諏訪春雄通信 44
アジア文化研究プロジェクトへようこそ。
通信33で、日本人の空間把握の方法に右回り(時計回り)と左回り(時計回りの逆)の二つがあり、それが浮世絵などに顕著に表現されているという問題をあつかいました。そして、なぜその二つが存在するのか、という解答は保留してつぎのようにのべました。
「一つの問題を真にふかくひろく解明するためには、これまでのこまかに区分された学問の枠組みでは、もう手も足も出ないのです。」
「私はこのテーマで、今年、6月30日(日曜日)に、学習院大學で開催される国際浮世絵学会の大会で研究発表をする予定ですので、解答はずるいようですが、それまで伏せさせていただきます。」
この通信44が、皆さんのお手許にとどくときには、国際浮世絵学会もおわっています。今回の通信では、その解答をのべます。
絵画における右回りと左回りは、民俗における右回り、左回りの習俗を根底にしています。目についた右回り、左回りの習俗を列挙します。まず右回りです。
つぎに左回りです。
この二つの習俗についてこれまでどのような説明がされてきたか。その代表的な説を紹介します。
1 仏教の右遶(うにょう)・左遶
『仏教語大辞典』(中村元著、東京書籍)から引用します。「【右遶】常に中央に右肩を向けるように、時計の針の回り方と同じ回り方をする。インドの礼法。(1)古代インドでは貴人に尊敬の意を表すとき、右脇を貴人に向けてその周囲を三度回った。また軍隊が凱旋して帰って来たときには、城壁のまわりを三度右回りして城の中に入った。ヴェーダ学生は聖火を右回りする。(2)このような習俗が仏教にとり入れられたのである。インドでは仏に対して修行僧は右遶するのが礼法である。【左遶】常に中央に左肩を向けるように、時計の針と逆の回り方。不吉であるとみなされた。仏を守護する夜叉神である密迹力士は、もしも左遶する者があれば、金剛の武器をとってその者を砕いてしまうという。」仏教行事における右回りの優位についてはこの説で解釈できます。
2 相補的二元構造論
イギリスの社会人類学者ロドニー・ニーダムが『祭司の左手―メル族のシンボリズム構造の分析ノート』(一九六〇年)そのほかで展開している説です。アフリカ・ケニアのメル族やウガンダのニョロ族などが、左手に呪術・宗教的な意味をあたえて重視している事実に注目し、左を聖、右を俗としてとらえ、この二つを相互に補完しあう二元構造または二項対比として説明しました。
3 太陽とともにまわる右回りと太陽にさからう左回り
太陽との関係は一般的にいわれている説であって最初にいいだした個人を特定することはできません。たとえば大野晋氏は、左の語源として、「ヒダリは、太陽の輝く南を前面として、南面して東の方にあたるので、ヒ(日)ダ(出)リ(方向)の意か」(『岩波古語辞典』)と推定します。ここで大野氏のいう左は右回りの右にあたることを注意してください。
4 神招ぎと神懸り
民俗芸能研究者の後藤淑氏が民間神楽の踊り方に順(右回り)と逆(左回り)があることから提示した説です(「神楽原初考」『続能楽の起源』木耳社、一九八一年)。東京赤坂の日枝神社の巫女舞の逆回りが神招ぎ、順回りが神懸りとする伝承によって立てた説です。
5 左回りは魔ばらい
右回りを順とし、左回りは逆、逆さとみなし、その意味を魔ばらいとみる説です。はやく柳田國男は「逆さ」に注目し、その意味を魔ばらいあるいは境界としてとらえていました。似たような考えは折口信夫にもあります。この二人は左について論じているのではありませんが、左を右の逆さととらえ、その意味を魔ばらいとします。松永和人氏が著書『左手のシンボリズム』(九州大学出版会・1995年)で展開している説です。
以上の各説を考慮に入れたうえで、私じしんの考えを以下にのべます。
『古事記』や『日本書紀』にしるされているイザナギ・イザナミの聖婚神話は旋回の意味をよくしめしています。男女両神は、オノゴロ島におりられて、天の御柱を見立てられて、その回りをめぐって結婚されることになりました。
イザナギは右から、イザナミは左からまわり、イザナミのほうが先に「なんとすばらしい男性でしょう」ととなえ、イザナギが後からとなえました。そのために結婚は失敗したので、天つ神の指示で柱をまわりなおして無事に結婚をおえることができました。
この通信20などでくわしくのべましたように、柱をめぐっての結婚は、中国南方の少数民族、たとえば雲南省や貴州省の苗族に現実にいまもおこなわれている習俗であり、神話伝承としては、トン、ミャオ、トウチャ、チワン、プイ、コーラオなどの各民族につたえられています。記紀神話の聖婚神話は中国南方の神話が流入したものと判断されることについても、くりかえしこの通信でのべてきました。
ここで再度注意しておかなければなりません。日本の古典にあらわれる左は私のいう右、右は左にあたることです。普通の辞典の説明をみておきましょう。「左」の説明です。
正面を南に向けたときの東側にあたる側。人体を座標軸にしていう。人体では心臓の通常ある側。東西に二分した時の東方。(『日本国語大辞典』)
こうした考え方の根拠は中国北方の天の信仰にあります。中国の古典から引用します。
「天は左旋し、地は右動す」(『春秋緯・元命包』)、「北斗の神に雌雄有り、…雄は左行し、地は右行す」(『淮南子・天文訓』)、「天は左旋し、地は右周す。猶し君臣陰陽相対向するがごとし」(『芸文類聚・天部』所引の『白虎通』)などで、いずれも、天を主体にした表現です。天の信仰はせんじ詰めれば、北極星にたいする信仰です。「天子は南面す」といわれるように、天子が北極星のある場所に位置して南へむかえば、左は朝日の出る東側になります。
しかし、古来の日本人の方位観には、じつは中国南方の太陽信仰に由来する太陽ののぼる東にむかうものがあるのですが、この問題は次回以降にくわしくのべます。いずれにしても、心臓の通常ある側が東という説明はそのままにあてはまります。
日本の右回りの民俗の由来は、中国の古典が一致してのべるように天の運行の右回りにもとめることができます。天の運行にしたがって、人間も宇宙軸に見立てられた柱のまわりをめぐることによって秩序が更新され、それにともなって人間の生命も更新されます。その宇宙軸が仏教では聖なる仏や仏塔となり、日本の民俗社会では湯立ての釜であったり、櫓であったりします。これらは神や仏がそこに降臨する依代であり、宇宙軸としての柱とおなじ意味をもっています。
このような右回り重視の観念とはべつに、日本の民俗に左回りが存在するのはなぜでしょうか。中国の古代に左(右回り)を天、君主、雄、男、陽とするのにたいし、右(左回り)を地、臣下、雌、女、陰とする観念があることはすでにみてきました。この二つの観念は、本来は相補的二元構造観つまり先にあげた五つの説のうちの2ですが、あわせて優劣、順逆の関係にも容易に転化します。その段階では、5の左回りを魔ばらいとする観念も生まれてきます。
右回り、左回りの民俗は、中央に聖なる存在があるときは、その周辺を廻ることによって聖なるものの力をとりこんで、秩序と生命を更新する目的をはたすことになります。しかし、中央になにも存在しない空間を旋回する例も多く、そのばあいには東西南北の神々を歴訪する(日本舞踊などでいう隅をとる)ことによって、それぞれの神々の力をとりこむことを意味していました。
今回はこの辺で失礼します。