諏訪春雄通信 68


 明けましておめでとうございます。アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 前回の通信67をお送りしてから、大分時間が経ってしまいました。大学が7日まで休暇であったために、更新ができなかったのが主たる理由ですが、それだけではなく、書庫の移動その他、私の身辺も多忙をきわめたからです。これから、また週一回の更新ペースを守るつもりですので、よろしくお願い申します。

 年末、私にとって大きな衝撃となったのは、12月26日に永年の友人中山幹雄さんが肝胆ガンで亡くなられたことでした。中山さんには、この通信の36などにも登場してもらいました。そのあと、9月に新橋演舞場で団十郎・新之助父子が自主公演で「上意討ち」(正式名題「敦賀松千歳泰平」、原作は滝口康彦『上意討ち 拝領妻始末』)を義太夫狂言として舞台にかけたとき、その浄瑠璃詞章の執筆をうけもった中山さんの招待を受け、二日めに芝居を見せてもらい、いっしょに銀座で飲んだのが最後になりました。

 顔色が悪く、酒量がおちたといっていたのが気になりましたが、新之助のせりふの誤りを指摘した私のおせっかいな差し出口に真剣に耳を傾け、熱心に台本にメモしていました。暮れに奥さんから入院したというお電話があったときも、それほど重態とは気がつかず、学習院大学に中山さんが提出しておられた学位請求論文『歌舞伎絵の研究』の審査会の期日のことを奥さんにつたえたほどでした。

 学位のことは最後まで気にかけておられ、病室でも審査会での語学試験にそなえて英語の発音の練習をしていたそうです。私も、場合によったら、審査員そろって病室をおとずれ、そこで審査会をひらくつもりでいたのでしたが。

 中山さんとは、1986年3月、現中村鴈治郎、当時扇雀主宰の近松座が青山で『心中天の網島』を上演したのを記念して、おなじ青山の円形劇場で第一回の近松シンポジウムを開催して以来、近松、南北などのシンポジウムを数多くもよおしてきました。中山さんが司会、私が連続パネラーをつとめ、ほかに多くの著名人が参加しました。それらの企画のほとんどすべては中山さんが立てたものでした。その成果は『近松劇への招待』(学芸書林・1989年)、『鶴屋南北論集』(国書刊行会・1990年)、『南北劇への招待』(勉誠社・1993年)などとして刊行されました。

 これまで、中山さんと組んで行なってきた仕事は、いずれも私にはなつかしい思い出になるものでした。役者の世界に顔の利く人で、研究一筋であった私が多くの歌舞伎役者と接触するようになったのも、ほとんどは中山さんの手引きでした。歌舞伎界のために、これからもいっしょに仕事をしましょうと話しあったばかりでしたのに。私個人にとっても真に惜しい人を亡くしました。心からご冥福をお祈りします

 前回の通信67の冒頭に紹介した「知恵(智慧を改めました)の海叢書」の企画が進行しています。第一冊、私の『視覚革命 浮世絵』はすでに印刷所にまわっています。書店への配本を考慮して、書型も文庫版から通常のブックレット版に変えられました。参考のために、『視覚革命 浮世絵』につけた「あとがき」をつぎにかかげます。この通信のために太文字を入れました。

 「浮世絵は日本人が世界に誇ることのできる美術作品であることに疑問はない。しかし、浮世絵は単なる美術作品にかぎられない、幅広い性格をあわせもった存在でもある。その浮世絵の本質をどのように規定したらよいのか、自分なりに検討をくわえ、理論的に整理してみようと意図して本書は成立した。

 本書は書き下ろしであるが、私自身の既刊の著書や論文を多く参照した。
 私は今から五年ほどまえの一九九七年に、当時は勉誠社といった勉誠出版から
『江戸文学の方法』という書物を刊行していただいたことがある。そのときに、巨視的に江戸文芸を検討した体験が、本書の執筆にさいして役に立ち、江戸文芸が〈ことば〉という手段を使用した江戸時代の代表的表現形式であるのにたいし、浮世絵は〈形と色〉という手段に依拠した、もう一方の江戸時代を代表する表現形式であるという、基本的な叙述のスタンスを確立することができた。

 江戸時代は、日本人が最初に経験した情報革命の時代であった。その情報革命は整版印刷の普及によってひきおこされたものであり、その半面をになったのがことばによる思考革命であり、もう半面をになったのが、浮世絵による視覚革命であった。こうした記述をすすめるうえで参照したのが、一九七八年に毎日新聞から出版した『出版事始 江戸の本』であった。

 本書の最初の章「浮世絵は美術における江戸文芸である」につづく「浮世絵の範囲」「『伊勢物語』のうき世」「自然体で生きる『荘子』の浮生」「浮世絵の意味を決定する菱川師宣の画業」「近世初期風俗画と浮世絵」「町絵師とよばれた人たちー絵師たちのつながりー」「近世絵画の母胎奈良絵」の七章は、国際浮世絵学会の機関誌『浮世絵藝術』の一三〇号(一九九九年一月)に発表した「浮世絵の誕生」を大はばに書きかえて成立している。書きかえたといっても、文章上の問題であって論旨そのものに変更はない。

 「見立てとはなにか」にも基になった論文がある。本文中に引用した「見立」『国華 千二百十三号』(国華社、一九九六年十二月)である。もとの論文では、規範A、対象Bという記号をつかったが、本書ではその記号の使用をやめて、ことばで四つのタイプを説明し、あわせて全面的に論旨も改訂した。見立てが術語であることを強調したのはこの書が最初である。しかし、この文でも見立てにたいする基本的な認識に変化はない。

 本書は、勉誠出版があたらしくスタートさせる「勉誠ブックレット 知恵の海叢書」の第一冊として刊行される栄誉をになっている。現在のきびしい出版情勢のなかで、意欲的に良心的な書物の刊行をつづけておられる勉誠出版への、せめてもの応援のエールとなればと念じつつこの書をつづった。

 現在の売れ筋の書物は、知性の書であるよりも実用的な情報の書であるという大方の見方は、出版界の常識として定着しつつある。しかし、知性の働きをうしなって、日々の多様な情報だけに反応して生きてゆくとき、人間が人間である本質的な意味をうしなうことも間違いのない事実である。
このシリーズが、人間らしい知性のいとなみをもとめる著者と読者の双方から支持されて、広大無辺の知恵の大海となることを心から願っている。

  二〇〇三年新春
                               著者しるす」

 この通信では、「日中霊魂観の比較」「浮世絵の方法」を交互にお送りしてきましたが、『視覚革命 浮世絵』が先行して刊行されることにより、通信の「浮世絵の方法」はやや鮮度をうしないます。「浮世絵」については、また構想をあらたにしてこの通信でとりあげることにして、しばらく「日中霊魂観の比較」だけを追いかけます。

 すでに先行して編集が進んでいる『浮世絵大事典』、監修者の顔触れがほぼ決定した『新日本古典百選』、デザインの検討にはいった『幽霊・妖怪大事典』など、大勢の方々の力を借りなければならない出版企画のほかに、私個人の著作刊行も数冊を予定しています。

 また、アジア文化研究プロジェクトは、2月に1回の公開研究会のほかに大きな講演会・シンポジウムを3回開催する予定です。いそがしい年になりそうです。今年もよろしくお願い申します。

 今回はこの辺で失礼します。


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