諏訪春雄通信90
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6月17日(火曜日)、京都の造形芸術大学で壬生狂言の講義をしてきました。その往復の新幹線のなかで2冊の本を読みました。
1冊は劇画『ゴルゴ13シリーズ .140』。こちらは読むというよりも見たというべきでしょうか。漫画雑誌『ビッグコミック』掲載の第一話以来の愛読者として、数十年来、この恐るべきワンパターン劇画を手にはいるかぎり見つづけています。
もう1冊は、今話題を呼んでいる丸谷才一さんの最新作『輝く日の宮』です。いわく「源氏物語、高野聖、宮本武蔵、芭蕉……日本文学の斬新な解釈がきらびやかに展開する奇跡的成果」。いわく「七章全てを異なる形式、文体で描き、日本文学の可能性を極限まで広げた知的でエロチックな最高の小説」。いわく「失われた一章『輝く日の宮』を探す国文学者・安佐子と、独身主義の会社員・長良との運命的な出会いと恋のゆくえ……」。
これらはすべて、なるほど、宣伝の文句とはこうして作成するものなのかという好見本です。この小説に全体のまとまり、秩序ある統一などをもとめたら、ないものねだりになります。
全体の構成は犠牲にして、ディテールの構築に全力をかたむけた怪作です。私などのよく知っている国文学者や民俗学者が本名と仮名でポンポン出てきます。日本近世文学会をはじめ、国文学や民俗学の学会風景が重要な舞台として登場してきます。その点では、国文学や民俗学の世界にドップリとひたってきた私などにはきわめておもしろい読み物です。
国文学者を揶揄した作品という評価がさる新聞に掲載されていましたが、それはちがうようです。作者はきわめてまっとうに国文学者と向き合い、その研究成果を真摯にうけいれ、それにつけくわえて、自己の論を展開しています。
その根底には日本の古典文学にたいする著者の思い入れがあります。著者は、日本の古典文学をきわめて高く評価し、受け入れ、小説という形式を借りながら、自己独自の作品成立論を開陳しているのです。その態度は真剣の一言につきます。
講談社の宣伝雑誌『本』の最新号(2003年7月号)にこの作品について長篇の書評を掲載した筒井康隆さんも、さすがにこの作品のネライの把握には苦しんだようです。
〈著者はこの作品で何を企んだのか、という考察に入ると、それは平安時代の美意識を現代に移し入れることだ〉とのべ、主人公たちは情事や生活のうえで平安朝貴族の美意識を取り入れて生きているとし、作者が古典の時代から現代を批判した作品と評価しています。
この作品に統一性をもとめた苦心の結論ですが、そもそも統一性をもとめること自体に無理があるのではないか、というのが私の感想です。自己の分身である女主人公安佐子に託して、丸谷さんの古典にたいする学識を吐露した作品、その論説集というのがあたっているとおもいます。
1980年代の後半、私と丸谷さんのあいだに、のちに忠臣蔵論争とよばれることになった論争がかわされました。1984年に刊行した丸谷さんの『忠臣蔵とは何か』(講談社)にたいし、私が、「御霊信仰と判官びいきー丸谷才一氏『忠臣蔵とは何か』への疑問―」(白水社『新劇』1985年3月号)を発表し、全面批判したのにはじまって、舞台は講談社の文芸誌『群像』にうつされてつづきました。
この論争の経緯は、インターネットで諏訪春雄と打ちこみますと、関連するいくつかのページが出てきますので、おおよそはたどることができます。また、私のそのときの論文は『聖と俗のドラマツルギー』(学芸書林、1988年)におさめられています。
丸谷さんと論争していた当時、丸谷さんは国文学者にたいし、いわれなき憎悪や悪意をもっているのではないかと、しばしば感じましたが、今回の丸谷さんの著書を読んで、その印象が払拭されました。
じつは、丸谷さんほど日本の古典を愛し、それらを研究する国文学者にたいし、親愛の情をもっている人はいないのではないか。
かならずしも当っているとはおもいませんが、筒井氏は〈古典の美意識を今に移そうとした作品〉として、『輝く日の宮』を理解しています。そう読みたくなるような内容をこの作品がもっていることも事実です。
かんがえてみてください。古典の美意識がそのまま現代に通じるなどと素朴に信じている国文学者など、どこをさがしてもいません。丸谷さんは、それほど日本の古典に打ちこんでいる、稀有の人なのです。
京都造形芸術大学での壬生狂言の講義は今回で2回めです。聴衆は前回と一新されていますが、前回の繰り返しでは能がないと思いましたので、新しい視点をとりいれました。
壬生狂言は京都の律宗壬生寺が鎌倉時代以来つたえてきた念仏狂言です。律宗はいわゆる奈良仏教です。伝統的な奈良仏教が、新興の平安仏教、鎌倉仏教に対抗して打ち出してきた、庶民信者を獲得するための重要な戦略の一環として壬生狂言をとらえ、その観点から壬生狂言を見直しました。
ちょうど、NHKの総合テレビが文明の道という題でとりくんでいるスペシャル番組の3回目「ガンダーラ 仏教の変革」が翌日再放送されることに関連させて、インドで自己鍛錬集団としてはじまった原始仏教が、時代と地域の要求に応じて、たえず自己変革をとげながら、大乗仏教としての歴史をあゆんできた、大きな流れのなかに壬生狂言を位置づけました。
もう一つ、強調した視点は、能ではなくなぜ狂言かという問題です。能が神仏の物語であるのにたいし、狂言はそのもどき、解説としての人間の物語です。壬生狂言は、仏を主人公とした大念仏会にたいし、そのもどき、解説として狂言でなければならなかったというのが、私の論旨でした。
そのためにシャーマニズムのさにわ(審神者)にまでさかのぼって説きおこしました。
ただ、そのときかんがえておかなければならないことは、狂言でありながら、壬生狂言が仮面を使用したという事実です。境内につめかけた多くの信者によく見えるようにという説明がされてきましたが、仮面は本来神仏を表現します。壬生狂言は、大念仏会のもどき・解説でありながら、人間の物語ではなく、神仏の儀式性をも保存しつづけたというのが私の重要なもう一つの視点でした。
当日は、京都造形芸術大学の広告宣伝誌『瓜生通信』に掲載される「著者と語る」の対談が、『江戸時代の歌舞伎役者』の著者田口章子さんを中心に、学長芳賀徹先生と私の三人でもよおされました。
運命を変えた一冊の書とは、まさに田口さんにとっての『江戸時代の歌舞伎役者』ではないでしょうか。彼女はこの書で芸術選奨文部大臣新人賞を獲得し、大学への就職を可能にし、中公文庫に入れてもらい、博士の学位を得、教授に昇格しています。
それはまた、この『江戸時代の歌舞伎役者』がそれだけ立派な内容をそなえた書であるということになります。
講義が終わったあと、いつも駆けつけてくださる森谷裕美子さんとともに、田口さんの馴染み、京都先斗町のお店で、純粋の京料理をあじわいました。
狂言と歌舞伎の「茶壷」の競演で、あの800名以上はいる春秋座を3日間満席にした苦心談などを田口さんから聞きながら静かに酒盃をかたむけました。
持ち前の努力とそして性格で、京都の地にすっかり溶け込んで生活の基盤を築かれたお二人のために乾杯!
すでにこの通信で何回かふれた7月13日(日曜日)午前10時から学習院百周年記念会館で開催される「東アジア演劇の形成と展開」の講師と演題が決定しました。
10:00 芸能と演劇―シャーマニズムからの誕生― 学習院大学文学部教授 諏訪春雄
11:00 中国少数民族の歌と舞 東京国立文化財研究所芸能部長 星野 紘
13:00 中国演劇の形成 東洋大学文学部助教授 有澤晶子
14:00 能の誕生 日本民俗芸能学会代表 山路興造
15:00 朝鮮の祭祀と芸能 慶應大学文学部教授 野村伸一
16:00 シンポジウム「東アジア演劇の形成と展開」
講師 4名 + 司会 諏訪春雄
当日、多数の方がおいでくださることを心から願っています。
今回はこの辺で失礼します。