諏訪春雄通信 77
アジア文化研究プロジェクトへようこそ。
前回のこの通信でお話したように、1年かけて編集してきた『浮世絵大事典』がようやく一つの峠を越えて私の研究室をはなれました。これと並行して、企画をすすめてきた『新日本古典百選』(仮題)もなんとか形になろうとしています。
つぎにかかげる表は、私と東京書籍の編集部が各種の資料(中高等科の教科書、古典選集、各種注釈大系など)を参照して、最終的にえらびだした候補作品です。ほかの監修者のご意見を入れながら、さらにこのリストから百種を選択、決定します。
新日本古典百選候補作品
文学〈物語・戯曲・随筆類〉46種
古事記 日本書紀 風土記 日本霊異記 竹取物語 伊勢物語 宇津保物語 大和物語 落窪物語 枕草子 源氏物語 堤中納言物語 大鏡 栄花物語 今昔物語集 とはずがたり 無名草子 方丈記 徒然草 保元物語 平治物語 平家物語 今物語 太平記 宇治拾遺物語 無名抄 古今著聞集 謡曲 狂言 曽我物語 義経記 お伽草子 山椒太夫 小栗 西鶴浮世草子 雨月物語 浮世風呂 南総里見八犬伝 国性爺合戦 心中天の網島 冥土の飛脚 仮名手本忠臣蔵 菅原伝授手習鑑 東海道四谷怪談 おもろさうし 常山紀談
〈和歌・俳諧類〉15種
万葉集 古今和歌集 梁塵秘抄 新古今和歌集 金槐和歌集 式子内親王集 建礼門院右京大夫集 小倉百人一首 閑吟集 連歌 松尾芭蕉句集 狂歌 川柳 与謝蕪村句集 小林一茶句集
〈日記・紀行類〉8種
土佐日記 蜻蛉日記 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 成尋阿闍梨母集 十六夜日記 奥の細道
宗教 17種
往生要集(源信) 東大寺諷誦文稿(編者未詳) 法華百座聞書抄(筆者未詳) 一言芳談(編者未詳) 横川法語(源信) 三宝絵(源為憲) 宝物集(平康頼) 歎異抄(親鸞) 正法眼蔵随聞記(道元) 立正安国論(日蓮) 蓮如御文章(蓮如) 三教指帰(空海) 恵信尼消息(恵信尼) 発心集(鴨長明) 正法眼蔵(道元) 一遍上人語録(一海) 法然消息文(法然)
思想 14種
愚管抄(慈円) 羅山林先生文集(林羅山) 童子問(伊藤仁斎) 折たく柴の記(新井白石) 都鄙問答(石田梅岩) 徂徠先生答問書(荻生徂徠) 宇比山踏(本居宣長) 読史余論(新井白石) 自然真営道(安藤昌益) 五輪書(宮本武蔵) 玉くしげ(本居宣長) 花月双紙(松平定信) 霊の真柱(平田篤胤) 貞丈家訓(伊勢貞丈)
科学 6種
蘭学事始(杉田玄白) 天文瓊統(渋川春海) 医事或問(吉益東洞) 農業全書(宮崎安貞) 物理階梯(片山淳吉) 舎密開宗(宇田川榕庵)
芸術 12種
古来風躰抄(藤原俊成) 無名草子(藤原俊成女か) 風姿花伝(世阿弥) 老のくりごと(心敬) わらんべ草(大蔵虎明) 等伯画説(長谷川等伯) 去来抄(向井去来) 三冊子(服部土芳) 役者論語(八文字屋自笑) 音曲口伝書(竹本播磨少掾) 西洋画談(司馬江漢) 山中人饒舌(田能村竹田)
候補作 118種
私は最近では比較民俗学者、民族学者などとよばれることがありますが、本来は国文学者です。現今では日本文学とよばれることが多い国文学という学問がどのようにして成立したかという問題については、この通信33でかなりくわしくのべたことがあります。かんたんにまとめれば、時代の国学日本人と日本文化の本質を解明することを目的とした江戸時代の国学の研究対象範囲のうち、文学作品だけを限定してあつかうようになったのが国文学でした。
そのために、日本人にとっての古典は文学に重点をおいてかんがえられるようになりました。古典を国文学から解放しなければならないという主張については、やはりこの通信45でとりあげました。そこで私はつぎのようにのべました。
以上のような考えで選択されたのが前掲の候補作です。これまで、古典教育といえば、ことばの解釈に終始しました。さらに一歩をすすめて、古典の生命と直接に向かいあうというのが私たちのねらいです。言うは易く行うは難し。実現にむかってさらに努力をかさねたいと願っています。
今回は日本の妖怪のうち、自然に起源する妖怪の天狗についてのべます。
天狗は通常つぎのように説明されます。「日本固有の山の神の一。また妖怪の一。山伏姿で鼻が高く赤ら顔、手足の爪が長くて翼があり、金剛杖・太刀・羽団扇をもつ。神通力があり、飛翔自在という。仏道を妨げる魔性と解されることもある」(『大辞林』三省堂)。
しかし、この天狗像は中世までに成立した完成形で、それまでに多くの未完成の過程の形がありました。天狗はつぎのような変化をたどっています。
1の音響を立てる流星を天狗とよぶ例は中国にもみられます。しかし、それ以降の2から7までの変化は日本独自のものであり、しかもその変化をうながしたものは日本の修験道でした。
修験道はその構成要素である山岳仏教,道教などは中国からとりいれていましたが、奈良時代以降の形成の歴史は日本独自のものでした。修験道の独自性がそれとの関わりのなかで発達してきた天狗を日本独自のものとしたのです。
前回の通信で紹介した『山海経』に天狗という妖怪が登場します。第二巻の「西山経」につぎのように記述されています。
陰山、濁浴の水がながれて南流し、蕃沢にそそいでいる。水中に模様のある貝が多い。獣がいる。その形は狸のようであって、白い首、名は天狗といい、その声は榴榴のようである。凶をよく防ぐ。
もともと天狗とは『史記』の「天官書」に流星が地に下りて狗のような形をしていると記述されており、中国では動物の形状が想定されていました。『山海経』の狸もその流れのなかに登場しており、おなじ『山海経』の「大荒西経」には「天犬」という妖怪もあらわれます。さらに、ほかの文献では、あなぐま、小鳥の異名などともされていましたし、月のなかの凶神とする文献もあります。
また天狗の泣声の「榴榴」は未詳のことばですが、のちの注釈書『事物紺珠』などには〈その音は猫のようだ〉とあります。
同じ音響をたてる流星に起源する天狗が中国では動物の妖怪,凶星とかんがえられ,日本では山の神から守護神、魔物とみなされていったのはおもしろい現象です。
修験道の山伏は加持祈祷を主たる業務として民間にはいりこみました。おなじように加持祈祷を業務として民間で活躍したのが、仏教の密教系の僧たちで、両者はいわば商売敵として争いをつづけました。その争いは平安末から中世にかけての説話や狂言の題材によくとりあげられていました。修験道の守護神の天狗が仏教で法敵・魔性とされたのはそのためでした。
天狗の完成型として『大辞林』から引用した山伏型の天狗像にもじつは修験道と仏教の争いがみごとに反映していました。天狗の完成型は、
山伏+鳶
と分解できます。山伏は修験道のイメージであり、鳶は仏道の妨げをする魔性の象徴だったのです。完成型の天狗の図像に、中国と日本の流星観、日本の修験道と仏教の本質と歴史が集約して表現されていました。幽霊や妖怪研究のおもしろさです。
仏法の妨げをする鳶の説話を一つだけ紹介しておきます。
醍醐天皇の御世、京の五条の道祖神の傍の柿の木に忽然と仏があらわれ、光をはなち、花を降らせるなどの不思議があり、京中の人々が参詣にあつまった。この仏に疑念をもったのが右大臣源の光であった。
「真の仏が木の梢などに出現するはずはない。天狗などの外道の幻術なら七日が限度だ。今日はわしじしんでいってあばいてやろう」と、車に正装して出かけた。
たしかに、木の上に仏がいて、金色の光をはなち、空から花を降らせている。しかし、あやしくおもった光大臣は目ばたきもせず、2時間以上もにらみつけていると、とつぜん大きなくそ鳶になって地上に転落してきた。子どもたちがかけよって、ばたばたしているくそ鳶をたたきころしてしまった。(『今昔物語』巻二十、「天狗仏と現じ木末にいますこと」)
次回以降も日本の代表的な妖怪を検討します。
今回はこの辺で失礼します。