諏訪春雄通信 70


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 私は1958年、昭和35年4月に学習院女子中高等科教諭となり、短大、大学と、今年で四十三年間、学習院に専任として勤続してきました。じつは、そのまえに三年間、非常勤講師として女子部につとめていましたので、四十六年間の長期にわたって学習院のお世話になったことになります。はじめて学習院につとめるようになったのは、大学院の博士前期課程2年のときでした。

 ほかの大学に移るチャンスも幾回かありましたが、なんとなく学習院に居すわってきました。その私もあと一年間で定年をむかえることになります。半世紀に三年不足して学習院を去ることになります。博士前期課程で大学につとめることがむずかしくなった現在、この記録は今後なかなか破れないのではないでしょうか。そんな私のために、教え子有志が、記念論文集編纂の話をすすめてくれました。先輩、友人、教え子たちの論文をあつめて編集するという形態です。

 大変ありがたい話ですが、じつは私には、これまであちこちに書いてきて、まだ著作としてまとめていない論文や文章が数多くあります。このさい、むしろ、これをまとめたいと思い、そのお手伝いを頼むことにしました。つまり、詳細な著述目録を編集してもらうことです。

 研究テーマをひろげましたので、私の文章・論文はすくなくともつぎの四つのテーマにわたっています。

比較民俗関係  浮世絵関係  近世文芸関係
その他(随想、書評、文芸評論など)

 これらの文章や論文の正確な記録を私はまだつくっていなかったのです。

 はじめのころは、論文がまとまると、手をくわえて論文集として刊行するというやり方で、単行本を刊行していましたが、近世文芸や浮世絵関係では、1985年の『近世芸能史論』(笠間書院)比較民俗関係では、1994年の『日中比較芸能史』(吉川弘文館)以降、単行本はすべて書き下ろしで刊行してきましたので、多くの論文や文章が、単行本未収載になっています。

 心覚えに私が文章を掲載した雑誌その他をひろい出してみました。

【連載】
武道(日本武道館)/THE CARD(ザ・カード・1980年代)/国文学(学燈社)/笑顔(保険同人社・1984年代)/演劇界(演劇出版社)/逓信協会雑誌(逓信協会・1990年代)/歌舞伎座パンフレット/NECマガジン(日本電気株式会社、連載中)/学習院輔仁会雑誌(学習院輔仁会)/寺門興隆(興山舎、連載開始)/学習院歌舞伎(学習院大学国劇部、連載中)/アジア文化研究プロジェクト会報(学習院大学東洋文化研究所アジア文化研究プロジェクト、連載中)/信濃毎日新聞他地方紙十数社    

【単発掲載】
国文学(学燈社)/別冊国文学(学燈社)/解釈と鑑賞(至文堂)/解釈と鑑賞臨時増刊(至文堂)/国語と国文学(東京大学国語国文学会)/浮世絵芸術(浮世絵協会、国際浮世絵学会)/国華(国華社)/解釈(解釈学会)/文学・語学(全国大学国語国文学会)/国語国文(京都大学国語国文学会)/芸能文化史(芸能文化史研究会・1978/01)/海燕(福武書店・1990/02)/新潮(新潮社・2002)/演劇(御園座・1991/06)/SCIENCE OF HYUMANITY(勉誠出版)/芸能史研究(芸能史研究会)/文学(岩波書店)/CEL(大阪ガスエネルギー文化研究所・1998/08)/竅@人間讃歌(竢o版社・1974/05)/別冊歴史読本(新人物往来社)/民族舞踊文化(黛民族舞踊文化財団・1996/10)/江戸文学(ペリカン社・1991/11)/会報(日本工業倶楽部・1997/12)/私学研修(私学研修福祉会・1970/09)/日本歴史(吉川弘文館)/語文(日本大学語文学会・1992/06)/思想(岩波書店)/学習院女子短期大学紀要(学習院女子短期大学)/調査研究報告(学習院大学東洋文化研究所)/東書国語(東京書籍)/会報(演劇研究会)/近松論集(近松の会)/日本文学(日本文学協会)/図書総目録(武蔵野書院・1998/12)/日本演劇学会紀要(日本演劇学会)/近世文芸(近世文学会)/歌舞伎研究と批評(歌舞伎学会)/風俗(風俗学会)/学習院大学国語国文学会誌(学習院大学国語国文学会)/国語国文論集(学習院女子短期大学国語国文学会)/国文学会誌(新潟大学国語国文学会)/学習院女子短期大学国語国文学会会報(学習院女子短期大学国語国文学会)/is(ポーラ文化研究所)/国立劇場パンフレット/新橋演舞場パンフレット/前進座パンフレット/帝国劇場パンフレット/歌舞伎座パンフレット/銀座セゾン劇場パンフレット/朝日新聞/読書人/読書/世界日報/赤旗/日本経済新聞/東京新聞/日本人と日本文化(国際日本文化研究センター内同事務局)/日中文化研究(勉誠社)/アジア遊学(勉誠出版)/学習院大学文学部研究年報(学習院大学文学部)/前進座(前進座)/出版ニュース(出版ニュース社・1980/09)/高校クラスルーーム(旺文社・1973/05)/本の窓(小学館)/国語研究(新潟県高等学校教育研究会国語部会・1987/03)/AERA MOOK(朝日新聞社)/国際浮世絵学会会報(国際浮世絵学会)/ひびや(東京都立日比谷図書館・1961/06)

 まだあるはずですが、手許の資料を紛失しているために、ここに提示できません。また、各種の単行本に収録された論文が相当数あります。さらに、中国の演劇誌にも、いくつか論文が掲載されていますが、最近の書庫移動で所在が不明です。私じしんで時間をかけて確認し、卒業生諸兄姉にも調査をお願いするよりほかありません。これらのなかから、テーマごとに文章を精選して、四冊の本を出版するというのが、私の計画です。


 今回は中国の人格神についてのべます。各種の資料を総合すると、中国の人格神の最初は女神でした。女性の子を産む性にたいする信仰は、じつは自然信仰の段階にもあきらかに存在しました。ふつうに大母神とか地母神(Great Mother or World Mother)などとよばれているもので、中国にかぎられず世界的にひろがっている信仰です。大地や海、山などの生産力を女性の性にかさねあわせたものでした。

 考古学の出土品にかぎってみますと、前回の通信でふれた紅山文化の牛河梁遺跡からは、等身大の土製の神像の顔面が出ていますし、東山嘴遺跡からは腹部がふくれ、臀部がはりだした妊婦の像が数体出土しています。また仰韶文化の大地湾遺跡から出た、腹部が大きくふくれて口の部分に人間の顔のついた陶器の瓶なども、原始ヴィーナス信仰、女性の性にたいする信仰を背景にしたものでした。

 現在の中国の少数民族がつたえている信仰にも女神にたいするものを多くみることができます。二年まえの夏に私たちが調査した湖南省西南部のイ同族は古代の百越の末で、越人の習俗をよく保存していました。彼らの最高位にある神がとよばれる女の神です。裟とはイ同族語で老祖母を意味しています。祭裟という祭りでは、ほかの神はいっさいまねかず、この女神だけをまつります。これは数百の神々をまねくのが通例の中国の民俗祭祀ではめずらしいことです。この祭りの冒頭で巫師のとなえる文句は「べつの神をまねかず、べつの神にいのらず、ただひたすらに大婆天子にだけお祈り申しあげます」とはじまります。大婆天子というのは裟の漢語訳です。

 このイ同族のほかにも、祖先の神を女性としている民族は多く存在します。壮族の神話に登場する伝説上の人類の祖先は、母六甲とよばれる女の神です。水族苗族チノー族エヴェンキ族満族など、女の神が最初に天地をきりひらいたり、人類を生んだりする神話をつたえている民族はかなりの数にのぼります。また、ナシ族は一羽の白い鶏が九つの卵を生み、その卵から天の神と地の神のほかに男女の人類があらわれたという神話をつたえていますし、ハニ族は一尾のめすの大きな魚から人類が生まれたという神話をつたえています。これらは、動物神と女神の合体したものとかんがえることができます。

 中国のばあい、人間の男の神が登場してくるのは、比較的あたらしい現象であって、女神信仰のつぎには対偶神つまり夫婦神があらわれます。

 中国における夫婦神の信仰をよくあらわしているのが、いわゆる「洪水型兄妹婚人類起源神話」です。この神話については、「天皇の比較民俗学」のシリーズでくわしくのべたことがあります。大昔、大洪水があって世界が破滅したときに兄と妹または姉と弟の二人だけが生きのこり、彼らが結婚して人類または民族の祖先になったという筋を共通にそなえており、中国では、現在、南部の少数民族社会を中心に、私の知っているかぎりでも九〇種くらいが流布しています。しかもおもしろいことに、二人に結婚の方法をおしえて婚姻をうながすのが、鳥であったり、亀であったり、虫であったりする例が多いことです。動物にたいする信仰とむすびついているのです。

 この動物と結合した夫婦神の古い信仰の形をしめしているのが、中国の伏羲と女カ(女扁に咼)の神話です。伏羲と女カの話は、現在、少数民族のなかでもつたえられていますが、もとは漢民族の祖先神の一種であったとかんがえられます。天を補修し洪水を止め、八卦、文字、音楽、婚姻、漁労、火などの文化の創造者になったとつたえられています。図像では上半身は人の形、下半身は蛇の形をしていて、しかも尾をからませて形象されているばあいがほとんどです。半人半獣として造形されていることになります。さらにもともとこの二人は兄と妹であり、洪水方型兄妹婚の一種でもありました。

 伏羲と女カは、中国でもっともひろがりと長い歴史をもっているという悪鬼ばらいの祭りに登場する夫婦の最高神である儺公と儺母となり、現在でも儺の祭りが各地でおこなわれるときには、この夫婦神の人形または画像が祭壇の正面にかざられます。

 人間の夫婦神から半人半獣の夫婦神へとさかのぼりますと、その先は動物だけの夫婦神にゆきあたります。河姆渡遺跡からは交尾した神鳥の像が出現していますし、良渚文化の遺跡からは玉でつくられた八角型の各面にやはり鳥をきざんだ皿が出現しています。後者には八羽の鳥がきざまれています。ひとつがえで夫婦神をあらわし、それが四組えがかれているのではないかとみられます。

 中国の学者は、夫婦神が南部の稲作地帯にはやくからあらわれるのにたいし、北部ではおそくまで女神の信仰を保持していたとみられる例があることから、夫婦神は稲作とむすびついて早く生まれたのではないかと推定しています。そして、女神信仰は母権氏族社会の産物であり、やがて父権社会へ移行してゆく過渡期の産物として、夫婦神信仰が生まれてきたと推定しています。動物の対偶神の出土品が稲作の遺跡に早くみられることから判断して、興味深い説といえます。

 次回は中国の男性神からはじめて、日本の古代の神々についてのべます。

 今回はこの辺で失礼します。


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