諏訪春雄通信 72


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 入試期間中、大学構内への入構が禁じられていて、更新ができなかったため、2週間ぶりの通信です。

 2月7日(金曜日)夜、台湾の大葉大学の葉漢鰲君から電話をもらって、8日夜、池袋のほり川という和食の店で、一夕をすごしました。葉君は新婚旅行で来日し、新しい奥さんを紹介するのが主要な目的でしたが、ほかに三つの用件をかかえていました。

 葉君は再婚です。まえの奥さんとはむずかしい問題が生じ、最後は訴訟にまでなって離婚した経緯を、私はよく知っていましたので、葉君の再婚を心から祝福しました。

 今度の奥さんは保健所勤務の薬剤師だそうで、葉君よりも15歳ほど年齢が下です。闊達な女性で、葉君はほとんど酒を飲みませんが、彼女はウイスキーなら一晩でボトル一本という酒豪です。日本語は片言程度、「諏訪先生に感謝しています」ということばを前の晩に練習していたそうで、私にむかって何回かくりかえしていました。

 葉君が慶応大学の文学部を出て、学習院大学大学院に受験してきたのは、もう今から20年前になる昭和58年(1983)のことで した。京劇と歌舞伎を比較した論文を書いて前期を2年で修了し、そのまま後期課程にすすみましたが、1年で中退し、母国の台湾にもどり、東呉大学、輔仁大学などの専任講師をつとめていました。もう一度勉強しなおしたいということで、平成3年に再来日し、学習院大学東洋文化研究所客員研究員、学習院大学非常勤講師などをつとめながら、中国と日本の芸能を比較するという研究に従事しました。

 再来日してからは、私とともに、中国大陸、台湾や日本各地の調査に従事しました。はじめはまだ研究方向がきまっておらず、せっかく宝の山に入りながらむなしく観光旅行に終始するというようなことをくりかえしていました。

 1994年、私の長期の台湾少数民族調査に葉君に同行してもらったことがありました。二人だけで台湾各地を旅しながら、私は、葉君に、中国道教が日本の中世芸能へあたえた影響を研究テーマの中心にすえるよう、多くの実例をあげながら執拗にすすめました。それは、誠心誠意調査の案内をしてくれる葉君への、いわば私の感謝の気持をこめた贈物でした。

 葉君の眼の色が変わったのはそれからでした。論文を書いては、先輩・友人に文をなおしてもらい、それから私のもとに提出してきました。それを私がさらになおすという作業のくりかえしで、平成10年に、「中世芸能と中国の古芸能・信仰の比較研究」のテーマで、学習院大学から博士(日本語日本文学)の学位を授与されました。

 外国からの留学生に博士の学位をとらせることの苦労と、そして喜びを、したたかに実感させられた学生でした。学位をとって間もなく、台湾中部の新設私立大学大葉大学の日本語学科の主任にむかえられ、早稲田、お茶の水などの大学から10人ほどの日本人教師を招聘して、充実した学科をつくりあげました。

 東洋大學を出たあと、私のもとで邦楽一中節の研究をし、やはり学位をとった小俣喜久雄君も、この大学に勤務し、葉君をたすけて立派な成果をあげています。

 葉君が今回の新婚旅行にかかえてきた用件の一つはもう一人日本語教師をさがしたいということでした。中国語は向うでおぼえてくれればよいので、さしあたり話せなくともよいそうです。給料は月に日本円で30万円弱、物価からいうと、日本での50万円くらいになりますから、悪い給料ではありません。

 大切な資格は博士の学位をもつことです。外国では、学位をもたないと一人前の研究者の扱いをうけませんが、台湾はとくにその傾向がつよいようです。

 二つめの用件は、私の学習院大学退官を記念して、大葉大学で、「中日韓民俗・芸能の比較国際フォーラム」を開催したいということでした。講師としてあがった名は、私、葉君、台北中央研究院研究員、吉田敦彦先生、韓国ソウル大学名誉教授李杜鉉先生など、できたらアジア文化研究プロジェクトとの共催にしたいということでした。

 その場で葉君にもとめられて、私がかぞえあげた開催趣書の要点はつぎのようなものでした。

  1. 台湾、韓国、日本は一時期不幸な関係におちいった痛恨の歴史体験を共有している。その責任を有する
    日本人は、贖罪の意識を今ももちつづけている。しかし、そうした過ちをくりかえさないためにも、三国の民族的、文化的つながりと独自性を認識することには、これからの三国の新しい関係を構築し維持するうえでも重要な意義がある。
  2. 三国は、最近の遺伝子人類学の成果によれば、人種的にもかなりの割合で共通性をもっていることがあきらかになっている。さらに三国は中国大陸文化の影響下に相似の歴史をきざんできた。
  3. 古代では、中国の長江流域に居住した倭人の習俗が、三国文化の古層に存在するし、そののちも、政治的、文化的に直接、間接の交渉をかさねてきた。
  4. また、常時、黒潮に乗って南の文化がはこばれ、三国に漂着している。
  5. さらに、東アジア社会でもっとも近接する位置関係にある三国は、海を主要な通路として相互間で文化の交流をくりかえしてきた。
  6. 以上の結果、信仰、習俗、言語、芸能などの各方面で、三国は多くの共通性をもっている。
  7. 今、その三国の歴史の中でも、とくに民俗と芸能に焦点をあてて、フォーラムを開催する。 

 この文章を整理し、600字程度にまとめて、メールで送信し、葉君がそれを中国語に翻訳し、趣意書として大学当局に提出するというのが、これからの行動計画です。

 三つめの用件私の蔵書を大葉大学に寄贈して欲しいということでした。断っておきますが、寄贈であって売却ではありません。

 私はこれまでに3回転居しています。最初の転居のときは、蔵書もまだすくなく、そのまま新居にうつしましたが、あとの2回では、かなりの量、早稲田の渥美書房という古書店に売りはらいました。元値の1、2割程度、3、40万円の額でした。退官で研究室をひきはらうことになったら、やはり相当量、売らなければ、現在の書庫にはおさまらないと覚悟していたので、葉君の申し出は、私にとってはありがたいものでした。

 台湾の地で、諏訪春雄文庫として私の蔵書が保存・利用されているというイメージは悪くありません。私は本を読むときに傍線を引いたり、書き込んだりしますが、売ることをかんがえて、これまでかなり差し控えてきました。文庫として保存されるのなら、遠慮はいりません。今後は盛大に書き込みができます。

 葉君のあたらしい奥さんは、葉君につねづね「浮気したら毒殺する」と宣言しているそうです。漢方の薬剤師ですから可能性は大いにあります。しかし、そのことばを私につたえたときの葉君のしまりのない、うれしそうな顔…。勝手にしろ!

 前回につづいて、日本の神観念についてのべます。

 1980年代から中国にはいって、仮面の調査をするようになりました。仮面といえば、日本の伎楽面、能面、神楽面などのイメージしかなかった私が、中国の仮面に接して、おどろいたことは、頭部にじつにさまざまな飾り、それも各種の動物、神仏などが数多くならべられていることでした。その違いの意味がわかるようになるまでは、しばらく時間がかかりました。

 のちに私はこの違いをつぎのように説明するようになりました(「鬼の図像学―漢代画像石の世界からー」『日中文化研究 6号 古代伝承と考古学』勉誠社、1994年3月)。

 中国の仮面は若干の例外をのぞくと、かならず頭部に飾りがほどこされています。その飾りは、常人のばあいは帽子、武将のばあいは王冠、神々のばあいは、角、神獣、怪獣、祖神などです。すなわち、頭部にほかの神々がやどってすさまじい迫力と妖異性を生んでいます。

 これにたいして韓国や日本の仮面は原則として帽子や王冠をかぶらず、頭の部分までの表現でおわっています。頭部中心の中国仮面にたいする顔面中心の日韓仮面といえます。

 仮面には頭蓋信仰の産物と眼信仰の産物の二種がありました。この二つの信仰は、深層では一つにかさなるものと思われますが、現象的には二種の仮面の系統を生んでいます。

 首狩りの習俗などから推測されるように、未開民族のあいだで頭蓋が人間の霊のやどるところとして神聖視されていることは、多くの民族学者が指摘しています。しかし、人間の霊がやどるという信仰の以前に神一般がやどるという信仰があったはずであり、それが中国の仮面の表現となっています。

 他方、仏像の開眼儀礼などからあきらかなように、眼こそは生命力の根源であり神や霊魂は眼にやどるという信仰も存在していました。人間をはじめとする生物の眼は生きているあいだはひらかれ、うごき、光を発しますが、いったん生命が去ると、眼はとじられます。

 じつは、この眼の生ある存在の開閉の事実が、それが位置する頭蓋全体を神や生命のやどるところと信じさせたとみれば、頭蓋信仰と眼の信仰は究極で一つにつながります。

 しかし、現象として、頭蓋と眼の信仰は二つの形態をとります。そして、この両者を区分しますと、中国の仮面は頭蓋信仰の産物であり、日本や韓国の仮面は眼信仰の産物といえます。

 そしてたいせつなことは、なぜ、中国と日本・韓国にこのような信仰の違いが生まれたのかという問題です。

 ここ数回、この通信で説明してきましたように、中国は歴史の古い国であり、神観念も複雑であり、人格神はもとより、それ以前の自然神も種類が豊富です。そのゆたかな種類の神々が仮面の頭部にやどってくるのです。その基本のイメージは動物神の頭部の大きな耳や角によって形成されました。

 それにたいし、日本、そして韓国も、神々の歴史は浅く、全体として人格神の時代から神々の歴史がはじまります。この両国の顔面中心の仮面は、人格神が信仰の中心となった時代の産物であり、基本のイメージは人間の顔によって形成れました。

 仮面に象徴されるように、日本の神々は自然神よりも人格神が圧倒的に優勢です。もちろん、自然神もかなりな種類が存在しましたが、縄文土偶などの神々をのぞけば、それらの自然神も人格神と合体しているか、人格神のよそおいをとって登場するばあいがほとんどです。『古事記』の神話の分析をとおしてそのことを説明しましょう。

 『古事記』の冒頭の創世神話にあらわれる神々は、登場の順序にしたがって3群にわけられます。

 A群…天と地がはじめてわかれたときに高天原に出現したアメノミナカヌシノカミ以下7柱の神々。すべて男性の独り神。

 B群…ウヒジニノカミ以下10柱の神々。すべて夫婦神。

 C群…オオコトオシオノカミ以下11柱の神々。すべてイザナギ・イザナミの両神の生んだ神であり男性独り神と夫婦神。

 ここまでの分析で登場してきた神々は男性の独り神、夫婦神の二種です。このあとの叙述ではじめて、女性の独り神があらわれます。これらの神々はすべて人間としての本質をそなえた人格神としてあつかわれていますが、しかし、なかに、自然現象、または自然物を神格化した自然神の性格をのこした神々も存在しました。

万物生成の機能を神格化した神…タカミムスヒノカミ / カミムスヒノカミ

大自然の生命力を表現した神…ウマシアシカビヒコジノカミ

自然現象を表現した神…トヨクモノカミ

生命が芽生える現象を表現した神…ツノクイノカミ / イククイノカミ

岩石、土砂などを神格化した神…イワツチビコノカミ / イワスビメノカミ

海を神格化した神…オオワタツミノカミ

 『古事記』の成立は奈良時代の和銅五年(七一二)でした。記紀神話の原型はさらにさかのぼって六世紀のころとされています。したがって、冒頭の神観念や神名は六世紀から八世期にかけての知識人のそれらを反映しています。

 神名から判断される当時の神の種類は、自然神、女性の独り神、男性の独り神、夫婦神の四種で中国と一致しますが、内実はかなりちがいます。中国では

  自然神 女性の独り神 夫婦神 男性の独り神

という段階をたどって神々が登場しますが、日本の『古事記』では

   男性の独り神 夫婦神 女性の独り神

の順序をたどり、自然神は男性の独り神と合体しています。 かんたんにいえば、中国の神観念の歴史の最終段階になって、日本の神々の歴史がはじまっていました

『古事記』冒頭からあきらかになる日本の神々の古代観念をつぎに整理しておきます。

  1. 古事記の神々は人格神と自然神に大別できる。しかし、自然神は人格神としてあつかわれている。
  2. ABC三群のうち、A,Bは自然発生した神々であったが、C群はイザナギ・イザナミの夫婦神から誕生している。このことから、神々も自然発生の段階から人間とおなじように性行為の結果誕生する段階へと推移していたことがあきらかになる。
  3. そうした夫婦神の性行為によって神々が誕生すると観念される段階がきても、自然発生的な誕生観念が並存していた。そのことをしめしているのが、アマテラス・ツクヨミ・スサノオの三貴子誕生神話やアマテラスとスサノオの誓約(うけい)神話である。

今回はこの辺で失礼します。


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