諏訪春雄通信 71
アジア文化研究プロジェクトへようこそ。
以前にもこの通信でふれたことがありますが、比較には二つの場合があります。両者の間に直接、間接の関係のあるものを比較する場合と、まったく関係のない両者を比較する場合です。
たとえば、日本の戯曲作者の近松をイギリスのシェクスピアにたとえて、東洋のシェクスピア、日本の沙翁などということがあります。これは、近代の先覚者の一人、坪内逍遥が東京専門学校(のちの早稲田大学)の教え子たちをあつめて、明治二十年代の後半からはじめた近松研究の会でいいだしたことで、彼は詳細な比較までおこなっていましたが、近松とシェクスピアのあいだに直接・間接の関係はありません。
しかし、たとえば日本の平安時代の人形芸と中国や朝鮮半島の傀儡を比較することは、両者の間に直接の関係があります。あきらかに日本の人形芸は大陸の人形芸の影響下に成立しています。
中国演劇で日本人にもっともよく知られているのは京劇です。そのためか「京劇と歌舞伎」というテーマの執筆を依頼されることがあります。この比較は関係、無関係のどちらでしょうか。
この両者の比較は、じつは、無関係、関係の二つの性格をもっています。関係があるともいえるし、ないともいえるのです。考え方によってどちらともとれます。
京劇は中国の清代に南曲とよばれた地方劇が北京につたわって成立しました。今年で誕生400年をむかえる歌舞伎よりも、どんなに古く見積もっても100年ほど歴史があたらしいのです。歌舞伎から京劇へという影響関係はかんがえられませんので、歌舞伎と京劇は無関係というのが、常識的見解ということになります。
しかし、京劇をその母胎である南曲までたどったとき、歌舞伎と無関係といえるかどうかは疑問になります。南曲は日本の鎌倉時代、中国の元代の末に、それまでの元雑劇に代わって、逝江省でおこった歌劇で、日本人にも知られている昆劇などもそこから生まれています。これらの成立年代はすべて歌舞伎よりもはるかに古くさかのぼります。歌舞伎はこれら大陸の演劇とまったく無関係に成立したといえるか、どうかは、これからのきわめて興味ぶかい研究課題です。
私は東アジア社会の祭祀、芸能、演劇は個々ばらばらに発生展開したものではなく、相互に関係をもって、大きな連帯の輪をつくっているという構想をもち、はやくからその理論形成につとめてきました。あまりに大きすぎる構想であるために、大風呂敷、誇大妄想ととられかねません。
この理論で、むずかしいのは、まず共通性と独自性の分析です。原型は共通であっても、それぞれの地域で、当然、独自の展開をとげています。その腑分けがむずかしいのです。
もう一つの困難は、祭祀、芸能、演劇三者のつながりと分離の認識です。この三者は相互に共通性があって、境目がはっきりしません。祭祀と演劇との区別はある程度つきますが、祭祀と芸能、芸能と演劇との境目は曖昧模糊としています。無理に区別しようとせず、入り組んでいるのだという前提のもとに理論を立てる必要があります。
今年の正月、古くからの友人の加々美勉さんからいただいた年賀状に、「NHK出版の仕事を続けていますので、お役に立つことがございましたらお声を掛けてください」と書き添えてありました。加々美さんは、暁教育図書という教育関係の固い出版物を出す出版社に長くお勤めになり、10年ほど前に定年でお辞めになった方です。私もそのころ、加々美さんのお蔭で、随分有意義な仕事を多くさせてもらいました。
そこで、思いついて、加々美さんに5種の資料とともにお送りした手紙をつぎに掲載しておきます。私の東アジアの演劇の形成と展開にたいする考えがよく出ています。最後にお名前の出てくる久保さんは、やはり当時は暁教育図書につとめておられ、今は、NHK出版の『日本の伝統芸能』のシリーズの編集にあたっておられる久保義信さんです。
加々美 勉様
2003年1月14日 諏訪春雄
先日は久しぶりにお電話でお話でき、幸せでした。石寒太氏とは時折接触しております。炎環15周年の会には、他の要件と期日がかさなり、残念ながら私は出席できませんので、お目にかかる機会を逸することになるかも知れません。
その節、お願いした件は、ここ十数年取り組んできた研究成果のまとめです。その基本のテーマは、東アジア地域各国の演劇は個々に無関係に発生展開したのではなく、すべてつながりのなかで、大きな有機的な総合体を形成しているという考えです。
硬い研究書としてではなく、何とか一般向けの書として刊行し、このような考えを世にひろめたいというのが願いです。内容は以下のようなものです。書名その他は仮題です。
『日本・中国・韓国の演劇―歌舞伎・京劇・処容舞―』
東アジア演劇の形成 学習院大学教授 諏訪春雄
中国古典劇の誕生 京都大学教授 金 文京
−元曲を例にー
中国の四大地方劇 東洋大學助教授 有澤晶子
韓国の演劇 ソウル大学名誉教授 李 杜鉉
中国の祭祀劇 東洋大學助教授 有澤晶子
歌舞伎と中国演劇 学習院大学教授 諏訪春雄
東アジアの来訪神 学習院大学教授 諏訪春雄
分量は各50枚(400字詰め)で全体として350枚くらいになります。執筆各氏のそれぞれの研究はまとまっていますが、原稿は一般向けに書き下ろしていただく予定です。参考のためにお送りする資料の性格は次のようなものです。
他に、金氏、李氏の原稿も、学習院大学で講演をしてもらったものがテープとして保存されており、両氏に手を入れてもらうだけとなっています。久保さんとも、ご相談いただき、この企画に陽の目を見せていただくよう、勝手ながらお願い申しあげます。
以上です。出版界は構造的な不況におそわれており、ことに学術書は売れないために、どこの出版社も敬遠しがちです。加々美さんや久保さんの援護射撃があったとしても、NHK出版がこの書の刊行をひきうけるという確率は、かなり低いと思われます。
しかし、よいものは、きっとどこかでだれかが評価してくれるはずです。この東アジアの演劇の構想はかならず、一書にまとめて世に問おうというのが、今年の私の年頭にあたっての決意の一つです。
前回の通信につづいて、中国の「男性神」の話です。
人格神の最後の段階になって目立ってきたのが、男性神の信仰です。厳密には、インドや日本の例からみても、男性の生殖能力にたいする信仰は、古くさかのぼって自然神の信仰段階にすでに存在していたとみるべきですが、祖先神や創世神に男性をあてる信仰は父権社会になっての産物とかんがえられます。
男性の神の代表は、漢民族の創世神として神話に登場してくる盤古です。『述異記』や『五運暦年紀』によれば、原初の時代には何物も存在しておらず、気が濛々とみちているだけでした。そのなかにものの生じる萌芽がめばえ、やがて天と地があらわれました。天と地は陰陽に感じて盤古という巨人を生みました。盤古が死ぬと、その死体からさまざまなものが生まれ、万物がそなわるようになりました。盤古の息は風雲となり、声は雷となり、左の眼は太陽となり、右の眼は月になり、手足と体は山々となりました。血潮は川になり、肉は土になり、髪の毛や髭は星になり、体毛は草や木になり、骨や歯は金属や石になり、汗は雨になりました。
また、『三五暦紀』によるとつぎのようです。原初には天地はまじりあっていて、鶏卵のようにふわふわしていました。そのなかに盤古が生まれてくると、はじめて天と地がわかれ、清いものは天空となり、にごったものは大地となりました。天も地も、そして両者のあいだに生まれた盤古もだんだんと成長してゆきました。天は一日に一丈ずつ高さが増し、地も一丈ずつ厚さをくわえました。盤古も一日に九度姿を変えながら、一丈ずつ背がのびてゆきました。一万八千年のながい年月がたち、天地は九万里はなれ、盤古の身長も九万里になったといいます。
これらは巨人盤古の死体からこの世のすべてが生じたという創世神話ですが、『述異記』その他の文献は、紀元三世紀以降の六朝時代の成立ですので、盤古神話じたいもそれほど古い時代に成立をもってゆくことはできません。
また盤古は竜の首に蛇体であったとも、夫婦神であったともいう伝えもべつにあります(『中国各民族宗教と神話詞典』)。男性神だけではなく、動物神や対偶神とみられることもあったことになります。
中国でもっとも普及している宗教は道教です。その道教系の神々は、鎧や兜に身をかため、武器をもち、ゆたかな顎鬚をたくわえるなど、ほとんどが男性の神です。
中国の道教は、組織だったものとしては、二世紀前半の後漢のころに、太平道、五斗米道などとよばれた宗派として形をなしたものにはじまります。ひろい意味にとって、古代から民間におこなわれていたいっさいの道教的な信仰、不老長生などの神仙思想までふくめたとしても、紀元前二、三世紀くらいにまでしか道教はさかのぼることはできません。長い中国の神観念の展開からみれば、道教の男性神はやはりあたらしいといわざるをえません。
中国の主として漢民族の社会で、現在も信仰されている神々をひろくあつめて分類整理した馬書田著『華夏諸神』(北京燕山出版社、1990年)という便利な書があります。この種の書物はその後たくさん出ますが、その草分けとでもいうべき書です。道教諸神、民間俗神、仏教諸神の三分野に大きく分け、全部で百七種(おなじ種類の神を一つにまとめていますので実数は数十倍になります)の神を登録しています。このうち、仏教諸神は中世的な両性具有の神々ですので、これをのぞいた七十九種のうち、あきらかに女神とみられるのは十三種、十六パーセントにすぎません。
中国の漢民族社会がながく男性中心社会であったという事実を反映して、現在の中国でも圧倒的に男性の神が優越しているといえます。
神観念もまたその国の歴史と文化を確実に反映しています。
今回はこの辺で失礼します。