諏訪春雄通信109


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 私の父は新潟県の新発田という田舎の町で小さな週刊の新聞を発行していました。社員は数名、記事のほとんどは父が自分で書いていました。新聞が発行された日、父は晩酌をしながら楽しそうに自分の書いた記事を何度も何度もくりかえし読んでいました。父のいちばん楽しい時間だったのでしょう。

 私が学習院大学を退職したあとの主要な仕事として
雑誌の編集をしてみようと思いたったのも、このような父の血をうけているからかも知れません。

 1991年4月に創刊号が刊行された
『日中文化研究』という雑誌の企画は私が立てたものでした。日本側の出版社は勉誠社、中国最大の国立の出版社中国大百科全書出版社との共同編集で、相互に翻訳して同時に刊行するという壮大な計画でした。中国大百科全書出版社は中国国務院の決定によって、社員約600人をかかえ、1978年に北京に本社を設立した出版社でした。この会社の役員の劉輝さんという方が、北京大学卒業の演劇研究者で、私の友人であったところからおきた話でした。

 そののち『日中文化研究』は勉誠社(改名して勉誠出版)の単独の出版になり、14号まで刊行されました。アジアを中心とした民族、民俗の専門雑誌として定評を得ましたが、経済的にはだいぶ勉誠社に迷惑をかけました。現在同社が刊行している月刊誌の
『アジア遊学』はその後身であり、同誌のキャッチフレーズ「地球文化創造」は、私の考案したことばです。

 この『日中文化研究』の
高度な内容をうけつぎながら、同誌には欠けていたジャーナル性一般向けの庶民性などをとりこんだ新しい雑誌を編集したいというのが私の夢でした。

 さいわいに勉誠出版の社長池島洋次さんの賛同を得て、計画が軌道にのりました。誌名はまだきまっていませんが、創刊号の特集テーマは
「一神教の功罪」、執筆予定者はえらびぬかれた16氏です。取材と原稿の作成で私の手助けしてくださる最適のアシスタントも2名きまりました。

 編集のコンセプトは
「根源を撃つオピニオン誌」です。次号のテーマは「子どもたちの反乱」で、こちらの執筆者も選考をおえました。時代の動向と最新の学問成果をむすびつけた一般向けの雑誌がねらいです。どのような仕上がりになるか、私にとっても興味深々です。

〈質問〉王権神話としての出雲神話ではこのあとにオオクニヌシとスクナビコナとの国作り神話がつづきます。この奇妙な神話が意味するものを中国南部との関係で説明してください

 『古事記』によりますと、スクナビコナの神話はつぎのような筋になっています。

 オオクニヌシが出雲の美保の岬にいたとき、ががいもの実でつくった船にのり、ひむしの皮の衣服をきて、よってきた神がいた。名を訊いてもこたえず、かがしのクエヒコがカミムスヒの子スクナビコナとおしえてくれた。母神のカミムスヒは「自分の指のあいだからこぼれおちた子である。おまえはアシハラノシコオ(オオクニヌシ)と兄弟になって国づくりせよ」と命じられた。二柱の神は協力して国づくりをおこなったが、のちに、スクナビコナは海の彼方の常世国(とこよのくに)へわたっていった。

 スクナビコナについての記述は、ほかに、『日本書紀』八段の第六の一書、『先代旧事本紀』などに粟嶋で粟の茎にはじかれて常世国へわたったとあり、『風土記』では、稲穂や粟をもたらしたり、多くの山や丘の造成の神としてあらわれたりしています。また『古事記』や『日本書紀』の歌謡では、酒の神、石の神として詠まれてもいます。
 
 これらの伝えから、
国づくりの神常世の神穀霊医療の神石の神来訪神などさまざまな性格をもっていたことがわかります。

 正直にいって、日本の王権神話のなかで、中国の南方文化とのつながりの薄い神がこのスクナビコナです。このスクナビコナ神話と同型の神話を私は中国神話で発見していません。

 穀霊としてかんがえたときに、中国南部の
穀霊は、私の把握しているかぎりでは女性神です。トン族の稲の神である薩歳が女性であることについてはすでにのべました。またミャオ族の穀霊は穀魂、米鬼、穀神などとよばれていますが、開苗門という田植え開始の祭りをはじめとする稲の祭りにうたわれる祈願の文句のなかで、巫師は稲魂にむかって「姑娘」つまり娘さんとよびかけています(潘定智「丹寨苗族的穀神崇拝」『貴州古文化研究』中国民間文芸出版社、一九八九年)。

 ハニ族の稲魂が女神であることについては曾紅氏(「ハニ族の年中行事」諏訪春雄編『東アジアの神と祭り』雄山閣、一九九八年)や欠端実氏(「雲南少数民族における新嘗祭」『新嘗の研究4−稲作文化と祭祀―』第一書房、一九九九年)の研究があります。そのほか、プーラン族などもあきらかに稲魂を女神とかんがえています(『中国各民族宗教と神話大辞典』学苑出版社、一九九〇年)。チワン族のように
男性神とみなす例もまったくないわけではありませんが(同辞典)、女神とくらべると数はかなりとぼしくなります。
 
 さらに中国大陸南部に居住する少数民族のあいだに他界を大海のかなたに想定する例もみとめられません。
 
 このようなスクナビコナですが、しかし、まったく中国南部と無関係ともいいきれな点があります。粟にはじかれたことから本来は雑穀の霊であったとかんがえられますが、しかし、スクナビコナの素性を知っていた唯一の存在が山田のかかしであり、『播磨風土記』に揖保郡
(いぼぐん)稲穂山の地名の由来説話としてオオムナチ、スクナビコナの二神が「かの山は稲穂をおくべし」といったとあります。また酒を造成した神とされることなどをかんがえあわせますと稲の穀霊の性格もあわせもっていました。
 
 穀霊はものにおどろきやすく、細心の注意をはらわないと穀物からにげ去ると信じられています。スクナビコナが粟にはじかれるところにはそうした穀霊の性格が反映しています。
ものに動じやすい穀霊という観念は中国南部にもみることができます。ハニ族の人たちは穀霊は恥ずかしがりやなので扱いに注意しなければならないとし(欠端氏前掲論文)、チワン族のあいだにはにげ去った穀霊をとらえる「捉穀魂」という巫師儀礼があります(前掲『中国各民族宗教と神話大辞典』)。
 
 また、スクナビコナを来訪神とかんがえたばあい、海の彼方から出現するという一点をのぞけば中国南部にはじまって東アジア社会にひろまった
来訪神の儀礼の本質をよくあらわしています。

 東アジアの来訪神儀礼については「除災の信仰と来訪神の信仰」(『中国秘境 青海 崑崙』勉誠出版、二〇〇二年)という文章でくわしくのべたことがあります。その要点を紹介しましょう。
 
 いまのところ、私は中国で十三種の来訪神の祭りを発見しています。
   湖南省トウチャ族のマオグースー
   貴州省イ族のツオタイジ(変人戯)
   広西チワン族自治区ミャオ族のマンコウ
   広西チワン族自治区チワン族の青蛙節
 などであり、日本では
   アカマタ・クロマタ 沖縄県
   パーントゥ 沖縄県
   アンガマ 沖縄県
   アマミハギ 石川県
   カセドリ 山形県
   アマハゲ 山形県
   ナマハゲ 秋田県
など、
五〇種近くが存在します。

 これらのなかで比較的古形をたもっているのはトウチャ族のマオグースー、イ族のツオタイジ、ミャオ族のマンコウなどです。それらを参照して、来訪神の本質はつぎのように整理されます。
  

  1. 季節の変わり目の行事である。
     中国大陸の習俗を継承した日本の来訪神の祭りは、本土では年末年始に、トカラ列島以南では夏正月の盆前後におこなわれています。この本質は中国の来訪神の祭りにも共通しています。

  2. 来訪する神々は始祖神にひきいられた家族の神々である。
     この本質がもっともよくみえるのは、マオグースー、ツオタイジ、マンコウなどです。これらの祭りを検討することによって、来訪してくる神々は、共同体の先祖の神々であり、しかも、なかでももっともふるい始祖神とその神または神々にひきいられた、子、孫などの構成をとっていることがあきらかになります。

  3. 来訪する神々は人格神か自然信仰の対象になる動物神である。
     中国の来訪神の半数は人間の形をした人格神ですが、のこりは、虎、蛙などの動物神です。しかし、これらの動物神も人間のように思惟し、行動して人格神の性格を色濃くのこしています。日本のばあいはほとんどが人格神です。これは中国の神信仰のふるさ、日本の神信仰のあたらしさをしめしています。日本の東北地方の来訪神が鬼とみられる例が多いのは、この地方にひろがっている鬼の信仰と習合した結果です。

  4. ほとんどは仮面をつけ、草木を身にまとった異装の神々である。
     この事実は来訪神が山と関係のあったことをしめしています。つまり祖先神が山の神でもあったためであったとかんがえられます。

  5. これらの神々は山中から出現している。
     4と関係する現象です。日中ともに、ふるい原型を保存している地方ほど、出現の場所が山中であることがはっきりします。

  6. 神々の来訪の目的は、子孫に文化をさずけた始原の時間の再現とその文化の確認にある。
     中国ではこの目的がきわめて明瞭にみてとることができます。たとえば、湖南省の
    マオグースーは、トウチャ語で「全身長毛の祖先」の意味です。全員、はだかを藁でおおい、頭にほそながい髷をつけ、赤い色のつくり物の男性性器をぶらさげています。全体の形態は、日本の秋田のナマハゲ、鹿児島のトシドンなどにそっくりです。

 役柄は、祖父、祖母、子孫と大きく三分され、ほかに、牛、野生動物などもあらわれます。内容は、農耕、狩猟、魚釣り、争奪婚、文字訓練という五分野からなり、いずれも祖父と祖母が子孫に伝授する演出になっています。農耕では、耕地、種まき、草とり、収穫、脱穀などが、狩猟では、合図、追跡、包囲、殺害、獲物の分配、
神への感謝と、古代のトウチャ族の生活が生き生きと再現されています。
 
 ミャオ族の
マンコウのマンは年とった老人、コウは古いという意味です。年取った祖先の老人ということになります。扮する者は、三、五、七、九など、奇数の人数の若者です。裸体に山のつる草をまとい、杉の木でつくった仮面をつけます。その仮面には、赤、黄、黒などの色彩がほどこされ、手足には鍋墨がぬりたくられます。手には棍棒のようなふとい杖をもち、動物のようにはしります。
 
 長老たちの決議によってマンコウにえらばれた若者は、以後秘密をまもり、家をでて山小屋ですごしたり、親戚の家にとまったりします。祭りの前後には山上の洞窟にあつまり、長老から仮面をさずけられ、おたがいにたすけあって扮装します。翌日、アシ笛の演奏の大音響のなかを山をかけくだって、集落をおとずれます。彼らには、父、母、息子、娘、弟、妹、孫などの役割の分担がり、稲のわらでつくった生殖器をつけています。中腰に身をかがめた未開人の動作で、狩猟、漁労などのの生産活動から、定住、生殖などの生活行為を表現します。
 
 日本の来訪神儀礼では、沖縄の
マユンガナシシヌグなどにこの性格がはっきりとあらわれていますが、ほとんどは子どもへの教訓威嚇に変質しています。しかし、訪問先の家人が歓迎し、その乱暴狼藉をよろこんでうけいれているのは、来訪する神々が善意の祖先神であり、文化の伝授者であるからです。
 以上の中国・日本の来訪神の本質とくらべることによって、奇妙な来訪者スクナビコナの性格がかなりはっきりしてきます。

 スクナビコナがオオクニヌシの国づくりをたすけ、出雲の地(葦原中国)に稲作、医療、酒造などの文化をつたえたのは、
来訪神が文化伝授の目的をもって来訪するというの本質に合致します。また彼の正体を知るものが山田のかかしだけであったのは、本来、来訪神の正体は共同体の人たちに秘匿されるべきものであったからです。
 
 スクナビコナの出現の季節がいつであったかはあきらかではありません。しかし、彼はとつぜん去っています。来訪神はその共同体にとどまることをゆるされないからです。
です。
 
 スクナビコナは海の彼方からあらわれましたが、その乗物はガガイモの実でつくった舟であり、衣装はヒムシつまり蛾の皮でつくったものでした。ガガイモはつる性多年草で山野にはえる植物であり、蛾ともども海ではなく山の産物です。

 ここでかんがえあわされるのは、日本の
アカマタ・クロマタです。アカマタ・クロマタは沖縄県の八重山地方で、海の彼方から稲の豊作をもたらすためにおとずれてくる仮面仮装神です。四面を海にかこまれた八重山の人たちは、ふるくからニューラスク、ニライスク(根の底の嶋)という常世の信仰をもちつづけてきました。人は死ねば常世の国におもむき、五穀のゆたかな実りもこの常世からもたらされると信じていました。

 アカマタ・クロマタはこの常世からの来訪神とかんがえられていますが、事実は森のなかの洞窟から出現し、木の葉を身にまといススキの角をつけ、手には棒をもっています。海の彼方からきた神であるにもかかわらず、扮装は山の産物です。あきらかにスクナビコナとの一致があります。

 アカマタ・クロマタの故郷は中国南部です。じつは、おなじ八重山地方でも、アカマタ・クロマタの二神が登場するのは小浜島や新城嶋の上地嶋、石垣島の宮良などで、西表島の古見では、
クロマタ・シロマタ・アカマタの三神が登場します。そのさい、クロマタが親神で、シロ・アカの二神は子神夫婦とされています。

 この子神夫婦が
安南(ベトナム)から稲をもってわたってきたという伝説が古見地方につたえられており、ユンタ(祭りの神謡)にも「遠い遠い海の彼方の安南から渡来して来られたシロマタ・アカマタの御前」とうたわれています。このベトナムの来訪神の祭りは隣接する広西チワン族自治区からつたわったものと推定されます。

 このようにみてきますと前述の
でも、スクナビコナは中国南部の来訪神の性格と一致することになります。
中国南部の来訪神の本質に照合することによってスクナビコナの性格はもうすこしあきらかになります。

 『古事記』では、山田のかかしはスクナビコナの素性について、カミムスヒの子と説明しています。『古事記』の神統譜によれば、オオクニヌシはスサノオの六世の孫になりますので、スクナビコナはオオクニヌシにとっては
遠い祖先神ということになります。

 この関係は東アジアの来訪神の本質に適合します。東アジアの来訪神儀礼でおとずれてくる神は共同体の遠い祖先神であるのが通例であり、来訪神相互は親子、夫婦、兄弟などの家族神です。カミムスヒがオオクニヌシにたがいに兄弟になって国づくりにはげむように命じているのは、オオクニヌシが、来訪神をむかえる
共同体の成員からともに文化の形成につとめた祖先神へと役割を変化させたことをしめしています。

 スクナビコナは奇妙な神ですが、
穀霊と来訪神の二つの神格の合体とかんがえれば、その本質の重要なものははとらえることができます。

〈質問〉出雲の国づくり神話では、スクナビコナが海の彼方に去ったあと、御諸山
(みもろやま)(三輪山)の神があらわれます。オオクニヌシと三輪山の神の関係をどのようにかんがえたらよいのでしょうか。

 この質問については次回でかんがえます。

 今回はこの辺で失礼します。


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