諏訪春雄通信 48


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ

 12日間の中国調査を終えて無事帰国しました。当初の予定の半分がキャンセルとなり、不満ののこる出張でした。また、せっかく持参したパソコンの機種がつかいなれたものではなく、お約束したインターネットもうまくゆきませんでした。

 しかし、中国はゆけばかならず収穫があります。その成果の整理はまだ先になりそうですが、とりあえずは旅行の報告だけをしておきます。

 全行程の同行者は学習院大学院博士課程在学中の李頴さんです。北京の芸術研究院に席を有しながら、私のもとに留学しているバイタリティにあふれた一児の母のご婦人です。また、行程の前半は東洋大学の有澤晶子さんもご一緒で助かりました。まずは、毎晩、パソコンにうちこんできた行程報告をご覧ください。


2002年7月23日午後5時50分中国西南航空SZ425便上空にて

 昨晩11時過ぎ、後半の旅行である貴州省へ同行する予定の凌雲鳳さんから緊急の電話があり、貴州で開催の国際太陽文化検討会が延期になったとの知らせがありました。貴州省を中心に大洪水があり、6月下旬には、すでに中止を決定していたとのことでした。念のため、責任者の劉芝鳳さん宅に電話してはじめてわかったことでした。
 航空券、ホテルなどのキャンセルで大慌ての半日をすごしてやっと成田空港にかけつけたという次第でした。
 この日、四川省成都広元賓館に泊まる。中国元への換金のためにおとずれた錦江賓舘は幾度も泊まったことのあるホテルでした。これ以降、チャン族の古文化をたずねる検討会(中国儺戯学会主催)に参加、その日程にしたがう。

7月24日(水曜日)茂県避暑山庄にて

 朝6時出発バス3台で出発、広漢三星堆文物博物館見学。例の商代の大きい仮面の出土で有名な所である。今回、参加された四川省の宇一さんは、1989年に私が最初に三星堆をおとずれたときに同行した古い友人であり、四川の民俗調査を共にした仲。13年ぶりにおなじ土地に立つことのできた幸運をたがいによろこびあう。午後、理県チャン族桃坪塞民家を参観。採集狩猟民の民俗に農耕民の民俗がわずかにまじっていることに気づく。そののち茂県にいたる。

7月25日(木曜日)茂県避暑山庄にて  

 朝8時バスで出発、黒虎塞へおもむき「祭山会」という山の神の祭りを見学。そのあと、山をのぼり頂上にあるチャン族部落を見学。往復2時間ほどの急峻であったが、参加者のなかで現地到達トップの栄光に浴する。土葬の場所に案内され、死者はまったく怖くないという説明に納得。帰途につこうとしたバスを村人がとりかこみ不穏な空気。謝金でトラブルが発生した様子。間もなく説得に応じて囲みをとき、バスは出発。夜、中国中央テレビ局のインタビュー。日本文化とチャン文化の類似性と相違性を中心にこまかな質問をうける。よく勉強してきていることがわかる。チャン族の文化は基本的には採集狩猟・牧畜文化の段階にとどまっており、そこにのちに農耕文化がかぶさったもので、その点で日本の縄文文化とその流れをくむ沖縄文化やアイヌ文化と類似性があるが、直接の影響関係を想定することはできないという趣旨の内容を30分ほどはなす。通訳は有澤晶子氏。

7月26日(金曜日)四川省九寨コウ(さんずいに勾)県ショウ(さんずいに章)扎鎮九宮賓館にて

 午前中の二番目に研究発表。「東アジア演劇の有機的関連について」15分、通訳有澤晶子氏。この内容は、近く発行されるアジア文化研究プロジェクトの会報「特集東アジアの演劇」に掲載の予定。前置きとして、1988年の第二回儺戯学会以来、一回休んだだけで毎回参加してきた感想をのべる。当時の仲間は今回の参加者のなかでも数人しかいない。その間、学会の発表テーマの中心は、儺戯から来訪神に大きくかわったこと、今後の研究の大勢は、中国演劇の誕生の問題の解明にむかうべきことなどをのべる。儺と来訪神の概念をもちいると、中国、日本、朝鮮など、東アジアの演劇を個々ばらばらにではなく、相互につながりのある一個の生命体として把握できるという持論を展開。質問は日本の芸能の種類、採集狩猟民の祭りと儺戯の関係、来訪神とシャーマニズムについて、など。有澤氏は午後帰国。我々はバス3台で九寨コウへむかうが、途中、正面衝突の事故現場に出会い、1時間の立ち往生、さらに3号車が故障でおくれ、深夜おそく到着。

7月27日(土曜日)九宮賓官にて

 一日中、九寨コウ観光。五色に変化する湖水の色は日本にもテレビで紹介されて有名である。ひたすらに歩きまわる私に、同行の李頴君も疲労困憊の様子。夜は併設の歌舞劇場で蔵、チャン二族の歌舞団(九寨?芸術団)による歌と舞踊、観客をまきこんだ遊戯のショウを見る。料金一名160元(日本円で約2400円、酒、茶、羊の干し肉などが供される)。観客がやたらに舞台にのぼって出演者と記念撮影、時には大挙して舞台を占拠するところがおもしろい。

7月28日(日曜日)阿ハ(つち偏に霸)州松潘県黄竜風景区華竜山庄にて

 バスで黄竜観光地区にむかう。途中、九寨民族水晶工芸店で、定価590元の水晶のネックレス2個を二人の娘に買う。少数民族の店員側と漢民族李頴氏との、人間の誇りと民族の興亡をかけた30分にわたる戦いも、中国史のほとんどの大きな戦闘がそうであったように、漢民族の狡知をきわめた駆け引きが勝利を占め、少数民族は全面敗北、半額以下の560元で購入する。2割程度の値引きかと目算していた私はただ唖然。海抜4500メートルということで、一個50元の大きな酸素吸入用具を全員が購入し、黄竜山の登山に持参したがその大きさをもてあましただけで吸入の必要なし。大笑い。中国の道教の寺院の門前にはかならず大きな柱が二本立てられており、仏教の寺院にはないという、私の持説が山頂の寺でも実証され、李頴氏はいたく感服した様子。夜、時間の都合で三人だけにしぼられた研究発表の司会者席に並び大名としてすわる。星野宏氏(日本の民間舞踊と中国少数民族の舞踊の類似性について)・稲葉明子氏(貴州省の儺戯の音楽の記譜方法について)の発表があった。

7月29日(月曜日)成都広元賓館にて

 黄竜から成都に一日かけてもどり、23日宿泊のホテルのおなじ315号室にはいる。

7月30日(火曜日)北京王府井大飯店にて

 朝、雷鳴のなかで眼がさめる。朝食後、儺戯学会会長、副会長、芸術研究院研究員そのほかの諸氏の別れの表敬訪問をうける。10時、タクシーで成都空港にむかい、12時の便で北京につく。李頴氏、親族への土産と称する刃渡り40センチの短剣と仕込み杖2本を機内にもちこもうとして、空港警備員と激論。ついに没収される。この持ち込みが許可されるようなら今後中国航空はハイジャックとテロの巣になろうと、すでにすべてのチェックをおえて遠くからハラハラみていた私も一安堵。空港服務員の厳正な遵法精神と勤務態度に敬意を表する。31日分キャンセルの件で東京旅行社と連絡。ホテルにおちついたのち、新刊書店で書物購入。夕食。インターネットはあいかわらず接続せず。

7月31日(水曜日)河北省鹿泉市鹿泉賓館にて

 朝10時迎えの車で河北省石家庄市にむかい午後2時ごろ河北師範大学中文系教授張月中氏と息子さんたちの迎えをうけ、昼食のご馳走になったのち、仏教寺院竜泉寺、道教系廟九景山庄、前漢ごろからの史跡土門関などを案内される。夜、鹿泉市獲鹿鎮長崔志軍氏一家と夕食。すべて李頴氏の人脈の中での設定。

8月1日(木曜日)北京王府井大飯店にて

 朝、5時半、迎えの車で竜泉寺の竜王祭を見学。仏教が日本の新宗教のようなかたちで土俗のなかに根をおろしている様子がよくわかる。もどって朝食。そののち、抱犢寨を見学。娯楽、観光、学問、信仰などが渾然とした奇妙な施設である。小型万里の長城、仏教、道教の寺院、各種庭園、宿泊施設などが散在する。レストランでこの施設の管理責任者の招待の昼食、そのあと、伏羲氏廟を見学する。廟の責任者から伏羲が女?とともにこの土地、この場所で誕生した実在の人であったという熱情あふれる説明を神妙に拝聴。記念のために書道の一幅をのこして欲しいと紙や筆が一室に用意されてあったがひたすらに逃げの一手。最後、東方美術院という建設途中の学院を訪問、画家と企業家をかねた若い院長の案内で内部を見学して、この地の見学予定をすべて終了。午後9時近くに北京にもどり、王府井にはいる。予約の問題(予約金の預かり証まで提出して見せても新米フロント嬢は予約はうけていないと頑としていいはり、あとで先輩フロントに頭をこづかれる)、ダブルブッキング、冷房装置故障の件などで、係員を相手に李頴さん大奮闘。

8月2日(金曜日)北京王府井大飯店にて

 午前中、わざわざ、猛暑のなかを天津から一時間あまりかけて、もと天津美術館館長黄殿キ(示篇に其)氏来訪。私とは面識なく、李頴さんの威嚇に近い要請に応じての訪問であったが、まことに人柄のよい方で、李さんとは20年来の知人だという。20年悩まされてきたのですね、という私のことばに呵呵大笑されていた。近くの店で本場の北京ダックをご馳走になる。著書2冊をいただいたが、この黄氏の考古学資料をつかっての古代演劇史研究は注目される。中国の演劇創始期研究の不毛さには、いろいろな理由があるが、文献重視の研究姿勢にも過半の責任がある。

 午後4時、李さんの勤務先である芸術研究院訪問。中国の演劇、映画、絵画などの舞台芸術・美術の行政と研究の総元締めの官庁である。庁舎移転の繁忙中にもかかわらず、院長と一時間余の面会、私の著書の翻訳出版、講座講師就任、共同研究などの相談をすすめる。そのあと、両副院長出席の招宴。50歳をわずかにすぎた若い院長は切れ者として評判をとっており、綱紀粛正の徹底につとめ、庁内には緊張の空気がはりつめていた。これまで幾回も訪問したことのある芸術研究院であるが、雰囲気はだいぶ変わっている。

8月3日(土曜日)日本自宅にて

 午前中、古書店で大量に図書を購入。日本へ郵送の手続きをとる。午後2時50分の中国東方航空(MU507機)で帰国。空港で多少のトラブル(航空券記載のゲート番号がちがっており、時間と競争で出発エリア内を端から端まで走る)はあったが、機内は日本人スチュアデスが要所に配置されて、サービスはかくだんに向上している。


 以上です。李頴さんの怪奇な日本語と過剰なサービス精神に悩まされつづけた12日間でしたが、またその誠意あふれる応対にたすけられた旅行でもありました。ことに学会終了後の日程は彼女のくんだものであり、そのあたたかい人間関係には感動しました。河北省の張月中氏も天津の黄殿キ氏もじつに立派な、詩と書と文を愛する文人でした。遠く唐代にまでたどれる文人気質の伝統が地方にまだ確固として生きのびている、そんなことを実感させられ、中国文化の底の深さをあらためて垣間見た思いの両氏の存在感でした。

 今回はこの辺で失礼します。


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