諏訪春雄通信 49
アジア文化研究プロジェクトへようこそ。
この通信で連続して追いかけてきたテーマは「天皇の比較民俗学」です。通信で新しい文を作成するのと並行して、出版の準備のために通信文に整理をくわえて原稿化してきました。その原稿も300枚(400字)をはるかに超えました。優に一冊の単行本になるだけの分量に達しました。あと数回で、このテーマにも決着をつけたいとかんがえています。
原稿化するさいに通信のオリジナルの文にかなりの改訂をくわえてきました。今回はその改訂部分から重要な補足についてご報告します。「タカミムスヒとアマテラス」という問題です。
私はこの通信で中国南方の女神=稲魂=太陽の信仰に対応する性格をもつ日本の神としてもっぱらアマテラスをとりあげてきました。この両者の共通性を強調することによって、日本の王権神話に中国南方の神話の影響をみてきました。
しかし、日本の王権神話には、じつはもう一柱、アマテラスに匹敵する重要な役割をはたす神としてタカミムスヒが登場してきます。私がこの神についてこれまでふれなかったのは、この神は中国の南方の女神信仰と直接にむすびつく神ではなかったからです。しかし、この神について考察することは、これまで展開してきた私の論の強力な補強になります。
『古事記』でのタカミムスヒは、冒頭の天地初発のときにアメノミナカヌシについで高天原に化成します。天神のなかでも特別な神(別天神)として位置づけられ、独り神として身をかくしたとありますが、のちに天若日子神話、国譲り神話、天孫降臨神話、神武東征神話に、アマテラスとともに司令神として登場してきます。また、天若日子神話でアメノワカヒコに返し矢を下す場面以降は高木(大)神という別名で登場してくるのも注意されます。
『日本書紀』でのタカミムスヒは、冒頭の巻第一の天地開闢神話の一書四に高天原においでになる神として登場してきます。天若日子神話以下国譲り神話までは、本文では一貫して皇祖タカミムスヒ一神を司令神としており、アマテラスは登場しません。ただ一書になると、一はアマテラス、二は前半がタカミムスヒ、後半がアマテラス、四と六はタカミムスヒとそれぞれに司令神を異にしています。
つまり、『古事記』と『日本書紀』に登場してくる最高司令神は、アマテラス・タカミムスヒ併記型(古事記)、タカミムスヒ型(日本書紀)、アマテラス型(日本書紀)の三つのタイプがあったことになります。
アマテラスとタカミムスヒの関係には、日本古代史の重大な問題がかくされています。したがって、これまで多くの神話学者や歴史学者、民族学者が両神の性格と関係について論じてきました。ここではそのうちの代表的な説についてみておきます。それぞれの説の要点を紹介します。
岡 正雄氏「日本民族文化の形成」(『図説日本文化史大系1 縄文・弥生・古墳時代』小学館・1956年)
天神タカミムスヒが孫を山の峰に降下させて地上を統治させるという、山上降下をモチーフとする神話は、古朝鮮の檀君神話をはじめとする、朝鮮古代国家の起源神話と同一系統に属する。アマテラスは、タカミムスヒとは元来異系統の神話に属する神で、天の岩戸隠れ神話と類似する話が、南シナの苗族、アッサムのカーシ族、ナガ族にもあり、またオーストロアジア語系のクメールその他にも分布している。この皇室神話の二元性は、日本列島における種族混合の結果であって、タカミムスヒを主神とする皇室族が日本島に来入し、アマテラスを主神とする先住の母系的種族と通婚するに至った結果生まれた。
松前 健氏「鎮魂祭の原像と形成」(『日本祭祀研究集成一』名著出版・1978年)
タカミムスビは皇室固有の神で、その原型は、田の側に立てられた神木をヨリシロとした農耕神である。天照大神の崇拝および神話は、伊勢のローカルな太陽神だったこの神を、政治的な政策によって宮廷がパンテオンに取りこみ、皇祖神に仕立てあげたことによる。
岡田精司氏『古代王権の祭祀と神話』(塙書房・1970年)
天皇家の守護神である古い太陽神は、もともと男性神であるタカミムスヒであった。五世紀後半雄略天皇の時に、守護神の祭場を河内・大和地方から伊勢に移した。これが伊勢神宮の成立である。六世紀の早い時期、タカミムスヒに仕える巫女=斎王は、神格化して日神タカミムスヒと並んでまつられるようになっていた。推古天皇の頃、巫女神=日女神(ひるめのかみ、アマテラス)は、日神と並ぶ存在にまで高められた。天武朝に伊勢神宮の祭祀に大変改が加えられ、ヒルメの神と古い日神の併祭をやめて、ヒルメの神のみを、単独に太陽神として祭ることが決定された。
まだこの問題を論じている学者は数多くいますが、代表的な以上の3氏の説をここで整理しておきます。
以上の代表的な3説は、これまでこの通信で私が主張してきた考えとは大きく異なり、もし、これらの説がみとめられるなら、私の説は成立がむつかしくなります。アマテラスは伊勢地方のローカルな太陽神であったという松前説、皇室の守護神タカミムスヒの巫女であったという岡田説などは、私の説と真っ向から対立しています。
ここでもう一人、この問題ととりくんできた溝口睦子氏の説を紹介します。溝口氏は東大での私の後輩になります。私もその演習に出ていた上代文学の五味智英先生の指導をうけ、先生が東大定年後学習院大にうつられると、その後を追って学習院の大学院にはいられました。指導教授か大学かという選択をせまられたときに、躊躇なく指導教授をえらばれた人として、私の記憶にのこっています。
この溝口氏が一貫してこのタカミムスヒとアマテラスの問題を追求され、2000年12月に吉川弘文館からその成果をまとめた『王権神話の二元構造―タカミムスヒとアマテラスー』という書を刊行されました。私の眼からみて、この問題について、いちばんすぐれた見解を提出しているようにおもわれます。こまかな考証はぬきにして、溝口氏の結論だけを以下に紹介します。
タカミムスヒの特質
天上界の主神。皇室の先祖神に地上世界の統治を命じた神。皇室の血統上の先祖神。初代天皇神武の建国事業を扶けそれを成功に導いた神。イザナギ・イザナミ系神話群とは別系の神話体系に属する神。日・月神の祖で、かつ天地を鋳造したとする伝承をもつ。
アマテラスの特質
地上世界でイザナギ・イザナミから生まれ、天上界へ送られる。女性の太陽神。きょうだい神にツクヨミ(月神)とスサノヲがあり、スサノヲとは神話上とりわけ深い繋がりがある。ウケヒ神話と、天の岩屋戸神話がその固有の神話である。旧名は「オオヒルメ」、最高神に昇格すると同時に「天照大神」となる。
重要な比較部分は以上です。このような溝口氏の両神の本質把握について私はまったく賛成です。さらに氏はつぎのような見解を提出します。これらについても、異論はありません。
A…アマテラスは、皇祖神以前の段階においても、けっして伊勢地方の一隅でひっそり祭られた単なる一地方神であったのではなく、列島規模の広範な人びとに知られた土着文化の中核を担う存在であった。
B…アマテラスの前身はけっして巫女ではない。アマテラスは最初から太陽を擬人化して女性として捉えた女性太陽神である。
C…タカミムスヒにみられる天の至高神の観念や、その至高神が天降って建国するという、支配者の起源を天に求める王権思想は、日本がヤマト王権成立当初、新たに朝鮮半島から取り入れた、当時の東アジアにおける普遍思想・先進思想であった。
D…7世紀から8世紀にかけての宮廷でタカミムスヒからアマテラスへという、皇祖神の移行、転換がおこなわれた。この時期、統一の達成という課題にとりくんだ為政者が、皇室と一体であった伴造系の人々が信奉していたタカミムスヒではなく、古くから広く人びとに親しまれてきた縄文・弥生以来の土着の太陽信仰であるアマテラスを国家神の中心にすえたためである。
しかし、私は溝口説のすべてに賛成するわけではありません。江上波夫氏の騎馬民族渡来説に通じる考えのある点も気にかかりますが、ことに、このタカミムスヒを太陽神とする点は反対です。
タカミムスヒを太陽神とかんがえる溝口説の論拠はつぎの2つにまとめることができます。
ア)「ムスヒ」は太陽信仰にもとづく神霊観で、「ヒ」は太陽を意味する「ヒ」と同一の語である。
イ)アルタイ・ツングス系遊牧民族、朝鮮半島の古代王国と共通の天帝=太陽神の思想が日本に伝来してタカミムスヒとなった。
このアについては、『日本書紀』に「産霊」という漢字をムスヒにあてる表記が存在することから、霊力を意味する語であって、太陽を意味する「日」ではないとする、有力な反対意見があります。私はその反対説に賛成です。
このアと対応するのがイです。北方の遊牧民族や古代朝鮮に天帝=太陽神とする信仰があったといいますが、私は大陸北方の遊牧民族と農耕民族の朝鮮半島の天の信仰が同一の太陽信仰であることに疑問を感じます。遊牧民族の天の信仰は、中国の北方大帝国の事例からあきらかなように北極星に代表される星辰にたいする信仰であって、太陽への信仰とはかんがえられません。太陽は日中は空に輝きますが、夕方には地平線に没します。したがって中国では、太陽は地上の存在とかんがえられていたのです。
古代朝鮮にみられる太陽信仰は、日本の太陽信仰がそうであったように、稲作とセットになった中国南部の太陽信仰の影響をうけたものとかんがえます。
私の結論はつぎのようになります。
「タカミムスヒは中国の北方原理にもとづく神であり、アマテラスは中国の南方原理に由来する神である。」
重大な問題ですので、このことについては、主として中国や朝鮮の考古学の出土品をとりあげて、次回でもつづけてんがえてみます。
今回はこの辺で失礼します。