諏訪春雄通信 16


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。
前回の通信で、つぎは長江中流域の少数民族社会の稲魂信仰について報告すると、お約束しましたが、1回、先送りさせていただき、今回は、今週の土曜日にせまった特別研究会「神隠し・妖怪・子供・文芸論―『千と千尋の神隠し』を読むー」の私の発表予定のレジュメをお送りします。Uまでしか完成していませんが、残りはぜひ会場においでになってお聞きとりください。
 会場でのご質問もうけます。ではお眼にかかることを楽しみに。        

「千と千尋の神隠し」の神々たち

学習院大学 諏訪春雄

T 登場する神々

《湯屋の従業員》

01.ハク 12才くらいの白面の少年。湯屋の帳場を預かる。出会ったときから千尋をかばい、助言し励ます謎の人物。

02.湯婆婆・銭婆 年齢不詳。巨頭の老女。魔法を使い油屋と呼ばれる湯屋を経営し、支配する。口やかましく強欲。双子の姉銭婆がいる。

03.釜爺 湯屋の地階にいるボイラー室を切り盛りする六本腕の老人。ススワタリを従え、薬湯の調合をしている。

04.父役 湯屋の従業員であるカエル男たちを束ねる大蛙。

05.兄役 父役とともにカエル男たちを管理する。

06.青蛙 湯屋で働くカエル男。

07. 湯婆婆の息子。巨大な赤ん坊。食欲に苦しみ、わがまま。

08.番台蛙 湯屋の番台を預かる大蛙。薬湯の札を神様の格にあわせて管理する。

09.湯女たち 湯屋にやってくる様々な神様たちを相手に働くナメクジ女。

10.ススワタリ ボイラー室で石炭を運び釜焚きを手伝う。コンペイトウが大好物。

11. 湯婆婆の部屋にいる3つのオヤジ顔。

12.湯バード 頭が湯婆婆そっくりの見張り鳥。

 《湯屋へやってくる》

13.おしらさま 大根の神様。東北、関東、中部地方の民間で信仰されている神様に「おしらさま」というものがある。その多くは農神とさている。

14.おクサレさま 汚れた河の主。汚れてしまってはいるが、実際には高名な河の神様。

15.河の神 翁の面の顔に、白蛇の胴体を持つ高名な河の神様。

16.春日さま 宮崎監督が春日大社にある紙のお面からイメージした神様。

17.牛鬼 牛鬼はもともと恐ろしいものの代名詞であった。「枕草子」のなかにも「名おそろしきもの牛鬼」と記されている。愛媛県宇和島地方の祭の代表的な練り物として有名。

18.オオトリさま ヒヨコの神様。食べられてしまったヒヨコの神様だという説もある。

19.おなまさま 秋田県男鹿半島などで小正月に来訪神を迎える「なまはげ」という行事がある。その際、来訪神として登場する神様をイメジしたもの。

20.カオナシ 湯屋のある世界とは別の場所からやってきた謎の男。呑み込んだ相手の声を借りてしかコミュニケーションがとれない。己というものを持たない悲しい存在。

(スタジオ・ジャンプ編『千と千尋の神隠し』による)

U 神々の素性

 人類の信仰対象になった神々は大きくつぎの3種に分類することができる。

自然神
 日月星辰や風雨雷鳴などの天体・気象現象、木石山水や動植物など、要するに自然現象や自然物に、精霊の存在をみとめ、これを神とみなしなしたもの。

人格神
 人間を神格化した一群の神々。男神・女神、創造神・破壊神、英雄神・文化神、農業神・工業神・狩猟神・漁労神、守護神、祖先神など。

超越神
 現世を超越する絶対神である。キリスト教やイスラム教、仏教などの神仏である。

 ここに登場する20種の神々はすべて意思をもってうごきまわる。かぎりなく人間に近い行動様式をもっている神々である。その点からみれば擬似人格神であるが、その本質は動物であったり、植物であったり、河であったりする広義の自然神である。その出自を分類すれば次のようになる。

動物神
04・05・06・08(蛙) 09(ナメクジ)  12・18(鳥) 15(蛇) 17(牛)

植物神
13

狭義の自然神
14(河) 

人間神
03・11・19

器材神
10・16

複合神
01・20

 人間は長いあいだ、自然信仰の段階にとどまっていた。文化によって自然を征服することに自信をもつ以前、人間は圧倒的な自然の力のまえにひれふしていた。蛙も蛇も牛も神であった。鳥のうち、18はヒヨコである。ヒヨコつまり鶏も信仰の対象であった。12は鳥の種類はあきらかではないが、雉であろう。雉なら信仰されていた事実がある。ただ、「古事記」のむかしから監視、探索といったイメージをともなっている神で、湯屋の見張り役にふさわしい。動物神のなかで、人類に信仰されていた事実のみとめられないのはナメクジだけである。湿気の多い、陽のあたらぬ場所にうごめくなめくじの印象が湯女にむすびついている。

 植物神の13おしらさまは大根である。農作物は神の賜物であり、またそれ自体も長いあいだ信仰の対象でああった。
 狭義の自然神の河も神であった。

 人間も、自然信仰の段階で神とあがめられていた。ただ、それは、全人格にたいする信仰とは区別され、その能力の一部だけが肥大化して信仰されるのがつねであった。日本の各地にいまもみられる男女の生殖器にたいする信仰がその具体例である。03の釜爺の六本腕は人間の手の働きが、11の頭は頭の働きがそれぞれ肥大化したものとみることができる。19のおなまさまは秋田男鹿半島のナマハゲをイメージしている。ナマハゲは本来は先祖の神々が子孫のもとに季節をさだめておとずれる人格神である。しかし、その本質がわすれられて人間に動物が合体した鬼とみなされるようになった。その点では複合神に分類することもできる。

 器材神は人間の使用する道具が長い年月を経て妖怪化したものである。日本では室町時代以降の「百鬼夜行絵巻」に傘、琵琶、鉾、剣、その他多くの器材神が登場してくる。その源流は中国にあり、はやく10世紀に成立した説話集『太平広記』などに多様な器材神をみることができる。10のススワタリ、16の春日さまを器材神にくみいれることには抵抗があるかもしれないが、すすも紙も人間のつくりだした人工物とみなして器材神に分類した。

 01のハクと20のカオナシは複合神と判断した。ハクの正体は白竜である。彼の本当の名は「ニギハヤミ コハクヌシ」という。ハクはこのコハクに由来するのであろうが、また、白竜のハクでもある。竜は中国北方民族のつくりだした想像の産物であり、蛇、鹿、牛、鷹、虎など、多様な動物神の合体した複合神である。20のカオナシは得体のしれない存在である。何物でもないし、何物でもある。自分の顔も声も確定した肉体ももたないくせに、飲み込んだものの声で発声し、飲み込んでは吐き出すことをくりかえしてどんどん巨大化してゆく。動物の胃腸や肛門、つまりは内臓のイメージをもっているが、不安定でグロテスクな人間存在そのもの、または社会そのものともみることができる。

 湯婆婆は魔女である。魔女の本質はキリスト教やイスラム教社会の女性シャーマンである。父なる神またはエホヴァの神を唯一絶対の存在とみなして他の神をみとめない一神教社会においてシャーマニズムのシャーマンは神がかりして多種多様の神々と交流する異端である。ことに降霊能力にすぐれた女性シャーマンは魔女とよばれて魔女狩りの対象となった。湯婆婆はまさに外部からくる多様な神々をむかえ、現世の各種の土地神をコントロールする女性シャーマンである。
 魔女は神でもなければ妖怪でもない。人間である。その子の坊もいかに巨大な胃袋をもった不気味な存在であるにしてもまぎれもなく人間である。

V アニミズムの神々と妖怪

W 異界論の視点から「千と千尋の神隠し」を読むと ―人間の自分探し―

 


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