諏訪春雄通信108
アジア文化研究プロジェクトへようこそ。
11月8日(土曜日)午前10時から、
同 9日(日曜日)午前10時30分から
の2日間にわたって、国際浮世絵学会主催の第8回国際浮世絵大会が、学習院百周年記念会館正堂で開催されます。テーマは「歌舞伎400年と浮世絵」、「忠臣蔵300年と浮世絵」の二つ。このテーマにちなんで、講演、シンポジウム、研究発表などがおこなわれます。
初日の8日(土曜日)午前10時すぎから、人間国宝の中村富十郎さんの記念講演があります。講演といっても、私が質問者となって、富十郎さんに答えていただくという形式をとります。この形式は、昨年も、アジア文化研究プロジェクト主催で、おなじ百周年記念会館で実施して、好評を得ています。
富十郎さんは歌舞伎座で午後1時5分前から一世一代の「船弁慶」を演じることになっていますので、10時35分までには学習院を出発していただかなくてはなりません。
これまでに、中村雀右衛門、中村鴈次郎先代・当代、沢村田之助、中村京蔵、中村京妙、市川団十郎、その他と対談、もしくは講演会、シンポジウムなどで同席したことがありますが、話のうまさという点では、富十郎さんは屈指です。
前回は芸づくりを中心にうかがいましたが、今回は歌舞伎と浮世絵を中心に話していただきたいと思っています。もちろん、大ちゃんの話もくわえます。
12月13日(土曜日)午後1時から
同 14日(日曜日)午前10時から
これも百周年記念会館正堂でアジア文化研究プロジェクトの最終記念大会が開催されます。まえにも予告しましたように、テーマは「日本文化―解体と再生―」で8人の講師をお願いし、ほかに、土曜日には日韓民族舞踊の競演がおこなわれます。
私は、「日本文化と王権」という題で初日の午後3時から1時間にわたって話します。自分なりに、これまでの王権研究の一つの集成をしようとかんがえています。
明年2004年1月10日(土曜日)午後2時から西5のB1教室で、私の最終講義がおこなわれます。テーマは「細部に神宿り給ふー国文学私論―」。近世文学の具体的な問題をいくつか例にとりあげて、私のかんがえる国文学の在り様を論じてみるつもりです。
以上をもって、私の学習院での公式行事はおわります。あとは、学年末試験、入試などの仕事をのこすだけです。さびしさがないわけではありませんが、新しい研究活動の開始への期待感のほうがはるかにつよいというのが、正直ないまの気持ちです。
〈質問〉出雲神話ではヤマタノオロチ神話のあとにオオムナチ(オオクニヌシ)の根の国神話がつづきます。この神話も中国南部と関係があるのでしょうか。
大いにあります。根の国神話の梗概は『古事記』によって整理するとつぎのようになります。
オオムナチ(オオクニヌシの別名)は、兄の八十神たちが因幡のヤカミヒメのもとに求婚におもむいたときに袋を負って供をし、ワニに皮をはがれ、兄たちにおしえられた偽りの治療法でくるしんでいる白兎をすくった。白兎の命をすくったことでヤカミヒメの愛を得たオオムナチは兄たちのねたみをうけ、二度も命をねらわれたが、母神にすくわれ、根の国へのがれた。
根の国でスサノオから、蛇、ムカデ、蜂、野火などの試練を課せられたオオムナチは、スサノオの娘スセリビメの助けによって難をのがれ、太刀、弓、琴などの宝物を入手した。宝物の威力で兄弟の神々に復讐し、葦原中国の王者オオクニヌシとなる。
この神話についても、これまでに、松村武雄、松前健、西郷信綱など各氏の研究が世に出ていて、一種の成年式、通過儀礼としての解釈が定着しています。
典拠については、伊藤清司氏に「オホムナチ神話と中国の民話」(『東アジアの古代文化 特集 日本神話をめぐって』大和書房、1991年1月)というすぐれた論があります。
氏は、この神話を成人式における「死の試練」として読むこれまでの解釈をみとめたうえで、イナバの白兎の伝承から、単なる成人式の反映にとどまらず、オオムナチは、医療・禁圧の創始者として巫祝的性格をもつとともに、出雲の偉大なる文化英雄、国の主権者でもあったとします。したがってこのような性格から判断して、オオムナチが課せられた試練は特殊な通過儀礼、たとえば巫覡集団の入門式、あるいは王者就任に先立つオーデアルの面影をとどめるものではなかったかと、きわめて注目すべき提案をしています。私はこの伊藤氏の考えにまったく賛成です。
伊藤氏は以上のように根の国神話の性格規定をおこなったうえで、オオムナチが根の国でスサノオからうけた数々の試練を説話における「難題婿」というパターンととらえ、中国山東省沂水地方でかたられている「春旺と九人の天女」という昔話を類話として紹介しています。じつはこの昔話ははやく広畑輔雄氏が紹介、検討されたものでもありました(「オホムナチ神話の成立」『民族学研究』三十九巻三号、日本民族学会)。
春旺という名の男の児が悪童どもにいじめられていた鹿を助けてあげた。鹿は感謝し、ご恩返しをするからいいつけて下さいといって立去った。母親が死に春旺が孤児となった十八歳の年、鹿が現れ、明日、天上から九人の天女が水浴のため降りてくるから、脱いだ衣をひとつ取るようにといった。春旺は教えられたとおり、末娘の脱いだ孔雀の衣を隠した。その結果、その天女は地上にとどまって春旺と夫婦になった。
一年たち、天女は児を生むと、やがて天上界の父親の誕生日の祝いを理由に天上に昇っていき、なかなかもどらない。残された子どもが哭きわめき困った春旺は鹿をよびだして相談した。そして子をつれ鹿の教えたとおりにして天に昇った。
春旺はそこで妻の父親から恐怖の試練をうけたが、妻の助言によって、それをことごとく克服し、地上にもどって妻子と幸せな暮らしをおくった。
春旺が妻の父からうけた試練はつぎのようなもので、オオムナチがスサノオからうけた試練とよく似ています。
最初の夜、春旺は大しらみの精の室に入れられ喰いころされそうになるが、妻から教えられた呪文とあたえられた櫛をつかって大しらみを撃退する。つぎの夜、三千八百斤もある南京虫の精の室に入れられるが、これも呪文とあたえられた呪い針で追いはらう。三日目の晩は、さそりの精の室に入れられるが、これもおなじような方法で無事に難をのがれた。
春旺は四日目の夜、三万六千匹の毒蛇のいる井戸のうえの室に岳父といっしょに寝るように命じられる。これも妻に教えられたとおり、岳父をあざむいて難をのがれる。つぎの日、裏のひろい花畑に、竹篭をつかって水をやれと命じられる。しかも、井戸には四匹の竜がいて、それを邪魔するが、これも妻に教わった方法でなんなくきりぬける。すると今度は、木刀を一本あたえ、山の竹やぶの太い竹を全部伐りたおせと命じる。しかもその竹には毒蛇が巣くっていて危険きわまりないが、やはり妻のいうとおりにして難題をはたした。しかし、このままでは命があぶないので、妻のあたえる傘をひらいて地上に舞いおりた。やがて妻も子をともなってやってきて、親子で幸せに暮らした。
根の国でのオオムナチの試練は『古事記』にしかあらわれてこない神話です。オオムナチがうけた試練は、蛇の室、むかでと蜂の室、野火の難、頭のしらみ(じつはムカデ)の四種です。春旺の試練は、しらみだけがが一致し、ほかの三種はちがいます。しかし、毒虫、毒蛇の室に入れられ、妻の助言で難をのがれる点はよく似ており、妻の父とおなじ室で試練にあう点など細部にまで類似性があります。
伊藤氏は、さらに根の国神話を「英雄求婚」譚の性格もそなえているとして、中国貴州省黔東南地方のミャオ族が伝承している「桃の子太郎と魔法使いの娘」という類話を紹介しています。
二軒の家の地境に大きな桃の木があり、毎年たくさんの実をつけた。だが、ある年、ただのひとつしか実がならず、それがズンズン大きくなり、地面に落ちて割れると、なかからひとりの男の児がでてきた。両家の人びとは大喜びし、桃の子太郎と名づけて大事にそだてた。
桃の子太郎はみるみる大きくなり十八歳の若者となり、毎日、川辺の丘で牛を放牧して働いた。対岸にいつも洗濯をするうつくしい娘がいた。二人はいつしか川をはさんで恋歌を歌う深い仲となった。
ある日、娘が一枚の布をふって川にながした。するとたちまち橋に変わった。桃の子太郎はその橋をわたって娘のもとにゆき、愛の言葉をかわし、そろって娘の父親のもとに出かけた。
娘の父親は意のままに相手を殺すことのできる恐ろしい魔法使いであった。二人が家に着いたとき、魔法使いは留守であった。夜、酒気をおびた魔法使いが戻って来るや「人間の臭いがする」といった。娘は桃の子太郎とのことをありのままに話した。魔法使いはいった。
「部屋を片づけろ。その男を泊めるがいい」
娘はギックとした。あの部屋でどれだけの人間が命おとしたことか!娘はひそかに父親の呪衣をぬすみだし、桃の子太郎にあたえた。その晩、桃の子太郎はおそわったとおりそれを着て寝た。夜半に鬼どもがあらわれ、彼をたべようとしたが、呪衣を見てにげだした。
翌朝、魔法使いがスヤスヤ眠っている桃の子太郎を見て舌を巻いた。朝飯のあと、魔法使いは山焼きにさそった。山で魔法使いは桃の子太郎のまわりから火をはなった。そのとき、魔法使いの娘が一羽の小鳥になってやってきて、蟹をとりだして命じた。
「蟹よ、大急ぎで井戸を掘れ!」
すると眼のまえに井戸が出現し、二人はそのうちにはいって難をのがれた。
魔法使いは焼け死んだとばかり思っていた桃の子太郎がニコニコしてあらわれたのを見て、またびっくりした。
翌日、魔法使いは真向いの山の樹木を一本のこらず伐りたおせと命じた。桃の子太郎が困っていると娘がやってきて、呪術をつかって手伝った。翌日、魔法使いはその倒した樹木を全部焼きはらえと命じ、さらにそのつぎの日は三斗三升三合の粟を蒔けといい、しおのつぎの日h蒔いた粟をのこらずひろい集めろと命じた。そのたびごとに娘が魔術をつかってたすけ、桃の子太郎は無事難題をはたすことができた。
魔法使いは今度は家の裏の竹をみな伐りたおせと命じた。娘が桃の子太郎に
「あれはみな大蛇です。伐るまえに藤蔓でしばっておきなさい」
と教えた。いわれたとおりにして伐ると、はたして竹はすべて大きな蛇であったが、おかげで桃の子太郎は噛みつかれずにすんだ。
娘は桃の子太郎と魔法使いのもとからにげだすことにした。そのとき、娘はいった。
「神棚に傘が三本あります。そのなかのいちばん小さい傘をとってにげなさい。ただし、どんなに照っても降ってもその傘をひらいてはなりません」
桃の子太郎が教えられた小さい傘を手にすると、まるで体に羽が生えたように空中を駆けた。とつぜん、天候が急変し、大雨が降り、ついで身をこがすような暑さがつづく。かとおもうと骨を刺すような寒さがおそい大雪がふった。桃の子太郎はたまらず傘をひろげると、ボーンと大きな音がし、彼は傘もろともに地上に墜落した。そこへ娘が姿をあらわした。
他方、眠っていた魔法使いはボーンという音で眼をかくし、二人が逃げ出したのを悟って、毒矢を射かけた。しかしまたしても、娘の助力でその魔の手から逃れることができ、こうして二人はめでたく結婚した。
伊藤氏はこの桃の子太郎と根の国神話との類似点を五つかぞえあげています。
スサノオが根の国・死者の国の王であり破壊的存在であるのに対し、魔術使いは「思うままに一瞬にして人を殺す魔力」の持ち主であり、魔の国の王者的存在であって、ともに陰(マイナス)の世界の主である。
両者がともに娘の婿を「外来の客」として泊め、殺そうとするが、オオムナチは呪的ひれ、桃の子太郎は呪的衣によって死の試練からのがれている。
ついでオオムナチは野火攻めにあうが、ネズミにみちびかれ穴にはいって危機を脱するのにたいし、桃の子太郎もおなじく野火攻めの危険に見舞われるが、カニによって穴にのがれて、ともに地下の世界の動物の助力によって死地を脱している。
オオムナチはスセリビメをともなってスサノオのもとからにげさるとき、スサノオの呪宝の天の沼琴をもちだしたのにたいし、桃の子太郎も魔法使いの呪的傘をぬすんで魔の国から脱出する。
そのとき、スサノオも魔法使いもともに盗まれた呪宝の発する音で眼をさまし、娘と婿を追跡するが、ともに断念し、二人はめでたく結婚する。
このように共通点をならべたうえで、伊藤氏は「春旺と九人の天女」の毒虫試練のモチーフも複合させ、「両説話はとうてい別々に生まれた説話とは考えられず、おそらく移動・伝播の関係によって説明されるべき関係にあることは明白である」と結論しています。
ここで引用された二つの説話で傘が重要な役割をはたしています。前者でも後者でも脱出のさいに主人公たちは傘をもっています。この傘について、「傘が呪的宝器とする話はあまり聞かない。『春旺と九人の天女』の話で、春旺が天上界から脱出するときに傘を使用しているのをみると、傘を単なる降下の道具とも考えられるが、これも天上と地上を往来ときに使う呪物とみることも可能である」と疑問をのこしながら推測しています。
傘が重要な神の形代であることは、トン族の薩歳についてのべたときにたびたびふれました。ミャオ族の伝承「桃の子太郎と魔法使いの娘」では傘は神棚におさめられていました。傘にたいする信仰はトン族にかぎらず、ほかの少数民族社会にもひろまっていた可能性がかんがえられます。
異界の王の娘と結婚しようとして、異界の王からきびしい試練をうける難題婿型の神話は、伊藤氏が紹介された二話のほかにも、中国南部の少数民族社会で発見することができます。以前に三貴子分治の神話として紹介したナシ族の創世叙事詩「人類遷徒(せんし)記」にも主人公ツォゼルウが天神のきびしい試練を天神の美しい娘ツフブブミの助けによってのりきり、ツフブブミと家畜、穀物の種などを手に入れて地上に生還し、人類の祖先となる話がみられます。梗概で紹介します。
近親相姦をいかった天の神によってひきおこされた洪水からひとり生きのこったツォゼルウは老人に姿を変えた智慧の神からおそわった二人の天女のうち美しい娘をめとったために結婚に失敗した。
あてもなくさ迷ったツォゼルウは天神の娘ツフブブミと出あい、彼女とともに天へのぼり父の天神に結婚の許しを乞います。天神はツォゼルウに数々の試練を課します。九つの林の木を一日で切る、その切りたおした木を一日で焼きはらう、九箇所の焼けあとに九袋の穀物の種をまいて収穫する、収穫した穀物から、じゅずかけ鳩の沙ぶくろのなかにはいっている二つぶの穀物とアリの腹のなかにはいっている一つぶの穀物をとりかえしてくる、天神とともに岩穴にこもり岩羊をとらえる、天神とともに川の魚をとらえる、虎の乳を三滴しぼってくる、などの試練を天女の教えにしたがい、白い蝶や黒いアリの助けを得てのりきり、みごとに天女とむすばれ、穀物や家畜を地上にもたらした。
このツォゼルウ神話も、日本の根の国神話とつぎのような一致点があります。
地上の若者が異界の王の娘と恋におちる。
若者は異界の王から数々の試練をうける。
それらの試練の最後には異界の王と一所にともにすごす危険な試練がある。
試練を若者は異界の王の娘の教えと動物の助力によってのりこえる。
若者は異界の王の娘と結婚し、王から宝物をあたえられる。
二人は地上に生還し、地上の人間の祖先になる。
このほかに、雲南省のトールン族にも難題婿の神話があります。この神話には若干内容を異にするAとBの二種のタイプがあります。まずA型から紹介します。
【トールン族神話:A型】
洪水の氾濫ののち、人間はしだいにふえたが、五穀も家畜もなく、ただ野草や木の実をたべていた。ある土地に彭根朋という少年がいた。妻をめとる年齢になっても娘をさがす方法を知らなかった。力もちで勤勉であった。毎日、山の木を切っていたが、前日切りたおした木が翌日にはもとの長さになっていた。不思議におもった彭根朋が晩に木の茂みにかくれて様子をうかがっていると、一人の老人がやってきて切られた木をおこして根についで元の木にもどしていた。彭根朋は腹をたて、老人を追いかけ腰にだきついた。
びっくりした老人はしかしすぐ笑って、
「自分は天神の木崩落である。今日、おまえと親戚になるためやってきた。天上にきて自分の娘をめとってほしい」
というと一匹の老虎をよびだし、
「おまえはこの老虎のあとについてゆけば天上にゆきつくことができる。天上についたら娘をめとれ」
と告げて飄然と姿をけした。
彭根朋は虎のあとについてたちまち天上にたどりつくことができた。老虎は、
「まえへすすみなさい。天神の木崩格に逢うであろう」
といった。
前方にはひらけた土地があって、各種の農作物がみのり、林には鳥がとび動物がはしりまわっていた。そして天神木崩格が彭根朋を待っていた。
天神は彼を家につれてゆき、二人の娘をよびだし、彭根朋にえらぶようにいった。二人の仙女のうち、一人は特別にうつくしい隻眼の娘で顔をあらうことがなく、もう一人も隻眼であったが清潔な娘で名を木美姫といった。木美姫は彭根朋をみて嫁になりたいとねがった。もう一人の仙女は魚の嫁になることが願いであった。天神は木美姫を彭根朋とめあわせて人間世界につれてゆくことをゆるした。人間が娘を嫁にするようになったのはこの二人にはじまる。
この話はまだつづきます。二人が人間界にもどるとき、天神は、二人の穀物の種子、各種の鳥獣などをあたえます。つまり天の重要な宝物を二人は地上にもたらしています。
このA型に難題婿のモチーフはありません。そのモチーフのあるのがB型です。その難題婿の個所だけを梗概で紹介します。登場人物の名前の表記法がすこしちがっています。
【トールン族神話:B型】
天神の莫朋は主人公の朋更朋を彼の住まいにつれていった。莫朋には莎朋という妻と墨美更という隻眼の娘がいた。墨美更はたいへん聡明な娘であった。彼女は朋更朋がよくはたらく男性であることを見ぬき、ひどく気に入った。朋更朋もまた墨美更が聡明で能力のある娘であることをみて彼女が気に入った。両親も朋更朋に好意をもった。愛娘と結婚させたいとおもったが、そのためには試練をあたえなければならないとかんがえた。
「若者よ。おまえはよくはたらく。おまえをこれからためしてみよう。もし、おまえが聡明、健康、勇敢であることが証明されたら私は娘をおまえにあたえよう」
莫朋は部屋のまえの巨大なつやつやと光っている一本の樹のもとに若者をつれていった。
「若者よ。おまえはこの樹の先端にまでのぼってみよ」
とりつくすべもないほどつやつやとよくすべる巨木をまえに、朋更朋がこまりはてていると、墨美更がそっと近寄ってきて小さい声で、この樹の実をとってどろどろに煮て、足裏と手のひらにぬって樹にのぼればすべることはないと、おしえてくれた。天神はつぎの試練を課した。
「若者よ。後ろの山の洞窟に大きな黄蜂の巣窟がある。おまえはそこから蜂の蜜をとってこい」
朋更朋は蜂に刺されて死ぬのではないかと思案にくれていると、また墨美更がおしえてくれた。
「あの黄蜂は父と母が天上からつれてきた神の蜂です。あなたは洞窟の入り口にいって、大きな声で、天の父母が我に蜂の蜜をとってこいと命じられたといえば、大黄蜂は入り口をあけてくれるでしょう」
さらに天神は試練をつづけた。
「若者よ。私はこれから遠い遠いところにゆくがついてくるか」
不安におそわれている朋更朋に墨美更がおしえてくれた。
「旅は気をつけてください。ことに夜、父といっしょに寝るときは、父の眼がとじているときはまだ起きており、眼をひらいているときはもう眠っているのです。あなたは、父が眠っているすきに遠くはなれた場所にいって寝てください」
さらに、旅に出る朋更朋に墨美更はキュウリ、カボチャ、菜の種をわたし、二日めごとに囲炉裏にそれらの種をまくようにとすすめた。
朋更朋は天神と長い旅に出た。旅のあいだ、朋更朋は墨美更のことばに忠実にしたがった。ある日、彼らは密林にはいって大きな樹の下で夜をすごすことになった。天神は若者に多量の薪をあつめさせてかがり火をたき、その傍らで寝ることになった。若者は、いつもよりも身の危険を感じ、天神が眠ったすきに遠くはなれたところへうつって眠った。真夜中、眼をさました天神は、薪で押しつぶすつもりだった若者が薪のそばにいないので大声で若者を呼んだ。遠くから若者の返事がした。天神はおもわず、
「おまえはじつにかしこい」
とほめた。
空があかるくなって彼らはまた旅をつづけた。彼らは高い山のうえにやってきた。そこは老熊と老虎の住処で、ものすごい吠え声がひびきわたっていた。そのときに、天神は朋更朋をおきざりにして姿を消してしまった。若者が大きな樹の根のうえでふるえていると、密林の奥から白髪の老人があらわれ声をかけてきた。
老人は、若者に事情を聞き、自分はこの山で老熊と老虎を支配している神と名のり、足の速い虎に若者を送らせることにしてくれた。その老人は
「虎は旅のあいだ獲物をとらえて肉をおまえに食べさせてくれるだろう。ただ気が荒いので、ぜったい怒らせてはならない。獲物をとらえると、虎は骨がすきなので、おまえは肉はたべても骨をたべてはいけない。噛む音も立ててはならない。また、夜眠るとき、虎が山のうえで寝たら山の麓で、虎が山の麓で寝たら山のうえで寝るようにせよ」
とねんごろにおしえてくれた。
若者は虎にまたがって来た道をかけもどった。そのあいだ、彼は細心の注意をはらって白髪の老人の教えをまもっていたが、あるとき、不注意から、獲物の肉についていた小さな骨をたべ、咀嚼の音を立ててしまった。その音を聞いて虎は怒りの吠え声をあげた。とびかかろうとする虎に若者は必死に弁解した。
「私はお腹をすかしていました。肉がたべたくて、ついていた小さな骨までたべてしまいました。お許しください」
朋更朋はひたすらにわびた。老虎もようよう怒りをおさめ、また旅がつづいた。虎は若者の住まいにちかい山頂についたとき、太陽ののぼる方向にむかってあるけば、故郷につくだろうといって、若者をのこして去っていった。
囲炉裏にまいたキュウリ、カボチャ、菜などが芽を出して成長していた。若者はそれらをたべ、囲炉裏をたどりながら道をいそぎ、莫朋のもとにかえりつくことができた。莫朋は若者の勇敢さと智慧に感心し、娘との結婚をゆるし、各種の穀物や野菜の種子をあたえて、朋更朋の故郷に二人を旅立たせた。
この種の難題婿のモチーフをもった伝承は中国南部にまだ多く分布しています。それらの多くは天から、天の神の娘とむすばれて、穀物や動植物を地上にもたらす話です。その点では根の国へおとずれるオオムナチの神話とは異なります。これは、すでに研究者が推定しているようにこの神話にシャーマンになるための儀礼、成巫儀礼が反映しているからでしょう。イナバの白兎の神話は呪医の治療行為とよむことができますし、また、オオムナチが根の国で入手する宝物が、「生太刀・生弓矢・天の詔琴」というシャーマンの呪具であること、地底を遍歴すること、などを考慮すると、若者が一人前のシャーマンとなるためのイニシェーションであることは確実であろうとおもいます。
シャーマンが祈祷にさいして手にする呪具は、基本的には神を招くための依代という性格をもっており、平安時代の採物(とりもの)神楽(かぐら)(『日本古典文学全集神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集』小学館、1976年)では
榊 幣 杖 篠 弓 剣 鉾 杓 葛
の九種があらわれます。琴は『古事記』や『日本書紀』がしるす神功皇后の神がかりに使用されます。オオムナチが手に入れた三種がシャーマンの呪具であったことはあきらかです。
現在、中国長江流域の少数民族の巫師たちがもちいる法器(呪具)の種類はつぎのようなものです。
トウチャ族 神像図 銅鈴 刀 長刀 角笛 竹卦 印
ヤオ族 杖 経典 銅鈴 銅? 竹卦 角笛 銅剣 銅鐸
リー族 鈴 剣 角笛 索 法帽 弓矢
ナシ族 冠 帽子 鈴 鼓 銅鑼 剣 矢 杵 杖 木偶 竹叉
中国でも剣、矢、楽器などがシャーマンの祈祷における必需品でした。
また、シャーマンのイニシェーションで地下の国を遍歴することがありました。以下は、広西チワン族自治区ヤオ族の度戒(成巫儀礼)の行事次第です(張国明「翻刻資料ヤオ族の度戒行事次第」『歌垣と反閇の民族誌』星野紘、創樹社、一九九六年)。
喫斎(精進料理をたべること)
掛像布壇(神像画をかけて祭壇飾りをすること)
受戒者着装穿合衣(度戒をうける者の着装
入筵請聖(座入り、聖神迎え)
開壇(祭壇開き)
掛灯(灯火載せ)
量米架天橋(米をはかり天界へ橋をかける)
捉亀(亀の捕獲)
招兵・招粮(守護兵と穀物の招来)
睡陰床(度水槽ともいう)
この最後の行事で受戒者は昏睡状態のなかで冥界を遍歴します。長江流域のシャーマニズムは現在では神がよりつく憑霊型ですが、入巫儀礼などでは、原初の形態にもどって脱魂型を経験する行事をとりこむ例が多くみられます。この冥界遍歴をおわって昏睡からさめたときに受戒者はシャーマンとしての資格を獲得します。
〈質問〉王権神話としての出雲神話ではこのあとにオオクニヌシとスクナビコナとの国作り神話がつづきます。この奇妙な神話が意味するものを中国南部との関係で説明してください。
この質問については次回におこたえします。
今回はこの辺で失礼します。