諏訪春雄通信 76


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 3月9日(日曜日)、日帰りで栃木県高根沢市荻窪加茂神社梵天祭を調査見学してきました。天下の奇祭といってよい風変わりな祭りでした。

 梵天というのは、かんたんにいえば大きなご幣です。木や竹の柱に白い紙をかざったもので、神の依代です。このことば自体は仏教の梵天に由来していますが、内実は無関係で、目立つ意味のホデ(秀手)から変化したことばといわれています。

 修験道系の祭礼にひろくみられる祭具で、山上の神社に麓から梵天をかつぎあげて奉納する梵天祭は、東北各地におこなわれています。秋田県秋市三吉神社、おなじく横手市旭岡山神社などがとくに有名で、参加町内の若者が大きな梵天をかついで、神社への奉納田の先陣争いを演じます。

 石段を押し合い揉み合いしながら駆け上り、神殿に駆け込むさまは勇壮です。最初に梵天を奉納した組にはその年の福がさずかるといわれています。梵天やご幣は、木の枝の人工化です。大掛かりな玉ぐし奉納の先陣争いとかんがえれば、各地の梵天祭の本質が理解できます。

 先陣争いには修験道によくみられる法力比べ、験比べの精神が生かされています。

 ところが、高根沢の梵天祭はすこし変っています。四つの地区の若者たちが大きな梵天をかついで山上の神社に奉納するという点は、各地の梵天祭と同じなのですが、先陣争いをするのではなく、神殿の奥におかれた大きな的にむかって梵天の先を突きあてる勢いを競いあいます

 若者たちが石段の途中から駆けあがり、そのまま神殿に飛びあがって奥の的に突進します。今は石段の途中からですが、昔はいちばん下から駆けあがったそうです。

 つまり梵天は男性の象徴、神殿奥の的は女性の象徴であり、陰陽合体の性行為をきわめて即物的に演じてみせているのです。

 この祭りには二つの解釈ができます。神話的と、宗教的とです。

 神話的解釈は、この加茂神社の祭神が京都の賀茂上神社と同一の別雷神(わけいかづちのかみ)であることから容易にみちびきだされます。『山城国風土記逸文』にしるされている有名な賀茂上神社祭神縁起譚です。

 川上からながれてきた丹塗りの矢をひろった乙女がそれを床の側においておき、その矢によって懐妊し、神の子である別雷神を生んだという神話です。梵天は丹塗り矢、その梵天で神殿を突くことによって、祭神誕生の根源の聖なる時間を儀礼化して見せる祭りと解釈するとこの祭りの本質が見えてきます。

 もう一つの解釈は真言密教の教理にもとづく宗教的解釈です。真言密教との関係はじつは高根沢の梵天祭のホームページにふれているもので、私もなるほどと感心しました。真言密教では、天地の森羅万象を金剛界胎蔵界の二つにわけて説明する考え方があります。両界曼荼羅などはその教義にもとづいて作成されています。

 この両界を男女の性にわけて説明する考えも、じつは真言密教にそなわっていますが、これを曲解すると、男女の性の結合こそが即身成仏の秘法であり煩悩即菩提の境地という思想になります。

 鎌倉時代末期に醍醐寺の座主文観によって体系づけられ室町時代には大きな勢力となりましたが、江戸時代、幕府によって邪教として弾圧された立川流がその典型です。

 高根沢の梵天祭は、仏教系の真言密教と修験道系の陰陽思想の合体とかんがえれば、もう一つの本質が見えてきます。性をこれだけおおらかに儀礼化し、スポーツ化した祭礼もめずらしいのではないでしょうか。

 通信73で報告した2月22日の大阪野里住吉神社の一夜官女祭通信74で報告した3月1日の栃木県鹿沼大杉神社のアンバサマ、今回の梵天祭と、日帰りで3回つづけて見学した祭礼調査の日程をくんでくださったのは、石井優子さんですが、いずれも興味ぶかい含蓄の多い祭りで、選択眼には脱帽です。

 今回の同行は吉田敦彦先生、凌雲鳳さん、藤沢茜さんの3氏です。毎度ながら藤沢さんのマネージメント能力にも感服します。帰りは宇都宮で下車し、駅前の店で名物の餃子を10数種食べました。いずれもおいしく、推奨できる味でした。皆さんも宇都宮をおとずれる機会があったらどうぞ。

 一年間かけて、編集にあたってきた『浮世絵大事典』がようやく項目と執筆者の選定をおわり、各執筆者に依頼書を発送しました。私の研究室に事務局をおき、卒業生の越尾信也君に週に数回かよって、編集雑務にあたってもらいました。

 国際浮世絵学会の監修として、常任理事の皆さんのほとんどが編集委員となったために、しばしば「船頭多く、船、山に上る」の弊を嘆じることもありましたが、研究の活性化の目的は十分に達成され、なんとか依頼書発送にまでこぎつけることができました。根気よくつきあっていただいた東京堂出版編集部の太田基樹さん、越尾君とともに雑用をひきうけてくださった日本語日本文学科助手の藤沢茜さんに心からお礼を申します。

 今後、一切の業務は東京堂出版の編集部にうつりますが、事典が刊行されるまでの悪戦苦闘はこれからも長く継続されます。

 中国の人間の妖怪についてのべます。

 『山海経』は中国古代の地理の書といわれていますが、各地の神話、伝説、妖怪の類が豊富に記述されていて、その幻怪な想像力から古代中国の巫のテキストであったという説が中国の研究者によって提出されています。成立年代も作者もあきらかではありませんが、紀元前一世紀の前漢末のころまでには、現在の形態が成立していたといわれます。日本なら弥生時代です。

 この書から人間の妖怪をひろいだして分類してみます。ことわっておきますが、以前にもこの通信でのべたように、中国では神と妖怪の境が日本ほど明確ではありません。この書でも水の神の「天呉」のように神として紹介されていながら、そのあとの説明文で「その獣は」と記されて妖怪としてあつかわれている神がいます。

合体の妖怪
竜身人面神/長乗(豹と人間)/西王母(豹と虎と人間)/羊身人面神/蛇身人面神/人身羊角神/計蒙(人間と竜)/羽民国(鳥と人間)/人面馬身神/人面牛身神

崩壊の妖怪
貫胸国(人間、胸に穴が開く)

過剰の妖怪
結胸国(人間、胸がつき出る)/三首国(人間、三つの首がある)/三身国(人間、一つの首で三つの体をもつ)/戎(人間、頭に三本の角)/彊良(虎と人間、蛇をくわえ八つの蹄)  

欠如の妖怪
一目国(顔の真ん中に一目)/夏の耕の尸(首のない人間)  

混合の妖怪
陸吾(虎と九つの尾と人間)/天呉(人間と竜、八つの首、八つの足、八つの尾)/瞿如(鳥と人間、三つの足)

 18世紀のフランスの博物学者ビュッフォン「過剰による妖怪、欠如による妖怪、諸部分の転倒もしくは誤れる配置による妖怪」(『自然誌』)という定義があてはまりそうですが、しかし、中国の妖怪はもっと奥深く、複雑です。

 その本質は日本との比較のなかではじめてあきらかになります。

 今回はこの辺で失礼します。


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