諏訪春雄通信79


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 今回は
二人の名編集長の話からはじめます。

 一人は文芸誌
「新潮」編集長前田速夫さんです。この方については、この通信30でふれたことがあります。前田さんから「新潮」の編集長を3月末日で退くという内容のご挨拶のはがきをいただきました。数日して、前田さんからおくられてきたのが、『異界暦程』(晶文社)という、日本列島の異界伝承をフィールドワークによってさぐった著書でした。

 前田さんが編集者として発掘した新人は、
北方謙三、車谷長吉、立松和平、加藤典洋、吉田知子などの錚々たる顔触れです。無名の新人の投稿原稿を「新潮」に掲載したらそれがその年の芥川賞にえらばれたというエピソードもある人です。

 月刊誌の編集長という激務のかたわら、日本列島をあるきまわって、浦島、鼠の浄土、徐福、為朝、白山信仰、平家伝説、鬼界が島、影の一族などなどの、土地の異界伝承をさぐった魅力的な書が『異界暦程』です。

 この書で私が感服したのは、
紀行文、随想文、論理文の三者を組合わせた、きわめて自由な叙述スタイルです。論文と随想文をきちんと分けようとする学界の大勢のなかにあって、この文体は私には新鮮な印象をあたえます。

 前田さんはこのような学問方法を
知のトレッキングとよんで、「はじめに」でつぎのようにのべておられます。


 文献資料からだけでは明らかにされないこうした領域に、あえて踏みこんだのは、アマチュアなればこそだが、ともあれ、縁あって本書を手にしてくださった読者は、
中高年者が余暇に山歩きを楽しむのと同じように、まずはこうした知のトレッキングの楽しみもあることを再発見してもらえると、たいそう嬉しい


 前田さんに送った礼状がつぎの文です。

前田速夫様

 しばらくご無沙汰していましたが、お手紙と御著『異界歴程』をご恵与にあずかり、感歎かつすくなからず驚かされております。
 「新潮」編集長をご退任とのこと。伝説の名編集長の噂は私のような門外漢の耳にもかねてから達しておりました。長い間、ご苦労様でした。御著の奥付の「著者について」で、改めて赫々たる文芸界へのご貢献、ご功績を確認いたし、今更ながら感歎しております。
 驚いたのは『異界暦程』です。まだていねいに拝読したわけではございませんが、激務のかたわら、異界や境界に長期にわたり、没入されたお仕事には文字通りに驚嘆いたしました。私も多少似たような分野に足を踏み入れた体験がございますので、このご本にまとまるまでの、ご苦心、ご努力、そしてお喜びなどを私なりに推測することができます。
 「白の民俗学」とはすばらしい命名であり、テーマと存じます。知のトレッキングもよいことばです。私のこれまでの著書の幾つかも私なりの知のトレッキングなのだと、今、あらためて思いあたっています。
ありがとうございました。また、このようなご本に逢えることを心から願っています。


     平成15年4月3日                  諏訪春雄
 


 もう一人の名編集長は、
東京堂出版編集部長松林孝至さんです。松林さんとは『浮世絵大事典』の編集委員会が東京堂出版の会議室でひらかれてきましたので、そのさいによくお逢いしました。会議に出席したのは直接の担当の太田基樹さんでしたが、松林さんも数回会議に出られました。そういうときにまったく余計な口出しをせず、すべては太田さんにまかして、黙って聞いておられる姿勢になんともいえぬ味がありました。

 熱烈な巨人フアンで、私とは、「今晩は」「勝ってますよ」で話が通じました。

 その松林さん、太田さんからご招待をうけて、神楽坂のSHUNという店で、4日(金曜日)、一夕をすごしました。SHUNは、インターネットでみつけた東京うまい店100選にはいっている店だそうで、和食とイタリア料理をミックスしたなかなかの味でした。

 松林さんらのご招待は、『浮世絵大事典』の編集が一段落した慰労ということでしたが、ほかに
説話伝説関係の事典の編集を私に依頼したいという用件もおもちでした。

 松林さんが東京堂に就職されて最初に手がけられた仕事が、当時立教大学教授の長野嘗一さんの『説話文学辞典』の編集だったそうです。その松林さんもあと数年で定年をむかえられることになり、最後の記念の仕事にもう一度説話伝説関係の事典を編集し、編集者として生涯の円環を閉じたいのだといっておられました。

 私はすでに
『日本説話伝説大事典』を志村有弘さんと共編で勉誠出版から刊行しています。今度、新しい事典を編集するのであれば、東アジアという視点を大幅にとりいれたいという希望をのべ、松林さんはうなずいておられました。

 日本の説話や伝説には、中国を源流とし、東アジア社会にひろがっているものがかなりの数にのぼります。それらを考慮した大事典の編集は、また、私の研究の円環を閉じることにもなります。そのことをいちはやく見抜いた松林さんは、やはり名編集者です。
 
 SHUNを出て、松村さん行きつけのカラオケスナックへ入りました。松林さんの歌のうまさにはおどろきました。まさにプロ並みです。そのあと、むりやり私がお誘いしたのが、学習院大学の国文(当時は国文でした)研究室に長く勤務しておられた谷雅子さんが神楽坂でひらかれたスナックの慈庵でした。

 慈庵を出てからの私の記憶はあやしくなり、気がついたら自分の部屋で寝ていました。

 今回は安珍清姫で知られる
清姫の話をします。中国説話を源流とした日本説話の典型例です。
日本では、和歌山県の
道成寺が所蔵する『道成寺縁起』にまとまった形をみせます。紀伊の国真砂の清沢庄司の女房が熊野詣での僧に恋をし、にげた僧の跡を追い、日高川を蛇体となってわたり、道成寺の釣鐘にかくれた僧を鐘ごと焼きころすという筋です。

 ここではまだ二人に名もなく、筋も単純ですが、つづく
『賢学草紙』では僧は三井寺の僧賢学、女房は橋本の長者の姫とかわり、複雑な因果がからむ話になっています。安珍清姫の名が定着したのは近世中期の人形浄瑠璃『日高川入相花王』からでした。

 このような安珍清姫型の道成寺伝説が日本の文献に登場してくるのは、長久年間(1040〜44)に成立した
『大日本国法華経験記』が最初であり、そこでは法華経の功徳によって煩悩から解脱する男女の物語になっています。

 しかし、この伝説の起源を中国にまでさかのぼるともう一つの別の主題がみえてきます。

 紀伊の国新宮の大宅豊雄は、雨宿りの折に知り合った未亡人の真名児と契りをかわしたが、彼女から贈られた太刀が盗品であったことが判明して咎めをうけた。そののち豊雄は大和へうつったが、ここへも真名児があらわれ、その正体が大蛇であったことがあきらかになる。この大蛇はさらに結婚した豊雄の新妻に乗りうつった。しかし、最後は
道成寺の法海和尚の法力によって鉄鉢にとじこめられた。

 上田秋成の
『雨月物語』第四話「蛇性の婬」の梗概です。道成寺の和尚が登場するところからも、道成寺伝説を下敷きにしていることはあきらかですが、道成寺伝説と異なる点は女主人公が蛇であって人間ではないことです。道成寺伝説が人間の妖怪を主人公にしているのにたいし、『雨月物語』は自然の妖怪を主人公としています。

 秋成作の直接の典拠は、じつは道成寺伝説ではなく、中国の
「白蛇伝」です。「白蛇伝」の発生の地は浙江省の西湖のほとりですが、説話、説教、小説、演劇などにとりいれられてひろく流布し、「西遊記」、「水滸伝」、「孟姜女」などとならぶ中国の国民伝説としての地位をしめています。

 秋成が直接の粉本としたのは
明代の白話小説『警世通言』第二十八話であり、ほかに清代の白話小説も参照されていました。『警世通言』の筋を紹介します。

 宋代の紹興年間、杭州の伯父の薬屋ではたらく青年
許宣は、雨宿りのときに侍女青青をともなった美しい婦人白娘子と知りあい、恋におちる。しかし、結婚資金として白娘子のわたした銀子が盗まれたものであったことがあきらかになり、許宣はとらえられて蘇州府にながされた。しかし、その地にも白娘子が追ってくる。

 二人は結婚したが、白娘子からあたえられた衣服がやはり盗品であったために、許宣はふたたび鎮江府へながされる。しかし、そこにも白娘子が出現し二人はよりをもどした。

 最後は金山寺の高僧
法海和尚の法力によって白娘子は鉄鉢にとじこめられた。和尚は、白娘子の正体が大蛇であり、青青は千年を経た青魚であることをあきらかにし、鉄鉢を西湖のほとりの雷峰寺のまえに埋め、そのうえに塔を建てた。

 秋成の作と筋が細部まで一致します。蛇を魔性として忌避する点も共通です。
 しかし、中国の「白蛇伝」には
多くの変型があります。それらのなかには、白娘子と許宣の恋を祝福し、二人のなかに子どもの生れる筋としたり、二人の妨げをする法海を悪人とし、最後には蟹の腹にとじこめたり、たたきころしたりする結末をもっている話型も数多くあります。

 私は一九八〇年代の末から九〇年代のはじめにかけて、幾度も浙江省をおとずれ、「白蛇伝」説話の収集につとめたことがあります。その成果は
「中国江南の蛇信仰と日本」として発表しました(『調査研究報告 37号 アジアの祭りと芸能』学習院大学東洋文化研究所、1992年3月)。

 そのさいに雷峰塔跡もたずねました。また美しい西湖でボート遊びをしたことも数回あります。

 多くの話型の分析からいえることは、
蛇と人間の恋を肯定的にみる作品こそが原話であり、蛇を悪として否定する作品は明代以降の知識人のさかしらか、道教、仏教の思想の影響を受けた作であるということです。

 しかし、肯定的であろうと否定的であろうと、白娘子が妖怪であることに違いはありません。妖怪を悪としてとらえる視点からだけでは、白娘子の説明はできません。
妖怪とは、人間にかぎりない好奇心をもち、多くは妖怪の側から人間に接触してきて人間の本質をあばきだす霊的存在であるという、私の妖怪定義がもっともよくあてはまる例の一つが「白蛇伝」です。

 多くの妖怪、ことに中国の妖怪を数多く検討してみますと、
妖怪と神との境目も薄れてきます。妖怪と神とはかなりの部分で重なりあう可変的存在であるという柔軟な視点が必要であると、今の私はかんがえています。

 今回はこの辺で失礼します。
 


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