諏訪春雄通信 59


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 この通信は「天皇の比較民俗学」を終了して、「日中霊魂観の比較」「浮世絵の方法」という二つの新しいテーマでお送りします。

 今回は「浮世絵の見立て」をとりあげます。私は、すでに、『国華』(国華社)の1213号(1996年)に「浮世絵の見立」という論文を発表しており、この論文をほぼそのままに、1997年に刊行した『江戸文学の方法』(勉誠社)に「見立てー浮世絵をめぐってー」としておさめました。具体的な用例などについてくわしく知りたい方はぜひこの二つの論考をご覧ください。

 先週の土曜日(19日)と日曜日(20日)の両日、国際浮世絵学会の秋季大会が千葉市美術館と共催で千葉市美術館講堂を会場として開催されました。折から同美術館が大きな規模の鈴木春信展を開催していましたので、「春信と錦絵」をテーマに、研究発表9本、講演2本、対談1本をならべた豪華で充実した大会でした。

 展示場で春信の名品に接し、研究発表会場で春信を中心とした最新の報告を聞くという、まさに浮世絵三昧の心豊かな時間を、2日間にわたってすごすことができました。

 惜しまれるのは、会場に足をはこばれた会員が、全会員の一割強にすぎないということです。このような大会も、全会員の方々がはらって下さる会費によって運営されます。大会の成果を、当日、お見えになれなかった会員の方々に還元する方法を真剣にかんがえねばなりません。立派な大会であっただけに、そしてそこで至福の時間をすごしただけに、そのことを痛切に感じました。

 最良の還元方法は、学会誌の『浮世絵芸術』に、春秋二回の大会や隔月の研究会の成果を掲載することでしょう。春の大会と隔月の研究会は企画委員会、秋の大会は国際委員会、学会誌は編集委員会という、役割分担がきちんとできているのが、国際浮世絵学会の特色ですが、三委員会の連携がやや不足するという問題点が出てきているように感じられます。

 大会の初日、4人めの報告は岩田秀行さん(跡見学園女子大学教授)の「見立絵に関する疑問」でした。岩田さんは、すでに1993年に発表された「『見立絵』に関する疑問」(神保五弥編『江戸文学研究』新典社)でおなじ趣旨の見解を発表しています。今回の報告はその整理補強でした。見立て絵の内容解釈に強烈なインパクトをあたえ、今大会随一の盛り上がりをみせた発表でした。

 じつは、私が1996年に『国華』に掲載した論文は、岩田さんの論をも視野におさめたものでした。その当時から、岩田さんの見立て論に納得できないものを感じていた私は、当然、今回も会場で異論をのべましたが、時間がみじかくて、充分に意見を展開することができませんでした。

 岩田さんの見立て論の趣旨はつぎの2点にまとめられます。岩田さん自身が執筆された発表要旨から引用します。

  1. 〈見立絵〉は通常「古典的な題材を当世風の風俗によって描く種類の絵」と理解されている。これをパロディ・タイプの絵とよぶならば、こうしたタイプの絵はむしろ〈やつし絵〉とよぶべきである。
  2. 見立てとは「本来そうではないものを、まるでそうであるかのように仮に見てしまうこと」あるいは「あるものごとの中から、特定の物事にもっともマッチするものを何らかの基準によって仮に選んでみること」であり、そうした意識のもとに描かれた限定された構図の絵を見立絵とよぶべきである。

 このような見解を補強するために、明治、大正期の浮世絵研究家の一人であった漆山天童がえらんだ「浮世絵花の見立」や鏑木清方の『こしかたの記』、役者評判記の見立ての用語例などを、当日の配布資料で提示されました。

 岩田さんの説は、今までの通説をきびしく批判したということで、しかもエスプリの利いた話しぶりで、当日、会場でかなり盛大な拍手を受けていました。学会発表ではめずらしいことです。しかし、岩田さんの説には根本的な疑問があります。

 まず、見立てということばは、浮世絵の世界では、すでに「術語 テクニカールターム」として認知されていることばだということです。術語は、むずかしくいえば「知の枠組み」、わかりやすくいうなら共通の立脚点です。その立脚点があるために、浮世絵の研究者は安心して、そこで自分たちの研究を展開することができ、ほかの研究者と知的交流をすることもできます。

 私の学問分野に芸能という術語があります。私は芸能史を研究しており、日本と中国の芸能を比較した『日中比較芸能史』という著書もあります。術語としての芸能は、現代の芸能人などというときの娯楽的パーフォマンスをさすことばとは大きく異なり、祭りと演劇の中間にある歌舞伎、文楽、能、狂言などの民俗パーフォマンスをさしています。この術語があることによって、日本の学問がどのくらい恩恵をこうむったか、量り知れないものがあります。

 このことばを術語として定着させたのは、民俗学者の折口信夫です。彼が術語として、芸能ということばを定着させるまで、研究者は、歌舞伎、人形浄瑠璃、能、狂言などと、個々のジャンル名で呼ぶか、音曲、芝居などというきわめて不十分なことばをつかうよりほかなく、総合的な学問そのものが成立しなかったのです。しかし、もともと芸能ということばには、技術とか才能とかという意味しかなく、中国語は今もその意味で使用します。芸能という術語をもたなかったために、中国の古代演劇史の研究は大はばに立ち遅れました。その欠陥に気づいた中国の演劇研究者は、最近、儀式戯劇という術語をつくって、その欠落を埋めようとしています。

 術語には、芸能のように、もとの意味とあまり関係なく設定されたものと、音楽、文学、天文など、本来の意味がそのまま生かされて術語になったものの二種類があります。いずれにしても、その術語があることによって、その分野の学問は共通の研究基盤をもち、その上に成果を積みあげることができます。もちろん、そのためには、その術語がその分野の研究者に認知されて、便利なことばとして使用されつづけている歴史があることはいうまでもありません。

 見立てはきわめて便利な術語です。このことばがあることによって、浮世絵研究は大きく飛躍したのです。しかも、たいせつなことは、類似のことばを包括した拡がりと浮世絵の重要な本質をあらわした的確な意味内容をもった術語なのです。

 見立てはもともとじつに多様な意味と用法をもったことばです。たとえば、『日本国語大辞典』は九つの意味をあげ、『岩波古語辞典』は、六つの意味をあげています。しかも、どちらの辞典も最初にあげている意味は、出発する人を「見送る」ことです。この意味での使用が最古の用例であり、原義と解されているのです。岩田さんは、2で「仮に見る」「仮に選ぶ」ことが見立てのもともとの意味だといいますが、そのように断定するためには、多くの辞書があげている多様な見立ての用法を仔細に検討する慎重な手続きが必要なはずです。

 岩田さんは、見立ての原義を決定するのに、役者評判記の用例をならべました。私が、岩田さんの論文を読んで、そして今回の発表を聞いて、いちばん違和感をもったのは、浮世絵の見立ての用法を決定するのに、なぜ浮世絵の用法を検討しないで、歌舞伎の役者評判記の用例を列挙したのかということです。『日本国語大辞典』を開けば一目であきらかなように、見立ては、遊里俳諧小説歌舞伎医術などのさまざまな分野で使用されたことばで、しかもそこにはすこしずつ意味上のズレがあります。他の分野での用例は、参考にはなりますが、それを原義として、浮世絵の見立てをわりきってしまうことなどはとうてい学問的とはいえません。

 浮世絵には、題名に「見立」とつけた作品が数多く存在します。私は『国華』に発表した論文では、40種をあげましたが、おそらく、実際にはその数倍の作品例が存在するはずです。私が検討した作品のなかから若干の例をあげておきます。

浮世美人花見立(鈴木春信 明和期) 風流見立座敷八景(磯田湖竜斎 明和期) 見立さくら尽し(鳥文斎栄之 寛政期)高名美人見たて忠臣蔵十二段つづき(喜多川歌麿 寛政期) 七小町見立( 五渡亭国貞 文化期) 傾城見立八景(歌川国安 文政期) 見立座敷狂言( 歌川広重 文世紀) 見立当世士農工商(歌川国芳)

 いずれも見立という二字のついた題名が画面に刷りこまれてある作品です。これらの作品の用例を検討していえることは、まさに見立てということば自体の意味内容の複雑さに対応して、浮世絵でもじつに多岐な用法が包括されているということです。全体を統轄する見立ての機能を、私は前掲論文で、規範と対象と名づけました。えがきたい対象(B)とそれを規制して枠組みをあたえる規範(A)の関係です。

 わかりやすい例として、五渡亭国貞の「七小町見立」をとりあげてみます。七小町は伝説上の歌人であり美女である小野小町の七つの変相です。その伝統的古典世界の美女に当世美人七人を見立てているのです。規範Aは七小町であり対象Bは当世美女です。岩田さんは、このような作例はやつしとよぶべきで、見立てではないと主張していますが、題名にはじめから見立の二字が刷りこまれているのです。国貞が見立てとみとめてえがいた構図なのです。見立てがやつしをも包括しているのです。

 浮世絵の見立てが多様な意味と用法を包括した術語であったということは、40例の見立ての作品を検討しただけでもわかります。規範Aと対象Bという記号をつかってあらわせば、つぎのような多様な関係が存在します。具体例をあげてみましましょう。

1.AB型   2.〈A〉B型  3.〈A〉BB型  
4.AAB型  5.BB型  6.AA型

わかりにくい型に説明をくわえておきます。

2〈A〉B型 見立さくら尽し(鳥文斎栄之 寛政年間)

 この作品は「見立染さくら 松葉や染之助」「見立山桜 丁字や千山」のように、遊女の名の一字をとった桜と実在の遊女を組みあわせてえがいています。えがきたい対象Bは当世遊女の風俗であり、それを規制する規範Aの桜も当世風物としての桜です。

 岩田さんが見立て絵はこの種のものに限定すべきであると主張した型ですが、しかし、見立て絵はこのほかにも多様な型があることをかんがえねばなりません。

5 BB型 見立掛合(3世歌川国貞 明治期)

 歌舞伎の鞘当の場面に役者の似顔絵をはめこみ、さらに成田山と高野山の出開帳を組みあわせるという変った構図をとっています。歌舞伎と出開帳という当世流行風俗を二つ組みあわせたもので、規範となるAがありません。近世戯作文学の吹寄せという手法にしたがっています。

6 AA型 見立雪月花(年章 明治期)

 BB型とまったく逆のタイプで、典型的な規範である雪月花の月に合わせて五条の大橋の牛若丸と弁慶をえがいた歴史画です。私が寓目したのは月だけですが、雪花も製作されたはずです。規範が二つならべられ、それに規制される対象がありません。

 浮世絵には、見立ての属性の一部をあらわして使用されたことばとして、「艶姿」「風流」「風流やつし」「風流略」「浮世」「準」准」「略」などがありました。しかし、私が強調したいことは、見立てはこれらのことばの意味をすべて包括していて、しかもこれらのことば単独ではけっしてあらわすことのできない多彩な用法と意味をもっていたということです。浮世絵研究者が、大切にあつかい、その内容と用法をこれからも研究しつづけなければならない術語が見立てなのです。

 今回はこの辺で失礼します。


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