諏訪春雄通信105


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 ご覧になった方も多いとおもいますが、10月4日(土曜日)の朝刊各紙が、奈良県広陵町の
巣山古墳から出土した水鳥の埴輪について第一面に大きな写真入りで報じていました。たとえば、朝日新聞はつぎのような記事を掲載していました。

 奈良県広陵町の巣山古墳(4世紀末〜5世紀初め)の周濠で、出島の形をした遺構と
ひょうたん形の浮島が出土したと3日、町教委が発表した。遺構から、王の邸宅を表した家形や、水鳥の親子3羽を精巧に再現したものなど30点余りのはにわが見つかった。町教委は「水辺に鳥が浮かぶように見せ、出島の上に王の居室を表現し、周濠の外から見る人々に王の威厳を示したのでは」と話している。

 今回の巣山古墳の発展調査で、私の関心をひいたのは、
水、水鳥、ひょうたんの三点セットです。古墳から水鳥の埴輪が発掘されたのは今回がはじめてではありません。大阪府の津堂城山古墳、誉田御廟山古墳(応神稜)をはじめ、古墳の規模に関係なく、これまでに全国で59箇所、99体が発見されています。今回の出土で、60箇所、102体となりました。

 埴輪が何のためにつくられたのか。これまでに、
   
生前世界再現論   霊魂運搬論  葬送儀礼論  埴輪芸能論
の四つが有力説として提出されていました。今回の巣山古墳にたいする広陵町の教委の見解は、生前世界再現論とみることができます。

 霊魂運搬論の大きな根拠の一つが鳥形埴輪の出土でした。
鳥が霊魂を運搬するという信仰はたしかに古代にありました。古墳から出土した埴輪は埋葬された死者の霊魂を他界へ運搬する役割をはたすという考え方です。

 しかし、私がずうっとひっかかっていたのは、なぜ水鳥か、ということでした。弥生時代の遺構から出土する
鳥竿の上に飾られる鳥は、かならずしも水鳥ではありません。古墳の水鳥の埴輪には、鳥竿の鳥とはべつの働きがあるのではないのか、という疑問をもっていました。

 これまでの四種の説はそれぞれに適応性をもっていますが、この四つ以外の説明法も成立するのではないか。私はそんなふうにかんがえていました。

 一般に祭祀といわれるものは
始原の時間の再現に目的があります。葬儀も広義の祭祀ならば、そのねらいに始原時間再現があるはずです。始原の時間の再現とは洪水のなかから人類が誕生してきた瞬間です。

 
洪水神話で、もっとも多いのはひょうたんにかくれて洪水をのがれるタイプです。

 このタイプは中国の洪水神話の過半を占め、ほかに瓜、かぼちゃ、烏亀の甲羅、鼓、木臼、皮の袋、船、竹の筒、木桶、水をいれる缶、木櫃などが避難用具として登場しています。いずれも
母の胎内に通じる空洞です。

 さらに生きのびて水のなかをただよう原夫婦を救済したり、結婚の仕方をおしえたりするのに
が登場します。日本神話でも『日本書紀』の第五の一書にセキレイが登場しています。

 
水、ひょうたん、水鳥(セキレイ)の3点セットは、洪水神話の再現ではないかというのが、私の仮説です。


(質問)日本神話には黄泉国神話のあとに三貴子分割統治の物語がつづきます。この物語の源流も中国南部にもとめられるのでしょうか。

 その可能性は大いにあるとおもいます。
 
三貴子の誕生からかんがえてみます。『古事記』によりますと、イザナギが水中で身の穢れをはらったあと、左眼をあらったときにアマテラスが、右眼をあらったときにツクヨミが、鼻をあらったときにスサノオが誕生します。この物語はそのまま『先代旧事本紀』にもありますが、『古語拾遺』ではイザナギ・イザナミの二神が最初に生んだ神が三貴子になっています。また『日本書紀』では各書に複雑な相違があります。

整理してみます。

正書     古語拾遺に同じ
第一の一書  古語拾遺に同じ ただし左手に白銅鏡をもったときにオオヒルメ、右手に白銅鏡をもったときにツクヨミ、首をめぐらしたときに自然に生まれた       神がスサノオ
第二の一書  古語拾遺に同じ 
第三の一書  なし
第四の一書  なし
第五の一書  なし
第六の一書  古事記に同じ
第七の一書から第十一の一書  なし

 このように整理してみますと、左右の眼からアマテラスとツクヨミ、鼻からスサノオが誕生したという神話は『古事記』、『日本書紀』の第六の一書、『先代旧事本紀』の三書にしかありません。『古事記』の神話体系を編集したさいに整理付加された素材であったとみられます。

 三神誕生も元来は二神の眼からの誕生でした。この
二神型はほとんど世界中にひろがっています。中国南部でもイ族やペー族の創世神話にみることができます。イ族のシャーマンであるビモの経典に「左眼が太陽の形となり、右の眼が月の形となる」とあります(工藤隆氏『四川省大涼山イ族創世神話調査記録』大習館書店、二〇〇三年)。

 しかし、これに鼻から風の神が誕生としたという要素がくわわった
三神誕生という型になると、その分布は俄然限定されてきます。左右の眼と呼吸の関係が『古事記』型と一致する神話は、いまのところ中国の盤古神話しか知られていません。

 中国清代に成立した
『繹史』に引用された『五運暦年紀』に「この世にはじめて生まれた盤古が臨終をむかえたとき、その全身に大きな変化が生じ、口から吐き出す息が風と雲、発する声が雷鳴、左目が太陽、右目が月」とあります。盤古神話は中国南部の少数民族社会にもひろく流布しています。三貴子誕生神話は中国南部との関係を捨てきることができません。

 つぎに
分権統治についてかんがえます。
 すでに紹介したように、大林太良氏は日本の三貴子分権統治と酷似する中国江蘇省の
三官伝承を紹介しています。三官というのは中国の道教の神々で、天神・水神・地神の三神をさします。大林氏の分析によると、イザナギ・イザナミ神話がもつ七つの要素のうち、柱めぐりをのぞく六つの要素が一致するという、おどろくべき類似性をしめしています。

 ただこの三官伝承は明代成立の長編小説
『西遊記』のなかの一章によっていて、日本の時代区分にあてはめますと、中世にまでくだってしまいます。したがって、大林氏もこれがそのままに日本の三貴子分治の神話の原型であると主張しているのではなく、イザナギ・イザナミの神話に対応するような古い神話が呉越の地に流布していて、三官伝承はその影響下に生まれたのではないかと慎重ないいまわしをしています(「イザナギ・イザナミ神話と中国の伝説」『神話の系譜―日本神話の源流をさぐる』青土社、一九九六年)。

 残念ながら、日本神話の三貴子分治と完全にかさなる神話を中国南部でまだ発見していません。しかし、
類似の神話、あるいは日本神話につながるような神話ならいくつもみることができます。具体例をあげましょう。

 天の怒りにふれておきた大洪水のなかを生き延びた
人類の祖ツォゼルウは、天の神の美しい娘ツツブブミと出あい恋におちいった。父の天の神の数々の試練をツツブブミの助けによってみごとにのりきり、家畜、穀物などの土産を天神からもらい、彼はツツブブミとともに下界にくだって夫婦となることができた。
 
二人は幸せな生活をおくって
三人の子にめぐまれた。しかし、その三人の子ははじめことばをはなせなかった。両親は下界にくだってからおとずれのない天神の怒りのせいと知って、天の神をまつる盛大な行事をおこなった。

 ある朝のこと。三人の子どもたちが家のまえの畑であそんでいると、ふいに馬が一頭畑に入りこんで、かぶらを盗み食いしているではないか。
 
子どもたちはあわてて口ぐちに声をはりあげた。
 長男は
チベット語で、
「馬がかぶらを食べてる」
といい、
 次男は
ナシ語で、
「馬がかぶらを食べてる」
といい、
 末っ子は
ミンチャ語で、
「馬がかぶらを食べてる」
といった。
 
 おなじ母から生まれた三人の子どもたちは、
異なったことばを話す、三つの種族になったのであった。三人は異なった服を着て、三種の異なった馬に乗り、三つの方向へとかけ去っていった。(君島久子『中国の神話』筑摩書房、一九八三年)

 
ナシ族がつたえている「人類遷徙記(せんしき)とよばれる壮大な人類誕生の叙事詩の一節です。日本神話の三貴子分治のように、天、夜、海の三界ではありませんが、三つの種族を三人の子が分治し、その祖先となっています。
 
 この分治が四つの世界になる神話が
ペー族に伝承されています。

 何万年もむかしのこと。天神がひそかに人間たちに「地上に間もなく大洪水がおこる。おまえたちはいそいで大きなひょうたんのなかに避難しなさい」と警告した。人間はだれもそのことばを信じなかったが、ただ阿布帖と阿約帖の兄妹だけが天神のことばにしたがった。
  
 間もなく地上に大洪水がおこり、九十九日もつづき、地上だけではなく天上にまで水が達し、世界はまるで一片の白い花のようになってしまった。地上の人間はすべてそのために死にたえたが、大きなひょうたんのなかにかくれていた兄妹だけが生きのこった。水はどこまでもあふれ、ひょうたんがただよいつづけていた。
 
 やがて洪水がひき、大地が露出してきたが人影を見ることはできなかった。兄と妹がひょうたんから這い出てきた。二人はそれぞれに長い棒を手にした。そしてわかれて
一人は東に、一人は西にむかい、人をさがして、三年後におなじ場所にもどってくる約束をした。
 
三年がすぎ、兄と妹は再会した。長い棒はすりへってほんのひとふしをのこすだけであったが、人間に出あうことはできなかった。

 子孫をのこすために、兄は妹に結婚しようと説いたが妹は同意しなかった。しかし、他の方法もなかったので、
天神の意思をたずねることになった。妹は河の西から一個の貝殻をながし、兄は河の東から棒をもってとびうつり、貝殻に乗ることができた。そのあと、兄が河の東から一個の貝殻をながし、妹は河の西から棒をもってとびうつり、貝殻に乗ることができた。

 これは天神が同意したことをあらわしていた。兄と妹は結婚して五人の女の子を生んだ。

 このあと、この物語は、この五人の娘のうち、うえの四人がそれぞれに人間と変わった動物と結婚して
熊氏族、虎氏族、蛇氏族、鼠氏族の祖先となるという筋が展開します。しかし、いちばん下の娘だけは、毛虫に出あいますが、毛虫が人に変わることができなかったために、この世に毛虫氏族は存在しないということになります。一例として熊氏族の話を紹介します。

 父の阿布帖は一包みの穀物を撒いた。成熟の季節がきたので長女をつれて田を見回りにいった。長女がその場所につくと、一頭の熊が穀物をぬすんでいるのを発見した。熊は長女を見て、手でまねき声をかけてきた。びっくりした長女は大声で父の名をよんだ。

 その声を聞いた父はあわてて弓で熊を射ようとしたが、どうしても射ることができなかった。熊はすこしもあわてず、父にむかって話しかけてきた。「阿布帖、阿布帖、長女を私にくれないか。さもないと私はおまえの収穫を全部食べてしまうぞ」

 父は同意しない。「熊殿、あなたは人ではない。どうして人の娘などと結婚したいのか」
「私は人に変わることができる」
熊はいい終わるやいなや一人の子どもに変わって阿布帖のまえに立っていた。父親はまたたずねた。
「あなたは仕事ができますか」
「できる」
と子どもはこたえた。
「それなら柴を背負い、蜂蜜をとってもどってきなさい」

 阿布帖はいいおわると、長女をつれて家にかえった。間もなく熊は大きな柴の荷を背に負ってもどってきた。そして阿布帖にいっしょに蜂蜜をとりにゆこうといった。彼らは一本の大きな木の下にたどりついた。そこには多量の蜂蜜があった。熊が蜂蜜をとりおわると、阿布帖はその蜂蜜を背負って家にかえった。

 長女は熊と結婚し、たくさんの子を生んで、大氏族に発展した。
蘭坪那一帯の地方に住んで熊氏族とよばれた。

 この神話もまた洪水神話であり、人類の原夫婦となった兄と妹が四つの氏族の祖先を生む話です。この兄妹はひょうたんのなかにかくれて洪水をのがれています。
 
 姉と弟が
天と地をわけて統治する神話も存在します。広西チワン族自治区の苗族につたえられている神話です。

 天に姉弟二人の神がいた。ある日、姉は弟にいった。
「地上におりて人間と一緒に生活し、ともにはたらいて彼らをおさめなさい」
 弟は姉の指示をうけて地上にくだり、人間とともに暮らしながらよくはたらいた。しかし、
がなく、ほかの穀物も十分ではなかったので、いつも食物にこまっていた。そこで、弟は天にもどって姉に告げた。

「地上に稲がなく、食物に困っております」
「なにも困ることはありません。春になったら、私が稲の穂を天から蒔いてあげますので、地上にもどって大地をよくたがやして待っていなさい」
 姉はそういって、弟をふたたび地上に帰した。弟は地上にもどると、人間といっしょに大地をたがやした。
 
そして春になると、大地に籾が芽を出し、稲が成長した。秋にはたくさんの米を収穫することができた。それ以来、人々は稲を栽培しつづけているのである。(森田勇造『アジア稲作文化紀行 女たちの祈りと祭りの日々』雄山閣出版、二〇〇一年)

 海の領域と陸の領域をわける神話もあります。雲南省のプラン族がつたえてきた「海を定める神珠」という題の神話です。梗概だけをのべます。

 大地が形成されたばかりのころ、海洋の領域がまだ定まっていないことに危惧を感じられた創世主は、自己の身体の垢からつくりだした竜王に海をさだめる神珠をあたえ、大海に派遣した。竜王は海底に竜宮をつくり、その頂上にこの神の珠を安置し、海の領域を定めた。

 この神話は日本の
海幸山幸神話の変種です。海幸山幸神話でも、最後、〈見るなの禁忌〉がやぶられたことによって、それまで自由であった海と陸の往来が不可能となって、海の領域と陸の領域がさだまっています。

 さらに中国南部のハニ族がつたえている「神の古今」という神話は、天、地、海、太陽、月などをつくりだす神話です。これも梗概をしるします。

 遠い遠いむかし、世界は天と地の区別もなく、ただ白い茫々とした雲霞のようなものにおおおわれていた。それからまたどのくらいの時間が経過したのであろうか、ゆっくりゆっくりと下の方が変化して果ての見えない大きな海があらわれ、上の雲霞が一個の黒い鍋のようなものとなって平らな海をおおった。

 この時期、この大海のなかにあらゆる事物を生みおとした世界最大の
金魚女神が生まれた。金魚女神は長い眠りからさめて、右ひれをひとふりすると上の雲霞がはれわたりひろい藍色の天があらわれ、左ひれをひとふりすると下の雲霞がはれわたり黄色い地があらわれた。ただ、天には天神、地には地神がいて、人はいなかった。

 またどれくらい時間が経過したのであろうか、金魚女神は鱗から、太陽、月、天神、地神、男性の大神、女性の大神などを生みおとした。おなじように、金魚女神は風神、雨神、雷神、植物神、水神などなどを誕生させた。また金魚女神は天、海、地もつくりだした。

 すべての創造主として金魚女神を想定する興味ぶかい神話です。
以上のような多様な神話が中国南部にはおこなわれています。日本神話の三貴子三界分治の
核心を形成する要素はそろっているといえます。

〈質問〉王権神話の中心となるアマテラス神話と中国南部神話との関係についてお話しください。
 

 王権神話の根幹にかかわる問題ですので、次回以降におこたえします。

 今回はこの辺で失礼します。

 


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