諏訪春雄通信112
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旧聞に属しますが、全国大学国語国文学会が、平成12年6月3日(土曜日)、國學院大學で「変革期を迎えた大学と国語国文学研究」というテーマでシンポジウムを開催しました。最初に元文部大臣有馬朗人氏の基調講演「国語国文学研究に何を求めるか」があって、パネリストは日本女子大学教授井出祥子、東京大学大学院教授小森陽一、東北大学大学院教授仁平道明の三氏、司会は國學院大學教授井上英明氏でした。
このシンポジウムの詳細は、同学会の機関誌『文学・語学168号』(平成12年11月)に掲載されています。
国文学者が国文学の現状に不安をもってその解決の道を模索した最初の公的な大会でした。しかし、今回、丁寧にその記録を読みかえしてみた私の感じは、当日のシンポジウムの講師小森陽一氏の「学会内に閉じ篭って他者を排除した安心感を抱きながら、お互いに慰め合う」という指摘、さらに聴衆として参加された同志社女子大学教授吉海直人氏のつぎの感想と同じものでした。
「今回のシンポジウムは、タイムリーで切実なテーマであったにもかかわらず、そして議論になりそうな兆しがあったにもかかわらず、結局は不発に終ってしまい、必ずしも生産的なものとはならなかった。その後味の悪さからして、やはり国文学の未来は予断を許さないということなのであろう」
このシンポジウムがなぜ不発に終ったといわれるのでしょうか。結局、当日の講師も、そして会場での質問者も、つぎの2点にまとめられるような不十分さをかかえていたからです。
国文学の危機の認識が不十分である。
国文学の危機にたいする有効な打開の理論を見出していない。
前回の通信でふれた「ジャイロス」3号の特集テーマを「国文学は自己変革できるか」としたのは、以上の2点について解決の道を探りたかったからです。その「特集の狙い」は次のようなものです。
「国文学(日本文学)が存亡の危機にさらされている。少子化や大学変革の大波をまともにうけて、国公私立の各大学・短大では国文学科(日本文学科)の看板がおろされて、他学科への併合・吸収を強いられている。中学・高校の国語教科書からは古典文学や漢文が姿を消し、入試問題で古文や漢文を出題する大学は少数派になっている。国からの科学研究費配分でも減額がつづいている。しかし、何よりも憂慮すべきは、実学尊重の時流のなかで、国文学という学問存在の意味を説得する理論を国文学者がもちあわせていないようにみえることである。
前身の国学からわかれて国文学が学問として自立してきたのは、明治20年代から30年代にかけてのころであった。この時期、国文学は帝国大学国威文学科教授芳賀矢一らの主導のもとに強力な自己規制の道をあゆんだ。対象を日本文学に限定したこと、方法論としてドイツにまなんで文献実証学を採用したこと、の二つであった。近代、現代の百年、国文学はこの二つの本質を墨守することによって、日本の学問の中枢を占めてきたのであったが、今、その本質に疑問符がつきつけられているときに、国文学者は時代を生き延びるための理論的根拠を提示できないでいる。
国文学は坐して老衰死を待つのか。それとも自己変革をとげて、新しい時代の学問に生まれかわることができるのか。再生する方途はいずこに。」
この特集のために、最適の執筆者を16名選定しました。また、私自身も執筆しますが、その要点は、明年1月10日(土曜日)午後2時からの、私の最終講義「細部に神宿り給ふ」で具体的な実例とともに語るつもりです。私なりの国文学再生論です。多数、お見えいただければ幸いです。
〈質問〉天孫降臨神話についてお話しください。
日本の王権神話のクライマックスです。日本の古代神話のなかでも天孫降臨神話についての研究はかくだんにすすんでいます。松村武雄、三品彰英、大林太良、西郷信綱、松前健、吉田敦彦などの名立たる神話学者の研究がつみかさねられ、日本の天孫降臨神話が朝鮮半島から内陸アジアにかけてひろく分布している、祖神の天降り神話に由来することが定説として確立しています。
天孫降臨神話には多くの変型があります。まず『古事記』によって梗概をしるします。
オオクニヌシの国譲りがあって、アマテラスと高木神は日つぎの御子のアメノオシホミミに降臨を命じた。そのときオシホホミミと高木神の娘トヨアキツシヒメとのあいだに子が生まれたので、その子ホノニニギノミコトをかわって天下りさせて瑞穂国を統治させることになった。そのときサルタビコが八衢(やちまた)にあらわれて道案内をした。五つの族長が供につき、三種の神器があたえられたのち、アマテラスは「この鏡を我が魂としてまつれ」と命じた。準備が整い、ホノニニギは筑紫の日向の高千穂のクジフル峰に天降った。
『日本書紀』の正書、一書四、一書六などでは、「タカミムスヒがホノニニギをマドコオウフスマにくるんで降臨させた」とあり、しかも神器はあらわれません。また、『日向国風土記逸文』にはホノニニギが稲穂を散布しながら高千穂峰にくだる話になっています。
これまでに研究者たちによって指摘されてきた先行神話にはつぎのようなものがあります。まず、朝鮮の歴史書『三国遺事』が伝える檀君神話です。『三国遺事』は朝鮮の高麗時代の高僧一然が編纂した歴史書で、説話集的な性格ももっています。
帝釈天桓因の子桓雄は、朝鮮半島にくだって王として国をおさめたいとねがっていた。そこで父の桓因は天符印三個と家来三千人をさずけたので、風・雨・雲および穀物・生命・疾病などをつかさどる神々をひきいて、桓雄は太伯山頂の神檀樹の下にくだり、そこを神市とよんだ。ちかくの洞窟に熊と虎がいて、人間になりたいとのぞんでいた。
そこで桓雄はヨモギとニンニクをあたえ、これらをたべて百日間洞窟にこもって、日光をみなければ人間にかわれるとおしえた。虎は途中であきて失敗したが、熊は教えをまもり、うつくしい婦人になった。熊女は桓雄と結婚し、檀君を生んだ。檀君は成人すると、唐の暁王五十年に平壌に都をさだめ、はじめて朝鮮の国号を採用した。 (『世界神話事典』角川書店・1994年)
おなじく『三国遺事』がつたえる首露王神話はつぎのとおりです。
むかし、加羅国のできる以前、我刀干ら九干(九人の首長)だ支配していた。首長らが金官国の亀旨峰の頂上に集っていると、神の声がして、「私はこの地方に新しい国をつくり、その王となるように天上の神から命令されて降臨するので、皆はうたいおどりながら待ちうけるように」とつたえた。そこで人々が迎神の祭りをおこなっていると、紫色の縄が天からたれさがり、その縄のつくところに、黄金の卵が六つあった。我刀干らがこの卵を箱に入れて家にもちかえるが、十三日めにひらいてみると、六つの卵は童児にかわっていた。そのなかの一人は、金官伽耶国の首露王になり、のこりの五人はそれぞれ五伽耶国の王になった。 (『世界神話事典』)
これまで多くの研究者が指摘しておられるように、前者の檀君神話で、天神が子に三種の宝物をもたせ、風、雨、雲の三種の職能神を供として天下らせる筋は、日本神話の三種の神器、五つの伴緒にあたります。また檀という樹が重要な意味をもってあらわれるのは、日本神話のタカミムスヒの別名高木神と関係があります。
また、『日本書紀』の正書に天孫の降臨した土地が高千穂のクシフルであったのは首露王神話の亀旨(kui muri)に通じ、『日本書紀』一書第六に降臨した場所が高千穂のソホリの峰であったのは、朝鮮語の都の意味のソウルに重なります。また、同じく『日本書紀』一書第四、第六によりますと、ニニギは降臨するときにマドコオウフスマに包まれています。これは首露王が黄金の卵にはいって天からくだってきてしとねの上に置かれることと共通しています。
このようにみてくると、『三国遺事』がつたえる朝鮮古代神話が日本の天孫降臨神話に影響をあたえていることは疑問がないでしょう。
さらに大林太良氏はブリヤード・モンゴル族のゲセル神話を類話として紹介されました(『神話と神話学』大和書房・1975年)。
至高神デルグェン・サガンは、マラトの民の哀願を聴き入れ、一日も早く天神を地上に降して悪者を退治しなければならないと考えた。彼はドロン・オドウン天に全天の諸神九十九柱の主な神々と、天上にすむ数千のブルハンを集めて、悪者征伐の大評定を開いた。最初、至高神サガンの子、カン・チュルマスを降すべきことが提案されたが、チュルマス神老齢を理由にことわった。そして自分の末子ゲセル・ボグドゥに天下りを命じるように乞い、四歳のボグドゥが天命を拝受した。ボグドゥは、(1)全天の九つの天の主宰神がもつ智謀のすべて、(2)祖父のもつ黒い軍馬、(3)英雄の準備金、(4)祖父の蹄縄、(5)祖父の短い槍、(6)一人の妻を所望し、これらを手に入れてくだった。
この神話を紹介された大林太良氏は、
天神の子が天下ることをことわり、孫がその代りに天下る。
天下る神が幼児である。
日本の三種の神器にあたるものに蒙古神話の六種がある。
日本では荒ぶる神のいる葦原中国を平らげるために神集い、その結果国譲りがおこなわれたが、蒙古神話でも、荒ぶる神を平らげるために天神の子をくだそうとして神々の大評定がおこなわれた。
という四点の類似をあげて、「おそらく元来はアルタイ語系の牧畜民文化を母体とした神話であって、日本へは、皇室の先祖の起源神話として入ったものであろう」と結論づけられた(『神話と神話学』大和書房・1975年)。
このように、日本の天孫降臨神話を北方系としてとらえる視点が学界に定着しています。しかし、ここで注意したい点があります。たしかに、北方アルタイ語系神話には、天孫降臨神話の主要なモチーフがそろっていますが、肝心の稲をもって下界にくだるというモチーフはありません。それは北方のアルタイ語系諸民族の文化が牧畜民文化であって、稲作文化ではないことの当然の結果です。
ところが、朝鮮古代の檀君神話には穀物の神をひきいて天下るという要素がそなわっています。この要素はどこからきたのでしょうか。いうまでもありませんが、朝鮮半島の稲作は中国から伝来したものです。中国の南方長江流域の少数民族社会には、民族の祖先が天から穀物をもって地上にくだってきたという神話や伝説が流布しています。
まず、以前にも一部紹介した雲南省を中心に居住しているナシ族につたえられている「人類遷徙記」のなかから稲作起源の部分を紹介します。
大昔、兄弟姉妹が近親婚をおこなったために神の怒りをかって大洪水がおこり、わずかな人類はほろんでしまった。皮鼓のなかにはいってただ一人生きのこったツォゼルウは、天神ツラアブの娘ツヅブブミと出会って恋におちた。彼は天につれてゆかれ、父の天神にあった。若者が気に入らない天神は、一日のうちに九つの林の木をきる、伐採した木を一日でやきはらう、焼け跡に穀物をまいて収穫する、収穫した穀物のうちじゅずかけ鳩と蟻にたべられた三粒の穀物をとりもどす、岩羊の猟のさいに天神のしかけた罠からのがれる、川魚漁のさいに天神のしかけた罠からのがれる、虎の乳をしぼってくる、など七つの試練を課したが、ツォゼルウはツツブブミの智慧にたすけられてことごとく突破する。
さすがの天神も二人の結婚をゆるし、馬、牛、銀碗、金碗、穀物の種子、家畜などをあたえて地上へかえしてやる。二人は地上の多くの種族の祖先となる。
前半は省略しましたが、天地創造神話と洪水型神話が結合しており、後半はすでに検討したようにスサノオとオオクニヌシの出雲神話と同型の難題婿の話型になっています。しかも天神の娘が人間の男とむすばれて天上から宝物とともに家畜や穀物をもたらす話になっています。
つぎは湖南省から広西チワン族自治区にかけて住んでいるヤオ族の神話です。
大昔、天は今よりもひくいところにあり、人間は大木をつたわってたやすく天へあそびにゆくことができた。そのころ、天神に命じられて地上の水をつかさどっていたのは天上に住む水仙姫であった。ある日、彼女は地上からきた若者に夢中になって、水口をふさぐのをわすれ、地上は大洪水になってしまった。天神のはげしい怒りにおそろしくなった水仙姫は、若者の手をとってにげだしてしまった。水仙姫の両親は二人をさがしまわり、月宮の桂の木の下に娘と若者を発見した。娘がたのもしい若者といることに安堵した両親は、二人に穀物の種子とゴマの種子をあたえて地上へにがしてやった。
地上はすでに水がひいていた。二人は穀物とゴマの種をまき、人類や動物をつくりだした。天神は地上が元どおりに豊かになっているのをみて、二人をゆるした。ただ、地上の人間が天にのぼってくるのをふせぐために、天をたかくひきあげてしまった。このときから、地上の人間は天へのぼることができなくなってしまった。
やはり、天から穀物をもたらす話であり、あわせて天地分離の神話でもあります。注意されるのはその天と地をむすぶ通路が木であることです。日本の天孫降臨神話で高木神が重要な役割をおびているとの意味については、のちにくわしく検討することにしますが、高木神=タカミムスヒの原型を示唆する神話でもあります。
稲または穀物が天から地上にもたらされたという神話は、長江流域の稲作民族のあいだにひろまってひろまっており、ほかにも多くの類話をあげることができます。雲南省を中心に居住するタイ族の神話をあげます。
遠い昔、人類は田を耕すすべを知らず、穀物を持たなかった。ただ天に一柱の天神がおり、七十七種の穀物を管理し、広大な田地を所有して収穫をあげていた。田を耕すときは一日に千二百人の男子と千二百人の水牛が必要であり、苗を植えるときには千二百人の娘、収穫のときには娘と子どもが一日に千二百人が必要であり、倉に納めるためにも多くの人手が必要であった。そのころ人間は農耕を知らず、春夏には木の実で餓えをしのぎ、秋冬には木の根を採り、猟で餓えを満たし、木の葉や獣の皮を身にまとうなど、艱難の日々を過ごしていた。
ある日、天神の幼い娘が雲上に遊び、空の上から人間の凄惨な生活を見た。美しく優しい天女は人間の境遇に同情した。天国に戻った彼女は、父に穀物の種を人間に与えるようたのんだ。
娘のことばを聞いて父は怒り、
「人間が穀物の種を入手するのに三年はかかる」
と言い放った。天女は抗弁しなかった。
「天国の三年は人間の一千年に相当する。その間食物がなければ、人類は滅んでしまう。わたしはきっと彼らを救ってあげよう」
あるとき、父親は天女に干してある穀物を見回りにゆかせた。そのとき彼女は一袋の穀物を盗み、白衣の老人となって人間界にとんでゆき、人間に穀物の種を恵んで、
「冬に田を耕し、四月、五月には堤を築き、六月に種を蒔き、七、八月に苗を植え、十二月、一月に収穫しなさい。毎年これを繰り返しなさい」
と教えた。
彼女が天国に戻ると、父親はすでにこのことを知っていて、叱り飛ばして牢に閉じ込めてしまった。天女はこれにめげず、牢から逃げ出し、七十六種の穀物と綿花を盗み出し、人間に紡績と衣服の縫い方を教えた。この後、人間は食物と衣服を得て安心して毎日を過ごすようになった。
天神は天女が天の規律を犯したことに激怒し、
「おまえは卑しい犬となって人間界に暮らせ」
と彼女を下界に追い降してしまった。人間は犬となった彼女に同情し、心をこめて彼女を養った。人間に穀物を恵み、恩恵を施した徳に感謝した人間は、毎年、一月の戌の日、魚肉、野菜、新米をまず犬に食べさせることを習俗にするようになった。
犬が天から穀物を盗み出して人間に伝えたという神話は他の民族にも流布しています。人間、犬の違いはあっても、穀物は天からもたらされたものという信仰が、長江流域の稲作民に広まっていました。次は雲南省に住んでいるトールン族が伝える神話です。先にオオクニヌシとスサノオの根の国神話の章で紹介したAタイプの後半です。
洪水の氾濫で生きのこった少年彭根朋は、天神の木崩格と出会い、天神の娘をめとるために、天神の教えにしたがって老虎のあとについて天にのぼった。そこには天神が待っていた。
天神は彼を家に連れて行き、二人の娘を呼び出し、彭根朋に選ぶようにいった。二人の仙女のうち、一人は特別にうつくしい隻眼の娘で顔をあらうことがなく、もう一人も隻眼であったが、清潔な娘で名を木美姫といった。彼女は彭根朋を見て嫁になりたいと願った。他方、特別に美しい仙女は魚の嫁になることが願いであった。天神は木美姫を彭根朋とめあわせ人間世界につれてゆくことをゆるした。人間が娘を嫁にするようになったのはこの二人に始まる。
二人が人間界に行くとき、天神は、二人に、ヒエ・ソバ・トウモロコシ・燕麦の種子、各種の鳥獣、一筒の蜂の種と一筒の薬酒を与えた。利口な木美姫は、父親が稲の種をくれなかったことに気づいた。そこでひそかに稲倉からわずかな稲籾を盗みだし、人間界に持って帰ることにした。彼らだ出発しようとするとき、天神は、彼らに途中どんな声を聞いても振り返ってはならないと警告した。
二人は天神からもらった品々を持って意気揚揚と天上から人間界に向った。突然、背後で鳥獣のすさまじい吠え声が響いた。木美姫はびっくりして後ろを振り返ってしまった。そのとたん、彼らの後についてきた動物たちが逃走しはじめた。二人はあわてて動物を捕まえにかかり、牛、豚、羊、犬、鶏などごくわずかな種類を捕まえたが、他は深山のなかに逃げ去ってしまった。トールン族がこれらの家畜しか持たないのはそのためである。
また、その騒ぎの最中に、蜂の筒を手ばなしてしまった。現在、蜂が岩石のうえに巣を作るのはそのためである。薬酒の筒も水中に落ちた。トールン族が薬酒を持たず、淡い酒だけを造るのはそのためである。幸いに五穀の種は持ち帰り、農耕を始めることができた。
天神は、地上にさまざまな農作物がつくられることをよろこんだが、食物がゆたかになると、人間が怠け者になることを心配し、地上に雑草の種をくだした。そのために地上では雑草を刈ったあとに農作物がよく収穫されるようになった。
あるとき、天神は地上に稲が成長しているのみてびっくりしたが、木美姫が盗みだしたことに気がついた。そこで、農作物が実るとき、天神は天上の神々に命じて収穫物の一部を天上に回収させることにした。実のない空の穀粒があるのはそのためである。
彭根朋と木美姫が天上を離れるとき、天神は獣の皮に文字が一杯に書かれた書物を与えた。しかし、のちに彭根朋の子どもたちが、この書を煮てたべてしまった。そのため、トールン族は字を持たず故事は口で唱えるようになった。
天から地上に稲をはじめとする数々の穀物や家畜など、生活に必要な品々、食糧が地上に伝えられています。巨大王権を形成することがなかった長江流域の少数民族にとって、王権継続の宝器類の由来よりも、生きてゆくための物資の起源こそが関心の的であったことを、これらの神話はよくしめしています。
最後にもう一種、広西チワン族自治区の苗族につたわる姉弟二神による稲作起源神話を紹介します。
天に姉弟二人の神がいた。ある日、姉は弟にいった。
「地上におりて人間と一緒に生活し、ともにはたらいて彼らをおさめなさい」
弟は姉の指示をうけて地上にくだり、人間とともに暮らしながらよくはたらいた。しかし、稲がなく、ほかの穀物も十分ではなかったので、いつも食物にこまっていた。そこで、弟は天にもどって姉に告げた。
「地上に稲がなく、食物に困っています」
「なにも困ることはありません。春になったら、私が稲の穂を天から蒔いてあげますので、地上にもどって大地をよくたがやして待っていなさい」
姉はそういって、弟をふたたび地上に帰した。弟は地上にもどると、人間と一緒に大地をたがやした。
そして、春になると、大地に籾が芽を出し、稲が成長した。秋にいはたくさんの米を収穫することができた。それ以来、人々は稲を栽培しつづけるのである。(森田勇造『アジア稲作文化紀行 女たちの祈りと祭りの日々』雄山閣出版、二〇〇一年)
日本の天孫降臨神話とつぎのような類似点があります。
女神の命令を受けて肉親の男神が天下っている。
男神の降臨の目的はともにはたらいて人間をおさめるためである。
稲は天上から地上に下されている。
稲は天上から地上につたえられました。その伝来者は、南部の少数民族の神話や伝説では、人間のほかに、犬、鳥(燕、雀、鳳凰、鶴など)がいますが(大林太良『稲作の神話』弘文堂・1973年)、もっともひろく流布しているのは人間、それも天の人間、つまり神です。そこに日本の天孫降臨神話との一致点があります。犬以下の動物、ことに鳥が登場してくるのは、天と地の分離が明確に観念され、人間の往来が不可能と意識されるようになってからの変化でしょう。
日本の天孫降臨神話についてのこれまでの検討結果を整理してみましょう。
ア;天孫降臨神話の骨格は、
A…天上の神たちが宝器をもって地上にくだって支配者になる
B…そのさいに天上から穀物、ことに稲を地上にもたらした
という二つのモチーフから成立している。
イ;このうち、Aのモチーフは北方アルタイ語系諸民族の山上降臨型神話によって形成された。
ウ;しかし、天孫降臨神話のBのモチーフは、中国南方農耕民の天から穀物をもたらした神または人が地上の人類の祖先または支配者になる神話によって形成された。
エ;このBのモチーフは大陸から直接に伝来したものと、朝鮮半島で北方系神話と習合してから日本へ伝来したものと、大別して二種類があった。この二種類は、日本への稲作の伝来ルートに対応している。
オ;このBのモチーフと結合して、あわせて中国南方農耕民の稲魂信仰、太陽信仰なども日本へ伝来した。
以上です。私は日本の王権の構造は、大陸の北方帝国の思想と南方少数民族の思想との複合・葛藤としてとらえることができるとかんがえています。そのもっともよいモデルが天孫降臨神話であるといえます。この問題についてはさらに次章のタカミムスヒ神話でくわしく検討をくわえます。
〈質問〉日本の王権神話にはアマテラスとならんでもう一柱タカミムスヒが重要な役割をおびて登場しています。タカミムスヒの本質、アマテラスとの関係について知りたいのですが……。
この質問にたいしては次回でおこたえします。
今回はこの辺で失礼します。