない以上、他種の審判台との安全性の比較や、設置の固定、不使用時の収等は、実情にそぐわない非難である。公の営造物の設置管理者は、「審判台が本来の用法に従って安全であるべきことについて責任を負うのは当然として、その責任は原則としてこれをもって限度とすべく、本来の用法に従えば安全である営造物について、これを設置管理者の通常予測し得ない異常な方法で使用しないという注意義務は、利用者である一般市民の側が負うのが当然」である。

l         最高裁判所昭和53年7月4日判決に違反している。

最高裁判所昭和53年7月4日判決の内容

  幼児が道路脇の防護柵に腰掛けて遊ぶうち、誤って崖下に転落し負傷した。親は市を相手に設置管理の瑕疵に起因するとし、国家賠償法2条1項に基づき損害賠償を請求した.最高裁は「本件道路及び防護柵の設置管理者において……通常予測できない行動に起因するもので……、右営造物につき本来それが具有すべき安全性に欠けるところがあったとはいえず、……通常の用法に即しない行動の結果生じた事故につき」、設置管理者は責任を負うべき理由がないとした.(今日の判例理論)

 

→「『公の営造物の設置又は管理に瑕疵』とは公の営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、右の安全性を欠くか否かの判断は、当該営造物の構造、本来の用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべき」(最高裁判所昭和53年7月4日判決)で、「審判台の通常有すべき安全性の有無は、この本来の用法に従った使用を前提とした上で」決せられる。本件はAの異常な行動に起因があったといわなければならず、国家賠償法2条1項の責任を負ういわれはない。

従って国家賠償法2条1項の責任を負わない。

 

判例の意義

 「社会における施設は、異なった立場における注意すべき者の守備領域の分担において、その効用を全うしている。その守備領域には相覆う部分はあるにしても、これを一方の全面守備範囲に押し付けることによっては機能しない」という守備範囲論において、53年判決では「通常の用法」から責任分配を確定するとしていたものを、本件では「本来の用法」から考えるべきである判事し、責任分配についてのいわば一般論を明確にした点で貴重である。

論点

 設置管理者として通常予測できる範囲はどこまでなのか。予測できなかった場合の事故においても国家賠償法2条1項にいう「営造物の設置または管理の瑕疵」に含まれるのか。

そもそもこの瑕疵判断を予測可能性で論じてもいいのだろうか。

 

判例・学説

前提

『瑕疵論』 (古崎説)

l                判例は一貫して、管理者の作為、不作為義務違反を瑕疵として捉えず、営造物が通常有すべき性状を欠く状態を瑕疵として捉える。

l                営造物に単に物的欠陥があれば、それで瑕疵があるとしてしまうと、事実上の管理の観念が入り込む余地がない。

l                「設置又は管理の瑕疵」と対置されるのは、「設置又は管理ではない瑕疵」すなわち、設置・管理作用上の手落ちといえない事故であり、不可抗力による事故がこれにあたる。 

 

「営造物が通常有すべき安全性の欠如」をいうために   (前田説)

@     営造物に事故発生の危険性が存すること

A     営造物の設置管理者において事故発生の予見可能性が存すること

B     事故発生の回避可能性が存すること             

<学説>

客観説(通説)

l         営造物が「通常」有すべき性質や設備を欠き、本来有すべき安全性を欠いた状態を瑕疵として捉える。

(→何が「通常」か? 事実認定に基づく法的価値判断であるから、抽象的にいうのは難しい。社会通念に従ってなされるから、社会の進化とともに判断基準も異なる。)

<根拠>国賠法2条が瑕疵を客観的に物的安全性欠如としてとらえる国賠法立法当時の民法717条の通説的解釈をその基礎においていること。

義務違反説

[植木説]

営造物管理者の損害(危険)防止措置の懈怠・放置としての損害回避義務違反である。それは、営造物管理者の主観的事情とは関係ない、営造物の危険性の程度と被侵害利益の重大性の程度との相関関係の下で客観的に決定される違法性要素としての注意義務であると解する。その意味で、国賠法1条と2条は同質なもので、2条は1条の注意規定である。

←批判:通説の側から、@国賠法1条と2条との区別をあいまいにするものであるA無過失責任性に反するB証明責任の所在が明確とはいえないC原告が管理者の損害回避義務の存在と義務違反の事実を主張・立証しなければならなくなるとすれば、原告に不利となる。

<参考>

民法717条 工作物責任

客観説(通説)

l         無過失責任であることを前提として、「瑕疵」とは、工作物がその種類に応じて通常備えるべき安全な性状または設備を欠いていることであり、その有無は客観的に判断されるべき。(客観的:瑕疵の発生した原因を問わず、占有者・所有者の故意・過失に基づくことを要しない。)

l         占有者や所有者の意思に関係なく、危険な工作物に対する責任をできるだけ広く認めようとしている。

義務違反説

l         管理者の作為・不作為を瑕疵とみる。

[國井説]

l         自然現象による不可避的な「通常」備えるべき安全性を欠如しているとはいえないような場合であっても、避難対策の不実施を義務違反と考えて、管理の瑕疵を認めることができる。

→客観説のもつ制約を取り除き、瑕疵認定を拡大しようという実践的意義をもつ。

l         管理者の作為・不作為による瑕疵認定は国賠法2条に適合し、また、義務違反を責任根拠とすることは、不法行為法の体系に調和するという理論的意義をもつ。

l         不可避的な自然現象によって発生した事故については、物的施設に着目する客観説によれば不可抗力といわざるを得ないが、義務違反説によれば、直ちに不可抗力になるわけではなく、管理者の避難対策などによって損害惹起の回避が可能なときは、管理者の不作為について管理瑕疵をみとめることができる。

 

判例理論の動き

[]最高裁昭和45年8月20日民集24巻9号1268頁百選155事件

「道路管理の瑕疵」

道路上に落下した岩石によって青年が即死した事故で、青年の両親が国と県に設置・管理の瑕疵があったとして国と県に損害賠償を求めた事件。

→「国家賠償法2条1項の営造物の設置または管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、これに基づく国および公共団体の賠償責任については、その過失の存在を必要としないと解するを相当とする。」

(⇒客観説を採用、設置管理の瑕疵の意義を明確に判示した最初の指導的判例。)

[]最高裁昭和53年7月4日民集32巻5号809頁

「道路管理の瑕疵」

道路管理者が設置した防護柵に幼児が後ろ向きに腰掛け誤って転落した事故で、設置・管理の瑕疵があったとして市に損害賠償を求めた事件。

 

l         安全性の有無→@当該営造物の構造A用法B場所及び利用状況等諸般の事情を総合

判断して個別具体的に判断すべき。(@AB:瑕疵の存否判断の基準)           

l         営造物の通常の用法に即しない行動の結果事故が生じた場合において、その営造物として本来具有すべき安全性に欠けるところがなく、右行動が設置管理者において通常予測することのできないものであるときは、右事故が営造物の設置・管理の瑕疵によるものであるということはできない」

l         守備範囲論を展開した判決

およそ社会における施設は、異なった立場における注意すべき者の守備領域の分担において、その効用を全うしているといってよいのであって、その守備領域には相覆う部分はあるにしても、これを一方の全面的守備範囲に押しつけることによっては機能し得ない。遠藤説

→営造物の管理者と利用者との責任分担についてそれぞれの範囲を画そうという解釈論。

 

<肯定説>

阿部説 社会はお互いの注意と配慮によって成り立っているから、通常の利用の仕方でも被害に遭うか、被害者の利用の仕方が異常か、という社会における危険回避責任の分担なり行政と被害者の守備範囲の分担という発想が必要である。

 

→通常有すべき安全性が相対的なものであるゆえに、瑕疵判断において被害者の行動を斟酌せざるを得えず、その際に「守備範囲論」が必要かつ有効である。

<反対説>

古崎説 守備範囲論は被害者を切り捨てる恐怖の刀である。→被害者側の責任は過失

相殺で調整できる。

    ⇒予想外の事故につき設置管理瑕疵が否定されることに異論はなく、ただその場合、管理者の主観的知・不知とは無関係であり、守備範囲論的考察は、事案を単純明快に割り切ってしまうため、デリケートな事案の個別具体的要素を十分に取り込んだうえでの説得力のある結論の抽出ではなくなる虞れがある。

室井説・芝池説 守備範囲の画定によっては、営造物に関する危険で、国民自らが容易に対処できず、またはその自己責任を認められていないものが、特別の理由がないにもかかわらず、守備範囲の外に置かれることになりかねない。

杉村説 守備範囲論に依拠することにより、結果的に予見可能性の範囲を限定するこ

とになりかねない。

 

 []本判決

特色:@被害者の行動が設置管理者において通常予測することができるか否かを判定し、これが肯定されない場合には瑕疵認定もされない。

A     管理者の予測を超えた被害者の行動に起因する事故。

B     「本来の用法」([]判決では「通常の用法」)と表現。

対象となった営造物の差異(防護柵とテニスの審判台)が表現の違いになった?

(←[]判決には、本来の用法ではないが、通常予測される用法まで含まれる?

  通常の用法を本来の用法としたのは、文言の趣旨を明確にしたもの?)

 

《今日の判例理論》

営造物の本来の用法に即しない行動の結果事故が生じた場合、その営造物として本来の用法の機能に欠けるところがなく、事故が営造物の設置管理者において通常予測できない行動に起因するときには、営造物の設置・管理について瑕疵があるとはいえない。

 

<判例理論の論法による無責判決>

@     最判昭53・12・22

1年7ヶ月の幼児が用水溝に転落した事故。

A     最判昭55・7・17 

6歳の幼児が防護柵およびパラペットを乗り越えて堆積土から河川に転落した事故。

B     最判昭58・10・18

大阪城の外堀の縁でザリガニ取りをしていた9歳の小学生が堀に転落溺死した事故。

C     最判昭60・3・12

4歳9ヶ月の幼児が貯水池に転落死亡した事故。

D     最判昭63・1・21

酒に酔った男性が河川敷への転落防止のための鉄パイプに腰掛けようとして河川敷にあった荒湯桶に仰向けに転倒死亡した事故。

<責任認容判決>

E     最判昭55・9・11

軽自動車が埋立地の岸壁道路から海へ転落した事故。

F     最判昭56・7・16

金網フェンスを乗り越えた幼女が小学校のプール内に転落死亡した事故。

 

²        今日の判例では、学説による影響を受けず、それぞれのケース毎に個別・具体的に判断基準を設けていると見受けられる。学説による瑕疵論争は薄れてきている。

 

<予測概念>問題となる行動が「通常予測され得る」か否か?(中村説

l              本最判では1・2審の肯定判断が覆された。

→@子供の行動を予測という基準によって判断することが困難を伴う。

A判決がもつ実質的政策判断が下級審段階で定着しているのか?

l              子供特に幼児が大人なら当然しないであろう思いもかけない行動をすることがある。

l              本件も含め、問題となった行動が「通常予測され得る」か否かが特に下級審判決において分かれるのには、そのような子供の行動を、大人ならしないであろう「思いがけない」行動をするものであるということを前提にして、そのなかでふるい分けをし、ありうるといえる行動の場合には過失相殺で対応しようとするか、そのような前提を重視しないかにある。前者はその具体的行動については事後的にみてそのような行動が子供の年齢からしておかしくはないとする判断に近づくから、過失判断からは離れる可能性はあるが、子供にとって興味をひきかつ接近可能な営造物の瑕疵判断あるいは、過失とは区別された安全保持義務違反判断としては、背理ではない。事故につらなる子供の行為はほとんどが施設の予定外であるというにとどまらず、施設管理者から見れば「思いがけない」行動であろう。―☆

l              しかし、施設管理者からみて「思いがけない」行為を一般に「予測し得ない」とすることになる最判例での「予測」の使い方において、この予測概念(☆)は、その施設で予定された以外の子供の行動による場合はその予定が不合理といえない限り原則として責任は生じないというためのものであって、「予測」できたか否かを判断するためのものではない?

 

 

 

私見

本件最高裁判決に賛成。かつ阿部説にもっとも近い考えである。

→行政は広い視野で、一般的な行動において起こる危険に対して責任を負うべきであり、あまりに具体的で本来の用法と異なったものにおいてまで行政に求めるのは酷である。だからといって確定的に本来の用法と異なるから責任が免れるというのではなく、色々な事情を考慮し個別具体的に判断するのがよい。よって本件の判決は妥当だと思われる。ただ本件の場合、Aの行動は本来の用法と異なっているとは思うが、「極めて異常なもの」としているのには疑問がある。

 

保護者が側にいたにも拘らず、テニスに興じて注意を怠ったのだから、保護者の責任のほうが重大だと思われる。それ故危険回避責任の分担、被害者の守備範囲の分担という考えは妥当だと思う。

 

 

参考条文

 国家賠償法2条1項

   道路,河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があったために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる。

 民法717条1項

   土地の工作物の設置又は保存に瑕疵あるに因りて他人に損害を生じたるときは其工作物の占有者は被害者に対して損害賠償の責に任ず但占有者か損害の発生を防止するに必要なる注意を為したるときは其損害は所有者之を賠償することを要す。

 

参考文献

 民集47巻4号3226頁

 NBL540号54頁・加藤新太郎

 法学教室157号98頁・安本典夫

 私法判例リマークス1994(下)66頁・國井和郎

 判例地方自治131号35頁・阿部泰隆

 判例評論433号57頁・中村哲也

 ジュリスト156号128頁・滝澤孝臣

 判例タイムズ542号249頁

 「国家賠償法の諸問題」古崎慶長

 「国家補償法」阿部泰隆

 「行政法要論」原田尚彦

 「不法行為法講義」森島昭夫

 

〜補足〜

<本判決についての意見>

法学教室157号・安本典夫

学校管理者の責任をあまりに広げすぎることは問題の解決には至らないという本判決の指摘は一般的には正しい側面を持つ。しかし、「設置管理者は、本来の用法に従って安全であ るべきことについて責任を負い、その責任は原則としてこれをもって限度とする」(☆)という一般論までたてたのは、勇み足である。

 

NBL540号・加藤新太郎

本判決における一般論(☆)は、従前の判例理論と整合する命題であり、原則論としてはこれを承認せざるを得ない。(⇔安本説

 

百選・田村康俊

53年判決では「通常の用法」としていたものを、本判決では「本来の用法」としている。→「通常の用法」との比較的広いコンセプトの理解に立ち、責任分配(守備範囲)を確定するという視点に立った場合、設置管理者の予見を超える場合が生じるおそれを本判決は考えたのではないか。

 

 

私法判例リマークス1994(下)・國井和郎

本件幼児の行動を「極めて異常なもの」とする判断は強弁すぎる。

「予測」について、「遊びの天才」とされる子供が審判台を乱暴に昇降し、本件のような行動に及ぶことも予測できないと断ずるのはどうか。

守備範囲論に対して:予見可能性の幅を狭める結果、責任成立を限定しすぎないか。

          瑕疵判断を予見可能性に集中する結果、判断が恣意的にならないか。

瑕疵判断は予見可能性と回避可能性に帰着する。これをやや細分化し、営造物の形状から事故発生の可能性を読み取り、事故防止措置の必要性を推論し、実施可能性・期待可能性を検証したうえで、その不実施をもって瑕疵を根拠づける、との手順のもとで、各判断における価値判断が「守備範囲論」である、と整合するのが妥当ではないか。

 

判例自治・阿部康隆

公物に必要な安全性の水準に関して、本来の用法以外の用法の場合まで配慮していたのでは、安全性の水準が高くなり、かえって一般に利用されなくなるおそれがあるため、一般論をいえば公物管理者としては通常の用法での事故を起きないように配慮すれば十分。しかし人間は多少冒険的な利用をするので、審判台の後部から降りるのを極めて異常というのは言い過ぎ。公物管理者としては本来の用法のほかに、予測される付随的な利用にも安全であるような構造のものを設置するか、危険という表示をするように配慮して欲しい。学校の責任を問うなら、学校が責任を免れる事を可能とする方法を示す必要がある。

 

ジュリスト1056号128頁・滝沢孝臣

本判決は、営造物の危険に対する設置管理者と利用者との責任分担(守備範囲)を簡単に説示し、設置管理者の通常予測できない異常な方法による営造物の使用によって生じた事故に対する設置管理者の責任が否定される理由を明らかにした。

 

民事研修439号24頁・栗原洋三(高松法務局訟務部付検事)

53年判決より、営造物が通常有すべき安全性を欠くか否かは、構造・用法・場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的に判断し、その際には@通常の用法に従った使用を前提としA予見可能性の有無が一つの判断要素となる。@Aより予見可能性は、通常の用法に従った使用に関する事実を基礎に判断する。

 

判例時報1515号・中村哲也

子供の行動が予測されるかどうかが判決の枠組みになっているが、子供の行動を予測という判断基準は困難を伴う。

→子供なら大人ならしないであろう「思いがけない」行動をするということを前提にしている。(前記参照)このような「予測」概念の用い方が「思いがけない」行動をする子供たちの興味を引くような営造物に関連した事故を扱うにおいて適切かには疑問あり。

 

通常予定された「本来の使用」の辛うじて耐えうる設計ではなく、安全性の幅・余裕を持つということを前提にすると、具体的行動が予測されたかとかは関係なく、予定外の行動の負荷がこの意味での「通常」の安全性の幅の中であるか否かという問題になる。